第十話「名前」
「君は先、魔物がこの森に入った途端に罠が作動してくるって言ったけど……
それだとリザも死にそうな気がすると思うんだけど」
リザが生きてこの家にいる。
これはウェニアが先ほどまで語っていたことと矛盾するはずだ。
ただ罠が作動した際に偶々、リザには当たらなかったという幸運が在るのかもしれないけれども、それだとリザを守っていたウェニアにも罠が襲い掛かって来るはずだ。
この事実をウェニアがどう思っているのかを僕は知りたかった。
「……それがわからんのだ」
「……え?」
僕の質問に対してウェニアは後頭部に手を持って行き髪を持ち上げてそれを放すと言う仕草をし始めていた。
「あ……」
ウェニアの長い髪がはらりはらりとまるで日本昔話に出て来るような織機によって織られていく絹糸の様に下りていく光景は綺麗だった。
「おい?どうした?」
「あ……えっと……
そうだ!!
分からないってどういう意味!?」
ウェニアのその仕草と髪の美しさに見惚れていたなど正直に言えば恥ずかしいし馬鹿にされると思ったので僕は慌てて話題を元の本題に戻した。
「……言葉の通りだ。
どうして魔物であるリザがこの森にいて無事なのか……
それは我でも見当がつかんのだ」
「そうか……」
見惚れていたことがばれずにすんだことに対する安堵を覚えると共に何時も何もかも見通しているそうなウェニアでさえリザがこの家にいられる矛盾の根拠が掴めないということで益々この森の謎が深まっていく。
「……リザは大丈夫なのかな?」
魔物が侵入できないこの森にリザがいるのが異常なのは理解できる。
しかし、そうなると逆に僕は安心できなくなってしまった。
例えばこの森には魔物にだけ作用する毒ガスのようなものがあるのかもしれない。
魔物がこの森に入れない理由としてはそれも十分考えられる。
そうなるとリザが本当の意味で安全なのか微妙になってくる。
もしかすると、リザが眠っているのは衰弱してるからかもしれない。
「いや、大丈夫だろう。
リザの状態だが我の目から見ても回復に向かっている」
「そうなの?」
僕がリザのことを心配するとウェニアはそれについては間違いなく大丈夫だと確言してきた。
「ああ。今、リザの魔力は徐々に回復している。
魔物にとっては魔力は生命力に等しい。
それに身体が小さくなった分、リザはそこら辺の魔物よりも魔力を必要としない分しぶといぞ?」
「そうなんだ……
よかった……」
ウェニアは魔物の生態を簡潔に述べてリザが回復に向かっていることを説明してくれて僕はそのことに安心した。
あれ……?
でも、この状況……どこかで……
安心した瞬間にふと僕は何か既視感にも似た感覚に陥った。
「おい?どうした?」
「いや……何か……
頭の何処かで何かが引っかかるんだよ……」
「何だと?」
しかし、それが何故感じ、何処で、何時のことなのかが引っかかって出てこない。
まるで定期試験のテストで一度全ての問題をある程度片付けた後に幾つか空いた欄に当てはまる言葉が出て来ない時のもどかしさと似ている。
その時だった。
「あ」
僕はようやく、その既視感の正体に気付いた。
「そうだ!!」
「!?」
「あれだ……!!あの時の!!」
頭の中からようやく出て来た既視感の正体が見つけられたことに僕は清々しさすらも感じて思わず大声を上げてしまった。
「どうした?」
「あ……」
そんな僕の異常なテンションにウェニアは困惑してしまい、僕はその冷静な態度に他人の存在を忘れて興奮してしまったことに居た堪れなさを感じて落ち着いてしまった。
「えっと……
この森の現象についてなんだけど……
ちょっと似ている様なものを思い出しちゃって、つい声を出しちゃったんだ……」
今度は羞恥心に溢れながらも静かに僕は彼女に告げるべきだと思ったことを話した。
「何!?」
「え?て、うわ!?」
「一体何なのだそれは?
