第八話「違い」
それは後ろにいた。
見た目は爬虫類にもかかわらずその唸り声は狼のようであり、身体は見た目から把握できるほどに分厚い皮に覆われ、貌はワニのような鋭く大きな牙が並び、それを生やす顎もまたとてもそれに相応しかったが、ワニほどに首がない訳ではなかった。
なぜならば、振り返って先程ぶりに目にしたそれは地上では地に這うワニのように姿勢を低くしておらず堂々と後ろの脚で自らの巨体を支えて前傾姿勢にもかかわらず卑屈さを感じなかった。
それはつまり、目の前のそれは普段から首を垂れるような生き方をしていないと言うことなのだろう。
目の前のそれを僕の世界の動物に当て嵌めると、ワニほど這いずっていないし、コモドドラゴン程に悪食な気はしない。
当て嵌めるとすれば
「グギャオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「ひっ……!?」
それは恐竜だ。
かつて地球を闊歩していた太古の王者たち。
某恐竜映画でしか動く姿は見たことがないが、まさにそう例えるしかなかった。
今、僕はなんで「恐竜」の名前に「恐」の字が入っているのか理解できた。
こんな巨大で強くて凶暴な理不尽な力の象徴を体現したトカゲのような存在は恐ろしい。
まさに生きる力の塊。
目の前の大トカゲの大きさと僕の力なんか比べ物にならない。
もしかすると、最初に恐竜の化石を見つけた人間はその化石を目にして、その大きさから生きていた時の姿を想像して「恐竜」と名付けたのかもしれない。
「ガアっ!!」
「うわっ!?」
大トカゲは姿勢を一度ネコ科の動物の様に屈めてそれによって蓄積されたであろう力を一気に開放するようにして当然の如く先程見逃さるを得なかった獲物である僕に襲い掛かって来た。
僕はドッチボールでも避ける側の人間でさらにその中でもよく当たる部類にも拘わらず避けることが出来た。
奇跡的とも言えるかもしれないが、今ので割と体力を使った気がする。
いや、それどころか気力まで削がれた気する。
もう一度襲い掛かれたら避けられるか本当にわからない。
こ、怖い……!
僕はただそう思うしかなかった。
今ので僕は頭に思い浮かべた大トカゲに噛み殺されるビジョンと言う想像と大トカゲの巨体とその体躯から繰り出される瞬発力による風と言う現実から本気で恐怖した。
いや、元々こいつには殺されかかったのだ。
こいつの二足歩行にも拘わらず獲物を狩る際にだけ身体を支えるためか強靭になった前脚、いや、腕にはその腕力だけでなく鋭い爪まで存在している。
僕はこいつの腕に殺されかけた。
その過去からの恐怖も加わり本気で恐ろしい。
そこに新たに飛び掛かって来ると言う要素まで加わったのだ。
過去、現在、未来の全てが僕に恐怖を与えて来るのだ。
怖いはずがない。
「ガッ!!」
「うおっ!?」
今度は大トカゲの尾が迫って来た。
あれを喰らってさっき壁に叩きつけられたのだ。
その痛みを思い出して必死に僕は避けた。
ビュンと尾が過ぎ去った後に聞こえて来る風を切る音に僕は痛みが実際に来ていないのにも拘わらず、ジリジリと身体に痛みが走る様な錯覚に襲われた。
最早、現実なのか想像なのかその区別もつかなくなっている。
だけど、問題はそれだけじゃない。
「はあはあ……!」
さっきから急な動きばかりをしていることや極度の緊張から呼吸が乱れて肺辺りに負担がかかって胸が苦しくなってきた。
よくこう言う状況をゲームや漫画では主人公の解説では主人公は自分を肉食獣に追われる草食獣と言った弱肉強食の絵に例えるけれど、僕はその例えを使えそうにない。
僕は草食獣程に体力もないし、逃げ足も速くない。
目の前の捕食者に対して僕は見苦しくも逃げ回るだけだ。
そんな高尚な例えを僕は使えない。
―おい、大丈夫か?―
僕が大トカゲに襲われていると魔王が語り掛けて来た。
ただ僕はその問いに
「はあはあ……!大丈夫な……訳ないだろ……!!」
―……幾ら何でも体力がなさすぎないか?―
八つ当たり気味に答えた。
自分でも最低だと思うのか、今の僕は『大丈夫か?』と言われたら無神経だと言うほどに余裕がない。
そんな労いの言葉を与えるぐらいなら早く助けに来て欲しいところだ。
―で、今お前の所に向かっているがどれくらい持つ?―
魔王は僕の現状を知ってか知らずかにゆっくりと余裕があるように訊いて来た。
「知らないよ!
