第壱・二章「弱さと罪」
『………………』
某私学高校二年四組の生徒たちは全員一様に顔と心を暗くさせていた。
最初、地下迷宮に入った時、いや、初めてこの「ザナ」と呼ばれる彼らの故郷から召喚されてからの一ヶ月の間に初めて使えた魔法と呼ばれる不思議な力が自らに具わっていると言われ子供が新しい玩具に対して抱くものと似たような高揚感に酔いしれている時と真逆の反応を彼らはしていた。
彼らをその様な憂鬱な感情に染めさせている原因はたった一つだった。
「な、なあ……
雪川を俺たち……」
『!?』
それは彼らの同級生の一人、クラスで目立たない存在であったが、それでも嫌われることはなく、むしろ、好ましさの方が多少は上回っていた少年が原因だった。
「雪川 友樹」。
決して、目立つ様な人間ではなかったが、それでも控え目な性格で他人からの頼みを簡単に断らないというよく言えば誠実、悪く言えばお人好しな少年。
何故、そんな影の薄そうで人畜無害な少年のことでこの場にいる全員が暗くなっているかといえば簡単なことだった。
「な、何が言いたいんだよ!?
太田!!」
「そうだ!言いたいことがあるんだったら早く言えよ!!」
「そ、それは……」
罪悪感に苛まれるままに自分たちがしてしまった罪をこぼそうと太田という少年に対して彼を糾弾する様に他の生徒たちは表向きは促す様に言いながらも本心では黙らせようとした。
太田は言葉を詰まらせた。彼だけではない。
異世界という異郷の中でこのクラスというコミュニティから排除されれば、件の少年と同じ末路に陥るという恐怖がこの場に蔓延したのだ。
「み、みんな……落ち着こう」
クラスに不信感と孤立への恐怖に満ちる中で一人の生徒の声が響いた。
その声は明らかに震えていた。
「雪川のことは……誰も悪くない」
『!?』
その少年はクラスの同級生たちにそう言った。
その少年の発言に太田を含めたクラスの何名かは驚愕していた。
「さ、佐川……?」
「お前、何を……」
太田を始めとした何人かの生徒たちは佐川のその発言に戸惑いを覚えその真意を問い質そうとした。
彼らは別に友樹と親しかった訳ではない。
しかし、顔見知りの人間がいなくなった。
それも自分たちが見殺しにしたことに対して、『自分たちが何も悪くない』と言い切ったクラスの中心人物の発言が信じられなかったのだ。
「あれは……事故だったんだ」
「え……」
「事故って……」
佐川は太田たちの追及に友樹が死んだのは『事故』だと返した。
佐川のその言い分に太田たちを含めた一部の人間は絶句した。
確かに巨大な自分たちでは手に負えない魔物によって友樹は死んだ(正確にはウェルヴィニアによって助けられたので生きてはいるが)。
それは現代社会では獣害事件として、事故として扱われることになる事柄だろう。
しかし、太田たちが耳を疑ったのは今回、友樹が命を落とした最大の要因がそれだけではなかったからだ。
「だけど、あれは―――!!」
佐川の『事故』という言葉に納得が出来ないクラスの一人がその事実をぶつけようとした。
それは自分たちが逃げ切っていない友樹を目にして逃げ道である出口を封鎖したという紛れもない事実だ。
そのことをただの『事故』と言い捨てた佐川の人間性を疑ったのだ。
しかし
「いーや!!
佐川の言う通りだ!!あれは「事故」だ!!!」
「―――え?」
「なっ!?石井!?」
そんな抗議を封じる様に今度は柄の悪いクラスの中で不良染みた石井という男子生徒が言葉を遮った。
「だってよ!
あんな化け物がいるなんて俺ら知らなかったんだぜ!!
仕方のないことだろ!?」
「『仕方のない』……ことだと?」
太田は石井の口から出てきた友樹の死をたったのその一言で済ませようとしたことに信じられないといった表情をした。
(お前が……お前が言うのか!?)
