第二十話「名前と人でなし」
大トカゲを何と呼べばいいのか困り、僕は右往左往してしまった。
大トカゲは僕たちに付いてくることになり、そして、魔王は大トカゲが僕たちに負担をかけさせたり、大トカゲが人間に警戒されないように小型化した。
しかしだ。
僕は肝心なことを忘れてしまっていた。
僕は大トカゲの名前を知らなかったのだ。
これはかなり深刻な問題だ。
これから共に旅をすると言うのに、その旅の仲間の名前も知らないなんて非常に困ってしまう。
どうすればいいんだ……
「おい、どうした?」
僕が途方に暮れそうになっていると魔王が僕の様子にしびれを切らしたのか訊ねて来た。
「い、いや……
その……こいつのことを何て呼べばいいのか分からなくて……」
「何だと?」
僕の悩みを聞くと魔王は意外そうな顔をした。
この反応は仕方ないと思った。
そもそも、名前というものは呼ばれるためにあるようなものだ。
本来なら襲ってくるだけの魔物である大トカゲには必要ではなかったはずだ。
けれど、仲間となったことで初めて必要になったのだ。
この世界に来てから、色々なことの大切さが身に沁みるよ……
この世界に来てから、僕は平穏の大切さは当然ながら元いた世界で当たり前であったことや、一見すると無価値であると思ったものが実はとても大切なものであったことを理解しそのありがたみを痛感させられている。
「……名を訊ねてみれば、どうだ?」
「え?」
「貴様は其奴の言葉が解かるのだろ?
ならば、訊けばよいだけの話ではないか?」
「あ、そっか……」
魔王に指摘されて魔物と会話できることを使えばいいだけのことを思い出した。
こんな時こそ、僕の出番だ。
「えっと、君て名前はあるの?」
「キュル……?」
―名前……?―
僕はなるべく高圧的にならないように片膝をついて目線を低くしながら、先ず名前があるのかを訊ねた。
すると、大トカゲは僕の問いかけに不思議そうに首を傾げて、心なしか僕に響いてくる声も実際の鳴き声も愛嬌のあるものだった。
……あ、割とは虫類も可愛いのかもしれない……
今の大トカゲの仕草に割ときゅんと来るものがあった。
よく考えてみなくても、大きかったころの大トカゲもどこか大型犬染みたところもあったし、それが小さくなったのだから、小動物的なものになるのも無理はないのかもしれない。
「キュル……」
―分カラナイ……―
「……え」
僕が和んでいると大トカゲは悲しそうな声をあげ『分からない』と答えた。
「『分からない』って……」
「キュル……」
僕が確認しようとすると大トカゲは落ち込むように俯いた。
それは申し訳なさと悲しみが込められているようにも思えた。
「……やはり、こうなるか……」
「……?どういう事だよ?」
この状況を見て魔王は何か覚ったようにしていた。
まるで、予めこの展開が読めているようにも思えた。
「たまに魔物から魔族になったばかりの物に名を訊ねると、名を知らない者が多くいるのだ。
もしかすると、魔物になった者や魔獣は名前の概念を知らないのかもしれぬな」
「……「魔獣」……?」
「……魔物と魔物との間に生まれた魔物のことだ。
野生の獣のようなものだ」
「そういう種類もいるんだ……
でも、それだと困るな……」
魔物の生物学的体系の新たな知識を得ることになったが、今はそれよりも大トカゲの方だ。
どうやら、魔物は魔族になっても名前を知らないらしく、魔物には名前がないに等しいらしい。
これは本当に困ったことになった。
どうすればいいんだろうか。
「はあ~……仕方ない。
貴様が付けてやれ」
「……え?」
自体が膠着しようとした時、魔王は突拍子のないことを言ってきた。
「名前がないのならば、付けるしかあるまい」
「い、いや、そんなペットじゃあるまいし……」
「……何だそれは?」
「えっと……可愛がるために飼う動物の事だけど……」
「お前みたいなものか?」
「それ、どういう意味だよ!?」
「決まっているだろう。
要するに愛玩動物のこと言うのであろう?
愛でるための動物ならば、広義的に人間も入るだろう。
だから、貴様もその『ペット』とらやらでいいではないか?」
「そんな理屈が通ってたまるか!?
と言うか、広義的にとらえ過ぎだろ!?
ペットに人間は含まれない!!」
「なんと……!
