002
リキは探索を続けていた。
冒険者としての初の依頼が思ったより早く終わってしまい、このまま帰るのはあまりにもあっけないと思ったからである。
まだ時間も体力も残っている。持ってきた道具もほとんど使っていない。なので特に目的があるわけでもないが、なにか面白いものはないかと、あてもなく歩いていた。
そんな時間がしばらく続いた。しかし、結局目を引くものは見つからない。いまいち満足はできないが仕方がない、そろそろ帰ろうかと、そう思い始めた時だった。
ガサッ、と。近くの茂みで何かが動いたような音がした。
(……今何か動いた? もしかして魔物……?)
街を出発する前にギルドの受付に言われたことを思い出し身構えるリキ。幸い距離がある。もし魔物だったとしてもこの距離ならまだ見つかってはいないだろう。そのままやり過ごせる。
だが油断はできない。もし仲間を呼ばれて包囲でもされることになったら、無事に逃げることはかなり難しくなるだろう。
いや、仲間を呼ばれなくともゴブリンやコボルトなどの武器を持つ魔物なら、1対1でも逃げるしかない。もし相手が弓矢を持っていれば、どれだけ走っても視界から離れなければその射程からは逃れられないだろう。最悪、森を出て街に着くまで走り続けることになるかもしれない。そんなことは体力的に不可能だ。
さまざまな可能性がほんの一瞬の内に頭に広がり、嫌な汗が背中を伝う。ここにきてリキは自分の行動が軽率だったことを理解した。
だが悔やんでいる時間はない。とにかく今は、茂みの中にいるモノが何かを確認しなければならない。
ガサッとまた茂みが音を立てる。確実に何かがいる。そして今にも飛び出そうとしている。音の間隔がだんだん短くなっている。
(出る!)
そうリキが確信したと同時に茂みの中のなにかが姿を現した。その正体は……。
(ゴブリン、だ……)
リキの目に映ったのは緑色の肌に人間の子供程度の大きさの魔物、ゴブリンだった。
やはり、まだリキのことには気づいていない。近くに仲間がいる様子もない。1体だけだ。
ゴブリンは単体ではそれほど大した強さではない。武器を持ってさえいれば、戦いの経験がない者でも撃退はできるだろう。しかし、数が増えると話は別だ。仲間を呼んで2体、3体と増えれば冒険者や軍の兵士でなければやられてしまう。
ましてリキは新米の冒険者で、まだ子供だ。魔物との戦いの経験もなく、加えて森はゴブリンの領域だ。襲われればひとたまりもない。
よって、リキがとるべき行動は1つしかなかった。
(このまま、気づかれないように、逃げる……。下手に走ると気づかれるから、音をたてないようにゆっくりと……)
忍び足で来た道を戻ろうとするリキ。
しかし……
パキッ!
一歩踏み出したリキの足元から音がした。見れば枝が折れている。ゴブリンから目を離さないまま動いたせいで足元を確認することを怠ってしまったのだ。
体が一瞬こわばる。かろうじて声は抑えることができた。
だが、もう遅い。
恐る恐る視線を戻すと、ゴブリンと目が合った。
その瞬間、リキは走り出した。その後数舜遅れて、後ろから大きな鳴き声が上がった。おそらくゴブリンが仲間を呼んだのだろう。
(まずい、まずいまずいまずい! 逃げなきゃ、早く、森の外!)
脇目も降らずに全力で走る。とにかく距離を離さなければならない。
後ろを振り返る余裕もない。だが追って来ていることは後ろから聞こえる音でわかる。それも1匹ではない。正確な数はわからないが、少なくとも3匹以上は来ている。
しかもだんだんと音が近くなってきている。距離を離すどころか詰められている。本来ならゴブリンとの競走ならばリキのほうが速い。ゴブリンは小柄な魔物である。その分力が弱く、人間ほどのスピードは出ない。
しかしここは森。リキが全力で走るには障害物が多すぎる。木の幹がまっすぐ走ることを阻み、枝が屈むような姿勢を強制させ、根が地面を踏みしめることを許さない。
比べてあちらは小さい体を活かし、軽快な動きで障害物を避けつつ駆けてくる。
このままでは確実に追いつかれ、捕まる。そうなれば終わりだ。魔物は人間を絶対に許さない。子供でも知っていることだ。捕まれば最後、生きて帰ることはできないだろう。
だが、終わりは思ったより早くやってきた。
木の根に足をとられ、リキは転んでしまった。
(まずい! 追いつかれる、捕まる!)
急いで立ち上がろうとするリキ。だが焦りのせいかうまく踏ん張りが効かない。
音が近づいてくる。リキを狙っている。もうすぐそこまで来ている。
(早く立て、走れ! じゃないと、死……)
そこでリキの視界が一段と暗くなった。それが飛び掛かってきているゴブリンの影によるものだと気づいた瞬間、恐怖から目を閉じた。
〇
「……あれ?」
だがどれだけ経っても終わりは来なかった。
不思議に思い恐る恐る目を開ける。
「えっ?」
リキが驚いたのは自分の見たものがあまりにも想像とかけ離れていたからだ。
視点が高い。どうやら木の上にいるらしい。さっきまで地面に倒れていたはずなのに。
「う、浮いてる?」
自分の体がどこにも木に触れていないことに気づき、さらに驚く。だが、腹のあたりに圧迫感は感じる。まるで、誰かに抱えられているような感覚だった。
「大丈夫ですか?」
すぐ近くから声がした。先程聞いたゴブリンの鳴き声ではない、人間の言葉だ。
うつぶせの状態から体をひねるように声のした方を見上げると、一人の男がいた。