初日#1 舞い降りた依頼
経営監査室長に呼び出された。
経営監査室とは「内部監査」を主業務とする特異な部門だ。
社内全体を調査して不正行為や業務上の不手際が無いかを検証する事、さらには業務面での改善コンサルティングを任務としている。例えるなら企業の自己免疫機能と言えばいいだろうか。組織の弱い部分を見つけ修復し、場合によっては解体する権限を持つのだから。
付け加えるなら免疫が暴走すると個体が死んでしまう事も似通っている。内部監査を担う部門が強権を振りかざすようになると、会社組織は本来行うべき利益追求がままならなくなり、潰れてしまうだろう。
俺が呼び出された理由は、特命監査の応援要請に基づく。
俺の名は佐田山隆司。八岐電産株式会社に勤めて12年の社員だ。同期には「主任」と役付きになるヤツもいるが、俺はまだ役なし。焦りが無いわけではないが、大きな会社も簡単に潰れる昨今、俺はどうしても会社に尽くすという感覚を持てていない。まあそれが評価につながっているのだろう。
おっと、話がそれた。
この会社、八岐電産は所属部署の縛りが緩く、社員を融通し合うことが時々ある。経営監査室は少ない人員で定期的に監査業務を行っているため、突発的な監査事案が入っても簡単には人を割けない。
そこで元在籍者だった俺に話が回ってきた、という筋書きだ。監査はたいてい二人ペアで行うから、別にもう一人、誰か元在籍者が呼ばれているのだろう。
期待と緊張の入り交じった心構えで経営監査室のオフィスを訪ねた俺だったが、経営監査室長は別件で席を外していると言われ、独り寂しく会議室で待つこととなった。
相棒となるメンバーは、まだ来ていない。
気分的には前途が視界不良の薄曇りといった所だが、会議室は光量的には十分明るかった。窓からは午後の日差しが強く差し込み、目を下すと国道を走る車が次々と光をはじいていた。会社の敷地では丸く刈りこまれたサツキが花を咲かせている。名の通り皐月も半ばの今が一番映える頃合いなのだろう。新緑に白と紅を浮かべた丸い三色は、十三階の高さから見ると上品な和菓子にも思えた。
教室形式で配置された最前列の机の上には、誰が忘れたのか一冊のパンフレットがある。つややかな防水印刷を施された商品紹介冊子だ。
その机に向かい、俺は席に着く。
表紙には『FAMiR、オフィスへの挑戦』とあった。
ファミル?
最近話題のAIサポートシステムか……
手に取って表紙をめくると、薄ピンクのシャツに紺色ジャケットをラフに着こなした男が目に入ってきた。イケメンアラフォーといった風情だが、遊び人な印象はなく、むしろ仕事のできそうな雰囲気が伝わってくる。くだけたファッションは好感を持てたが、笑顔が少しあからさまに感じた。浅黒い顔に刻まれた笑いジワからは、そつのない営業で巧みに商品を売りさばく様子が思い浮かぶ。
男の右側には「社長ごあいさつ」なるFAMiRの紹介文章が添えられていた。七月から第二期リリース、ビジネスシーンでの活躍に期待、そんなコメントが書かれている。あまり読む気もせず、右手が自然とページをめくる。現れたのはネットワークシステムを図示したページだった。ここも興味が湧かず手が動く。その次はスマートグラスとネットワーク端末を説明するページ。スペック紹介らしいが、やはり読む気がしない。次、とめくった先で俺の目が留まった。
FAMiRは対人定型業務を行います――
そう銘打たれたページには、薄紅色のスーツに身を包んだ女性が商品を手に、見本市のような場でデモンストレーションを披露する写真が掲載されていた。
女性はFAMiRのイメージ画像であると表記されている。
デモンストレーション風景はパンフレットでよく使われる構図だが、普通と大きく異なる点があった。聞く側が全員、マラソンランナーのスポーツグラスのような大ぶりのメガネを着用しているのだ。