人間は含まれないのか……
ふむ、意外だな」
「いや、僕からしてみれば人間相手にそんな風に言えるお前の方が驚きなんだが!?」
大トカゲに僕が勝手に名前を付けることに抵抗感を感じていてつい口走ってしまったカタカナ語の『ペット』の定義を教えた結果、曲解か言葉足らずかはわからないけど魔王は僕のことをペット扱いしそうになった。
これが僕の世界ならばも色々な意味で危うい発言になる。
魔族の王であることから出てきてしまった人間と言う違う種族に対する見解なのだろうか。
いや……人間であろうと魔族だろうと自分が守る民だとか主張しているし……
恐らく、それはないだろうな……
ただ僕は魔王の王としての在り方から仮令僕が魔族であろうと魔王はそう言っただろうと察した。
恐らく、これは動物という概念をただ広げてしまっただけだろう。
そりゃあ、人間は猿から進化した生き物だから動物と言えば動物だけど……
ダーウィンの進化論的に人間が猿から進化した動物なのは証明されているけど人間を動物扱いはヤバいだろう。
人間をただの動物扱いにしたら、それこそ人権とかの概念が崩壊する。
動物の世界では弱肉強食が当たり前で群れの中に在る程度の決まりはあるにはあるけど、基本的に弱者は淘汰される法律の概念すら存在しないことから人間がただの動物でしかないと開き直れば強者しか生きられない社会になりかねない。
割と真実や真理という存在は人間の根底や根幹を揺るがしてしまうものなのかもしれない。
「まあ、いずれにせよこのままでは埒が明かない。
早く、其奴に名を与えてやれ」
「本当に強引だな……」
もう面倒臭くなったのか、魔王は僕の遠慮を視野にも入れず、大トカゲに名前を付けろと言った。
て、言っても……
名前て……う~ん……
仕方なく名前を付けようとするも、僕は惑ってしまった。
名前は一生もので大切なものだ。
それを適当に付けるのは失礼だろう。
「う~ん……
トカゲだし……それ関連の名前がいいかな……?」
「ガル……?」
悩みながら僕はそれを口に出すことで自分を後押ししようとした。
安直な名前を付けるのは相手を軽視しているようにも感じるが、だからと言って関係のない言葉を名前の由来にするのも相手に対する思い入れがない気がする。
「「リザード」……はどうかな?」
僕は自分の世界での英語でトカゲを意味する「リザード」を例に出してみた。
この世界では英語は意味を為さないのでちょうどいいと思っていると
「キュル……!!」
―ヤダ……!!―
「……え?」
大トカゲはなんとそっぽを向いて拒絶の意を表した。
その光景を目にして僕は
「『やだ』って……
もしかすると、名前を勝手に付けられるのが嫌なのか……?」
思考停止に陥りそうになりつつもすぐに確りと意識を戻して、大トカゲにその訳を訊ねた。
やはり、大トカゲにもプライドがあるのだろう。
ニックネームなら未だしも殆ど本名に等しい名前を他人にペット感覚で付けられるのは我慢ならないのだろう。
しかし、困ったことになった。
このままだと、僕たちは一体、こいつのことをどう呼べばいいのだろうか。
完全に袋小路に行き止まったと思った瞬間だった。
「キュルル……!」
―可愛イ名前ガイイ……!―
「……は?」
大トカゲが妙なことを言った気がした。
いや、今のは聞き間違いの筈だろう。
「……えっと、ごめん。
今、なんて言ったんだ?もう一度教えてくれないか?」
「…ん…?」
「キュル……キュルル……!」
―ダカラ、可愛イ名前ガイイ……!―
「はあああああああああああ!?」
「な、なんだ?
どうしたんだ?」
どうやら聞き間違いでもなかったらしく、大トカゲは『リザード』という名前を嫌がったのは可愛くないからという理由だったらしい。
しかし、それはいくら何でもおかしい。
なぜ、弱肉強食の世界で生きていそうな魔物が可愛さに拘るのだろうか。
明らかに不自然だ。
そんな、女の子じゃあるまいし……
年頃の妹や裏切られたとはいえ幼馴染の女友達がいたことからある程度は僕も女の子が「可愛いさ」に割と目聡いのは知っている。
だからこそ、僕は目の前の大トカゲの考えが読めなかったのだ。
ま、まさか……
そんな風に大トカゲが何故、「可愛さ」に拘るのかと考えようとした時だった。
僕の頭にある考えが過ぎった。
「……なあ?
