006
「はぁ!?」
全く予測していなかった方向からの爆音に、驚愕の声が上がる。
その爆音の主はいつの間にか姿を消していた2体目のオークだった。
突如姿を現したオークは既に武器を構えていた。そしてその武器を容赦なく振り抜く。
「あっ」
狙われたのはリキだった。オークの横振りの一撃がリキを襲う。
(まずい 避け 無理……)
オークの攻撃を避けられないと理解したリキは、とっさに背中を向ける。その背中には先程ゴッツから渡された盾が背負われていた。
その盾はオークの棍棒を受ける。だが、その勢いまでは受け止められない。背中から強烈な衝撃を受けたリキは弾き飛ばされる。
「うわあああああああああ!」
「リキ!」
背中に走る痛み。盾越しとはいえオークの一撃はリキに受けられるものではない。自身の身長ほど地面と距離を開けながらリキは飛ばされる。
そしてリキが飛ばされる方向には崖があった。下には木々が生い茂っているが、この高さから落ちれば命は無い。仮に生きていたとしてもゴッツ達と分断された状況で生き残ることは難しいだろう。
リキは空中で何とか身をひねって何かに掴まろうとする。しかし近くにリキが触れられそうなものは無く、そのまま崖の下へ落ちていく。
「ああああああああ!!」
「リキーーーーーッ!!」
ゴッツの呼び声が遠のいていく。重力に足が絡み取られるような感覚と共に下に加速する。地面にリキが接触するまであと数秒。
「ああああああああっ!うわあああああああっ!!」
リキはなんとか生き残ろうと手足をがむしゃらに振り回す。だが空中でどれだけもがこうと、落ちる勢いは弱まらない。それどころかさらに増していく。
「あっ!ああっ!ああああああああああああ!!」
いつのまにか頭が下を向いている。迫ってくる大地が恐ろしいはずなのに目を逸らせない。
「うっ!」
そしてリキの体が死と接触する一瞬前、衝撃に備えて体が縮こまる。最期の瞬間、目を閉じることだけが彼にゆるされた抵抗だった。
〇
「……あれ?」
違和感。いつまで待ってもその瞬間がやって来ない。死の直前は時間の流れが遅く感じる、という話をリキは聞いたことがあったが、それにしても長すぎる。走馬灯も見えていない。
もしかして自分は恐怖で頭がおかしくなり、痛みを感じなかったのか。もしくはすでに死んでいて、今は生まれ変わりの最中なのか。
そういえばいつのまにか風の音が聞こえない。浮遊感だけが残っている。
いや、浮遊はしていない。足は地を踏んでいないが背中と膝裏には感触がある。棒状のものが自分の体を支えているような。
そこでリキは自分の体が仰向けになっていることに気が付いた。かすかに瞼越しに光があたっているのが分かる。
リキは恐る恐る目を開けた。
「……またお会いしましたね」
そこで見たものは、男の顔だった。今と同じような状況で、以前に一度だけ会った、男の顔。
「……旅人の、人……」
ぽつりとつぶやく。その男は、前にもこの森でリキの命を救った男だった。
〇
「どうして君はいつも命の危機に瀕しているのですか……」
呆れたような声色で男が問う。
「えっと、今回は冒険者人達のゴブリン退治の依頼に付いてきてたんだけど、突然現れたオークに襲われて……」
「私が聞きたいのはそんなことではありません。そもそも何故、昨日の今日でまたこの森の中に入ってきているのですか」
ピシャリと言われてしまい、リキは言葉に詰まる。男はさらに続ける。
「言ったはずです。君はまだ若いのですから、焦らずに実力をつければいいと。もう忘れてしまったのですか?」
「……いや、覚えてるよ。だからあの後、街に帰ってから酒場で冒険者の人達に一緒に連れて行ってくれって言って、それで今日ここに……」
「君はまだここに来れるほどの実力ではない。せめて防具くらいは揃えてから来た方がいい、とも言いました。それは覚えていますか?」
「それは……」
またしてもリキは黙り込んでしまう。もちろんその言葉も覚えていた。
だが、それを認めるわけにはいかない。
「ここが危険な場所だということは、君も身をもって知ったはずです」
目の前の男が言っていることはおそらく正しい。リキには反論できる余地など無かった。
けれど、その正しさにリキは頷くことができない。どうしても認められない理由があった。
「……どうして君はそんなに焦っているのですか。聞かせてください」
沈黙。リキはすぐには答えない。躊躇いがあった。本当に言っていいのか。口にしてしまえば、それが変えることのできない確定した未来になってしまいそうで。
結局、少しの間の後、ぽつりとつぶやくようにリキは話し始めた。
「……夢が、あるんだ。
オレさ、この世界の全部が見たいんだ。
でも、この世界はすごい広くて、多分、人間のオレじゃ全部を見るなんてきっとできないんだ。
だからって諦められないんだよ。やっぱり見たい、知りたい。この世界を隅々まで旅して、おいしいものを食べて、きれいな景色を見て、たくさん友達をつくって、他にもやりたいことがたくさんある。楽しいことは全部やりたいんだ。
そのためだったら命だって賭けられる。どんなことだってやれる。こんなところで止まっていられない」
そこまで聞いて男も口を開いた。
「だから、危険だと分かっていることでもするのですか。もしそれで命を落としてしまっては意味が無いでしょう。そう思いませんか」
それもきっと正しいのだろう。しかしやはり認められない。今度は間を置かず反論できた。
「ゆっくり成長して、それで時間が足りなくなって死ぬことだって意味が無い。それならたとえ危険な道を選ぶことになっても急いだほうがいい。どっちにしたって意味が無いのなら、少しでも前に進める方を選ぶ」
そこでリキの話は終わった。話し始める前の躊躇いはいつしか消えていた。もしかすると、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「なるほど。安全に確実に生きるより、たとえ死ぬことになろうとも早く前に進みたい。そういうことですか」
そこまで聞き終えた男はリキの話をそうまとめた。そう言われてみるとあまりにおかしな話だ。破綻している。
リキも、自分の言っていることがおかしいことだと分かっていた。
この男はおそらく、またも正論を言うのだろう。優しく、諭すように。
しかし、それをリキが認めることは無い。言葉だけでは止まることはできない。
そして最後にはこの男は呆れ、リキを見放すのだ。二度も命を救ったが、三度目は無い。
そうしてブレーキを踏まず進み続けるリキは、今日と同じように命の危機に会い、そのまま死ぬのだろう。なんてことのない、当然の結果だ。
そんなふうにリキは考えていた。しかし男の口から出た言葉はリキの予想とは全く異なるものだった。
「分かりました。そこまで急ぎたいというのなら、私が協力しましょう」
「……え?」
予想だにしない提案。これにはリキもかなり驚いた。
口を開けてポカンとするリキに、男は提案を続ける。
「君の意気込みには関心しました。ここで出会ったのも何かの縁です。危険な道を選んででも先に進みたいというあなたには、危険な道でも生き残れるように、私が稽古をつけてあげましょう」
あまりに唐突であっけにとられたが、リキにとってこれは願ってもない提案だった。この男は、あの絶望的な状況からリキを2度も助けられるほどの実力者なのだ。そんな者に強くなる方法を教えられるなど、渡りに船というものだ。
「いいの!?本当に!?」
「はい。そのかわり約束してください」
男は人差し指をピッと立てて言う。
「自分から命を捨てるような危険な真似は、もうしないこと。それが君を育てる条件です」
答えは決まっていた。
「おっす、師匠!」