005
最初のゴブリンとの接触から、3時間ほどが過ぎた。その間に数回ゴブリン集団と戦闘があったが、どれも危なげなく済ませてきた。
最初は見ているだけだったリキも、何回目かには相手の意識を引き付ける程度の役目を引き受けるようになっていた。とはいっても、物陰に隠れながら茂みに石を投げて音を立てる程度の安全な役目だったが。
相手の行動を観察し、自身の安全を確認しながら、なるべくゴブリンの死角で音を立てる。そうして一瞬だけ相手の気を逸らし、連携を乱れさせるなどの味方に有利な状況を作る“きっかけ”の作業だ。
実際のところ、そのようなことをしなくともこのパーティは問題なくゴブリンを退治できる。だがこの経験を経ることでリキは“自分が冒険者として魔物と戦っている”という自覚を持つようになり、そしてその自覚はいつしか冒険者としての自信に繋がってきていた。
「よし、大分慣れてきたみてぇだなリキ」
「オッス!」
リキが着実に成長していることを確認したゴッツは、次のステップに進めるためあるものをリキに渡す。
「じゃあ次はこれを使ってみろ」
「オッス!」
ゴッツの渡したものは年季の入った丸盾であった。今のリキには少しサイズが大きい。
「そいつを使ってゴブリンの攻撃を受け止めてみろ。だが反撃はしなくていい。お前が受けてる間に俺が切る。相手の動きをよぉーく見てねぇと失敗するからな。目ぇ逸らすなよ」
「オッス!」
ゴッツはゴブリンの攻撃をリキに受けるさせることでさらに戦闘に慣れさせようと考えていた。
「ゴッツったらはりきっちゃって。よっぽど後輩を指導できるのがうれしかったのね」
「元々、面倒見がいいタイプですしね。いろいろ準備もしてきたみたいですし」
「あの盾、かなり昔に使ってたやつよね。売ってなかったのも意外だけど、わざわざ持ってきたのね」
「リキ君の体にはまだ大きすぎる気がしますけどね」
後輩の指導に熱が入るゴッツに、それを吸収し育っていくリキ。
ゴブリン退治の依頼も順調に進んでいるかと思われた。
だが、ここでパナがある異変に気が付いた。
トントン、とゴッツの肩をたたいて話しかける。
(ゴッツまずい。でかいやつがいる)
パナが焦る様子でゴッツに耳打ちをする。彼が指をさす先にはある魔物がいた。
(あれは……オーク!? なんだってこんなところに!?)
(オーク?)
聞きなれない単語を聞き返すリキ。
(オークとは見ての通り大型の魔物です。豚のような頭を持つ二足歩行の魔物ですが、危険なのはあの巨体から繰り出される強力な攻撃です。人間がオークの攻撃をまともに受けたらひとたまりもありません)
(1体くらいなら大した問題でもねぇんだがな……)
その言葉には言外に“普段なら”という意味が込められていた。
普段通り、4人がかりで挑めば問題なく倒せるだろう。しかし今はリキがいる。新人を守りながらオークと戦うことは容易なことではなかった。
そしてメンバーの中で最も経験の浅いリキにもその事実は察せられた。
(しょうがねぇ。今日は引くぞ。コイツはギルドに報告しておかなきゃならねぇな……)
幸いまだオークは近くに潜む冒険者たちの存在に気づいていない。ゴッツは1度引いて準備を整えてから再度挑もうと考え、来た道を引き返そうとした。
だが……。
(……おいおい、嘘だろ……!?)
振り返った先にはもう1体のオークが立っていた。
(えっ、2体目!?)
(くそっ!1体だけじゃなかったのか……!)
(ゴッツ、どうするの?)
