序章:出逢いはソーダライト
「さぁ、続いての商品は…コチラ!」
暗い会場の中、一際明るいステージに目がずきりと傷んだ。それでもステージからなるべく離れた椅子から、目を凝らしステージを睨みつける。すると、首輪と足枷を付けられ、少し汚れた白い布だけを纏ったような少女が、ガチャリと音をたてながら、黒い服の男に連れられ裾から歩いてくる。顔は俯いており見ることは叶わないが、その髪は黒曜石のように輝く。肌が白いのは、明かりのせいでもあるだろうが、やはりキラリと光っていた。
「齢は約十歳、名前は無く、言葉は話せず、文字も読めずですが…これをご覧あれ!」
司会者がそう叫べば、黒い服の男が、少女の顎を掴み上げた。
上げられた少女の顔は傷一つなく、未発達特有の可愛らしさを保っている。だが、表情は凡そ少女と呼べるほど爛漫な様子は伺えない。
目を固く閉じ、堪えるような表情から一転する。意思を固めた表情に変わった次の瞬間、会場は感嘆と興奮に満ちた声を上げた。
少女が開いた瞳は、零れ落ちそうな程の、紅。まるでそのままピジョンブラッドを嵌め込んだかのよう。その瞳には一般にはあるであろう白目がなく
、異様な雰囲気を醸し出していた。
まさに、”宝石の瞳”。
「この宝石の瞳を持つ少女、一千万からとなります!さぁ、誰が手に入れるのでしょうか!」
開始額が今までよりもどんと跳ね上がり、今夜一番の最高額から競りは始まった。会場にどよめきが流れるが、次第に声を荒げ札を上げる者が出てくる。
二千万!二千五百万!
だんだんと上がっていく数字を聞き流しながら、手元の端末に目を落とす。メールの受信ボックスが表示された画面を見つめながら、嫌に落ち着いている心臓に自嘲な笑みを浮かべた。
この会場は数分後に蟻地獄となるだろう。
それを知らずに会場にいる汚い大人たちは顔を真っ赤にして叫ぶ。
仕事の為に関わっている男からの返信。了解。開始、の一文を確認し、会場一番後ろの席から立ち上がった。
刹那、ドガン、と大きな轟音と共に大量の警官が会場へと突入してきた。
「この会場は既に囲まれている!大人しく降参しろ!」
連絡を取り合っていた刑事、ウィリアムが叫ぶと同時に、彼の部下達は四方に広がり逃げようとする者を捕まえる。
会場にいたオークションの支配人や司会者は、背後の銃に怯えて、顔を青ざめさせた。
「うがぁあああ!!」
このまま全悪人を捕らえ、巨大オークションを制圧…そう思われたが、突如上がった奇声に、会場にいた全員が声のした方へ目を向ける。そこには、あの宝石の瞳の少女が、警官に囲まれている。
どうやら他の奴隷と同じように救助しようとしたのを、彼女は攻撃されると解釈したのだろう。ぎりぎりと歯軋りの音を鳴らし、目を吊り上げ自分を囲む警官を威嚇している。その様は、まるで本物の獣だ。
「フーッ…フーッ…」
少女は誰とも目を合わせない。相手の手を見て足を見て、体を見ていた。きっとモーションを見逃さないようにするために。
だから、警官の困った顔や怯えた顔など見えていない。誰も少女を傷つけないことを、少女だけが知らない。
「ッ、わ、我々は君に手を出す気はない!だから落ち着いて…」
「ぅがァ!!ゥグ、グルルルル…!!!」
囲む警官の一人が大人しくさせようと声を出すが、当然彼女は理解が出来ない。攻撃の一種だと感じたのだろう。怯えて腰を抜かしたその警官には目を背けて、先程よりも大きな音で威嚇し、フーッと猫の興奮に似た音ではなく、グルルと獅子の唸り声に近い音になった。
汚い大人達を排除し終えた他の警官も加勢しようとするが、火に油を注ぐだけである。当然逆効果で、少女はさらに唸り声を低く大きくした。
指揮を執っていたウィリアムも、その様子を見つめながら近づいてくる。
「…あれだけ暴れりゃ仕方ねェな。鎮静剤でも打ち込むしか…」
その言葉を聞いて、自身もまた少女に目を向けた。その時である。
『こわい』
脳に直接囁かれた。
彼女の吊り上げれても美しいその宝石が自分の眼と交差したその瞬間の出来事だった。
『たすけて。こわいの。いやだ。こないで。』
少女の表情は先程から変わらず、眉を吊り上げ歯を剥き出し、威嚇を続けている。ただ、瞳だけは自分に向けて。囁かれたその言葉は、まるで眉を下げ口を歪ませ、涙を堪えているように聞こえた。
「車に積んであったか?誰かに取りに行かせて…」
「ウィリアム、止めてくれ」
は、と隣から微かに声が漏れた。
視線を合わせば、いつもは伏し目がちなウィリアムの目はこれでもかと開かれている。
「あの少女を、俺に、保護させてくれないか。俺が、…育てる」
「はァ?!」
今度は大きく漏れた。耳元で叫ばれると耳が痛い。開かれていた彼の目は、剣呑なものに変わる。
「本気かテメェ。あの獣をお前が育てる、だと…?」
「あぁ」
育てるという言葉しか見つからなかったが、確かに自分は少女を”人間”にしたいと思った。
「寝言は寝てから言え!お前の仕事は警察の犬!稼ぎはあるだろうが家にはほぼ帰れねェんだろ。いつ死ぬかもわからねェ!そんな奴がガキを育てるなんて出来るわけがねェ!!大体、二十は離れた年の女のガキだぞ?!」
あいつは他の奴隷諸共、施設行きだ、そう言い捨てたウィリアムは部下に鎮静剤を持ってくるよう指示する。
「何がどうしてお前にそう思わせたのか知らねェが、お前らしくも無い。この闇市がお前を狂わせたんなら今すぐ帰って寝な。次の仕事もお前に任せる位には、俺はお前を信用してんだからよ」
部下が持ってきた鎮静剤の仕込まれた銃を手にして、ウィリアムは少女に向かっていく。少女はまだ威嚇を続けていた。
疲れが溜まってきたのだろう、フラフラになりながらも唸りを上げる少女が、倒れるのは時間の問題だろう。あの一瞬とも思えたほどに短い時間向けられていた瞳は、また囲む警官の体に向けていた。ウィリアムが警官を押し退けて、少女に近づく。
目の前が真っ赤になった。
「ウィリアム!!!」
一気に走り出す。銃を構えようとしていたウィリアムの肩を掴んで振り向かせた。
「俺が保護する、だから」
「ッ、い、い加減に…!!」
しろ、紡がれる前に、ウィリアムは動きを止めた。そんな彼の目を見つめていれば、だんだんと彼の目尻が下がっていく。やがて、観念した様に目を伏せて、はァ、と肩を竦めた。
「お前の目、久しぶりに光を見た気がするよ」
口端を上げてニヒルに笑うウィリアムは、銃を部下に渡し、戻すように言った。困惑した部下に早くしろ、と手を払うウィリアムの肩越しに、疲れ果て倒れる少女が見えた。
「あんな獣を育てるんだ。並の覚悟じゃ務まんねェぜ?」
頷く。ウィリアムは耐えきれないとでもいうように笑う。
「ハハッ…!覚悟なんて出来てるってか?なら…あのガキはお前に託す。俺も少しくらいは援助してやるよ」
部下達から困惑した声と驚愕の目が向けられた。それでも。心は変わらない。
「精々デカく育てるんだな。頑張れよ…
チェラン」
俺は大きく頷いた。