第十四話「再燃」
「あ、あれ……?」
「……お兄さん?」
今の一ヶ月ぶりの食事らしい食事をしようとアドを再び入れたのに僕の意思に反して食べ物が喉に進まない。
「うっ……」
「キュル……!?」
―ユウキ……!?―
「お兄さん……!?」
おかしい……
なんでだ……?
何度も何度もアドを食べようとした。
なのにそれは意味をなさず飲み込むことが出来なかった。
無理に飲み込もうとすれば戻しそうだった。
どうして……
一口目はすんなりといった。
それも久しぶりのまともな食事で人の思いやりに溢れたまるでご馳走に思えるようなものだ。
なのに何故か食が進まなかった。
「……リウン。
すまないが、アドの方は今はユウキは食べるのは無理らしい。
それ故にウルだけを食べさせてやらないか?」
「え……」
「うぇ、ウェニア……?」
僕の異変に気付いたウェニアはまたしても代弁した。
ウェニアの言う通り、僕の意思に反して何故か僕の体は食べることを拒否している。
少なくても、固形物であるアドを食べるのは無理だ。
だから、スープのウルの方がいいだろう。
けれどもそれは僕に美味しく食べて欲しいと思っていたリウンの好意を台無しにすることと同じだ。
現にリウンは少し傷付いた顔をしている。
いや、確実に彼は傷付いている。
「……その代わりだ。
我にそのアドをくれぬか?」
「……!」
「お姉さんが……?」
いたたまれない空気が漂い始めた中、ウェニアはリウンにそう頼んだ。
「ああ。このアドが貴重なものなのはわかっている。
それを無駄にするようなことは忍びない。
故にこのアドを我にくれぬか?」
「ウェニア……」
「………………」
ウェニアはリウンの好意を無下にすることや僕が抱いている後ろめたさを振り払うためにアドを自分に食べさせることを提案してきた。
ウェニアの言う通り、きっとこのアドは貴重な食べ物のはずだ。
この家の周りには確かに小麦畑があるが、それでも僕のいた現代日本と違って食べ物の貴重さは段違いのはずだ。
僕はウェニアの気遣いと思いやりと振る舞いに再び呆気に取られた。
やっぱり、君は優しいよ……
彼女は相手に恥をかかせないようにしながらも決して卑屈にならない。
偉そうで傲慢だが相手を見下すことはしない。
少なくともそこに傲りと卑しさは見られないのは根本的にウェニアが優しいからだと僕は感じる。
その在り方があまりにも王としての気質に溢れていた。
「そう……なんだ……」
「リウン……」
リウンは俯いた。
それが明らかにショックを隠そうとしているのは察することが出来た。
それに気付かないでいられるほど、僕は鈍感でもなかったし罪悪感を感じないでいられるほど図太くもなかった。
やはりどれだけウェニアがフォローしてくれても互いの心に何かしらの傷は残ってしまう。
「わかった……
そんなに調子が悪いなら仕方ないよね……
早く元気になってね、お兄さん。
元気になったら食べてね?」
「……あ」
けれどもリウンはこんな失礼で酷いことをした僕のことを心配してくれた。
それだけでなく、『食べて』と言ってくれた。
なんていい子なんだ……
この一ヶ月間、リザとウェニア以外に優しさを感じなかったり、もしくはそれを裏切られた中で出会ったこの少年の優しさに胸が痛くなった。
「うん……わかったよ。
もし、治ったら食べさせてくれるのなら嬉しいよ。
本当においしかったから」
「うん……!!」
僕はリウンに約束した。
この「アド」は本当に美味しかったし食べられないのが悔しかった。
何よりもリウンの優しさを拒む気にはなれなかった。
「……リウン。またで悪いが、この男と話をさせてくれないか?」
「……え」
再びウェニアは僕と話したいことあるから二人にしてくれとリウンに言った。
それは裏を返せば、リウンにこの部屋から出て行けと言っているようなことだ。
先ほどからリウンを傷付けているのにまたしても彼の心を蔑ろにするようなことをしているのだ。
「……わかったよ……
食べ終わったら教えて」
「リウン……!?」
だけど、リウンはそんな僕たちに嫌な顔を一つせず言う通りにしようとした。
「……すまないな」
そのリウンの健気な姿にウェニアも心苦しさを感じたのか、何も混じってもないお詫びの言葉をぶつけた。
まるでそれしか出来ることがないからそうするといったように。
「うんうん……
大丈夫。気にしていないよ」
……嘘だ……
リウンはそう言って僕らを安心させようとするが、僕にはこの子の優しさが痛いほどわかる。
この子は我慢しているだけだ。
それがこの子の優しさなのか、処世術なのかはわからない。
それでもこの子は無理をしている。
そんなこの子の優しさに甘えるしかできない自分自身と現状が情けなくて仕方がなかった。
リウンは小学生ぐらいの子供だ。
明らかに僕より年下だ。
そんな子供に僕は気を遣わせてしまっている。
「それじゃあ、ゆっくりね」
「あ……」
リウンはそのまま振り向きざまに優しい笑顔をして部屋から出て行った。
僕は何も言えなかった。
「ぐっ……!」
「ユウキ……」
自分の不甲斐なさが許せなかった。
あんな優しくていい子を悲しませ無理をさせた今の自分が恥ずかしい。
どうして僕は……!!