説明に目を通す。FAMiRとはスマートグラスに投影される「動く」CG人物映像を含んだシステム全体であると同時に、CG人物映像そのものを指し示す通称でもあるらしい。
FAMiRが人工知能によって人間とコミュニケーションできる事や、従来の概念を覆す革新的AIアシスタントとして機能する……といった大々的なアピール文章が踊っている。
つまりこのメガネがFAMiRを投影する専用スマートグラスであり、薄紅スーツの女性がグラスに投影されるFAMiRというわけだ。
彼女には桜子という愛称が付されていた。人間を相手に商品説明を行い、かなり深い質疑でも対応できるとある。
次ページ以降はFAMiRのイメージ画像とともに能力紹介が続く。
データ分析、文章作成、データベースにおける静止画像の整理と抽出、秘書業務、新人教育、外国語対応、日本文化の実演、楽曲演奏、心理サポート、このような業務を人間に代わって行うというのだ。ただし、モノを運んだり作ったりするような物理サポートは一切できない。映像や音声、電子データなどの無形物をもって人間に貢献する。紹介されているFAMiRイメージは十体以上あったが、女性型が多く、男性型は二体ほどしかバリエーションが無い。
俺は一ページ目に戻って社長のコメントを読み返すこととにした。
伊達男の名は御堂恭介、ファミルシステムズ株式会社の代表取締役社長とある。
要点だけを捉えるように流し読む。
FAMiRは四月一日にプライベートキット限定にて第一期リリースを果たし、好評を博した。新機能とキャラクターを追加したビジネスキットを、七月一日より法人限定にてリリース開始。オフィスの情報システム環境に合わせたカスタマイズにより、FAMiR自らデータ分析や統合処理を行うことが可能。人との交流は日常会話によって……
「来てたか、佐田山! 一年ぶりだな」
野太い声が突然響いた。
俺はビクンと肩を震わせ、パンフレットから目を離した。
経営監査室長だ。
今年がいよいよ定年で還暦を迎えるというのに、見た目は50代前半。学生時代にアメフトで慣らした筋肉質の体格はいまだ健在で、ゴルフ焼けの肌と刃物のような細い目も相まって威圧のオーラが迫る。
あわてて立ち上がり挨拶を返した。
「まあ座れ。ところでおまえ今何をしている?」
経営監査室長は俺の隣の机に座り、身体を俺に向けた。丁寧さなど微塵もなく、部活の後輩を相手にするような豪放磊落な口ぶりだ。
「法務です。リスクマネジメント関連で……」
「で、おまえ今、一人暮らしだったよな?」
「え? ええ」
会話の急転回に面食らいながらも頷く。
何をしているって、プライベートの話題だったのか……?
「彼女が家に来たりするか?」
やはり質問が妙な方向だ。もしかすると今回、相方は妙齢の女性なのかも? 期待がピクンと立ち上がるが、ここはあえて訝しげな表情を浮かべる。
「来るも何も、彼女はいません」
そうだろな、と言いたげな満足そうな笑みが返ってきた。
「おまえが経営監査室の仕事する件だが、直属の上司には話を通したし、人事の部門長も承認した。あとはおまえ次第だ」
と言いながら、俺に拒否権など無いのはお約束だ。
「もちろん応援要請にお応えするつもりで参りました。で、私の仕事とは具体的に……?」
「ここに行く。ファミルシステムズ株式会社だ」
そう言いながらパンフレットをとんとんと叩く。展開が突然すぎるが、呆気に取られる時間は無い。
「こちらに対して特命監査を?」
室長が笑って首を振った。
「厳密には監査ではない。資本的にも取引形態的にも、我々に監査する権利はないからな。御堂社長の頼み事を聞きに行く」
パンフレットの伊達男の名が出た。
しかし俺が気になったのは「頼み事を聞く」という軽い口ぶりだ。それが顔に出たのだろう。室長が俺の肩をポンと軽く叩いた。
