003
「危ないところでしたね」
リキを抱えた状態のまま男は話しかける。だがリキは今の状況を飲み込むことで精一杯だった。かろうじて理解できたことは、どうやらこの男が自分を助けたらしいということだった。
リキが反応を返すより先に男は言葉を続ける。
「なぜ君はこのような森の深くまで? この場所はとても危険なのですよ」
男の声は落ち着いている。それでいて、子供を叱るような厳しさがあった。
「……もしかして迷子なのですか? こんなところに子供を連れてくるなんて感心しませんね。 親御さんには私から強く言っておきましょう」
違う。ただの迷子がこんな森の深くまで来るはずがない。普段のリキならばそう言い返したであろうが、今はそれよりも優先すべきことがあった。
「……あなた、は……?」
自然と、リキの口からそんな言葉が出た。いつの間にか口も動くようになっている。
「私は通りすがりの旅人です」
「えっ」
予想外の返事に困惑するリキ。
(……旅人? 冒険者じゃない? なんでこんなところにただの旅人がいるんだ、迷子なんかよりよっぽどおかしいじゃないか)
通常、旅をする人間は森や山には近寄らない。そういった環境には魔物が多く生息するからだ。どうしても通らなければならない場合は冒険者や傭兵を護衛に着けるだろう。
(オレだって「絶対に行くな」って村の大人たちに言われたから、村から街の間にある森は避けたのに)
目の前の男が護衛を連れているようには見えない。どころか、同行者すら見当たらない。たった一人の冒険者でもない旅人が、こんなところにいる理由がリキには全く分からなかった。
「それで」
男が口を開く。そこでリキは意識を目の前に戻す。
「どうして、君はここにいるのですか? やはり迷子ですか?」
先と同じ質問をする。リキはようやくこの質問に答えた。
「……迷子じゃないよ。オレは冒険者で、ここには仕事で来たんだ」
リキがそう言うと、男は驚いた表情をした。
「……冒険者ですか。君はまだ若いというのに立派ですね」
そう言われるとなんだかむず痒い。まさか褒められるとは思っていなかった。冒険者になることを反対されたことはあっても、なったことを褒められたことは無かった。初めて好意的な反応にリキは嬉しくなった。
「そ、そうかな……」
「しかし、このようなところに来てしまったのはいけませんね。冒険者ならば、魔物の恐ろしさは理解しているでしょう?」
喜んだのも束の間、一転しての厳しい言葉にリキは黙ってしまった。一旦気分が良くなったところでのこの言葉はなかなかのダメージとなった。
男の言葉は正しく、リキには反論ができなかった。確かに、危険な場所だと知っていながら好奇心のままに行動してしまったことは、冒険者にあるまじき行為だろう。
「命は1つしかありませんからね。大切にしないといけませんよ」
「はい……ごめんなさい……」
「それで君はこの後どうしますか? まだ森の中を探索するつもりですか?」
新米冒険者への説教の時間は終わり、男はリキにこの後どうするつもりなのかを問いかける。そういえば自分は、ポーションの素材を集めるためにこの森へ来たのだ、とリキは自分の目的を思い出した。
「いや、依頼の物は採れたから今日はもう帰ろうと思う。日が落ちる前に街に戻らないと危ないし」
夜は魔物の時間だ。早く帰らなければ、森の外であっても先程のような状況になりかねない。
「そうですね。それがいいでしょう」
リキが帰ることに男も賛成した。しかし、リキが無事に帰るには問題があった。
男がチラッと自身が乗っている木の下を見た。つられてリキも下を見る。そこにはいまだに獲物を探すゴブリンの姿があった。
すっかり忘れていた脅威の存在を思い出し、ここからどうやって帰ろうかと思案するリキ。
「ではこのまま降りてもまたゴブリンに追いかけられるでしょうし、私が森の外まで送りましょう」
えっ、とリキが男の顔を見る前に、リキを抱えたまま男は木から飛んだ。そして別の木へと飛び移り、また別の木へと飛ぶ。それを繰り返し森の外へ向かい始めた。
突然のことで驚いたリキだったが、まるで空を飛んでいるような感覚にすぐに夢中になり、森から出るまでの間、リキはその感覚を楽しんだのだった。
〇
「さあ、着きましたよ」
しばらくリキが空の旅を満喫した後、男は木から地面の上に降り立った。それと同時にリキも地面に足を降ろす。リキの周りにはすでに木々は無く、男の後ろに森が広がっていた。無事に森の外まで戻ってきたようだ。
「あ、ありがとうございました。助かりました」
少しの名残惜しさを感じつつも、リキは命の恩人へと再度礼を言った。
どういたしまして、と返しつつ男はリキから1歩分離れ、しゃがんでリキの全身を視界に収める。
「ふーむ……」
そのまま数秒、リキを観察する。自分の体に何かついているのかと心配になり、リキも自分の体を観察する。
やがて、男が口を開いた。
「やはり君は、まだこの森の深部まで来るほどの実力ではないようですね」
「えっ」
「ここに来る前にはせめて防具だけでもきちんと揃えてからの方がよいでしょう。今のままでは、魔物と遭遇した場合に確実にやられてしまいます」
男の言葉にリキは今日あったことを思い返す。たしかに今日は自分が先に相手を見つけるという有利な状況だったにもかかわらず、結局見つかってあと1歩まで追い詰められた。もし相手の方が先に自分に気づいていたら、もっと危なかっただろう。
「街のギルドには階級の高い、熟練の冒険者の方もいるはずです。そういう人を見つけて弟子入りするのがよいでしょう。焦る必要はありません。ゆっくり技術と経験を積んでから、冒険者として生きていきなさい」
さらに男は続ける。
「その若さで冒険者になったということは何か大きな目標があるのでしょう。それ自体は良いことです。ですがその目的を達成する前に命を落としてしまっては元も子もありません。焦る気持ちはなるべく抑えて確実にできることをこなし、実力を上げていきましょう。結局は、それがなによりの近道なのですから」
男からの助言にリキはうなずくしかなかった。およそ間違っているところが見当たらなかった。
「では私はこれで失礼します。いつか君が自分の夢を叶えられるように祈っていますよ」
そう言って男は突然姿を消した。速すぎて見えなかったが、後ろの木の枝が不自然に揺れたことから、先程のように木の上を渡って行ったのだろう。
リキはしばらくその場で男の言葉を噛み締めた後、やがて街へと帰っていったのだった。