焦ったカリナが問いかける。ここで戦えば確実にもう1体も気づく。1体ならともかく2体のオークを同時に相手にすることなど到底不可能だ。
(……落ち着け、やることは変わらねぇ。あいつらは相手にしない。で、気付かれねぇようにここを抜ける。リキ、俺から離れるんじゃねぇぞ)
焦りながらも冷静に指示を出すゴッツ。この状況で無闇に戦うことは自殺行為だと経験で分かっていた。
(いいか、なるだけ音を立てるなよ。それから風の向きにも注意しろ。あいつらは鼻が利く。風上に立ったならすぐに気付くだろう)
音を立てて魔物に気づかれるという失敗を思い出しリキは苦い顔をした。今度も同じ失敗をするわけにはいかない。
(じゃあ行くぞ。パナ、先頭を頼む)
コクリと頷いて了承し、パナが先に進む。オークの目線に入らないように細心の注意を払いながら、木と草むらの陰を進んでいく。
そして他のメンバーもその後ろをついていく。大柄な体格のうえに荷物を背負っているゴッツは音を立てないように特に気を付けて進む。
そうしてしばらく進み、全員がオークの隣を通り過ぎることに成功する。
(おし、とりあえず挟み撃ちの可能性は無くなったか)
最悪の想定を抜けて全員がふぅ、と息を吐く。この調子なら無事にオークから離れられるだろう。
だがそこで一陣の風が吹く。その風は1秒前までのものとは風向きが違った。
(っ!? まずい!)
ゴッツは振り返って今しがた脇を抜けたオークを確認する。
風の行き先にいたオークは妙な臭いを感じとる。周りをキョロキョロと見渡した後、ゴッツ達のいる方向に視線を固定した。そしてそこへ向かって一歩、足を踏み出す。
(走れ!)
それを確認した瞬間、ゴッツがパーティにのみ聞こえるように声を出した。それを合図に全員が走り出す。一瞬遅れたがリキも走り出した。
オークは臭いの発生源から何かが飛び出したことを視認し、それが人間だと分かると、大声をあげて走り始める。仲間へ侵入者の存在を知らせつつ、追跡を開始する。
「もうっ! なんでこうなるのよっ!」
走りながら運の無さを嘆くカリナ。その後ろをゴッツが追いかける。
「起きちまったモンはしょうがねぇだろ! このまま森の外まで行くぞ!」
ゴッツがメンバーへ指示を出す。一人を除いて全員が返事を返した。
「おいリキ! 聞こえてんのか!? 遅れずに付いてきてるか!?」
唯一返事のなかったリキに再度呼びかけるゴッツ。だがまたも返事は無い。
実はオークに見つかる前の時点で、すでにリキには体力がほとんど残っていなかった。リキ自身も気付いてはいなかったが。
慣れないフィールドでの長時間の移動、戦闘への参加。それらが積み重なりリキの体力を奪っていった。
そして極めつけにオークとの遭遇。不意に訪れた緊張感によってたまった疲労が一気にリキの体に牙をむいた。
「……っ! ……フ、ウッ……!」
リキは必死に走っているもののペースに息が続かないでいた。依然ゴッツに返事を返すことができない。
後ろから足音が聞こえてくる。一歩一歩が地面を揺らすような大きな音。あの音に追いつかれた時、自分は終わるのだと、そうリキは確信する。
捕まるわけにはいけない。しかし思考とは裏腹に足が重い。自身の鼓動の音が耳まで届くほど大きい。あとどれだけ走ればいいのかわからない。苦しい。
やがてそれは避けようもなくやってきた。
走るリキの足が不意にもつれて、前に乗り出すように倒れる。とっさに前に伸ばした手が、地面に触れるまでの時間がやけにゆっくりに感じた。
「リキ!」
顔を前に向けるとゴッツが呼んでいる姿が見えた。応答する時間は無い。擦りむいて痛む膝を動かし少しでも早く立ち上がろうとする。
後ろから迫る音がかなり大きくなっていた。あとどれだけの時間が残されているだろう。
「立って! 走ってください! 早く!」
アルネの声が聞こえる。いや、気付けばパーティ全員が振り返ってリキを見ていた。
「……ふっ!」
先頭を走るパナが短剣を取り出し、投げる。それはオークへまっすぐ飛んでいき、刃の部分が隠れるほど深く刺さる。しかしオークの足は止まらない。小さなナイフなど全く意に介さない。分厚い肉が鎧となって急所を防いでいた。
「クソッ!」
パナの攻撃が無意味に終わったことを確認したゴッツがオークに向かって走り出す。リキの横を通り抜け、そのまま背中の剣でオークに切りかかる。
今度は無視をするわけにはいかず、オークは手持ちの棍棒でこれを受け止める。
「今だ、行け!」
オークに攻撃を仕掛けながらゴッツはそう叫ぶ。それを聞いたリキは急いで立ち上がる。
リキが再び走り出したことを見届けたゴッツは自身も退散するべく隙を窺う。
(つっても流石にキツい! 一人でオーク相手に打ち合うなんざそう長く持たねぇぞ!)
