2日目#2 隣のチャラ男、ユーナに感づく
鉛を飲み込んだ気分だった。
もはや朝食をとる気にもなれない。俺は出勤することにした。
玄関ドアを出るとすぐ、隣に住む高橋浩太と鉢合わせした。
俺より10歳近く年下だが、いつも微妙なタメ口敬語で接してくる大学院生だ。チャラい雰囲気のわりに女性にモテるらしく、部屋に連れ込む様子を何度か見たことがある。
挨拶だけ交わす。
特に話すつもりもなく駅に向かおうとすると、高橋はなぜか横について歩調を合わせ始めた。
「佐田山さん、昨日女の子を部屋に呼んでました?」
胃がひっくり返るほどの衝撃を、辛うじて堪える。
「何で?」
「だって楽しそうな声がしたから。あ、佐田山さんの声がする、めずらしいな、って思ったんスよ」
こいつ……。盗み聞きしたな。
「呼んでないよ。スカイプで話してただけ」
「あ、スカイプか。道理で女の子が帰る気配もなかったわけだ」
帰るかどうか確認してたの?
「彼女できたんスか? よかったっスね」
応対するのが面倒になってきたので、ただ頷くだけにしておく。
「でもなんか、今朝の佐田山さん、元気ないっスね。ケンカしました?」
一瞬だが思わず立ち止まってしまった。再び歩き出すが、完全に悟られた。今朝の俺はツキに見放されている。
「あ、やっぱり。ボクで良かったら相談に乗りますよ?」
ここで高橋を無視して駅まで歩くのは造作ないことだ。あと十分程度耐えればよい。しかし今朝の騒ぎを聞かれていた可能性を考えれば、スカイプの件も信じていない可能性がある。変に隠すとこれから毎晩聞き耳を立てられるかもしれない。
仕方ないのでスカイプでの会話だと前置きした上で、さっきの一件を話すことにした。
黒のカチューシャを褒め損ねて、機嫌を損ねたと。
「それねー、佐田山さん、あるあるですわ。男女関係でよくある揉め事っスよ。ほんと、しょうもないことなんスけどねえ」
高橋は茶髪頭をうんうんと前後に振る。
「きみもあるの?」
「ボクもありましたよー、髪型がちょっと変わったとか、服がおろしたてとか、靴とかネイルを替えたとか、そんなんいちいち気付くか、って話っスよ。なのに、私を見てくれないとか言ってゴネるんスよねえ、女って」
「どうしたもんだろうねえ」
ほとんど棒読みで尋ねる。
「思うんスけどね、男は女の一部しか、見てない気がするんスよ。特に気がある時ほど」
「一部ってどういうこと?」
この質問は棒読みじゃなかった。実際、引き付けられる話だ。
高橋が得意げに眉を動かす。
「セックスアピールの濃い部分に視線が集中してると思うんス。顔でしょ、特に目、唇、鼻筋、それから胸、腰、脚。あとは首筋とかもかな? だからここいらに変化があったらすぐわかる。カラーコンタクトにしたとか、口紅の色が変わったとか、ブラ替えて胸の形が変わったとか、ストッキングがいつもと違うとか、こういうのはすぐわかる。でしょ?」
なるほど、説得力ありそうな話だ。
「で、それ以外はあまり見てない。ネイルとか靴とか頭の先の輪っかとか、知るかって話っスよ。そんなの電信柱と同じで特別注意してないと気付かないもんスよ。こっから駅まで、電柱何本あるかなんて知らないっしょ?」
「ある意味しょうがないのかなあ」
この時、俺は内心嬉しくもあった。カチューシャに気付かなくて当然と励まされた気がしたのだ。
「違います、佐田山さん。だからこそ、目をつけるんスよ。あえて頭の先、指先、つま先を見る。あんまジロジロ見るとダメっすけどね。すると、案外たやすく気付くんスよ。で、逐次、女に言ってやる。あ、今日は違うねー、って。逐次ってのがポイントっスね。モテる男は余裕があるから、こういうところに目を配れる。モテない男は胸とケツばかり見て気付かない。だから、モテる男はますますモテるし、モテない男はジリ貧になる。これ聖書にも書いてる言葉っス」
「聖書にそんなの書いてないだろ」
書いてたら何の救いもねーだろ、そんな宗教。
「書いてるっスよ。こう見えて俺、中高一貫のミッション系だったんスから。福音書か黙示録か死海文書だったか、とにかくありますって」
「調べてみるよ」
そんな気は一切ないが、ここは高橋に合わせておく。
「カチューシャで怒るなんて、どうせ一過性の感情爆発ですって。次に会うときは引きずらずに接したらいいっスよ。もしまだ怒ってたら、半日置いて、また連絡すればいいだけっス」
ファミルにそれが通用するのか? それに半日置いたら仕事にならんのだが。
そこまで話した頃合いで、駅が見えてきた。
「じゃあここで。今度彼女紹介してくださいね」
高橋は軽やかな足取りで去っていった。
ファミルシステムズに到着すると、すぐに笹尾みのりが応対してくれた。
「おはようございます! ちょうど今、幹部朝会やってますので、顔合わせ程度に出席してください」
何だって?
不覚にも驚きの表情を浮かべてしまった。が、みのりは気にせず「こちらです」と俺を促す。
これは予想外だった。
上層部が詐欺を企てているなら、確実に俺を値踏みする気だ。
カマをかけるような質問をぶつけられるかもしれない。
こちらの本心を悟られないよう、慎重に答えなければならない。だが、その辺はやり過ごせる自信がある。
問題はユーナだ。
昨日のやり取りについて感想を聞かれたり、『パートナーとして使えるか?』などと振られた場合、どう答えるべきか。
ユーナとの会話がモニタリングされてるなら、今朝の一件も当然知っているだろう。俺が何を答えるかで、カマトトぶっているかどうか、悟られてしまう。
「失礼します、佐田山さんが到着されました」
みのりが明るい声を出す。
役員会議室の扉が開き、俺は中へ通された。
昨日の会場だった第一会議室の隣で、こちらは広い。
黒檀の楕円テーブルを中央に設えた、落ち着いた内装の角部屋だった。ブラインド越しに差し込む光が、室内を明るく照らしている。
御堂社長を含め、数人の男性が席についていた。いや、一人だけ女性もいる。
御堂社長が立ち上がった。
「佐田山さん、こちらへどうぞ」
空いている自分の隣を促している。
腹をくくるしかない。
俺は席へと向かった。