もしかすると、君て人間だったのか?」
「キュル……?」
―エ……?―
そんな反応を見て僕はまさかと思いながらも訊ねた。
弱肉強食の世界で可愛いという概念が育つとは考えられない。
そもそも「可愛さ」というものが野生動物に通用すれば、ハムスターや蝶は食物連鎖から外れるだろう。
なのにこの大トカゲは自然界においては意味を為さない「可愛さ」を求めた。
「可愛さ」を求めるとすれば人間ぐらいだろう。
まさか、女の子だったんじゃないよな……?
しかも、『可愛くないから嫌だ』というのは女の子染みている理由だ。
それに僕は人間も魔物になることを知ってしまった。
となると、大トカゲは元人間でなおかつ、女の子だった可能性もある。
僕が大トカゲの答えを待っていると
「キュー……」
―分カラナイ……―
「あ……」
大トカゲは物悲し気に鳴いて分からないと答えた。
その哀愁を漂わせる大トカゲの反応に僕は魔王が先ほど言っていたあることを思い出し、自分の迂闊さを感じた。
「……魔族になっても、思い出せないと言うことは……
魔物になった時点で記憶を失ったということか……」
僕の思い出したことに対して、魔王は魔物の記憶について更なる考察をした。
魔物から魔族に進化した者には以前の記憶が存在しないと魔王は語ったが、今回のことでそれは魔物の時に失われていたという事実が判明した。
そう言えば……こいつは『憎い』としか、感情を持っていなかったよな……
今は大人しくなったが凶暴な状態であった大トカゲは憎しみの感情だけで動いていた。
もしかすると、その憎しみのせいで記憶を失ってしまったのかもしれない。
「……キュル……」
ー……寂シカッタ……ー
「寂しかった……?」
記憶を失ったかもしれない大トカゲに対して複雑な気持ちに浸っていると、大トカゲは自らの感情を漏らし、その感情の吐露に僕は耳を傾けた。
「キュルルルルルルル……キュルルルルルル……
キュルルルルルルル、キュルルルル?キュルルルルルルルルルルルル……
キュルルルルルルル……」
ー最初ニ感ジタノハ……一人ボッチノ寒サダッタ……
誰モイテクレナクテ、ドウシテ苦シイノカ?ト考エテイルウチニ全部が憎クナッタ……
ソレダケハ覚エテル……ー
大トカゲの切なそうな鳴き声と共に流れて来る大トカゲの告解に僕は胸を締め付けられた。
僕と同じだ……
大トカゲが憎しみを抱いた過程が僕には痛いほど理解できてしまった。
それは同じ悲しみと苦しみを知っている者同士としてだ。
あの冷たくて暗い世界に一人でされて、全てを恨みたくなるのはクラスの連中どころか、友達にすら捨てられた僕も同じ気持ちになってしまったからだ。
だから、その孤独で受けた傷付いた心を知った僕は
「……リザ」
「キュル……?」
―リザ……?―
「何……?」
その苦しみを少しで癒したいと願い、大トカゲをそう呼んだ。
きっと、こいつに襲われて命を落とした犠牲者やその家族や友人、恋人は許さないと思う……
それでも、僕はこいつを助けたい……
それが偽善であっても……
一歩間違えれば、自分も大トカゲの犠牲者の一人になっていたことを考えれば身勝手な考えだと思ったが、同じ苦しみを感じた僕はそれでも大トカゲを助けたいと願った。
「……君の名前だよ。
リザードは『嫌』って言ったから、少し可愛らしく「リザ」て名前にさせてもらったんだけど……
ダメ……かな?」
我ながら安直過ぎる名前だと思った。
けれど、一刻も早く大トカゲの孤独を癒したいと思って衝動的に呼んでしまった。
ただそんな風に思い付いた名前だから嫌がられると思ったが
「キュル、キュルル」
―ウンウン……―
「……え」
大トカゲは頭を横に振り
「キュルルルル!!」
―嬉シイ!!―
「……!」
喜びを露わにした。
「そうか、よかった……」
その姿を見て僕も嬉しかった。
僕がしたことでこいつの心が少しでも癒させたというのならば自己満足でも僕は構わなかった。
「じゃあ、リザ!