今にもこっちは限界だ……!!」
既に息が切れかけて気もいつまで持つかすら分からない。
多分、少しでも気を抜いたら一巻の終わりだ。
「ガウッ!!」
「うわ!?」
会話していて隙が生まれたのを狙ったのか、そうじゃなくてもただただ獲物を仕留めようとする執念故かは分からないけれど大トカゲの追撃は激しくなる。
本当に最悪だ。
しかし、さらなる追い討ちは目の前の大トカゲがするものではなかった。
―三十分持つか?―
「さ、三十分……?」
精神的にキツイ言葉が味方である魔王から襲い掛かって来た。
「む、無理……!
十分、いや、五分すら持つのか分からないのに……!」
僕は泣きつく様に魔王にそう言った。
三十分も待っていたら確実に死ぬ。
逃げようにも僕と大トカゲの体力と歩幅は圧倒的に僕の方が下だ。
逃げるが勝ちと言う手も使えない。
手も足も出ない状況だ。
―おいおい。戦じゃあ三十分なんてのは短い方だぞ?
もう少しなんとかならないのか?―
「集団戦と個人戦を一緒にしないでくれ!!」
僕は必死に叫んだ。
集団戦なら確かに個人で戦うよりは時間の割合は短くなるとは思うけれど、それでも命が懸かっていたら体感時間的に長く感じるだろう。
それに今の僕は一対一で大トカゲと相対している。
そうなると実質的な時間の持ち分も深刻なものだ。
いや、時間だけじゃない。
体力面でもそうだ。
今までこんなことを考えたことはなかったけど集団でいるのと単体でいるのではこんなにも時間も負担も違うのか。
「お前も一応は王なんだから、兵士の気持ちぐらいわかっているだろぉ!?
て、うわぁ!?」
僕はほとんど投げやりに叫んだ。
魔王の発言は上の立場の人間の目線だ。
だから、僕はほとんど八つ当たりな正論なのか、クレームなのか自分でもわからない言葉をぶつけた。
―ほう?
言う様になったじゃないか?
その心を忘れるなよ?―
返って来たのは褒め言葉だった。
何だろうか。物凄くムカつく。
こっちは余裕がないのにあっちが余裕ありそうに答えられたのが本当にうざい。
普通、こういう場合はあっちもキレたりするもんじゃないのか。
「お前だったら、壁とか床に穴空けたりしてこっちにすぐに来れるだろう!?」
僕は魔王に急かす様に言った。
未だに魔王の戦う姿を見ていないが魔王と名乗っているのだから、迷宮の壁やら床やら天井やらを破壊することぐらいは出来るはずだ。
どんな地形だって直線こそが最も近道なのは共通しているのだから。
それ位は出来るはずだ。
―馬鹿か?
ここは地下の迷宮だ。
下手に壊したりしたら迷宮全体が土の重みに耐えられず押し潰されるぞ。
生き埋めになりたいのなら別によいが?―
そうだった……!!
ここ地下だ……!!?
魔王の一言で僕は自分の迂闊さに気付いた。
確か科学の実験でスポンジの上に重りを乗せたらその分スポンジの面は凹む。
確か重力か圧力が関係していたはずだ。
で、今、僕らがいる地点は地下、つまりは土の中だ。
下手に迷宮の構造にダメージを与えたら土の重みやらでペシャンコになりかねない。
……科学ってすごいな!?
