第二十一話「束の間の安息」
「全く……
ようやく、気を失ったか……」
先ほどまで「魔力」を拓いたことで激痛に苛まれていた今世における初めての臣下が気を失ったのを確かめて我は少しばかり、肩の力を抜いた。
「やれやれ……
起きたら、恨み言の一つや二つは許すぞ?」
当初は少しずつ魔力を拓くつもりだったが、まさか迷宮ではぐれた挙句、魔物に襲われ戦闘となり、信じられないことに自らを殺そうとした魔物の命乞いを行い、さらにはその魔物と一緒に旅をすることになったことで最初から膨大な魔力が必要となってしまった事でこの結果になってしまった。
「貴様も自らの命にはこれだけの重さがあると思えよ?」
「キュル……」
気を失ったユウキのことを心配した奴が「リザ」と名付けた魔物は傍に寄り心配そうにユウキの顔を覗き込んだ。
今、ユウキの受けている苦痛はこの魔物を救うために使った魔力の浪費によるものだ。
「しかし……我を『馬鹿』呼ばわりか……
初めてだな、そのような奴は……」
ユウキが恐らく、照れ隠しで言い放った『馬鹿』の言葉に我ははっきり言えば、衝撃を受けた。
それは我を罵倒する言葉としては初めて受けた類のものであったからだ。
「それに我を本気で心配するとは……
熟々、よくわからん男よ」
それ以外にもユウキという男はよくわからない男である。
我が駆け付けた際に我が怪我をしていないのかと本気で気に掛けて来た。
あの程度のことは魔力の行使を多少制限しなくてはならなくとも我にとっては他愛のないことであるのにも拘わらず、我のことを心配したのだ。
『ごめんなさい……!
ごめんなさい……!お姉ちゃん……!』
「………………」
我を気に掛けたのは双子のレセリアと我が師と我が最も信頼したかつての臣下である彼奴ぐらいだろう。
いや、あの三人ならばその理屈はわかる。
生前、我が家族同然に心を許していたのはあの三人ぐらいであった。
レセリアとは生まれた時か一緒であり、師には親から捨てられた際に拾われてから一緒に生き、彼奴とは彼奴を拾った時から弟同然に接していた。
付き合う時間が長かったからこそ、我はあの三人が我を気に掛けた理由も理解できた。
けれども、ユウキは違う。
「何故、お前は我を……」
この男は我と出会った間もないのに我を気に掛けた。
この魔王である我をだ。
我を恐れる者、憎む者、崇拝する者、辱める者は多くいた。
故に我を気に掛ける者など初対面の者などは今までいなかった。
その為、我は戸惑ってしまったのだ。
その様な感情をどう受け止めればいいのかわからない。
「……『馬鹿』に対して、少しではあるが腹が立ってしまったのは何故だ……?」
そして、我は他人に罵倒を受けた際に初めて腹が立ってしまった。
『馬鹿』などといった言葉は我が受けてきた罵倒などと比べれれば些細なものだ。
所詮は子供騙しに過ぎない。
それなのに何故、我はこうまで腹が立つのだろう。
「……いや、『ウェニア』と呼ばれることに対して、我ながら子供めいた期待をしていたのであろうな……」
考えられるとすれば、あの時、我は「ウェニア」と呼ばれることを少し楽しみにしていた。
恐らく、臣下から畏敬を込めて『ウェルヴィニア様』と呼ばれることにも、敵から憎悪を込めて『ウェルヴィニア』と呼ばれることにも我は疲れていたのだろう。
『ウェニア』と言う名も最愛の妹は既に亡く、母同然に思っていた師と袂を分かち、最も信頼していた臣下からは立場の違いから呼ばれることはなくなった。
その思い入れのある『ウェニア』という名を私は誰かに再び呼ばれたくて、ユウキにそう呼ぶことを求めていたのかもしれない。
ただの代償行為だ。
「我ながら女々しいな……」
私のことを「ウェニア」と呼ばせることには確かに人間たちとの無用な諍いを起こさせない目的もある。
それでも心の何処かで生まれてしまった虚しさを埋めようとしていることを否定できない。
「魔王と言えども、人としての脆さは残っていたか……」
一度死んだことで我は完全に人としての情を捨て去れたと考えていた。
既に人恋しさなども感じないとも感じていた。
それなのに私は再び人との繋がりを求めてしまった。
「キュー……?」
「ん?どうして、リザ?」
物思いに耽りそうになった我に対して、リザが顔を向けてきた。
それはまるで夕暮れの海で迎えてくれるような海鳥の鳴き声と同じ様な心地良さがあった。
「我を気に掛けているつもりか?」
まるで我の切なさを感じていて我を慰めようとしてくれている様だった。
「愛い奴だな、貴様は?」
その仕草を見て邪念が感じられず我はリザの首の下に指を入れてそのまま喉をそっと撫でた。
「キュー……」
それを受けてリザは少し複雑そうに泣いた。
それは我のしている扱いに対して反発しているのと、撫でられることに心地よさを感じているのだろう。
「……貴様もしばしの辛抱だ」
「キュ?」
その仕草を見て我はそう言った。
「ユウキ……
強くなれよ?貴様が救ったものを最後まで守るためにな……」
再び我は意識を失っている勇気の方へと視線を向けて本人には聞こえていないと理解しながらもそう告げた。
レセリア……
愛しいお前と違うが、お前とよく似た人間に千年の時を越えて出会えたよ……
優しき心を持ち、他者を傷つけるのも傷つくのも恐れ、生命の重さを直視出来る最愛の妹とよく似た人間と千年の眠りを終えた直後に出会えた。
運命というものに初めて感謝するよ……
私は……
少し、小生意気で後ろ向きでレセリアと比べればそこまで高尚ではないけれども、恐らく、この狂った世界の中で育たなければレセリアもこの男と同じ様に育っていただろう。
そう考えると、我は嬉しくもあるが、悲しくもあった。
……平和な世で育った此奴を果たして、争いに巻き込んでいいのだろうか……?