一緒に行こう!」
僕は大トカゲ、いや、リザに向かって改めて一緒に旅に出ることを呼びかけた。
ようやく、彼女(?)の名前を呼びながら、声をかけられることへの喜びが僕を突き動かしたのだ。
「……キュル!」
―……ウン!―
僕の呼びかけにリザはこれまで以上に嬉しそうに応じた。
本当の意味でリザと僕は心を通わせられた気がした。
いや、それが実感を帯びたと言うべきだろう。
そして、同時に僕は思った。
「……そうか。それが此奴の名か」
魔王は僕がリザのことを今付けた名前で呼ぶとそのことに対して、感慨深そうに受け止めた。
「ああ……」
「後でその名前の由来を聞かせろ。
それと、「ファックス」やら、「カバン」やら、「バリア」のこともな……
気になる」
「あ、うん……
色々と教えられる限りは教えるよ……
あはは……」
どうやら、僕がどうやってリザの名前を名付けたのか気になったらしく、「リザ」の名前以外にも僕が今まで口に出した所謂、カタカナ語にも興味を持ったらしい。
その様子は少し素直じゃない子供がおねだりをしているようにも見えた。
僕は魔王の要望にか全て応えられるかわからなかったが、なるべくなら叶えようと思った。
……やっぱり、勉強って大事だよな……
誰かに物事を訊ねられているのにそれに応えられないのは少し申し訳なさを感じてしまう。
それにこの世界では日本語以外は通用しない。
それは英訳等の知識や意味、由来を知る機会を永遠に失ったに等しい。
……日本語が自分の国の言葉なのに、外国語の方に切なさや愛おしさを感じるなんて……
複雑だな……
故郷に帰りたい気持ちを感じるのならば、本来ならば日本語に思いを馳せる筈だ。
それなのに僕はむしろ、外国語の方に元の世界の繋がりを感じてしまっている。
不思議な気持ちだ。
「……いや、教えさせてくれないか?」
「……何?」
「……忘れたくないんだ…」
「………………」
きっと、このままだと僕は外国語やそれ由来の和製英語を忘れてしまう時が来る。
人は物事を意識しなかったり、使ったりしなかったら忘れてしまうものだ。
それは嫌だ。
今、僕に存在する元の世界との繋がりは今来ているボロボロの制服と言葉だけだ。
だから、僕はその言葉を忘れたくないから、魔王に教えることで自らも忘れないようにしたかった。
そして、何故国語が大事なのかもわかった。
言語には何かしらの自分たちの生きた故郷との繋がりが存在している。
それらを教えていくことこそが国語の大切な一面なんだろう。
僕の場合は外国語やカタカナ語ではあるけど、それでも「世界」と言う大きな括りを故郷として位置付ければ、十分故郷の言葉に入るだろう。
言葉がこれ程までに大切で切ないものとは思いもしなかった。
「……そうか。
なら、教えろ」
僕の頼みを受けて魔王は傲岸不遜に命令して来た。
「貴様は故郷への想いを想起するために、我は無聊を慰める一端として知識を一端として知識を共有していく。
互いの利益の一致として悪くない取引だと我は思うぞ?」
「お前……」
「言っておくがな。これはあくまでも取引だ。
それも対等のな。
それに我は貪欲であるぞ?
お前が嫌になっても訊くつもりだ。
後悔するなよ?」
「……ああ。
その……ありがとう……」
魔王は憎まれ口なのか、本気でそう思ったか故の発言なのか、僕が知っている知識を知ることを「取引」だと称して求めて来た。
「ウェニアだ」
「……?」
ふと魔王はそう呟いた。
「……『ウェニア』……?
何だよ、それ?」
魔王が何を言いたいのか分からず、思わず僕は訊ねてしまった。
「……我のことはそう呼べ。
特別に許す」
「……え?」
魔王の思わぬ命令に僕は戸惑ってしまった。
「……?どうした?」
「……い、いや……いいのか?」
「何がだ?」
信じられないことに僕は確認してしまった。
「いや、だって、そんな気安く……
本名じゃない仇名で呼べって……」
魔王はつまり、名前、いや、この場合はそれどころかニックネームで呼ぶことを許した。
それは明らかに王を名乗るこの女としては考えられないことだ。
何よりも僕とこいつとでは男女の違いがある。
名字ならともかく、異性を名前で呼ぶのは一応、幼馴染の鈴子で慣れているとはいえ、恥ずかしい。
「はあ~……
貴様は阿保か?」
「な、なんでだよ?」
そんな風に僕が戸惑っていると魔王は心底呆れだした。
「よく考えてみよ。
我の名前は何だ?」
「……え?
