第二話「手を伸ばす者、手を掴む者」
「ウェルヴィニア……だと……?」
その声が名乗った自らの名前に俺は混乱した。
―ほう?我の名を知っているようだな?
まあ、当然か……
この世で唯一無二の王とはこの我。
ウェルヴィニアしかいないからな!!―
声は僕が自らの名を知っていることに満足気にそう高らかに唱えた。
ウェルヴィニア。
その名については僕たちのことをこの世界に呼んだ連中が口々にした名前だ。
かつて、この世界の半分以上を侵略したかつてない支配者。
力なき民であろうと歯向かえば皆殺しにする悪逆非道の王。
たとえ、同胞の魔族であろうと逆鱗に触れれば容赦なく断罪する暴君。
勇者の母である「聖女」とは真逆と言ってもいいほどの悪徳の権化の双子の姉。
勇者に討たれた者。
そして、今、「五大魔王」と呼ばれる魔族を使役して復活しようとしている古の魔王。
つまりはゲームで言うラスボス的な存在。
うぅ……
この世界をゲームかなんかと勘違いしている連中と同じレベルの考え方とか……
情けなくて涙が出てくる……
クラスの何人かがなんかソーシャルゲームやオンラインゲームみたいなお気楽な気分でいたことから僕は自分の例え方に恥を感じた。
理由としては最弱の僕からすれば、この世界は何時でも命懸けだからだ。
そう言った経緯があって、僕はそう言った考え方に殺意すら湧く。
下手したら……僕もああなっていたかもしれないのか……
同時に僕は自分が連中と同じにならなかったことに安堵している。
この世界に来てから僕は力に溺れて狂っていくクラスの人間を見てどこか薄気味悪さすら感じていた。
もしかすると、僕を見捨てた幼馴染も彼らと変わらないのかもしれない。
彼女もまた自分は「持つ者」だと心のどこかで感じていたのかもしれない。
ただこれは僕の邪推に過ぎない。
だから、僕は自分が「最弱」であることに心のどこかで感謝してもいる。
しかし、悲しいかな僕のボキャブラリーでは魔王に対してはどうしても「ラスボス」と言う感じがしっくりしてしまう。
少なくとも、元の世界に帰還できてもゲームは二度とできない気がする。
……魔王だよな
僕は改めて語り掛けて来た魔王様に懐疑的になってしまった。
相手は魔王。
つまりは魔族の王だ。
そして、魔族とは詰まる所、悪魔みたいなもののはずだ。
……あれ?これ、やばくない?
今になって僕は先ほどよりも事態が悪化し兼ねないことになっているに気づいた。
僕は所謂、悪魔の親玉に「契約」を持ちかけられている。
冗談じゃない……!!
悪魔との契約なんて、それこそ死ぬよりもやばいって……!!
中二病的な知識ではあるけど確か悪魔と契約したら魂を奪われると言うのがお約束だ。
ただでさえ、死ぬと言うのにそれよりも辛い目に遭うなんて真っ平ごめんだ。
―おい、どうした?―
俺が返事を返さないことに訝しんだのか魔王が様子を訊ねて来た。
嘘だろ……
せっかく、救いの手が差し伸べられたと思ったら……
もっと最悪の事態に陥るなんて……
僕は今、極限の選択を迫られている。
死ぬか、死ぬよりも辛い目に遭うかもしれないと言う二択だ。
はいか、イエスか。と言う理不尽な二択どころじゃない。
これじゃあ、はいか、命よこせだよ。
「こ、断るっ……!!」
―何?―
僕は咄嗟に選択肢にない「NO」を選んだ。
基本的に臆病者な僕としては悪魔との取引なんてリスキーなことはしたくない。
―おいおい……貴様、そんなことを言ってられるのか?―
僕の拒絶の言葉に魔王は怒りもせず焦りもしなかった。
それどころか、煽ってくるように現実を突きつけて来た。
魔王の言う通りだ。今の僕にはその誘惑を断れる余裕なんてない。
だから、この魔王は僕を弄んでいるんだ。
何という性悪だ。
「うるさい!
