第九話「森の楽園」
「嘘だろ……」
僕は窓の外に広がっている光景が現実のものであると認識できなかった。
そこに広がっていたのは
「これが……
あの森の中なのか……?」
森の深い緑に囲まれこの家以外に人家が存在せず、まるで湖の様に広がる新緑と若葉色と黄金色の世界だった。
そこには森に生える黒さすら感じさせる針葉樹とは異なる若葉色に彩られた数多くの広葉樹が並び、その木々一つ一つには色取り取りの果実が実り風が吹くたびにたなびく黄金色の正体は小麦畑だった。
「……あの小僧が一人で生きていられる理由が分かったであろう?」
ウェニアのその指摘に僕は呆気に取られたことで頷くことは出来なかったけどそれを肯定するしかなかった。
ウェニアの言う通り、この豊かな果樹園や小麦畑の光景から僕の懸念した食糧不足と言う点に関しては問題はないだろう。
少なくても、肉がないことでタンパク質を取れないことを除けば飢え死にはないだろう。
タンパク質にしても大豆があればなんとかなるだろうし。
「……それはわかるけど……でも誰がこの畑を整備したりするんだ?」
何とか冷静さを取り戻した僕は新たに出て来た疑問をぶつけた。
この家、いや、この森にはリウンしかいないことはこの景色とウェニアの説明で理解できた。
しかし、こんなに多くの食料を賄える畑を子供一人で管理するのは無理なはずだ。
農業が大変なのは当事者じゃないので何とも言えないけれども理解はできる。
「……わからん」
「え……?」
僕の問いに対してウェニアは匙を投げるかのように言った。
「え?わからないって……」
今まで傲慢に見えながらもその分知識や実力を垣間見せていたウェニアが「わからない」とい呟いたことに僕は戸惑ってしまった。
「仕方あるまい……
我でさえ、この様な楽園の様な場所は見たことはないのだ」
「楽園て……
いや、確かにそう見えるかもしれないけど……」
ウェニアは分からないことに後ろめたさを感じることをせず、目の前に広がるこの光景を「楽園」と例えた。
でも、分かる。
彼女の言う通り、こののどかで食べ物に困ることのなさそうな風景は「楽園」を彷彿させるのかもしれない。
「それに……
まだこの森には不可解なことがあるのだ」
「え?まだあるの……?」
ただでさえとても子供一人では整備できないであろうこの広大な畑という謎があるのにまた他にもあるらしい。
「この辺りには魔物が近付けぬらしい」
「魔物が……?」
ウェニアはリウンがこの森で一人で生きられるもう一つの理由を明かした。
ウェニアの語った森が危険な理由の一つとして森が魔物の生息域であることが挙げられた。
それも森の奥に行けば行くほど魔物が多くいるらしい。
「あ!もしかするとこの森がおかしいのって……」
ウェニアが何度も口に出している疑問の本質が漸く僕は掴めた。
「ようやくわかったか。
そうだ。この森は魔物の生息域が逆転している。
ここは森の中心に等しいなのに一匹たりとも魔物がいないのだ」
「一匹も!?」
ウェニアが説明したこの世界の常識を覆す事実に僕は違う世界の人間ながらも驚愕した。
生物の生息域が違う。
それは高校二年生の教育を受けた程度の僕でも理解できる異常なことだ。
「……もしかすると、この家が原因?」
「恐らく、そうであろうな」
考えられるとすればこの家が森の中心にあることで魔物たちが住処を奪われたという現代社会でよくある猿やイノシシ、終いには熊が住宅地に姿を現すという光景に等しいことが起きているのだろう。
この森で魔物の生息域が通常と異なる理由に対してこの家が理由らしい。
やはり人工物があると生態系に影響を及ぼしているらしい。
でも……家一つだけで森の生態系がそんなに変わるものなのかな?
けれども僕はウェニアや自分の考えが少し飛躍している気がした。
確かに森の中心に家が存在することは異質だし多少の環境への影響は及ぼすだろう。
それでもこの家とこの畑だけで森全体の生態系が激変するだろうか。
それに魔物がこの家程度で住処を追われるのか?