えっと、それは……『ウェルヴィニア』―――
―――あ!?」
魔王の指摘に僕は魔王、ウェルヴィニアの命令の意味が分かってしまった。
「漸く理解できたか。
そうだ。我は魔王ウェルヴィニアだ。
貴様の様な異なる世界の者でもその名を知る悪名名高き悪逆の王ぞ。
それに幸か不幸か、我の名を使っておる痴れ者までもいるのだ。
仮に「ウェルヴィニア」と貴様が他者の前で我をその名で呼んでみよ。
どうなる?」
「そ、それは……」
魔王が自らを本名ではなく、仮の名で呼べと言ったのは、「ウェルヴィニア」と言う自分の存在が如何にして、この世界において大きな意味を持っているのか、それも忌み嫌われているのかを知るが故の事だった。
「ウェルヴィニア」の名前、いや、悪名はこの世界では知らない者がいない程のものだ。
実際に接してみるととてもそうは思えないが、この魔王は多くの人間から恐れられ、忌み嫌われ、憎まれてもいる。
しかも、彼女の名前を騙る存在が世界を混乱に陥れようとしてすらもいる。
……僕のことを魔力があるからって、「魔族」扱いして理不尽な目に遭わせるような世界だ。
「魔王」と同じ名前を持つだけなんていう理由で迫害するなんてことも普通にあり得そうだ……
今まで自分が受けた数々の仕打ちから僕は「ウェルヴィニア」の名前がどれだけ危険なものなのかを理解してしまった。
基本的に他人や異なる文化のことを見下すのは間違っているとは思うけれど、あの王国での出来事から間違いなくこの世界の考え方は「地動説」を唱えるだけで火炙りにされる中世ヨーロッパの暗黒時代と変わらないはずだ。
相手にレッテルがあるのならば、相手を人間として扱わないで殴ることを躊躇しない。
そんな中で魔王と同じ名前を持つ人間なんて格好の餌食だ。
「だから、私のことは「ウェニア」と呼べ。
『お前』等は誰を指すのか分からなくだろうし、癪に障る。
わかったな?」
「あ、ああ……分かった」
どうやら、魔王は『お前』呼ばわりも気に食わなかったらしい。
それに紛らわしくなるだろうし確かに『お前』と何時までも呼ぶわけにはいかないだろう。
仮に魔王が軍勢を持ったら、指揮系統とかで面倒臭いことになるだろうし。
「だから、ほら呼べ」
「……え?」
僕が理解するとみるや魔王は名前を呼ぶことを急かしてきた。
「何をそんなに戸惑っているのだ?
それではこの先が思いやられるぞ?」
「え?いや、その……」
魔王の主張は正しい。
この先、魔王のことを『ウェニア』と呼んでいく必要があるのに、こんな風に戸惑っていたり、恥ずかしがるのは不自然だ。
しかし、相手は明らかに僕より年上であるが、一応、外見的には僕と同じぐらいの年齢の女の子である魔王のことをニックネームで呼ぶのはかなり勇気が要る。
と言うよりも僕は女子相手にそんなことをしたことがない。
そんな僕にこれはかなりの試練だ。
「ほら、どうした?
ほら?ほら?」
魔王は全く悪意もなく名前を呼ばれることを求めている。
まるで、無邪気にそう呼ばれることだけを期待している様だった。
……仕方ない……!
腹を括ろう!
魔王との力関係もあるし、こう期待されると裏切れないという性分もあるし、魔王の言う通りこれからの行動に関わって来るという事実もあるので、僕は勇気を出そうと決意した。
「えっと……その……」
しかし、いざ呼ぼうとしても恥ずかしさで舌が回らない。
勢いで言い切ってしまう方が悩まないで済むのも理解しているが、それでも戸惑ってしまう。
やはり、面と向かって女の子を名前をニックネームで呼ぶのはハードルが高い。
一応、鈴子で名前を呼ぶのは慣れているけれども、物心つく前から友達だった相手とは別だ。
「おいおい、どうした?
恥ずかしいのか?あっははははは!!」
「っう~!!」
そんな風に縮こまっている僕を見て、またもやこの性悪魔王は笑い出す。
先ほどまでの無邪気さは何処に行ったのだろうか。
クソ……!!
マジでムカつく……!!