確かに僕は命も惜しいけど、魂も惜しいんだよ!!」
小心者の僕はなけなしの勇気、いや、この場合はやけ気味に魔王の要求を断固拒否した。
―はあ?―
僕の怒鳴り声に魔王は戸惑っていた。
もしかすると、魂をもらうのは当たり前とか考えているのかもしれない。
「あれだろ!?助ける代わりに魂をよこせとか言うんだろ!?」
もはや自棄であることを隠さずに僕は想像していることを口に出した。
見っともなくても構わない。こんな事態になりふりなって構ってられるか。
そもそも僕の自尊心や尊厳なんかはこの世界に来てから既にないに等しい。
生きることと自由を守ることに何の罪がある。
―貴様、何を言っている?―
僕の醜態は魔王に呆れられた。
まさか、これも演技なのか。相手を最後まで追い詰めて自分にとって有利な状況を持って行く。
魔王式契約術とも言うのか。
僕がそんな魔王の言動に警戒を強めようとしている時だった。
―大体、なんで魔族の貴様がそんなことを気にする?―
「……は?」
なぜか魔王にも僕はそう言われた。
その瞬間、僕の頭に思い浮かんだのは
『何じゃこやつは!?
魔力だけありおって!!』
『魔物の類に違いない!!』
『そうだ!そうだ!』
あの大広間で僕を罵る王国の連中だった。
あの日、あの時、僕の人間としての尊厳は奪われた。
「……お前も僕のことをそう呼ぶのか?」
王国の連中と同じでこいつもそう言った。
魔力の高い奴は問答無用でこの世界では「魔族」と呼ぶらしい。
かなり不愉快だ。
この世界では魔法を使うのになぜかそのエネルギーである魔力を忌避し魔力をコントロールできない人間を忌み嫌うらしい。
この世界に来てから僕はそのためにまるで化け物のように扱われた。
みんなが豪勢な歓迎をされる中、僕は貧相な寝床や食事もパンと水、衣服もボロボロなものだけしか与えられなかった。
それどころか、それすらも僕に与えるのは惜しいと言うばかりに。
さらには差別や暴力、罵倒なんて日常茶飯事だ。
そこにクラスの一部は僕にいじめ、いや、いじめなんて言うのは名前だけで暴行を加えて来て、他のクラスの面々は見て見ぬふりをしていた。
最早、同情すらも僕にとっては惨めさを深めるものでしかなかった。
そして、最後にはどこか心のどこかでまだ信じたかったクラスの友達や幼馴染にも裏切られた。
裏切るなら最初から捨ててくれた方がまだ幸せだった。
なんで僕だけがこんな目に遭わないといけないんだよ……
僕はただの人間だ。
それだけが僕に残された唯一の尊厳だと信じている。
それを否定するならたとえ、相手が誰であろうと許さない。
―……!
貴様……まさか、人間なのか?―
魔王は今まで感じさせないほどに驚きに満ちた声で僕に語り掛けて来た。
僕はそれに
「ああ……!!そうだよ……!!」
忌々しさを込めて確かに言ってやった。
僕は人間だ。ただそれだけでも高らかに叫びたかった。
―なるほど……ならば、仕方ないか……―
俺の訴えに魔王は諦めたらしい。
だが、それは同時に僕の生命も終わったことを意味する。
自分でも愚かな選択をしたと思う。
死んで咲く花なんてない。
それが僕がこの世界で学んだことだ。
僕みたいな凡人で世界にとってどうでもいい存在なんて結局の所は代わりがいる。
ごめん……父さん、母さん……親不孝でごめん
風香……情けないお兄ちゃんでごめん……
内心、僕は家族に詫びた。
どれだけ苦しくても僕が自殺しなかったのは家族と再会するためと育ててくれた両親にまだ親孝行もできていないからだ。
僕は目の前で一時的に止まっている死を受け止めようとした。
そんな時だった。
―よかろう、我との契約を果たした後の貴様の自由は保障しよう―
「……え?」
魔王はそう言った。
―我ら魔族と異なり儚き生を歩む人間ならばそう望むのも無理はあるまい―
魔王はなぜか一人で納得しだした。
―だが、安心しろ。
我はそう言ったことも許容する。
貴様が契約を果たすのならば問題あるまい―
魔王は一方的に言った。
「ちょっと待てよ……!