王としては一人でも臣下は多い方がいい。
しかし、自らの生命を狙った者、しかも魔物でさえも殺めることに抵抗感を抱くこの男を果たしてこのまま我の野望に巻き込んでいいのだろうか。
我は生前、忠誠により刃となる者、憎悪によって鬼となる者、天性の素質のまま獣となる者を率いて世界を壊そうとした。
その方が効率に優れると思っていたからだ。
……だが、ユウキは違う……
ユウキは平和な世界で生まれ育ち、尚且つどこまでも心を持ち続ける。
何よりも
『うっさい!!
どうせ、お前を一人で戦わせてたら後悔するよ!!
絶対に……!!
だから、戦ってやるよ!!』
我を見捨てられずに戦いを恐がっているにもかかわらず、戦うことを選んだ。
その様に優しい心を持っているのだ。
そんな人間を果たして、戦いに巻き込んでよいのかと我は本気で悩んでいる。
……レセリアに似た者を戦わせることにこれ程までに心が揺らぐとはな……
そもそも、この血塗られた身の分際でこの様な感傷に浸ること自体が烏滸がましいことだろう。
我が通った跡には敵も味方もそうではない者たちの血の河が流れ、屍の山が築かれ、怨嗟と嘆き、憎悪の声で空が覆われた。
それなのにたった一人の人間を悪鬼に道へと誘うことにこうも躊躇するとは身勝手にも程があるだろう。
「……お前は私の様にはなるなよ……」
既に千年の時が経ち、あの誓いの意味は失せてしまいながらも、軍も国も民すらもかつての魔王でありながらも我は再び世界を手に入れようとしている。
未だに我を突き動かすのはあの誓いと母に愛されずとも憎まれたいという意地であろう。
その姿は余りにも滑稽で歪だろう。
既に野望とすら言えない意地を張り続けていながらもユウキには我と同じ様な道を辿って欲しくなかった。
「私と共に来るのならば、私の様に心を揺るがすな……」
ユウキは優しい。
それはリザや我のことで把握できている。
もしかすると、ユウキは自らを見捨てたかつての仲間たちのことすら憎みきれないのかもしれない。
故にその優しさで我が自らを滅ぼしたかのようにユウキが同じことを繰り返すことを我は危惧している。
優しさも度が過ぎれば甘さとなる。
我はテロマを殺せなかった。
彼奴がレセリアの息子であり、我が甥であったことから殺すことが出来なかった。
その為に我は自らを信じた多くの臣下たちを失った。
最期まで我の為に戦った者もいれば、愛想を尽かした者もいた。
そして、最後には己の命すらも失ってしまった。
「貴様がどう生きていくのか……
見させてもらうぞ」
我はユウキが命を奪った後が愉しみだと言った。
その言葉に噓偽りはない。
我はユウキが「死」に対して、どう向き合うのかが知りたくなってしまっている。
「だが、今は休め」
けれども、今は意識を失い、痛みから逃れるユウキに安息を取らせてやりたかった。
いや、それだけではない。
恐らく、信じていた者たちに捨て石にされたことでユウキの心は傷ついている。
それに大トカゲを殴った際の罪悪感も心労となっているだろう。
何よりもユウキを呼び出したとされる王国の者達による迫害からの傷もあったのだろう。
だから、今はそれらさえも忘れて一時の安らぎを与えてやりたかった。
「よく頑張ったな……」
私は聞こえていないであろうが、そう言いたくて言った。
漸く、第一章終了です。
長かった……




