第十二話「素直さの陰」
「り、リウン……?」
「キュ、キュルルル……」
「………………」
ウェニアは『大丈夫だ』と言っていたが、魔物であるリザを見て事情を知らない、それも魔物が凶暴なものであるという共通の認識があるこの世界、「ザナ」の人間であるリウンに見られたことに僕は焦りを覚えた。
「……どうしたの?」
「え、えっと……それは……その……」
「キュ、キュルルル……」
―ド、ドウシヨウ……―
リウンがとてもいい子で優しい子供なのは先程の件で薄々分かるけれども、流石に魔物相手に対しても同じとは限らない。
僕だけでなく、リザすらも動揺してしまいどうすればいいのか困ってしまった。
それに加えて、リザはあの迷宮で人間に恐れられ、攻撃されたことへのトラウマか震え出してもいる。
お、落ち着け……!!
リザを守らないと……!!
リザの方が僕よりも何十倍も不安で怖がっているのを察して、僕はリウンとリザの間に立ち、リウンがどう反応してもリザを守ろうとした。
「あ……
その子、大丈夫なの?」
「……え?」
「キュル……?」
―エ……?―
しかし、そんな僕とリザの心配をよそにリウンはリザが起きていることに対して、むしろ嬉しそうにしているような言葉をかけて来た。
「……どうしたの?」
「え!?いや……その……」
先程と殆ど変わりのないやり取りではあるが、今、僕が抱いている感情は焦りや動揺ではなく戸惑いだった。
「……リザのことが恐くないの……?」
「キュルル……」
「ごめん、リザ……」
内心、リザに詫びながら僕はリウンに訊ねた。
たとえどんなに見た目が小さくなってもリウンにとってはリザは魔物だ。
それなのにリウンはリザを心配してくれた。
そのことに僕は驚きを隠せなかったのだ。
「……やっぱり、その子「魔物」なんだ」
「あ……」
し、しまった……
どうやら最初からリザが魔物であることを察してはいたらしいが、今の僕の発言で確信を得たらしい。
その事に僕は自分の発言に迂闊さを感じた。
僕の馬鹿……
よく考えてみたら、リザは今はただ少し大きい程度のトカゲなのに……
思えば、今のリザはただの少し大きめのトカゲだ。
余計なことや反応をしなければリザが魔物であることはばれなかったのに僕はわざわざ怪しまれることを言ってしまったのだ。
「……すごい。お兄さん。
魔物に名前を付けるなんて」
「……え?」
「……キュル?」
―……エ?―
だけど、またしてもリウンの反応は僕が考えていたものとは異なっていた。
リウンはただ僕がリザの事を名前で呼んでいることに驚いているだけだった。
「えっと……
それだけ……?」
ウェニアでさえ危険視している魔物が小さいとは言え傍に居るのにリウンはそのことに無警戒どころか、全く動じる様子を見せなかった。
「え?他になんかあるの?」
「え!?……
えっと、ごめん……
何回も聞いて悪いとは思うんだけど……
君はリザが恐くないの?」
僕は単刀直入に訊いた。
この世界、「ザナ」においては魔物は彼らの上位個体にも等しい魔族すら襲う存在らしい。
それなのにこの子はその魔物がいることに対して、冷静な態度どころかむしろ、優しさすらも見せている。
そのことが僕には信じられなかったのだ。
「だって、その子。
僕の事を襲おうとしないしお兄さんも友達みたいに思っているんでしょう?
だから、怖くないよ」
「!?」
「キュル!?」
だけど、返って来たのは余りにも単純で純粋過ぎる答えだった。
リウンの反応に僕は衝撃を受けてしまい、次の言葉が思いつかなかった。
「……ごめん」
「え?」
そして、漸く出した言葉は謝罪の言葉だった。
リウンのその純粋さに僕は恥を感じてしまい、居た堪れなくなってしまった。
こんな優し過ぎる子を僕は疑ってしまったことに情けなさを感じてしまったのだ。
リウンはそんな僕の言葉の意味が分からなかったらしい。
「ハッハハハハ!!!
