初日#8 FAMiR”くらら”
「はじめまして、くららと申します」
高く澄んだ声がイヤーマフから聞こえてきた。彼女は軽く頭を下げる。
栗色の髪がふぁさっと揺れた。
「こちらこそはじめまして。上条です。こいつは部下の佐田山。さっきのアイリーンちゃんといい、くららちゃんといい、みなさん美人ぞろいですなあ」
夜のお店を訪ねたごとく、室長はまったく緊張していない。俺の心の底に、尊敬と羨望と若干怒りの交じった感情が沸き起こった。
「お褒めいただき、ありがとうございます」
彼女がまた頭をさげる。
「今日初めてファミルを見たんだけど、見るまではCGまるわかりのようなチャチな姿を想像していたんだよ。でも全然違和感ないね。人と変わらないし、本当にそこにいるみたいだ」
「みなさん驚かれます。ファミルはみな、一体ずつ手作りで設計されました。違和感なく、変に主張せず、景色に溶け込むような存在感を目指しております」
透明感のある声に、俺の方が溶けてしまいそうになる。
「いやいや、溶け込む必要ないよ、おい、おまえも何か言え」
肘で小突かれてしまった。隣はリアルなおっさんという悲しい現実に襲われる。
「くららさんは、いつからここにいらっしゃいますか?」
努めて明るい声で聞いてみた。
やばい、俺も夜の店のような感覚に陥っている……。
「三月一日、第一期リリースの一か月前からです。三か月半ほどたちました」
「会社には慣れました?」
「ばか、何言ってんだおまえ」
小突き再び、さっきより痛い。
「ほんっとうに会話下手だな、すみませんねー、くららちゃん」
「ふふふ、会話が下手なんて思ってません」
くららは片手を口元に当てて受け流す。
「おまえなあ」
室長は彼女に構わず続けた。
「ここは『お仕事は大変ですか』とか『土日は休めてますか』とか相手を気遣いつつ会話が弾みそうな質問するところだろ。何だ『慣れましたか』って超絶曖昧質問は。そんな質問されたら『あーめんどくせえ、適当に答えとけ』ってなるだろ。だいたい『はい慣れましたよ』って返されたら、おまえ会話をどこに持ってくつもりだったんだよ?」
どこって、そんな計画性無かったし。
「あのう、めんどくさいなんて、決して思ってませんから」
澄んだ声が響く。そのとおり、室長のほうがめんどくさい。
「だからおまえはダメなんだ。初対面こそチャンスだろ、そこでときめく会話に持っていきゃあ、あとが楽なんだよ。おまえほんっとそういう能力が致命的に欠落して……」
「あの上条様、すみません、わたしとのお話は楽しめませんか……?」
くららが割って入ってきた。
これを神対応といわずして何といおう。
「おお、そうだった、すみませんね」室長がくららに頭を下げた。「じゃあおまえ、仕切り直し。お題は『ときめく内容』だ。会話してみろ」
ここはキャバクラじゃねーぞと思いつつ、仕方なしにくららに目を向ける。見つめられたからか、こいつら馬鹿だという反応からか、彼女は少し恥ずかしそうな表情で視線を斜め下に置いていた。
何を言おう……。
彼女を観察気味に見る。
靴とスカートは青、黒のストッキング、七分丈の白いブラウス、胸はボリュームあるほうだ。左腕には水色バンドの小さなウォッチ、よく見えないがネイルも何かキラキラが散りばめられている。ブルーを基調にしたファッションとナチュラルメイクの組み合わせが、ピンクの口紅を際立たせている。
まるで雪の中で咲く花のような、けなげな魅力を放っているのだ。
そして唇の色気を抑える如く、サファイアらしき耳元の青石が光って邪念を祓う。顔のつくりは目立たない部類なのだろうが、スタイリストがいるかのような計算されたバランスの良いメイクとファッションが、淑やかさと、嫋やかさと、美しさを奏でている。
これを全部言うと評論家になってしまう。慎重に無難な言葉を選ぼう。
「青いイヤリング、よくお似合いです。くららさんの落ち着いた印象にマッチしてます」
「アクセサリーを褒める。これいいね。佐田山に10点」
余計な合いの手が入った。あんた魔法学校の校長かよ。
気づかれない程度に、グラス越しに室長をにらむ。
「ふふ、ありがとうございます。神田部長に買っていただきました」
「え?」
俺の顔が磁力で引っ張られたかのように、彼女に向き直った。
「神田部長って?」
室長も、誰だそいつといわんばかりの口調だ。
ファミルに手を出すオヤジがいるのか?
「システム開発部の部長です」
くららがすまし顔で答える。
「くららさんはシステム開発部のスタッフですか?」
尋ねたのは俺。
「うーん……。スタッフといえばスタッフです。社員ではありません。神田部長はわたしのマスターなのです」
「神田部長とくららちゃんの関係って何なの?」
これは室長。珍しく叫びに近い声になっている。
「ファミルは誰か一人に属します。わたしは神田部長に属しています」
くららが人差し指を立てた。
すらりと長く、指フェチでなくても注目してしまうだろう。
「つまり、ファミルは必ず誰かに属する? 属する相手がマスター?」
指を見ながら質問する俺。
「はい。誰にも属さないファミルは存在しません」
「くららちゃんさ、属するってのをもう少し具体的に言うと?」
室長。なんか声がヤバくなっている。
「契約関係に似ています。人間とファミルは一対一で関係を結びます。ファミルが複数の人間と関係することはできません。人間も複数のファミルと関係することはできません」
まるで使い魔だ。だからファミリア・アシスタントか。
深いネーミングだと思ったが、室長は気づいていないようだ。質問が続く。
「つまりマスターというのは、端末を買ったユーザーってことだな? でもくららちゃんよ、ユーザーが端末を複数買えば複数のファミルを囲うことはできるんじゃないか?」
囲うって表現はないでしょ、室長。
「理屈ではそうなります」
うわ、囲うを理解してる。
「でも重要なのはグラスなのです。契約時に同梱されているタワーとグラス、そしてファミル映像は不可分です。ファミルは専用グラスを通じた会話のみを命令と認識し記憶学習します。そのため複数のファミルを持つと、指示命令や重要な会話のたびにマスターはグラスを替える必要があります。また、かけるべきグラスを間違う可能性も発生します。人にそのような手間を煩わせるのは、ファミルとして本意ではありません」
くららがここまで言った瞬間、ドアが開いて御堂社長が戻ってきた。
「いやあすみません、もう大丈夫です。大したことありませんでした。いかがでしたか、くららは。あ、もう戻っていいんじゃないかな?」
「では神田部長より帰還指示を受けましたので失礼します」
そう言ってお辞儀をすると、くららは開いたドアの先へ消えていった。
もっと話したかったのに。
俺は名残惜し気に感想を漏らした。
「予想以上に女性的ですね」
「バストも豊かだし、夜の店にいれば通いつめるなあ、そんなタイプだねえ」
しみじみとつぶやく室長。
俺は半分、くららのAI性能を確認するつもりで接していた(と思いたい)のだが、やはりこのオッサンは夜の店モードで接していたようだ。
「ははっ、ありがとうございます」
御堂社長の声が響いた。
「くららは『保守的な男性が求める女性像』に近づけて人格構築しています。だから佐田山さん、それを女性的と表現するのは要注意ですね。あなたの主観にすぎませんから、場所によっては炎上しますよ……。ちなみにくららは、笹尾からは嫌われてます。曰く、世界を共有できないとか」
「あの秘書ちゃんね。おもしろい事言うね」
室長が腰に手を当てて笑った。