同時に僕は自分の体に訪れている不調も恨めしかった。
自分だけが苦しむのなら別にいい。
だけれども、それが原因で周囲を傷付けたり悲しませたりすることが辛い。
「仕方あるまい」
自己嫌悪に駆られている僕にウェニアはそう言うが、僕にはそれが慰めに感じてしまった。
「仕方なくなんてない……!!
あんな小さな子供を悲しませてそんな言葉で済ませていいはずがないよ……!!」
僕は拒絶した。
もしこのままウェニアの優しさにまで縋れば僕は何処までもダメな人間になるような気がしたからだ。
「最後まで話を聞け。戯け」
「痛っ!?」
しかし、僕が耳を貸さないと見たのか、ウェニアはまたしてもデコピンを僕にかましてきた。
「うぇ、ウェニア……?」
デコピンを食らったことに対する苛立ちは湧くこともなく僕は戸惑いを覚えるだけだった。
恐る恐るウェニアの方を見ると不機嫌そうな彼女の表所が目に入った。
それを見て他人を不機嫌にさせたことへの気まずさを感じてしまった。
「全く……貴様は卑屈になり過ぎだ。
この戯け!!」
「え……その……」
ウェニアが不機嫌そうだったことある程度の覚悟をしていたが、面と向かって「馬鹿」と呼ばれるとは思っていなかった、というよりもこんな風に感情的に怒られることは想像できなかったので僕は呆気に取られてしまった。
「そもそも今回のことは……
まあ、貴様も悪いには悪いが貴様が自分をそうまで責める必要などないのだ」
「そんなことは……」
彼女はまたしても僕を擁護しようとし言い聞かせるようだった。
僕は再びそれを否定しようとした。
「いいから、話を聞け」
「え……あ、うん……」
まるで母親に叱られるような感じがして僕は言葉を止めてしまった。
「よいか?
貴様は確かに己の弱さ故にリウンを傷付けた……
それは紛れもない事実だ」
「……ぐっ……!!」
自分の不調の悪さがリウンを傷付けたことを他人に指摘されて益々苦しかった。
どれだけ言い繕っても僕がリウンにしたことは酷いことだ。
それだけは変えられない事実だ。
「だがな……
貴様は自分の意思でそうしたのか?」
「え……?」
けれどもウェニアは僕が自分の意思でリウンを傷付けたのかと訊ねてきた。
「そんなわけないだろ……
どうしてあんないい子を……」
あんな善良さに溢れた子供を傷付けていいはずがない。
仮にあの子の優しさや思いやりに価値を見出せない人間がいるとすれば、その人間の目は節穴だ。
「ならばそこまで苦しむ必要はあるまい」
「なんでだよ」
ここで感情的になってウェニアの言葉を否定しても堂々巡りになるだけだと考えて感情を抑えながら訊ねた。
どんなに自分が故意に他人を傷つけた訳じゃないからといって、自分のせいで他人を傷つけてしまったことに対して罪悪感を抱かないのは間違っている。
それが罷り通るのならば自動車で人を轢いておいて自分が悪くないと言っている人間と変わらなくなる。
もしここで自分が悪くないと言ったらそれこそ僕はその無責任な人間と変わらなくなる。
だから、これ以上僕は自分を擁護する言葉を耳に入れたくなかった。
「……お前は自分のためにリウンを利用したのか?」
「……?」
だけど、ウェニアのその問いに僕は反応してしまった。