第七十四話「痛み合い」
「!?」
「キュル!?」
突然、大きな物音が聞こえてきて僕とリザは飛び起きた。
「……まさか」
音が聞こえてきた方向から僕はその音の原因が何かある程度想像がついた。
「……リザ、行くよ」
「キュル」
―ウン―
一瞬、行くべきか躊躇ってしまった。
しかし、ここで逃げるわけにはいかないと直ぐに気付いて部屋を出た。
「リウン!」
「お、お兄さん……!」
音の出ている部屋に向かっているとそこにはリナの朝食と朝の分の薬を持ってきたリウンが戸惑いながら立ちすくんでいた。
どうやら部屋の中から聞こえてくる物音に驚き戸惑っているらしい。
「大丈夫?」
「う、うん……」
僕は少しになっているリウンを少しでも安心させようと様子を訊ねた。
リウンの返事に怯えは含まれているが、僕はそれでもその返事が出来る分、まだ大丈夫だと判断した。
「こら、リナ。
少し落ち着け。
貴様はまだ治り切っておらんのだ」
「~!!」
「っ!?」
「………………」
リウンの様子を見てると部屋の中でベッドの上でドタバタと暴れているらしいリナをウェニアが大人しくさせようとしているのがわかった。
どうやら、昨夜からずっとリナを看てくれていたらしい。
「……リウン。その朝ご飯と薬は僕が渡すよ」
「え?」
僕はリウンに彼が持っている朝食と薬を渡すと提案した。
今、リナは興奮状態で話を聞いてくれるか分からない。
その状態の彼女に朝食と薬を渡すのに初対面であるリウンが入って行くのは勇気がいる。
これ以上、優しさで僕を助けてくれているリウンを傷付けたくはなかった。
それともう一つ、彼には隠しておきたいことがあった。
……リウンにはリストさんの死を知って欲しくない……
その死の原因も……
リストさんの死もそうだが、それに関わること全てだ。
リストさんの死を知れば、リウンは悲しむ。
仮令、数日しか顔を合わせていなくても優しいリウンのことだからきっと悲しむ。
加えて、もし、彼の死因が殺されたということを知れば、リストさんがリウンのことを裏切ったということを省いたとしても、外にはリウンの言う『怖い人』がいると言うことになる。
だから、僕は嘘を吐くことに決めた。
それが間違っていることだとしても、卑怯なことだとしてもそうすることに決めた。
「わかった。
よろしくね」
「うん。必ず、渡すよ」
彼から朝食と薬を載せたお盆を渡されると僕は騙しているのに僕のことを信じてくれているリウンに感謝を伝えた。
「……ウェニア、リナ。
入るよ」
リウンがその場から立ち去るのを確認すると僕は扉越しに二人に声を掛けてから部屋へと入った。
「ユウキ……」
「フーッ!フーッ!
!!?」
僕が部屋に入るとウェニアは少しばかり、落ち着き、逆にリナは目を大きく開いて見詰めてきた。
リナの様子とベッドのぐしゃぐしゃ状態から暴れ具合とそれを抑えていたウェニアが相当苦戦していたのが窺えた。
「!
出てって!!」
「っ!」
リナは開口一番に拒絶の言葉を浴びせてきた。
こうなることはある程度は覚悟していた。
彼女にしてしまったことを考えれば、こうなるのも無理はない。
「リナ……その……」
僕はもし、何かしらの拍子で台無しにしてしまったらそれこそリウンの厚意を無下にすることになると考えてリウンに託された朝食と薬を近くのチェストの上に置いてからなるべく彼女を刺激しない様に距離を取って声を掛けようとした。
「出ていって!!!」
「キュル!?」
「ユウキ!!」
「!?」
親の仇を弔った僕をリナは顔も見たくないと言わんばかりに一層暴れ、遂にはベッドの近くにあるものを投げつけてきた。
そして、その一つが僕へと向かってきて、僕は避けることが出来なかった。
「ぐっ!?」
「ユウキ!?」
「キュル!?」
「あ……」
投げられたのはどうやら、桶だった。
それは僕の左眉に当たり鈍い痛みを与えた。
初めて、「強化魔法」を使った後の反動以来の「強化魔法」抜きの痛みに僕は動揺してしまった。
……おかしいな
もっと危ない痛みを僕はここ最近は感じているはずだった。
けれども、この痛みは命に関わらないのに痛かった。
「ユウキ!大丈夫か!?」
「キュル!?」
―大丈夫!?―
ウェニアもリザも僕を心配して近付いてきた。
やっぱり、当たった場所も当たったのも理由だろう。
「あ……ぁ……」
リナの方を見てると彼女は動揺していた。
あ、少し切れてる……
「キュル!?キュァ!!?」
―ユウキ!?血ガ!!?―
リナの怯え具合が普通ではないことが気になり、桶がぶつかったところを押さえていた手を見るとそこには少しばかりの血が付いていた。
どうやら、今ので少しばかり切ってしまったらしい。
それに気付いたリザはさらに不安な叫びをあげた。
「………………。
リザ、大丈夫だよ。
それと、ウェニアも」
「キュル?」
「お前……」
僕は心配してくれているリザと念のためにウェニアにも『大丈夫だ』と安心させた。
「……リナ」
「……!」
少し、痛みが引いて、いや、痛みに慣れてから自分がした行動で誰かを傷付けてしまったこ罪悪感を抱いているリナに僕は声を掛けた。
声を掛けた瞬間、リナは自分が傷を与えてしまった僕に対して僕に怯えを抱いてしまっている。
そんな彼女に僕はあることを告げ様とした。
「……ごめんね」
「え……」
「キュル……?」
―エ……?―
それは謝罪の言葉だった。
独り善がりな謝罪だと自覚している。
そして、リナが少し僕に罪悪感を抱いてる状況でこの言葉をぶつけることが卑怯なことなのも分かっている。
相手の後ろめたさに付け入るのは卑怯なことだ。
それでも、リストさんとした「リナを託された」というもう一つの約束を果たすためにもリナと少しでも会話の出来る状態にはしておきたかった。
「……大丈夫なの?