普段当たり前だと思っていたが地下に人が行き来出来るのは相当すごいことだと実感した。
でも
「ガウ!!」
「……っ!?」
そんな感動の余韻に浸ることは許してくれないらしい。
もういい加減、限界が近づいてきている。
息も途切れ途切れだ。
「くそっ……!」
追い詰められているにもかかわらず、いや、追い詰められているからこそ僕は悪態をついた。
こうでもしてないとやってられないからだ。
ただあの時と違って胸の中に苦しみとかの嫌な感情は感じないのはなんでだろうか。
―おい。あとどれくらい持ちそうだ?―
……ああ、そうか……
今の僕は見捨てられていない。
魔王が本気で僕を助けようとしているのかはわからない。
しかし、それでもこいつは見捨てようとはしていない。
これだけでこんなに違うんだ……
今、僕は死にかけている。
あの時と同じで同じ魔物に殺されようとしていて、同じように弱さでどうすることもできない。
それなのに僕はまだ生きていられる。
諦めなくて済む。
「大分、キツイかな……」
本当はもう死が見えそうだ。
だけど、なぜか落ち着いていられる。
あの時と同じだけどどこか違っている。
恨むのでもなく、憎むのでもなく、呪うのでもなく、悲しむのでもなく、ただ必死でいられる。
それでも苦しいし、怖いし、辛いけど。
でも、なぜかそれらのことがそこまで重く感じなかった。
―なあ?貴様はどれくらいの痛みに耐えられる?―
「え?いや、ごめん……それ、どういう意味?」
魔王はとても不穏なことを訊ねて来た。
『痛み』に耐えると言うのはどういう意味だろう。
身体が傷だらけになると言う意味だろうか、打撲だらけになると言う意味だろうか、それとも頭痛を感じると言う意味だろうか。
いずれにせよ、出来ればそんなものは欲しくない。
―……そうだな、
貴様の脆弱な身体ならば、一日ほど悲鳴を上げることになるだろうな―
魔王はしれっと失礼な言葉を言った。
「……それって筋肉痛……?
て、うわぁ!?」
大トカゲの攻撃を避けながら僕は確認した。
―……多分、それだ―
「多分ぅ!?」
魔王は否定しなかったが曖昧な肯定をした。
なぜこの状況を打開することに僕が筋肉痛になるのか分からないし、魔王の反応が不安でしょうがない。
と色々と不安に思っている時だった。
「……あ」
「グウウゥゥウ……」
いつの間にか、壁際にまで追い詰められていた。
大トカゲはそれを見てゆっくりと僕との距離を縮めて逃げ場を潰していく。
それは僕を嬲ろうとしているのか、それとも僕に逃げ道を与えまいとする合理的な理由なのかは分からない。
だけど、言えることはあるとすれば、再び僕は同じ轍を踏んでしまった。
―おい、どうする?―
こんな絶体絶命の危機のさなか、魔王は先ほどの様に相手の神経を逆撫でするような言い方で僕に他に選びようのない選択肢を投げかけて来た。
この魔王は律儀なふりをして本当にムカつく。
多分、あれだ。
相手がどうなろうが『お前の決断だからお前の責任だ』と言うスタイルなのだろう。
相手に選ばせるだけ本当に性質が悪い。
「グルルルゥウ……」
「ぐっ……」
でも、今、そんなことは関係ない。
「……耐えてやるよ」
―ほう?―
僕は偉そうな魔王に啖呵を切る様にそう言い切った。
どれだけ魔王の言う『痛み』が辛いものなのかは分からない。
それでも僕は耐えてやる。
なぜなら
生きたい……!
今もあの時と全く変わらないからだ。
「があっ!!」
大トカゲの右腕が大きく振り上げられてそのまま僕を切り裂こうとした。
目を瞑れば次には痛みと死が瞬く間に訪れるだろうと思った時だった。
―いいだろう。
その大口を後悔するなよ?―
魔王の偉そうで悪趣味で同時に嬉しそうな声が聞こえてきた。
だが、そんなことは関係なしに目の前の大トカゲの爪が僕の身体を断とうとした。
僕の意識は次の瞬間に途絶えると思った。
我ながら緊張感がない戦闘描写だと思います。