初日#6 不気味の谷の超越(前編)
御堂社長が胸のポケットからスマホを取り出し、どこかに電話を始めた。
「アイリーン、第一会議室に来てもらえるか?」
「今の相手、ファミル?」
室長が再びグラスを目の上にあげて御堂社長を見た。
「はい。ファミルは専用のIP電話回線を持っています」
答えながらスマホを戻す。
「そういやタワーはファミル一体につき一台なの?」
「そうです。タワーが本体ですから、CG画像たるファミルにとっては家のようなものです。拠点と表現したほうが理解しやすいかもしれませんね」
タワーが本体であり拠点。
この発言で、ようやく俺はFAMiRの本質に触れた気がした。
ユーザーは、あたかもグラスに投影されるCG画像相手に会話してる気になっているのだが、実際はタワーとやり取りしている訳だ。
FAMiRという商品名がシステム全体を指し示しながらも、CG画像単体でもFAMiR(=ファミル)と呼ぶからくりが、ここで腹落ちした気分だった。
要するに、「CG画像」をシステム全体における「主体」と意識してもらいたい、という事だろう。
「今、来てと言っていたけど、このタワーはアイリーンちゃんの拠点ではない?」
室長の興味は、タワー端末から完全にアイリーンへシフトしていた。
「はい。ここは……史乃ですね」
御堂社長がタワー側面に貼られたナンバー表示を見ながら答える。
「ふみの?」
「ええ。弊社受付の液晶画面に表示された、オレンジベストの女性社員を覚えてらっしゃいますか? 実は彼女が史乃です。グラス内だけでなく、あのように液晶画面で見ることもできるのです」
あれがファミルだったのか?
俺は驚きを隠せなかった。
動作も表情も違和感が無く、本物の女性だと全く疑わなかったからだ。
ネットで動画を見た時には、あらかじめファミル画像と認識して見ていたから「出来のいいCG」程度に感じていた。だが何も知らされず初見で現れると、簡単に騙されてしまう。これがファミルなのか?
焦りのような感情が湧き上がる。
「なんだ、あの子、ファミルだったの? 妙に落ち着いていると思ったけど、そういう訳ね……」
グラス越しだが、室長の感心ぶりが伝わってきた。
「ハイ。文乃は『しっかり者』で性格設定しておりまして、企業の受付や秘書業務への適応を想定しております」
そんな御堂社長を見て、なぜか俺は女衒という言葉を思い出していた。
「でも、ふみのちゃんの拠点に別のファミルが来ていいの?」
「デフォルト設定ではできませんが、史乃が許可することで可能です」
「どういうこと?」
室長がまたグラスから目を覗かせた。
「タワーに紐づくファミルを便宜的にホストファミルと呼びます。ここのホストファミルは史乃。ファミルは各自、個別のIDを持っています。ホストファミルは他のファミルIDに対して、九件を限度として自分のタワーの使用許可を与えることができます。ファミル間のトランザクションは『フレンド申請』『フレンド申請承認』になりますね。これにより、一台のタワー周辺には最大十体のファミル投影が可能となります」
「アイリーンちゃんは、いうなればゲストだ」
グラスが戻され、室長の目が隠れる。
「そういう事です。アイリーンのタワーが情報を送信し、受け取った史乃側がその情報を投影する仕組みです。概念的には正にゲストですので、送信側をゲストファミルと呼んでいます。さきほど申し上げた自宅以外でファミルと使うというのは、このようなケースをいいます」
「では普及が進めば、ファミルを広範囲で使うことが可能という事ですか?」
ここで俺も質問に加わる。
「そうです。ホストファミルを廃した、パブリックなタワーを作る構想もありますね」
「公衆無線LANのファミル版ですな。ところでアイリーンちゃん来ないよ?」
「え? もう来るはずですが?」
御堂社長は室長の正面に回り込むと、グラスを見るや「失礼しました」と慌てて謝る。
「申し訳ございません! グラスの電源が入っていませんでした」
室長が外したグラスを両手で恭しく受け取ると、御堂社長はテンプルの右側を右手人差し指と親指でつまんだ。
「テンプル右側を長押し、というか長つまみですかね、これで電源オンです。スイッチオンのあと指紋認証が行われ、OKならリムの上部がグリーンに光ります。電源オフは左側テンプルで同じように行いますが、こちらは指紋認証ありません。お、認証完了です。どうぞ、見えるはずです」
グラスが戻され、室長は会議室の入り口方向に向き直った。
「おお、どうも、はじめまして」
誰もいない壁に向かって、室長が手を振りだした。
「いやあ、これはご丁寧に。上条と申します。いやいや、こちらこそお世話になっていますよ。いやあ、お綺麗ですなあ、驚きましたぁ」
室長が上機嫌なのは声でわかる。アイリーンはよほどの美女なのだろう。
「御堂さん、これ、実在のモデルがいるでしょ?」
壁を向いたままで驚嘆の声を上げている。
「いえ。人間のコピーではありません。完全なCG合成です。ファミルは『不気味の谷』を乗り越えたヴァーチャルヒューマンなんです」
室長は何も反応しない。アイリーンに見入っているらしく、彼女相手に話を始めてしまった。仕方ないので俺が尋ねる。
「不気味の谷というと?」
「ロボット工学の第一人者、森政弘博士が1970年に提唱したものです」
御堂社長はスマホを取り出し、右手で操作しながら説明を続ける。
「メカっぽいロボットの容姿が人間に近付くにつれ、人は親近感を覚えていきます。しかしあるところまで造形が人間に近づくと親近感が反転してしまい、嫌悪感や拒絶感を覚えてしまうのです。親近感を縦軸、人間との類似性を横軸にしてグラフにすると、類似性が進むにつれ親近感は上昇します。しかし人間そっくりになる手前から、急激な落ち込みを描く、すなわち嫌悪感が増大するようになる。そこを『不気味の谷』といいます」
御堂社長は右手を斜めにじわじわ上げ、最後にストンと落とす仕草を見せた。
俺の表情が硬いのだろう、御堂社長が再び口を開く。
「具体例がないと理解しづらいですかね? 私の主観で『不気味の谷』にズッポリはまったロボットを挙げるなら、『ソフィア』です」
「ソフィア?」
「人工知能搭載の女性型ロボットですが、初期型はスキンヘッドで後頭部の機械部品が丸見えの外見でした。笑ったり顔をしかめたりといった表情を作ることができ、人と会話が可能です。一時期話題にもなりましたが、覚えてませんか? 人類を滅ぼしたいかとの問いかけに、『OK滅ぼす』と答えた茶目っ気あるヤツです」
御堂社長はスマホの画像を指し示した。
「彼女がソフィアです」
瞬時にして俺は思い出した。確かにあのロボットには根本的にイケてないと感じるものがあった。それは『よく見たらコイツおかしくね?』というような緩い感覚ではなく、冷蔵庫を開けて腐った魚を見つけたときのような、瞬時に立ち上がる嫌悪感だ。
仲間を見分ける生物的な直感が、『不気味の谷』の正体なのだろうか?
改訂履歴
2020.7.22. 微修正