何よりも魔物が人家の一つや二つぐらいで大人しく自分のテリトリーから出ていくだろうか。
実際に魔物たちの声を聞いたが、後で解り合えたリザすらも『憎い』と話に耳を貸すことがなかったし、あの魔物たちに至っては苦しんでもただ相手を捕食することしか考えないという凶暴さを持ち合わせている。
加えて魔物はかなり強大な生き物だ。
そんな生き物が果たして家一つあるだけでこの場に入って来ないことなどあるものだろうか。
「……本当にこの家が原因なのか?」
「……何故そう思う?」
「だっていくら何でもこんな家一つで森の生態系が変わるわけないしそれに仮にそうだったとしてもこんな家魔物に壊されるよ」
僕は単刀直入に今まで抱いていた疑問をぶつけた。
やはり子供のリウンしかいないのにどうして魔物はこの家に近付かないのだろうか。
僕はそこに違和感を感じてしまう。
「あ~……すまんな。
我の説明が悪かった」
「え?」
ウェニアは僕の質問に対して何か気付いたかのように詫びて来た。
「先程我はこの家の周囲には魔物が近付けぬと言ったな?」
「言ったよ」
「そのことだが、正確には魔物が入って来た瞬間に罠が起動して奴らが侵入することが出来ぬのだ」
「罠だって!?」
ウェニアはこの家の周囲に魔物が近付かない、いや、近付けないのは魔物に対して罠が発動するからであることをを明かした。
「そうだ。
我らを襲った魔物の群れだが貴様が斬った魔物を除けば全てがその罠によって死んでいるぞ」
「え!?
君が……その……倒したんじゃないの……?」
『殺した』という言葉に抵抗感を覚えたことで僕は『倒した』という言葉にして魔物たちの死因がウェニアではないことを確認した。
「あの状況で貴様らを守りながら戦うのは難しいと考えて逃げただけだ」
「え……」
意外な事実に僕はさらに衝撃を受けた。
けれどもそれは先程感じたものとは異なるものだった。
「貴様もリザも我にとっては臣下だ。
守るのは当然の事であろう?」
「ウェニア……」
ウェニアは然も当たり前の様に語った。
王を名乗るのに相応しいと思えるほどに彼女には迷いが感じられなかった。
少なくても一度は誰かに見捨てられた人間にとってはウェニアのしてくれた行動に僕は心が救われている。
いや、一度だけじゃない。これで三度目だ。
最初の契約の時、リザと僕が交戦した時、そして、今回の魔物の群れとのこと。
彼女の行動で僕は十分報われている。
「……話を戻すぞ。
さらにもう一つこの森には奇妙な点があるのだ」
「もう一つ……?」
魔物が近付けないどころか魔物を殺すということが起きる時点で十分異常だけれどもこの森にはまだ他にも異常な点があるらしい。
「この森では魔法が使えぬ」
「魔法が……?」
ウェニアの口から出て来たのは今までの事とは接点がなさそうなことだった。
元々僕自身は魔法とは馴染みのない人間なのでそれが何処まで以上なのかと言われると説明しにくいけれどもウェニアの口ぶりからそれがかなり深刻なことである事は察することは出来た。
「この辺りに来た途端に「強化魔法」が突然消失したのだ」
「……消失?」
「そうだ。
魔法はあらゆる事象を操作し行使するものだ。
だが、「強化魔法」は違う。
これが解除されるなどあり得んことなのだ」
そういえば……
「強化魔法」は自分の身体にだけ作用するものだったはず……
未だにウェニアが感じた衝撃の大きさの意味は実感できないけれどもただ漠然としたイメージは湧いて来た。
ウェニアが教えてくれたことだが、魔術師同士の戦いは自然現象を自ら操作する人形劇みたいなものらしい。
あ、もしかすると「魔法」の解除って……
手術をするようなものなのか?
そもそも元素を操っている時点で魔法はかなり繊細な作業なのは理解できるけれども、それは魔法を使う人間にとっては当たり前の事らしいので医者が手術をするようなものらしい。だけど、「強化魔法」の解除は恐らく、血液中の物質一つ一つを操作するような困難どころか不可能なことなのだろう
「その様子だとこれがどういうことか理解できたようだな?」
「……なんとかね」
ウェニアの話した事実を本当は理解していないかもしれけれどもそれが信じられないことであるということだけは理解した。
ただ「強化魔法」は自らが使うことに関しては最も簡単なものだろうけれど、他者の者をどうにかするとなると最も難しい、いや、不可能なことなのだろう。
衝撃の重みは理解できないけどそれが自分の意思に関係なくかき消されたのだからウェニアが驚くのも無理はないのかもしれない。
「魔物も近づけなくて……魔法も使えないか……」
僕の世界にとっては馴染みのない二つの物事だけれども、この世界では当たり前のものが使えなくなったりするのはこの世界の常識的に考えると信じられないことなのだろう。
なんとなくそれだけはわかった。
「……あれ?」
ふと僕はこの世界にとっての非常識のことを考えていてふと気付いたことがある。
「なあ?
魔物は近づけないんだよな?」
「そうだ。
それがどうした?」
僕はウェニアが説明したリウンがこの森で一人で生きられる理由の一つであるこの家の周囲には魔物が近付けないことについて改めて確認した。
でも、それが本当ならばそこに致命的な矛盾が生まれる。
「……じゃあ、どうしてリザはここにいるんだ?」
僕が感じた矛盾。
それは魔物であるリザがこの場にいれるというウェニアの証言とは矛盾した状況だった。