初日#4 Familiar Assistant in Mixed Reality
「ファミルとは、ヴァーチャルヒューマンをスマートグラスに投影し、それをインターフェースとして用いる業務サポートAIシステムの総称です。ファミルは人の姿を介してユーザーに寄り添い、支援し、心に潤いと活力を与えてくれます……」
「活力……」
俺の口からため息とも取れない声がぽろりと漏れた。
それを見た御堂社長が満足そうに軽く頷く。
「正式名称は、”Familiar Assistant in Mixed Reality” この頭文字をとった愛称がFAMiR、ファミルという訳です。小文字のiはMixedのi。日本語だと『複合現実における親密な助手』となります!」
コメントに拍子を付けるためか、最後にコツンとホワイトボードが叩かれた。
「そこまで言うからには、景品表示法をクリアした自信があるってことですな」
室長が挑発気味に顎をしゃくった。
「娯楽ではなく助力を期待して、ユーザーは代価を支払う」
「もちろん、そのとおりです!」
御堂社長はニッと笑みを浮かべて頷いた。
「こちらがインターフェースとなる、ファミル専用スマートグラスです」
そう言うと上着の内ポケットから金属光沢の円筒ケースを出し、茶筒のように蓋をひねって中身を取り出した。スポーツグラスを一回り大きくした形状で、テンプルと上部リムは厚みがある。少し重たそうな印象だ。それをテーブルにそっと置く。
「このスマートグラス、我々は単にグラスと呼んでいますが、これだけですと映像のみなので、音声コミュニケーションのためのヘッドセットを装着します」
ケースを反対向けて底を開けると、黒ウレタンで覆われた二つのイヤーマフと伸縮式のマイクがころんと出てきた。御堂社長がイヤーマフを手に取る。
「イヤーマフの装着は、グラスの耳にかけるところ、ツルと呼ばれる箇所の上部、ここのコネクタに接続します」
イヤーマフがツルを噛み込む形で、パチンと軽い音を立てた。
「ファミル使うたび、毎回この作業するのか? 老眼には厳しいな」
室長が不満げに、視線をグラスから御堂社長に投げた。
「今のところ、大多数のユーザーはイヤーマフを一度つければそのままですね。自宅以外でのファミル使用がほぼ無いからです。つけっぱなしで問題ありません」
しゃべりながら二つ目のイヤーマフも慣れた手つきで嵌め込んでいる。
「ふーん。ファミルを自宅以外で使う人もいるってこと?」
「例えば私なんですが、それは後ほど」
そう言うと今度は手品師のような滑らかな手つきで、机に残るマイクをつまみあげた。
「こちらのマイクは左側のイヤーマフに接続します。五センチほどですが、アンテナのように伸ばすことも可能です。コネクタは下部……」
マイクが接続された。
「これでグラスは完成。かけてみます?」
差し出されたグラスを室長が手に取り、顔にかける。
「よくお似合いです」
アパレルショップ店員のように両手を合わせて笑顔をこちらに向ける。俺も思わず笑っていた。悔しいが本当に御堂社長は営業上手だと感服してしまう。
「付け心地はいかがです?」
「当たり前だが普通のメガネより重く感じる。だがイヤーマフでバランスが取れているのか、安定感はいいし、鼻も痛くない」
御堂社長は安心したように軽く「OK」とつぶやくと、一歩引いて大きな声で続けた。
「ユーザーはグラスを通してファミルを視認します。指示は基本的に音声。グラスにジャイロセンサーが内蔵されていますので、頷く、首を振るという動作で、イエス・ノーの意思表示も可能です。ただし、目で訴えることはできません」
「俺の部下も大概そうだよ」
その返しに御堂社長が笑った。
「ファミルは会話の内容から雑談なのか指示命令なのかを聞き分け、適切に対応します。第二期リリースとなるビジネスキット、いわゆるオフィス仕様の場合は社内の情報システムにリンクし、文書の作成やデータ加工を始めとした業務実行が可能です」
「取引先にお礼のメールを打ってくれとか?」
「そういうのは得意中の得意分野ですね。文書作成系で特に優秀なのは議事録作成です。ファミルが出席可能な会議なら、数分で討議内容を網羅した議事録を作成しますよ」
「じゃあ監査報告書なんかも作れちまう?」
その質問には、御堂社長は困惑した笑みを浮かべた。
「ストーリー性のある長文はまだ無理です。ただ草案的なものは作成しますので、それを人が修正していけば従来より大幅な時間短縮になると思います。……今後はバージョンアップを重ねて、いずれ報告書や企画書の類も書けるようにします」
「でもさ、それだと人の仕事が無くならない?」
室長がグラスを上にずらし、御堂社長を直視する。
「無くなりません!」
ぴしゃりとした声が響き渡った。
御堂社長の笑みが消え、表情が硬くなっていた。
「というより上条さん、議事録にしろ報告書にしろ、そういう文書作成ってすごく邪魔なタスクだと思いませんか?」
一旦間をおいて俺と室長に視線が向けられた。
「記録を残すことは重要だとは思いますが、仕事している当人にとって今取り組みたいのは文書作りでなく、戦略検討だったり製品設計だったり顧客対応だったりするわけです。文書作成など片手間で片付けたいのですが、人によっては難儀する。なぜか? 日本企業の多くでは文書作りが定型化されているようでされていない。各個人の文書作成スキルという、出版社でもない限り会社の利益に直結しないスキルに依存しているからです。営業にも技術者にも開発者にも同じように文書作成を要求するなんて才能と時間の浪費、不合理極まる。日本のホワイトカラーにおける生産性の悪さはここにあると言ってもいい。文書作成だけでなく、データの加工や集計、電話応対や部門間調整も然りです。そういう分野をファミルにやらせる。人の仕事が無くなる? 違います!」
御堂社長は大きく息を吸い込んで、つなげた。
「ファミルが負う仕事は、本来無くすべき仕事なのですよ」
「なるほど……な」
ぐうの音も出ない、という状況を目の当たりにした気分だった。
室長が反論できなかったのだから。
「すみません、ちょっと熱くなりすぎましたね」
御堂社長はすまなそうに笑顔を見せると、厄祓いするかのようにパンと柏手を打った。
「とにかく百聞は一見に如かず、実際にファミルをご覧いただきましょう」
御堂社長は会議室の隅にあったキャビネットに近付くと、その上に置かれた黒いタワー型の機材を、コードのついたままテーブルの上まで持ってきた。高さ40センチほどで縦にスリットが入り、フラットな頂上部には球形のウェブカメラがちょんと乗る。スカート状に広がる基部はブルーのLEDがぽつんと灯り、稼働中であることを示している。
改訂履歴
2020.5.9. サブタイトル改題
2020.7.22. 微修正