殆ど正論で生きるこの魔王は本当に性質が悪い。
相手が逆らえないように理詰めで攻めてくる。
そして、それを見て愉しむ。
何処までも悪趣味極まりなく他人の神経を逆撫でしてくる。
「うるさい!
この……馬鹿ウェニア!!」
「な、何……?」
つい衝動的に照れ隠しも含めて『馬鹿』とつけて勢いのままに呼んでしまった。
そのことに対して、魔王は戸惑いがちになると共に眉をひそめた。
「おい、『馬鹿』とはなんだ?『馬鹿』とは?」
どうやら、気に障ったのか僕を問い質してきた。
それに対してイラつく程度に人間らしさはあるらしい。
「お前が急かすから勢いに任せて言っただけだ。
気にするな。それにちゃんと、言ったからいいだろ?」
照れ隠しだとバレると悔しいので僕は隠しながら返した。
大人気ないとは思うが、それでも魔王の態度が気に食わなかったことへの苛立ちが上回ってしまった。
ただそれでも、少し気にしているようなので気が晴れた。
「ぬうぅ……
まあ、我の様な美女の名を気軽に呼ぶのは心苦しいであろうな?
あっはははは!!」
「………………」
こ、こいつ~!!
けれども、最初は不満そうにしていたが魔王は直ぐに気持ちを切り替えて勝ち誇ったような振る舞いをしてきた。
確かに美人相手に話すのは緊張する。
そう考えると僕も割と俗物だと思える。
理性では美人を拒否しているのに本能では下心にも等しい感情が邪魔をする。
感情をコントロール出来ないのが辛い。
……これじゃあ、佐川たちのことを言えないな……
仮に僕もクラスの連中と同じ力を持っていたら、ちやほやされていい気になっていたのかもしれない。
今となっては最悪な本性だと理解しているが、例の王国のお姫様や貴族の女性方は見た目は美人ではあった。
けれども、僕が「魔族」扱いされていると知ると人間扱いすらしなかった。
そう考えると、仮に力を持っていたら騙されていい様に利用されていたのかもしれない。
だが、目の前の魔王に僕は美人であることに緊張してしまっている。
情けない男だと自分で思ってしまう。
「ん?どうした?図星か?
ククク……」
「……っ!?」
素直になれずただ意地を張っている。
でも、それは本当の自分が嫌いだし恐いからだろう。
魔王からも言われたから、その自己嫌悪も多少は和らいだとはいえ、やはり、僕は自分が好きになれなさそうだ。
「まあ、よい。その滑稽さに免じて許す」
「こ、滑稽て……」
「他人の目がある所でも確りと呼べよ?」
「う………
善処するよ……」
どうやら、僕の反応が愉快に思えたからなのか、魔王はこれ以上何も言うことはないらしく、他人の前でも『ウェニア』と呼ぶことを促してきた。
僕もそれに関しては仕方のないことだと理解して、そう呼べるように努力しようとした。
「そうか。ならば、よい。
ああ、一つ言っておくことがあった」
「……ん?何だよ?」
魔王は僕の反応を楽しむと、それ以上に何も言うことはないと言っていたが、何か一つ思い出したことがあるらしい。
「今日はここで野宿だ」
「え?何でだよ?」
てっきり、このまま旅に出ると思った矢先に魔王はここで野宿することを告げて来た。
折角ある程度のやる気に満ち溢れているのに水を差された気分になってしまった。
何よりも今は昼だ。
夜まで十分、時間があるのにどうしてこの場で野宿をする必要があるのか僕は疑問に思ってしまった。
「ふむ……
それはな……
我が貴様に強化魔法をかけた時に言ったことを覚えているか?」
「え?えっと……確か……」
魔王は唐突にそう言ってきた。
魔王が言っているのは僕が魔王とはぐれてしまい、まだ凶暴だったリザに出くわして、絶体絶命のピンチに追い詰められてしまい、命を危うく失いそうになった時のことだろう。
あの時は本当に死ぬかと思った。
もし、魔王が強化魔法をかけてくれなかったら確実に命を落としていただろう。
確か魔王はあの時、何か言っていた気がした。
『なあ?貴様はどれくらいの痛みに耐えられる?』
『……そうだな、
貴様の脆弱な身体ならば、一日ほど悲鳴を上げることになるだろうな』
「……!?」
あの時、魔王がした質問とそれが意味することを思い出した僕は焦りを今さらになって感じ出した。