「心配そうな顔をするな。無償労働するわけじゃない。講師派遣料として向こうからカネはもらう。最近は無償で役務提供すると利益供与とか色々うるさいからな。表向きは監査ノウハウの伝授という形式だ。……それにな」
声のトーンが二段階下がる。室長が本音を言うときの癖だ。
「お前なら仕事柄、この会社の変な噂も耳にしてるだろ?」
じっ……と見つめられた俺は、慎重に言葉を選び、口を開いた。
「いわゆる……ベンチャー投資詐欺、……かもしれない、という件ですか?」
バン、と肩を叩かれる。
正解だったらしい。満足そうな笑顔が向けられていた。
ファミルシステムズは東京に本社を置くベンチャー企業だが、長野県に所在を置くCG制作会社が母体で、そこから分社独立した経歴を持つ。リアルな美少女CGを投影するスマートグラスを通じて、そのCG画像とコミュニケーションが取れる個人向けAIサポート機材「ファミル」を開発する。そんな触れ込みで二年ほど前に告示されたクラウドファンディングはデモCGの優美性に加え対価が初版商品ということもあり、一口50万円にもかかわらず、受付開始後わずか三十分で募集金額一億円を満たした。
昨年後半に商品化の目途がつき、今年一月、満を持して出資者二百名にファミル初期モデルをリリース。さらに二月一日に二千台限定で一般個人向け予約販売を実施したところ、こちらも即日完売。その二千台は約束通り四月一日に購入者へリリースされ、稼働が始まっている。
今のところトラブルは発生していない。前途有望なビジネスであり、新世代ガジェットと言えた。
しかし……、それを鵜呑みにできない一面もあった。
室長が口を開く。
「ファミルをオフィスの場へも応用展開し今年中に五万台普及させる。……そのための先行投資に必要な資金として、御堂社長がデバイス供給元や海外ファンドに第三者割当増資を告示したのが二月初旬だ。個人向けの予約完売が事業の有効性と将来性を示す証拠となって多くの企業やファンドが増資に応じた。集めた金額は百二十億。出資側の見返りは株式で、利益が出た暁には割のいい配当や株式上場後の売却益が見込まれる。……ファミルが本物ならな」
本物なら。
ファミルがあまりにも人間らしく振る舞う事から、実はフルの人工知能ではなく人間が補助操作しているのではないか、という噂が立っている。これは根も葉もない話ではない。昨年、ファミルシステムズはモニターを募集してファミル試作モデルの運用テストを実施したが、当時のモニター契約書にはオぺレーターがファミルを補助操作する場合があると明記していたのだ。
今年以降に商品としてリリースされたファミルの使用約款にその文言は存在しない。しかしファミル懐疑派とでも言うべきアンチ勢は、これを根拠にオペレーター介入の可能性を主張していた。現在二千二百体のファミルが存在するが、ある試算によれば一日当たりの実質稼働時間平均は四時間程度であり、さらに中身の濃いコミュニケーションは二時間にも及ばないらしい。懐疑派はアルバイトを二百人も集めれば補助操作の対応が可能と言う。
スマホに搭載されるような音声応答AIアシスタントは数年前から存在しているが、時々とんちんかんな回答を返すのはご愛嬌だ。俺個人としては、やはりAIだけで人との会話を違和感なくこなすのはいささか無理があるように感じられる。
だが、航空機の管制システムのような完璧なモニタリング体制を敷いて、人間がAIを支援すれば、ファミルの応答的確性も向上して知性や心情の演出も可能となるだろう。
ファミルは「ユーザーの過度な依存を防ぐ」事を名目に深夜零時から朝六時までの間、強制的にシャットダウンする設定となっているが、その事実も人間補助説を後押ししていた。
当のファミルシステムズは懐疑派を完全に黙殺し、ファミルユーザーたちも懐疑派の弁を「羨ましがってるだけ」と一笑に付している。しかし懐疑派の指摘が的を射たものであるなら、ファミルは人の補助を必要とする不完全AIであり、五万体ものファミルをリリースしてまともに機能すると期待するのは楽観的過ぎる。個人相手のおしゃべりはともかく、機密を扱うオフィスワークは到底無理だろう。
