第三十三話「弱さを今は」
一体、何が……?
突然、森に響いた男の人の叫び声の正体がわからないままであるけれども、このまま放っておけば何か取り返しのつかないことになりそうな気がして、僕はウェニアと共に声がした方へと向かっている。
間違いなく、人間の声だよね……?
叫び声の正体に対して考えられるとすれば、人間か魔物のはずだ。
前者は誰からしてもそうであるけど、後者は僕だけしか考えられない。
僕は魔物の言葉が分かってしまう。
だから、言葉や声だけでそれが人間だと断定できない。
だけど、今回はウェニアが動いたことから十分、人間の可能性がある。
それにあの呪われた声じゃないしね……
何よりもあの全てを呪うかの様な一種の機械的な声ではない。
感情が恐怖一つではなく、今聞こえてくる声には焦りなどの多くの感情が感じられるのだ。
これは魔物ではないだろう。
「あぐぁぁあぁあああああ!!!?」
「グルルルル……!」
―喰ラウ……!―
「……!」
声の正体に色々と推測を立てていると叫び声に恐怖ではなく苦痛が込められ同時にあの満たされない餓えを餓えを満たそうとする生き物なのに機械的な歪な声も聞こえてきた。
「うっ……」
それを耳にして僕はあの時の感覚を思い出し、吐き気と胸騒ぎが蘇ってきた。
また……
そんなことを恐れている余裕なんてない。
頭では分かっているのにまた命を奪うことがどうしようもなく怖い。
「……大丈夫か?」
「……うん。何とか」
だけど、そんな自分の迷いに囚われている場合じゃない。
少なくても心配してくれているウェニアのことをこれ以上心配させたくない。
「……見えたぞ……!」
「……!」
どうやら声の発生源、つまりは魔物とそれに襲われている人がいる場所に近付いたらしい。
心なしかその悲鳴は以前僕が出したものよりも悲痛さが上回っていた。
そこか僕は焦りを募らせた。
「あぁああ……!!?」
「!?」
辿り着いた僕のたちの前に広がっていたのは8、9頭の魔物が一人の男の人に喰らいついている僕が今まで見たこともない凄惨な光景だった。
「うっ……!?」
それは今まで僕が目にしてきた「死」という光景がどれだけ恵まれていたのかと思わせるものだった。
僕が見てきた「死」というものは葬式で見る静かで安らかな「死」か、あのクラスの連中と僕が魔物を殺した時の様な消えゆく一瞬の幻にも見える「死」だが、目の前にあるのは決してそんなものじゃないだろう。
そこにあったのは
「グルル……!!」
―喰ラウ……!!―
獣により食い散らかされる寸前の血と肉の臭いが立ち込め、赤黒い昔の人々がどうして今以上に「死」というものを忌避していたのかが理解出来るおぞましい光景だった。
「……あぁ……」
生まれて初めて目にした生々しく恐ろしい「死」の前触れに僕は戦いてしまった。
もう既に痛い思いも苦しい思いも怖い思いもしてきた。
だけど、この「死」は怖すぎてしょうがなかった。
恐怖に包まれている時だった。
「ユウキ……!!」
「……!」
ウェニアの発破で自分を取り戻して目を背けるのを止めた。
「……っ!
やめろ!!」
僕は目の前で男の人の肉に歯を立て続け引き千切ろうとしている魔物たちに向けて無駄だと分かりながら制止を呼び掛けながらも「テロマの剣」に手を伸ばした。
「グルル……」
―喰ラウ……―
「!?」
しかし、魔物たちは当然ながらそれを無視した。
わかっている。こいつらにはこんなことをしても無意味だということを。
……やるしかない……!!
僕は手に、いや、身体中に緊張で力が入っていることを理解しながら諦めるしかなった。
生命を奪うことでしか目の前で殺されかけている生命を助けるしかない。
そんなことをしないで済むなんてことはただ都合のいい夢でしかないことを。
助けたいから……!!
目の前で人が死にかけている。
仮令それが赤の他人であっても僕は放っておけない。
助けられないのも嫌だが、助けられるのに助けないのはもっと嫌だ。
もう無我夢中だった。
暴走しないように慎重に……
僕は以前の「テロマの剣」の暴走を考えてぎりぎりのタイミングまで剣を抜くのを抑えた。
「グル……!!」
―食ラウ……!!―
「!?」
しかし、気付いたのか僕が剣を抜く距離に入るよりも先に三頭ほどの魔物の方が当然ながら僕へと飛びかかってきた。
……だったら、一度受け止めて……!!
