秘密の部屋の噂
「秘密の部屋って聞いたことあるか?」
机を挟んだ目の前で、三島正博が俺に訊ねてきた。
「魔法使いのシリーズのやつか?」
ファンタジーの洋画にはあまり興味がない。
どちらかといえばSFの方が好みだ。
三島は芝居掛かったため息を吐いて、手に持っているコロッケパンにかぶりついた。
呆れた表情で咀嚼を済ませると、もう一度改めてこちらに視線を向けた。
「昨日ネットの掲示板でカキコミがあったんだよ。この世界のどこかに隠された秘密の部屋に入ると、とあるゲームをさせられるらしい。そのゲームに勝つと賞金がもらえるんだと」
「漫画でよくありそうな設定だな。どうせ創作だろ?」
「九割は創作だろうな。でもまだ確定ってわけじゃない。確かめるんだ」
「確かめる? 一体どうやって?」
「昨日の掲示板に、秘密の部屋の入り口が書き込まれていた。その場所がなんと、この学校の裏山にある小さい寺にあるみたいなんだ」
「へぇ……」
そんな偶然もあるんだな、と素直に感心した。
三島は俺の反応が薄くなっても構わず話を進めていく。
そんな中、俺はスマホを取り出しゲームのアプリを起動させログインボーナスを得た。
三島が興奮して声が大きくなっていくのが分かった。
「それで、今夜その寺に行ってみないか?」
「パス」
どうせそんなことだろうと思った。
遊びに誘ってくれること自体は有難いのだが、面倒くさいことに巻き込まれるのはごめんだ。
「えー、行こうぜ」
「やだよ」
断っても三島はしつこく勧誘を続けた。
それは授業開始のチャイムが鳴るまで続いた。
三島は席を離れるときダメ押しに誘ってきたが、いい加減しつこかったので無視をした。
ゲーム内のキャラクターが敵を倒しレベルアップした。
喜んで飛び跳ねている。
現実世界で飛び上がるくらい喜んだことって、今まであっただろうか。
俺はただ無気力に人生を浪費していた。
青春時代と呼ばれるこの時期でさえ、思い出にすら残らないゲームで暇を潰している始末だ。
窓際一番後ろの席から教室全体を見渡す。
一部のやりたいこともやるべきことも分からず惰性で過ごしている人間を除くと、みんな楽しそうに生きていることが分かる。
きっと、こいつらは大人になって人生の壁にぶつかっても、笑顔で乗り越えて成長していくのだろう。
そして一部の俺のような人種は、一生原因の分からない不満を抱えて生きていくのだろう。
側の薄汚れたカーテンが風を纏ってふわりと揺れた。
頬肘をついて、グラウンドを見下ろす。
次の授業でグラウンドを使用する生徒たちが、住処を襲われた蟻のようにワラワラと校舎から湧き出てくる。
校則を守って同じ格好で歩いている。
こうやってみると、人間も虫も変わらない生物の一種なのだと感じる。
放課後、三島はもう俺を誘わなかった。
その代わり、掲示板のURLをスマホに送ってきた。
しかしそれを読むことはない。
「賞金ゲット出来たら焼肉くらいなら奢ってやるよ」
三島はどんなゲームが開催されるかさえ知らないのに、もう賞金の用途を考えている。
とりあえず最新のゲーム機とスマホを購入することは決定したらしい。
もしも大金が手に入るならもっと大きな買い物をしたらいいのにと思ったが、俺も結局似たようなものを買うことになるだろう。
如何に自分の世界が狭いかがよく分かった。
俺はこの世界のことをなにも知らないでいる。
知らないほうが幸せなことも多いので、それを嫌だと思ったことは未だになかった。
自分の知りたいことだけ知っておけばそれでいい。余計な知識は俺には不要だった。
*
その日の夜、三島からメッセージが届いていた。
どうやら俺が入浴中に送ってきたらしい。内容は、
『入口を見つけた。今から中に入ってみる。また明日詳しいことを話す』
それだけだった。俺はスタンプだけ送った。
次の日の朝になっても返事は来なかった。
三島はいつもこちらが面倒に感じるほどメッセージを送ってくるので、少しだけ不審に思った。
しかし学校に行けば話を聞けるだろうから、心配するまでには至らなかった。
教室についても三島の姿はなかった。
授業が始まっても、三島は登校しなかった。
昼休みになると学校に警察が来た。
特定の生徒が職員室に呼び出される。
その中に俺も入っていた。
職員室の前で呼び出された生徒が列になって待機している。
揃いも揃って、みんな、なぜ自分が呼び出されたのか心当たりがないようだった。
前から順番に生徒が入っていき、代わりに職員室から生徒が出てきた。
出てきた生徒たちの顔は様々だった。
困惑している者もいれば、平然としている者もいた。
そんなふうに生徒を観察していると、いつの間にか自分の番になった。
教師に職員室の中を案内されて、簡易ブースに通された。
そこには椅子が二つと、机があった。
そして中年の刑事がいた。
教師が呼び出した理由について簡潔に説明した。
もう何人にも同じことを説明していることが分かるくらいに、早口で告げた。
それは本来の目的を忘れて、ただ既成事実を作りたいだけのように思えた。
「三島正博君が昨日の夜から行方不明になっているんだけど、なにか知らないかい?」