……リウン、其奴は貴様の純粋な心に負けたのだ」
「え?」
「……っ!」
僕がリウンに対する申し訳なさに対してどう説明すればリウンを傷付けないで済むかと悩んでいると、ウェニアが高笑いして代弁した。
「どういうこと?」
ウェニアの発言に対してリウンは意味が呑み込めずにいたのか首を傾げるだけだった。
「何……まあ、分かるが其奴とその小さき魔物は周囲から有無を言わさずに危害を加えられていてな。
そのことから多少ではあるが、どうしても周囲を警戒してしまうのだ。
小動物の様にな?」
「………………」
ウェニアは僕やリザがどうしてリウンのことを警戒していたのかを教えた。
彼女の言う通り、僕はこの純粋な、いや、それ以上に恩人であるリウンを自分の臆病さから疑ってしまっていた。
「ごめん、リウン……
ウェニアの言った通りなんだ……
僕は君を疑っちゃったんだ……」
せめて、こんな子供にはこれ以上の嘘は吐きたくないと考えて包み隠さずに本当の事を話した。
こんなにも優しい子を疑っていい筈なんてないのに、僕は自分の弱さから信じられずに疑っていた。
こんな謝罪はただの独り善がりだと知りながらも。
「……うんうん。
仕方ないよ」
「え……」
だが、またしてもリウンは信じられない言葉を返してきた。
でもその時だった。
「……リウン?」
その赦しと優しさに満ちたその表情に僕は違和感を感じた。
今のリウンは何処かおかしい。
何処がおかしいかといえば、強いて言えば何処か寂しさが垣間見える。
それがこの森の奥に一人で住んでいるという孤独から来るものならばまだ納得が出来る。
でも、僕にはそうは感じられなかった。
彼が見せるその寂しさには何か諦めに近いものを感じてしまう。
それはとてもじゃないが、普通子供が見せていいものじゃない気がした。
「あ、そうだ。
お兄さんたち、お腹空いてない?」
「え?」
僕がリウンのその表情に疑問を抱いているとリウンがまるで逃げるように急に話題を逸らした。
「お昼ご飯を持ってきたからよかったら食べて?
あ、トカゲ君の分もあるから」
「キュキュルル!!!」
―私ハ男ジャナイ!!!―
「えっ!?
どうしたの?」
リウンに「君付け」で呼ばれたことに対して、リザは猛抗議した。
やっぱり、リザは雌らしい。
「リウン……
そ奴は雌だ。
どうやら、貴様が雄扱いしたことに憤りを覚えているらしい」
「キュル……!」
―モウ……!―
「え?すごいな……
僕の言葉も分かるんだ……」
ウェニアはリザが雌であることを説明し、リザは年頃の女の子が女の子扱いされなかった際に見せるような人間だったらふくれっ面をしてそうな不満さを見せ、リウンはリザが雌であったことよりも自分の話がリザに通じたことに驚きを感じていた。
「……ねえ、リウンどうして―――」
そんな少し微笑ましい状況を見ながらも、僕は先程のリウンの見せた表情の意味を知りたい、いや、どうしてそんな顔をしているのかと放っておけず訊ねようとした。
今、会ったばかりの、それも家庭的事情を抱えている子供に赤の他人である自分が訊ねることがどうかしていると理解しながらも。
だけど
「―――あ」
突然、鳴り出した腹の虫によって遮られてしまった。
「………………」
その腹の虫が恥ずかしくて僕は言葉が止まってしまった。
「……お腹空いているの?」
「……っ!?」
リウンに図星を突かれて僕の羞恥心はさらに高まってしまった。
何でこんなタイミングで腹の虫が鳴ったのかは明らかだ。
それはこの部屋の外から漂ってくる香りだ。
パン屋の中に漂うあの自然な甘さを感じさせる香りと、まるで長い時間をかけてじっくりと具材を煮だして旨味が溶けたスープからそれが蒸発し気体となった匂いがしてきたことでこの一ヶ月、マトモなものを食べて来なかったことで食事がただの生命維持活動になっていた僕の食欲を久しぶりに刺激して来たのだ。
「よかった!
じゃあ、持ってくるよ!」
「あ……」
リウンは僕がお腹を空かせていたことに嬉しさを感じて無邪気な笑みを浮かべそのまま部屋の外へと出て行った。
それは空腹の人間に自らの食事を提供できることへの親切心と食事を作ったことへの達成感があったのだろう。
自分よりも年下の子供に気遣われたことへの恥ずかしさと、その好意を無下になど出来る筈もなく僕は見送るしかなかった。
だけど、同時に僕の心の奥底ではどうしてあんな純粋な子どもがあんな顔をしたのかという謎が深まってしまった。