「インチキ商品ならオフィス版は頓挫する。彼らがファミルという虚構を造り出し、二千二百の美女画像でオタクどもを篭絡し、その数字を根拠にデバイス供給元や強欲ファンドを浮足立たせ、百二十億をせしめる。詐欺だとすれば流れるような手腕だ。わが社の出資金もパーになるが、問題はそれだけじゃない」
室長の目が鋭く細くなった。
「彼らはオフィス版を今年五万台売ると言うが、その後は個人向けも合わせて倍々ゲームかそれ以上で拡大すると、出資元に公言している。それを前提に、スマートグラスに使用されるデバイスパーツを増産するための投資計画がウチの社内で持ち上がっている。日本とマレーシアの工場に合計四十億だ。たやすく出せるカネじゃない」
空気が乾いていくのを感じながら、俺は無言で頷いた。
「今回の話はチャンスだ。潜り込んだついでにファミルが本物かどうか見極めてこい。まがいものなら投資計画を止めねばならん」
俺は頷きながら、ほとんど無意識に問いを口にしていた。
「御堂社長はなぜウチに『頼み事』をしてきたんですか?」
その質問に、室長の声色がなぜか急に柔らかくなる。
「先日の事だ。ファミルシステムズ本社が主催する投資企業向け商品開発報告会に行った。といっても具体的な話は無かった。ユーザー満足度がどうとかの浮いた話だ。ま、出資元を対象とした広報活動といったほうが正しいだろう。そんな話の最後、内部監査部門を中途採用で人員確保し、立ち上げたい、御堂社長がそう言った」
「中途採用? いきなり内部監査は無茶でしょう」
「その通りだ。中途で採用した社員ではうまくはいかない。社内人脈が無いうちは信頼関係が出来上がってない。それは内部監査を行う上で相当なビハインドになる。だからその場で意見具申してやった。そんなプランは絵に描いた餅だから、そちらの中堅社員をウチに三か月も出向させれば教育してやるよ、とな。すると彼は逆に、ぜひ一人貸して欲しい、その人から監査ノウハウを学び取りたいと返してきた。それをこっちが了承した、という流れだ。出席していた他の出資元からも異論は出なかったから問題無かろう」
なるほど。室長としてはファミルシステムズに貸しを作る体で、内偵しておこうという魂胆らしい。
「という事は、ファミルシステムズに赴き内部監査のノウハウを教えてあげる事、これが表向きの私の仕事ですね」
思っていたより軽そうな仕事に、俺は安堵の息を漏らした。裏の仕事は好奇心が動力源になる分、あまり苦痛にも感じなさそうだ。
「いや、そんな単純でもない……。ファミルシステムズ社内で発生したある事件の調査業務を行いながら、そのノウハウを彼らに教える事が表の任務になる」
「ある事件?」
今度は俺が声のトーンを落とす。
「詳しくは俺もまだ聞いていない。守秘義務契約を取り交わした上でなければ開示できない事件らしいな……」
って、全然重たい仕事じゃないか!
急に俺の心の底で「嵌められたかもしれない」という不安が膨らみだした。
つまり室長は子飼いの部下にではなく、応援要請して俺に押し付けたという事だ。
成功すればよし、失敗しても部下たちの査定に汚点は残らない。そういう算段だ……。
だがもう動き出した。今さら後には退けない。
室長が机から降りる。
「というわけで、今から御堂社長を訪問するぞ」
「今からですか?」
すでに歩き始めた室長を追うように、俺も席を立つ。
「ああ、今からだ。御堂社長の悩みを具体的に聞きに行く。今日はもう、会社には戻らないぞ。お前鞄とか持ち物全部持って行けよ。あと名刺もな」
室長の不敵な笑顔と裏腹に、俺の眼前には暗雲が漂う気配がした。
改訂履歴
2020.6.1 冒頭導入部を簡素化、その他表現をブラッシュアップ。