「その顔……
ようやく、思い出したと言った感じだな」
魔王は僕の焦りを感じ取ってたかニヤケ出した。
「ま、待て……
いや、待ってください」
魔王のそのニヤケ顔に恐怖を感じた僕は思わず待って欲しくて下手に出てしまった。
今、魔王はとても愉快そうだ。
それはきっと、この後に起きるであろう僕の姿を想像して、いや、今の僕のあたふたしている姿すらも愉しくて仕方ないのかもしれない。
しかも、僕は魔王に『馬鹿』と言ってしまった。
今さらになって僕はそれを過ちだと理解させられてしまった。
あの時魔王の語った警告と今の魔王の表情から僕は自分に迫るその瞬間を思い浮かべて正常な判断が出来そうになかった。
子どもの頃、風疹の予防接種を受けなきゃいけないのに注射の針が腕に刺さる時までのものと相似した何百倍ものの恐怖が無意識に僕を苦しめる。
「ダメだ。
それにこれは通過儀礼だ。
耐えろ」
しかし、無情にも魔王は僕の頼みをキッパリと断った。
そして、その言葉の直後だった。
「……あ、あれ?」
突然、謎の脱力感が訪れて僕の全身から力が一気に抜け出し
「な、なん――――
―――ぎゃあああぁぁぁぁあああぁあぁあぁあああああぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあああっぁぁあああぁあ!!?」
「キュル!?」
一瞬、何が訪れたのか分からなかったがそれが痛みだと理解した瞬間に今まで塞き止められていた水が鉄砲水の様に押し寄せるように激痛が全身に回ったというよりも、全身が激痛に浸ったという程の耐え難い激痛を感じ出した。
「い、いが……あぁぁぁぁぁぁああぁあぁああううあああぁあおおああああぁあ!!?」
『痛い』と叫ぼうとしても舌が回らず、あごが動かず、喉が声を出すという役目を忘れた様になり、『痛い』と叫ぶことすら許されない状態に陥り、声にもならない乾いた音しか出せなかった。
顔を少しでも動かせば目が抉られるかの様な、拳を握りしめて痛みを紛らわせようとすれば指が一本一本殺弾される様な、のたうち回れば腕と脚が千切れる様な痛みを紛らわせようとする動作全てが新たな痛みを呼ぶ最早生きているだけで拷問とすら感覚を僕は味わっている。
き、筋肉痛なんてレベルじゃない……!!?
激痛のせいで考えることすらもままならない中、僕は泣き言の様に心の中で叫んだ。
魔王は確かに代償を事前に言った。
けれども、この痛みは僕が例えで言った「筋肉痛」の範囲を超えている。
それも「攣る」とか、「肉離れ」ですらない。
予想を超えた痛みの中でただただ痛みをを感じることしか出来ずにいると
「フム……
まあ、初めての「魔法」であれだけの「魔力」を使ったのだ。
仕方あるまい」
僕が激痛にのたうち回っていると魔王は他人事の様に言い捨てた。
「魔法を使うには先ず、魔力の通り道が必要となる。
身体の器官で言えば魔力を流す血管を新たに作ることになるのだ。
だが、最初のうちはそう言ったものが存在がないことから魔力が氾濫するのだ。
魔力は力の源だ。要するに貴様は今、身体中に燃えた油で包まれているのに等しいのだ。
今の痛みはそれが原因だ」
苦しむ僕を見ながらも魔王は冷静に僕のことを襲っている「痛み」の正体を解説した。
痛みによって、意識を保つことが精一杯の僕はその声に傾ける余力も殆どなかった。
「大トカゲから身を護るためだけならば、そこまでではなかったのだが……
大トカゲを癒すことと大トカゲを小さくするには貴様の魔力を使ったのでな。
予定よりも多くの魔力を使ったことが原因だ」
そういうことかよ……!!?
『その言葉。確かに受け取ったぞ?』
確かに僕は大トカゲを連れて行くことに責任を取ると言ったが、その代償がこの激痛だったらしい。
続けて出たその言葉に僕はようやく魔王の言った「責任」の意味を理解した。
し、死ぬ……!
僕の意識は朦朧とし出して、痛みすらも何処かへと消え去りそうになった時だった
「……貴様のその痛みは健全であることの証だ」
魔王がぽつりとそんな言葉を言った気がして、そのまま僕は意識を失った。
痛みて書くのが大変ですね