意味が解らないんだけど……」
魔王のいくら何でもこちらにとって都合の良過ぎる申し出に僕は困惑してしまった。
―む?こんなことも理解できぬほどに貴様は頭が回らないのか?
それでは先が思いやられるぞ?―
魔王は僕の反応に対して小馬鹿にしたかのように言ってきた。
狙って言っているのかすらも分からない。
ただこれが素ならば、僕とこの魔王の間には価値観の隔たりがある。
「い、いや……言っている意味は解るんだけど……」
僕は消極的に言った。
魔王の言っていることの内容は分かる。
それは確かだ。
―ならば、迷うことはあるまい。
我と契約しろ―
「いやいや!?そう言われても……!?」
契約を迫る魔王に僕は慌ててしまった。
確かに僕としても魔王の出した条件はありがたい。
だが、相手は魔王だ。
それ以前に僕は相手が魔王であろうと、魔族であろうと、王様であろうと、人間だろうと甘い話を持ってくる人間には警戒してしまう。
信用したら裏切られる。
それがたとえ、長い間一緒にいた友人であろうと同じことだ。
なら最初から信用などしない方がいい。
ましてやこちらの命が懸かっているのだ。
慎重になるのも仕方ないと思う。
―貴様、さては我を信用していないな?―
「いっ!?」
魔王は僕の考えていることなどお見通しとも言うべきかそう言ってきた。
「いや……その……」
返答に僕は困った。
一応、命は惜しいけどそれと同時に相手に失礼な態度を取るのはどうかと言う僕のかけなしの良心が囁いてくるのだ。
命が懸かっていると言うのに我ながら小心者過ぎると思う。
―貴様、我を侮辱するつもりか?―
「え!?」
魔王の問に僕は焦った。
相手は魔王だ。
怒らせると何をされるか分からない。
もしかすると、それこそ僕が恐れていること以上の事態に陥る可能性もあり得る。
「えっと……僕は……えっと……」
一体、僕は何をしたいのだろうか。
生き汚いし、代償のあることはしたくない。
そんな都合のいい話なんかないはずなのに僕はどこかでそれを求めている。
裏切られたのにも関わらず、どこかで信頼できるものを望んでいる。
情けない男だ僕は。
自分の優柔不断さが嫌になってくる。
―安心しろ―
「……?」
そんな自己嫌悪に襲われている時だった。
その声は穏やかに語り掛けて来た。
―約束は守る―
「………………」
自然と僕はその声に耳を傾けていた。
そんな言葉など信じるべきじゃないのは確かだ。
信じられないはずだ。
―なにせ、我は魔王だからな―
だけど、そのどこか誇らしげに語る声だけが僕の頭に満ちた。
―契約は成立と言うことか?―
「あ……」
自分でも驚いた。
無意識に手を僕は伸ばしていた。
全て信じないと決めたばかりだったのに僕は手を伸ばしてしまっていた。
そして、手を伸ばした先の宙はどことなく暖かった。
ああ……そうか、僕は……
僕は自分のした行動を認識してあることに気づいた。
誰かに助けて欲しかったのか……
自分の弱さを悟った。
本当は誰かに助けて欲しかった。
見っともなくとも助けを乞いたかった。
それなのに僕は誰も信用しなかった。
裏切られると勝手に思い込んで。
見捨てられると思い込んで。
自分の弱さをさらけ出すことが怖くて。
それは本当のことでもあった。
だから、今回も同じだと諦めていた。
元々強がっていたこともあるけど本当に裏切られてもう誰も信用できないと心に決めていたのに結局、僕は助けを求めてしまった。
魔王は無理矢理に僕に語り掛けて来た。
僕の事情など知ったことかと。
完敗だった。
魔王は僕の心の弱さに気づいた。
そして、僕に手を差し伸べた。
―貴様の命、我が確かに預かろう―
その声は宣言した。
この時から僕の命は他人のものとなる。
これからどうなるのかは不安だった。
けれども、なぜか怖くなかった。