痛くないの?」
リナは自分が原因で僕に少し怪我をしたことに恐る恐る訊ねた。
いや、戸惑っているのだろう。
きっと……村の中で……
何となく彼女に気持ちが僕には理解出来た。
今まで、彼女は村の中でルズたちに迫害されてきた。
生まれてからきっと彼女は誰かを傷付けられることはあっても、傷付ける様なことはしてこなかったのだろう。
そのことから、初めて自分が振るった暴力に恐怖を抱いてしまっているのだ。
「……キュル?」
僕も……少し一緒だったから……
僕はリナの今の姿を見て、リザのことを無意識に撫でてていた。
初めて会った時に僕はリザと殺し合う関係だった。
そして、僕は初めての暴力をリザに振るった。
あの時の今まで感じたことのない不快感と恐怖感、罪悪感に僕は押し潰されそうになった。
優しい子だ……
こんな僕に優しく出来るんだから……
でも、それはリナが他人の痛みを分かり、そのことを受け止められる証拠だ。
何よりも僕と違って彼女は憎いはずの僕にもそれが出来る。
リストさんの優しさは間違なくリナに受け継がれている。
でも……今は……
それでも、今なら彼女に耳を傾けてもらえると考えて僕は決意した。
「リナ。
僕を許さなくていいよ。
でも、せめて君が自分で生きていける様になるまで君の世話を看させて欲しいんだ」
「!?」
彼女に僕自身の頼みをぶつけた。
このタイミングで言うのは卑怯かもしれない。
けれども、彼女が自分の行動と意思で生きていける様になるまでは守りたいと願ってしまった。
この世界から何時か帰る人間だけど、それまでの間でもいいから彼女を守りたいのだ。
「僕と一緒にいたくないのならそれでもいい。
でも、君が安心して生きていける様になるまでは見守らせて欲しいんだ」
彼女が僕を嫌ってもいい。
それが僕がリストさんと交わした約束と彼を守れなかった僕が出来るしてあげられる唯一の方法だ。
僕がそうしたいからそう思ったのだ。
「わ、私……」
リナは僕の突然の申し出と生まれて初めて誰かを傷付けてしまったことへの衝撃に混乱していた。
「……ユウキ。
今はやめておけ」
「……!」
僕とリナのやり取りをウェニアが止めた。
「今、其奴は混乱している。
この状況で是非を問うのは酷であろう」
「そうだね」
ウェニアの言う通り、様々な感情がごちゃごちゃになっているリナに決断を迫るのはそれこそ卑怯になってしまう。
それは大量の文字数のある契約書の中に相手にとって不利な文章を入れておいて契約を迫る押し売り販売や悪徳商法と変わりがない。
「それとだ。
魔法の使える所に行くぞ」
「え?何で?」
ウェニアは魔法の使える所、つまりはこの家の安全地帯よりも外に向かうと言ってきた。
「貴様はその傷をリウンに見せるつもりか?」
「あ……」
ウェニアは僕に左眉の傷をリウンに見せることで生じる問題を指摘してきた。
確かに僕のこの傷を見たら余計にリウンを心配させるだけだろう。
「傷を治してやるから、とっとと行くぞ」
「……うん。ありがとう。
行こう、リザ」
「……キュル」
―……ウン―
どうやら怪我の手当てをしてくれるらしい。
リウンにも見つかるのもマズいけど、これ以上リナにこの傷を見せ続けるのも嫌なので僕は素直に従った。
「……リナ。この料理と薬だけど。
この家の―――
―――人が作ってくれたものなんだ。
その人の為にも食べてくれないかな?」
「……え」
部屋から出る前に僕はリウンが作ってくれた朝食と薬を指差して彼女に料理と薬を受け容れてくれることを頼んだ。
リウンの厚意を無下にしたくないことと彼女の回復を祈ってのものだった。
「じゃあね」
「………………」
それだけを言って、僕たちは部屋を出た。




