郷
「すみません、仕事のようです」
朝が弱いはずのクロが一瞬で覚醒したことに驚いている俺達に、クロが発した第一声がこれだった。
キクが不安そうな声をあげて引き止めようとしていたが「大丈夫。アトルは強くなりましたよ」とクロはなだめる。その言葉だけで、天に昇るおもいだ。
「おばあちゃんをお願いしますね」と言われ俺は力強く頷いた。
その後ピモにも挨拶を済ませたクロはどこかにきえて行った。
◆
「ちょっと待て!何しやがる!」
いつものように馬車に乗り込んでいたところ、いきなりピモが屈強な男を連れて入ってきたのだ。
そのまま襟首をつかまれ馬車の外に放り出された。
なんとか受け身をとって起き上がった先、続けてキクが突き飛ばされるのが見える。
受け止めようと動いた結果、キクの下敷きになることに成功。ぐえっ
「どういうことだコレは!!」
「どうもこうも。Ⅰ群が同行するって言うからOKを出したのに」
これじゃ話が違うと苦情を言われる。
「最初からクロが抜けることは話してあっただろうが!」
クロが抜ける予定だったからこそ、隊商にお世話になっているのだ。
「金だってちゃんと払ったはずだ!」
「ガキと病持ちの女とは、とんだお荷物だぜ」
俺が権利を主張するが、全く無視される。
「自分の足で歩きな」
そう言い捨てると馬車の扉が閉められる
バンッと乱暴に閉じられた音に体がびくつかせ、俺達は呆然と立ち尽くした。
放心する俺達の目の前を馬車が何台も通り過ぎて行く
「ええ~いいのぉ?悪いわぁ」
現状を受け止められずにいる俺の耳に聞いたような媚を売る声が聞こえて、顔を向ける。
ピモが、追い出した俺たちの代わりに馬車に乗るよう他の奴に声をかけていた
「いいんですよ。遠慮なさらずにどーぞどーぞ」
そういってピモが勧めているのは昨日クロに言い寄っていたあの女だった。
こちらの視線に気が付いた女は馬車の上から勝ち誇った顔でこちらを見下ろしてきた。
あまりの状況にやはり呆然と立ち尽くす。
「仕方ない。歩こうかの」
キクの一言でやっと脳が事態を把握した。
「こんなの納得いかねえ!」
クロがいなくなった途端手の平を返しやがって!
「あー坊や、郷に入っては郷に従えと言ってな」
ピモを追いかけようとする俺の手をキクが掴んで止めてくる。
「世の中にはな、こういうことがようけえある。いちいち相手にしてたらやれんぞ?」
「このまま何もせずに泣き寝入りしろってか」
「そうじゃの、寝て忘れてしまおうかの」
のほほんとしたキクにヤキモキする
冗談じゃない。大損じゃないか。こちらはきっちり金を払っているのだ。
「ちょっと行ってくる」
「どうする気じゃ」
「アイツをぎゃふんと言わせてやる」
こちらの主張の正しさをわからせて、馬車に乗せるように言ってくる。
「無駄じゃよ。あの者には自分の利益しか見えておらん。反省して改心するなんてこたあ、まずありゃせんよ。ぎゃふんと言わせたところで恨まれるだけじゃ。恨まれておまいさんの人生駄目にされる」
キクの声が真剣なものに変わった。
「時間がもったいない。関わらないのが一番じゃ」
だけど、それだとこのモヤモヤは晴れないままになる
「損して得取れ。あー坊の一番はこの先の未来じゃ。それをあんなヤツに使うことはない。それこそ大損じゃ」
「それにの、こういう手合いは放っておけばそのうち痛い目にあう。わざわざあー坊が危険を冒してまで手を下すこたあない」
キクの話を聞きながら、俺はソタの最後を思い出していた
俺達が手を下さなくとも、アイツはああなる運命だったのだ。
ムキにならずにさっさと手を引けば、遠い出来事としてソタロール崩壊の一報を聞いていたかもしれない。
皆で楽しくバーベキューでも囲みながら。
「あー坊?」
「……ばあちゃんの言う通りだ」
俺は殴り込みに行くのをやめ、ゆっくりと旅路を進める。
「あー坊」
突然勢いを失い俯いて歩く俺を、キクが心配そうに窺ってくる。
「……俺、ちいせえな」
ソタロールと争っていた時から少しも成長していない。
すぐ頭に血が上って熱くなり、絶対に負けたくないと思ってしまう。
結局俺は「負ける自分」を受け入れることが出来ないのだ。
「何を言うておる。あー坊は大きいぞ」
「あ奴等を見てみい。自分のことばかり。相手を陥れて、誤魔化して自分の非に目を向ける勇気も器もない」
「ありゃもう誰も注意してくれんよ。しても無駄だと皆が知っておるのじゃ」
「のお、あー坊?」
キクの言葉が身にしみる。
「あねな大人になるんじゃないぞ」