何よりも僕は生きたいと思っていた。
死にたくないと。
もう一度、家族と会いたいと願った。
だからこんなところで死んでられない。
そんなことさえも僕は忘れていた。
諦めていた。
魔王の語り掛けて来た言葉はなぜか僕を動かした。
魔王の言葉には絶対的な自信があった。
そこに縋ってしまうほどの魅力があった。
それが今の僕にとってはどうしても欲しいものだった。
「あっ……」
次の瞬間、僕の差し出された手を握るかのように何かが僕の手を包み込んだ。
それはとてもあたたかくて安心できるようなものだった。
「……!?」
そんな束の間の安心感を覚えた直後だった。
僕は強烈な虚脱感に襲われた。
それは何かが僕の身体から抜けていくような感覚だった。
―確かに対価はもらったぞ―
「……対価?」
その言葉に僕は一瞬、『また騙されたのか?』と言う疑念が湧いたが
―ああ、魔力は確かに頂いたぞ―
「……あ」
魔王が求めていたものを思い出して僕はその考えがどこかへ消えて去った。
そうだった。
魔王は元々、僕にそれを求めていた。
いや、それだけじゃない。
魔王が求めていたものがもう一つあった。
「……これは?」
気が付くと僕の周りに青い炎が何体か舞っていた。
それらは最初少なったが、次々と増えていき僕を囲むように円を描いた。
さらにそれらは二重三重と重なっていき、さらに増えていくとある一定の法則で一つの列に並んでいき十二時の方向全てを貫いた。
それらが何か特殊な炎なのかは明らかだ。
ただ怪奇現象とも言える光景なのにそれらはとても綺麗だった。
「……え?」
僕が周囲の幻想的な光景に目を奪われていると僕の差し伸ばした手に新しい感覚が訪れた。
訪れたのは先程の暖かさではなく、人肌のようなぬくもりだった。
僕が目の前を見るとそこには
「……手?」
僕の手を握るかのようにして手が現れていた。
「どうした?そんな顔をして」
「……!」
先ほどまで聞こえて来た声がした。
だけど、それは手に訪れた感触と同じように明らかに先ほどまでと違っていた。
それはまるで目の前から聞こえてくるようだった。
僕はその声に釣られるままに前を眺め続けた。
すると、徐々に右手から右腕、右腕から右肩へと僕の手を握った存在の姿が露わになっていく。
「……なっ」
その全容を目にして僕は絶句してしまった。
それは存在の現れた方に対してではない。
そんなもの既に慣れてしまった。
「いつまで呆けている」
「………………」
僕はその声の通りに呆然としてしまっていた。
「やれやれ……
これではこの先が思いやられるぞ」
僕は目の前の呆れられている存在に目を奪われてしまった。
僕が目にしたものはとても美しいものだった。
それはまるで闇夜を纏っているかのような漆黒のコートを羽織、その中には星空を彷彿とさせる紺色のドレス、それら二つの夜空に覆われながらも輝くドレスの肩から露出した白い肌は月の様に見えた。
そして、それら全てを無下にしない艶やかな黒髪は腰まで続きどこか優美さを感じ、まるで宝石のような赤い目は怪しい輝きを秘めながらもどこか優しさを感じ、その二つの宝物を完全な一つの芸術として完成させた女性の顔に僕は見た。
そいつは、いや、彼女はとても美しかった。
周囲の青い炎が揺らめくことで作り出す薄暗さすらも彼女の輝きをただただ引き立てるのみだった。
あまりにも暗いはずなのになぜか眩しく思えた。
「さて、新たな我が覇道に集いし臣下との契約を果たすとするか」
そう言って彼女は、いや、魔王は僕の手を離して後方の大トカゲを方を向いた。
既に僕は契約してしまった。
魔王が求めた対価の一つ。
それは魔王の臣下となることであった。
「臣下よ、よく聞け」
魔王は背を僕に向けながら
「我が名は魔王、ウェルヴィニア!!
世界を手にする唯一の王ぞ!!」
尊大にもそう言った。