貴様の世界での出来事か!?」
しかし、今度は珍しくウェニアの方が衝撃を受け冷静さを捨てて僕の胸倉を掴んで急かしてきた。
「ちょ、落ち着いて……!!」
「あ、ああ……すまん……
だが、我は一刻も知りたいのだ。
この森の怪異の正体を」
「『怪異』……?」
ウェニアの口から出て来たその不穏な響きに僕まで不安になってきた。
「で?それは貴様の世界でもあったことなのか?」
冷静さを取り戻したウェニアは改めて僕にこの森の性質が僕の世界であったことなのかと訊ねて来た。
「いや……
僕の世界じゃないし……これと似たようなことは君も見たはずだよ?」
「何だと?」
でも、それは違う。
僕がこの状況と似た現象を見たのは当然ながら僕の世界ではない。
この世界だ。
しかも、それはついさっきのことだ。
「あの「テロマの剣」から出た光だよ」
「……!」
それは「テロマの剣」から現れた光の影響だ。
あの光は人間ではある僕、魔王であるウェニア、さらには魔物であるリザを除いたあの魔物たちだけにダメージを与えていた。
あの光は僕たちには危害を加えないで魔物たちには容赦なく牙を向けた。
まるでこの森の性質の様に。
「成程……確かにな」
異世界の技術である「蒸気機関」を知ってもなおただ好奇心を抱いただけだったウェニアだったが、まるで虚を突かれたかのように衝撃を受けていた。
「……やるではないか、ユウキ?」
「え……?」
ウェニアは直ぐに素に戻るとそう言ってきた。
「この我でさ気付けなかったことに気付いたのだ。
よくやった」
「………………」
ウェニアが何を言っているのか理解できず僕は固まってしまった。
「あの……もしかすると……褒めてる?」
ようやく僕はウェニアの言葉の意味を呑み込むことが出来て恐る恐る訊ねた。
「貴様は馬鹿か?」
「いたっ!?」
「我が誉めているのだ。
素直に受けとめろ」
「あ、えっと……」
ウェニアはまたしても僕にデコピンをお見舞いし、不機嫌そうな顔をして呆れていた。
「折角、我が誉めたのに何故、貴様はそれを素直に受けとめられんのだ?」
「ごめん……」
ウェニアはそう言うが、やはりまだ褒められたりすることに慣れていないし、それが上辺だけのものが多かったことから僕は未だにそのことを疑ってしまう。
「全く……
まあ、言わせてもらうが、貴様は自分を低く見過ぎだ。
貴様の周囲にいた人間がどう言おうが、それは奴らの目が節穴だったに過ぎん」
「え……」
「それに以前から思っていたが貴様は他者よりも物の見方を変えることが出来さらには物事を比較する力があるぞ?」
「……物の見方……?」
ウェニアは僕が周囲の言葉に惑わされていたことに叱り出し、続け様に今度は何処か抽象的な表現を言ってきた。
「そうだ。
貴様は異なる物事から共通点を導き出し、さらには些細な差異を見出すことが出来るのだぞ。
貴様の目は得難きものだ」
「僕の目が……?」
ウェニアは僕の目をどうやら貴重な者であると言っているが僕にはその意味が分からなかった。
「貴様は些細な違和感から何かを考えることが出来る。
それは十分、いや、非常に重宝するものなのだぞ?」
「でも……
そんなに僕は頭が……」
ウェニアは「目」と言う言葉を使っているだけで本質は注意力や洞察力と言った頭脳面のことを評価しているらしいが、僕はどんなに頑張っても上の下止まりの自分の頭の出来の悪さを言葉に出した。
ウェニアは僕のことを買っているようだけど、どれだけ頑張っても物覚えが悪く、計算もそこまで早くないことからそれはただの買い被りだと僕は言おうとした。
「それだ」
「え?」
ウェニアは僕の反論に対して笑った。
「よいか、ユウキ?
貴様のその傲りがない性質こそが貴様の目を曇らせることのない強みなのだ」
「目が曇らない……?」
「そうだ。
多少、賢しい者は自分の才能を鼻にかけることが多い。
故に自らの自尊心やら虚栄心が邪魔をして他者に劣ることや己の欠点を認めようとせず、それどころか自らの敗北を認めもせず負け続ける。
そうだな。貴様の言った賢人、ソクラテスの言う「無知の知」を弁えぬ者は自然と堕ちていくのだ。
貴様は意識していないようだが、貴様にはそれが具わっているのだ」
「僕に……?」
「ああ」
ウェニアは頭がいい人間や才能がある人間が陥りやすい致命的な弱点をあげ、それを防ぐには以前僕が話した彼女にとっては異世界の故事である「無知の知」が大事であると語り、それが僕には存在していると言ってきた。
「それと貴様は信じないと思うが、我は貴様は捨てたものではないと感じるぞ?」
「え……」
そして、ウェニアは僕を真っ直ぐ見つめながら言った。
「なんで……?」
僕はウジウジしながらウェニアのその視線と言葉にに戸惑ってしまった。
「……あれ程、生命を奪うことに恐怖しながらもリザの為に貴様は立ちあがれたではないか?」
「!?