石井はこの世界「ザナ」に来る以前から元の世界にいる時から友樹のことを煙たがっていた人間だ。
理由は単純だった。
友樹の幼馴染。水瀬 鈴子に対して石井は恋心等と程遠い下心を抱いていたからだ。
鈴子は学校の中で1、2を競う美少女だ。
当然、彼女のそんな美貌に惹かれる人間が多く出るのも良くも悪くも無理のないことだ。
その実、太田もその一人だった。
けれども太田は何処か諦めていた。
(雪川のことを邪魔者扱いしていた奴が言うことかよ!?)
鈴子本人が既に雪川 友樹という幼い頃から自分の傍にいた少年のことを好きだったからだ。
友樹自身は学校一の美少女、いや、今まで会ったことのある異性の中でも美しい鈴子に自分が釣り合わないと無意識のうちに刻み込まれていたが、鈴子や鈴子を通して彼を見ていた太田はどうして友樹が彼女に好かれていたのかを理解していた。
「そんな言葉で―――!!」
太田は自分にそんな資格がないことを理解しながらも心の底から他人を軽蔑した。
石井は罪悪感や責任感から逃れたいだけでなく、友樹への嫉妬や優越感から『自分たちには責任がない』と言い捨てたのだ。
人が、それもクラスの人間の一人が死んだにもかかわらずだ。
いや、石井だけではない。
最初に最初に『事故』と主張し始めた佐川に対して太田は憤りを隠せなかった。
何よりも自分自身への苛立ちも込めて二人を糾弾しようとした。
「そうだ……二人の言う通りだ」
「―――え」
太田はまたしても耳を疑う言葉を聞いた。
「そうだ!俺たちは悪くない!!」
「そうよ!!私たちだって死にそうだったのよ!?」
「どうしようもなかったんだ!!」
「なっ!?おい!?」
一人の同級生の佐川と石井の二人が発した『事故』・『仕方のなかった』という自分たちの責任をなかったものにする言葉への同調の声に次々とそれにならう生徒たちが声をあげた。
しかし、それだけならばまだよかった。
「そもそも雪川一人いなくなっても問題ないだろ!?」
「なんだと!?」
遂には友樹の存在の価値すらも自分たちが罪悪感から逃れたい一心で貶め始めたのだ。
「あいつ、弱かったしな」
「弱いのがいけなかったのよ」
「むしろ、雪川一人だけで済んでよかった」
『………………』
死者すらも自分たち正当化する為に冒涜する同級生に太田、いや、太田以外の正常さを保とうと躍起になる生徒たちは彼らを人間の言葉を発する異なる生物を見ている様な異常さを感じていた。
そして、最後に
「大体、アイツだって俺たちと同じ立場なら同じことをしてただろ?」
「そうだな」
「絶対そうだ」
石井の恋敵(本人が勝手にそう思っている)を不当に貶めるその発言を以って、この余りにも不快な自己弁護にすらならない死者への冒涜は終わった。
彼ら自身が自らの自責の念と罪の意識から向き合うことはいつか来るのだろうか。
(違う……違うよ……)
そんな中、その過程の話について心の中で小さいながらも大きな確信を持って否定する臆病な女子生徒がいた。
(ゆうちゃんは……きっと……)
彼女は誰よりも知っている。
雪川 友樹がどういった少年なのかを。
(ゆうちゃんならきっと……)
少女は幼い時から少年と一緒だった。
同時に彼の優しさと勇気を知っていた。
(絶対に……見捨てないよ……)
少年は少女が子供の時にいじめられた時にいつも助けていた。
どんなに相手が強くても自分が痛い目に遭ってもそれでも幼馴染や友達を守る為なら耐えられる強さを持っていた。
それはかつて少年の両親が息子に託した願いそのものだった。
そして、住む世界と状況が変わってしまっても変わることはなかった。
(それなのに……私は……)
少女、水瀬 鈴子は自分のしてしまった恩知らずかつ、今、お幼馴染を不当に貶める言葉に否定する出来ない自らの弱さ、恋心を穢した自責、そして、約束すらも守れなかった己の愚かさを嘆くことしか出来なかった。