回避は間に合わないと考えて僕は一度魔物に抑えられることを考えた。
唯一、僕が魔物に対抗できる手段は「テロマの剣」ぐらいだ。それを抜く暇がないなら敢えて一回攻撃を受けてからそのまま痛みを我慢してそのまま至近距離で剣を抜いて突き刺せばいいだろう。
「強化魔法」は既に施してあるから痛いだけで死ぬことはないだろう。
と僕がある程度の覚悟を決めた時だった。
「……全く、何をしている!!」
「!?」
「ギッ!?」
以前と同じように僕に襲い掛かろうとしていた魔物たちの身体が突如僕の眼前に発生した突風の様な力の塊に叩き付けられたかの様に吹き飛んだ。
「昨日だけだから付け焼き刃とも言えぬものであるが剣術は仕込んだであろう!!
せめて剣だけでも抜け!!」
「……っ!」
ウェニアは以前と異なり怒気を込めて僕に『剣を抜け』と指示した。
この厳しさは恐らく昨日言った彼女なりの「叱咤」も込められているが、僕の不甲斐なさへの憤りも込められている。
「くっ……!」
彼女の檄に応えて僕は即座に剣を確かに抜いて魔物の群へと向かって行った。
落ち着け……不安に飲まれるな……
刻一刻と迫る目の前の男性の「死」とまた生命を奪うかもしれない「恐怖」、そして、「テロマの剣」の暴走への「不安」を確かに感じながらも僕はそれに飲まれない様に心を強く持とうとした。
「グウゥ……!」
―喰ラウ……!―
来たっ……!
決して連中が僕を脅威と見なした訳じゃないだろう。
僕という新しい獲物が来たことでまたしても飢えを満たせると本能的に動いただけだろう。
「グルル……!!」
―喰ラウ……!!―
「う、うあぁああああ!!」
僕は声を出して何も考えないようにして剣を魔物へと斬りかけた。
「グルゥ!?」
―喰ラウ!?―
「っ!」
再び魔物は「テロマの剣」の力によって動きが止まった。
このまま斬れば簡単に相手を殺せるだろう。
後は僕がこのまま自分の意思で相手を殺す。
ただそれだけだ。
「……っ!」
「ギッ!?」
そして、僕はそれをした。
改めて感じた生命を奪うということが簡単なことであると錯覚するほどにこの剣は魔物の身体を容易に切り裂いた。
「グァ……ア……!!」
―食……ラウ……!!―
「うっ……」
切り裂かれた魔物は亡骸を残すことなく霧散した。
既に不安や恐怖は覚悟していたつもりだった。
実際に再び生命を、それも前は相手から仕掛けてきたことでそれから身を守る為という受動的な理由であったが今度は他者を助ける為という理由はあったが能動的な自分の意思で明確に殺したことでその恐怖や不安が僕の身体をじわじわと染めてあげてきた。
「グルル……!!」
―食ラウ……!!―
「ぐっ……!!」
そんな僕の都合などお構いなしに魔物たちは僕を喰らおうとしてきた。
それは決して仲間の敵討ちだとかそういった理由ではなく、ただ自らの飢えを満たそうとする本能しかなかった。
「……っ!」
「ユウキ……!」
ウェニアの方にも魔物は向かっている。
だけど、僕は未だに生命を奪ったことへの迷いで身体を動かすことがままならない。
その時だった。
「……リ……ン……」
「……!」
男の人がその消え入りそうな声で誰かの名前を呼ぶのが聞こえた。
「あ……」
「グルル!!」
―喰ラウ……!!―
「……っ!」
男の人のその声を耳にして僕は
「うぁああぁあああああああ!!!」
「ギッ!?」
―喰ラウ!?―
「!?」
自分を守ることを捨てて目の前の魔物を斬り殺した。
「はあはあ………!っ!!」
「ギッ!?」
―喰ラウ!?―
そして、そのまま男の人を貪っていた魔物を殺した。その後に周囲に剣を振り回して、男の人から魔物たちを離した。
恐ろしいほど、いや、実際に簡単に殺せて恐かった。
だけど、今はそんな恐怖に足を止めているわけにはいかない。
僕がやらなきゃ……!!僕がやらないとこの人は……!!
あの男の人には誰か大切な人がいる。
きっとそれはあの人を待っている誰かだ。
僕が躊躇していれば彼はその人と別れなくてはならなくなるし、彼を待つ誰かは彼を失うことになる。
「グル……!!」
―喰ラウ……!!―
僕がようやく自分たちの傍に近寄ると魔物たちも捕食を止めて僕に向かってきた。
どうやら、男の人を魔物から引き離すことには成功したらしい。
それを見て僕は
「ウェニア!!
早くこの人に「回復魔法」を!!
こいつらは僕が……!!」
「ユウキ……!?」
僕はウェニアに「回復魔法」を使って、彼に治療する様に頼んだ。
僕は「回復魔法」を使えない。
今、僕に出来るのはこの場にいる魔物たちと戦うだけだ。
それが唯一今、僕に出来ることだから……!!