人間としては大柄なゴッツだが、相手は大型の魔物。単純な力比べでは勝ち目はなかった。
(モタモタしてっともう1体も追いつく!ここは一か八か……!)
何度かの武器の打ち合いの後、ゴッツはある1点に目掛けて蹴りを放つ。狙いはパナが投げた短剣。武器以外での攻撃は警戒していなかったのか、オークに防がれることもなく狙い通りの場所に一撃が入った。
だが……。
「……チッ!」
ゴッツは苦々しく舌打ちをする。ゴッツの狙いでは蹴りによってナイフはさらに深く食い込み、そのまま心臓を刺す算段だった。だが、オークはなおも動きを止めなかった。
そして賭けに負けた者には当然の結果が待っている。今度はオークの一撃がゴッツへと向かう。
「シャドウウィップ!」
棍棒の掬い上げる一撃がゴッツに直撃する寸前、カリナの魔法が発動する。オークの影から伸びた漆黒の縄が棍棒を止めんと巻き付く。
だがそれでもオークは止まらない。巻き付いた縄を力任せに引きちぎり、ゴッツの腹部に棍棒がヒットする。そしてゴッツはそのままの勢いで空中に打ち上げられる。
「がっは……っ!」
ゴッツは大きく弧を描いて地面に叩きつけられた。かろうじて受け身はとっていたようで咳き込みながらもすぐに起き上がる。
(バケモンが!鎧が無かったら終わってたぞ……!)
「ゴッツ!」
「問題ねぇ!ずらかるぞ!」
叫ぶリキにゴッツが返す。
ゴッツに大きなダメージが無いことを確認すると全員が再び走り出した。
「ゴッツ、ごめん!俺のせいで……」
リキが走りながら謝罪をする。短時間ではあるが足が止まったことで息が整ったようだ。
「問題ねぇって言っただろ。それにお前を助けたのは俺の判断だ。ここまで連れてきたのもな。お前のせいじゃない」
「でも……」
「いいから前見て走れ。まだ追われてんだぞ」
「……うん」
リキが気に負わないように言葉を重ねるゴッツ。だがリキの心配は消えなかった。明らかにさっきまでと比べてゴッツの走る速度が落ちている。
(クソ、やっぱ痛てぇ。なんとか持つか……?)
ゴッツは自身の状態を判断する。このまま森の外まで走り続けられるか怪しいところだった。
(オークは……幸い大して距離は縮まってねぇ。このまま走ってたら諦めて引き返したりしねぇか……?)
オークとの距離を確認し、逃げ切る以外の可能性を模索する。
そこで、ふと気づいた。
(ちょっと待て……。もう1体はどこにいった?2体追って来てたはずだよな……?)
先程まで追って来ていたオークの片割れが居なくなっていた。今追って来ているのは胸に短剣が刺さったままの個体だ。
(いや、足音は聞こえる。……ん?この音かなり近づいてる気が……)
ゴッツがその事実に気づいた瞬間だった。
突如近くから
ゴバッッ!という、土と草木を吹き飛ばす音が上がった。
キリのいいところまで書こうとして時間がかかり、
結局キリもよくないという。
すみません