そ、それは……」
ウェニアは僕がリザを守るために無我夢中で剣を取って魔物の前に立ち塞がったことを言ってきた。
「それに……
あの光球が出た際に貴様はその身でリザを庇おうとし、我に『逃げろ』と言ってきたではないか?」
「あ……」
そして、僕があの光が危険だと思い込み、咄嗟にリザを抱え込み、ウェニアに逃げるように言ったことまで持ち出してきた。
「貴様は自らを意気地なしだと思っているようだがそれはとんだ思い違いだ。
貴様には十分、勇気が具わっているではないか?」
「僕に……「勇気」が……?」
極めて僕には似つかわしくない言葉が僕の心の中に存在しているとウェニアは言ってきた。
「そうだ。
貴様の名前の通りではないか?」
「名前……?」
ウェニアの指摘に僕はその言葉が偶然、僕の名前と読みが同じであることに気付いた。
いや、思い出したの間違いだ。。
『それはね、友樹。
お父さんとお母さんは友樹には誰か大切な人がピンチになったら頑張れる強い子になって欲しいて付けたのよ?』
『大切な人……?』
それは僕が漢字を覚えたての時に周囲の友達が名前の意味を色々と調べていた時に僕も自分の名前の由来を知りたくて母さんにせがんだ時のことだった。
僕の質問に母さんはニッコリとした表情をして優しく微笑んだ。
『ええ。
何時もそんな勇敢な子どもじゃなくて、いざという時に勇気を出せる子になって欲しかったからそうしたのよ』
『……?』
母さんは何処か嬉しそうに遠慮深そうに言っていたが、子どもの僕はどうして、その時母さんがそんな風に思っていたのか理解できなかった。
『友樹が守りたいと思える人……
何時か、そんな人に出会えた時に強くなれる子に大きな木みたいに育って欲しいと思って友樹て名前にしたの』
「あ……」
今なら解る。
父さんも母さんは人間が誰しも強いばかりじゃないと理解していた。
でも、それを知ったうえでそれでも誰か大切な人を守る時ぐらいにはなけなしの勇気を出せる強い人間になって欲しいと願って僕に「友樹」という名前をくれたのだ。
「ユウキ……?
おい、どうした……?」
「あれ……?」
自分の名前の意味を思い出して胸に切なさが押し寄せ、そして、そのまま目頭が熱くなって自然と涙を流していた。
この世界に来てから一か月以上が経ち、元の世界との繋がりが薄れていく中でそれでもこの両親がくれた名前は残っていてくれている。
「名前」て……大事なんだ……
両親からもらった大切な贈り物。
その価値の重さを知って僕は心が苦しかった。
だけど、それ以上にそれだけこの「友樹」という名前に込められた両親の想いと願いに僕は嬉しさと共に切なさが溢れ続けた。
そのまま僕はどうすることも出来ず、いつの間にかベッドの上に座り込んでいた。
「ごめん、ちょっと我慢できなく―――」
いきなり涙を流してしまったことでウェニアを戸惑わせてしまったのではないのかと考えて僕は彼女に謝ろうとしたが
「―――え」
突然、何かに頭を引き寄せられてあたたかくて柔らかいものに包まれる様な感覚に陥った。
「うぇ、ウェニア……!?」
それは、ウェニアだった。
ウェニアは僕の頭を腕で覆う様にしていた。
その行動に僕は動揺を隠せなかった。
「今は泣け」
「え……」
ウェニアはそう言った。
「……辛い時は泣け。
貴様は我と違って泣くことが出来るのだから泣け」
「……ごめん……
ありがとう……」
ウェニアの言葉の意味を理解している僕にはそれがどれだけ彼女にとって悲しいことなのかを理解していた。
でも、それなのに僕は我慢が出来なかった。
そのまま僕は彼女の腕の中で泣いた。