第百十五話「当然の感情」
「……どういうこと?」
リナの口から出てきた親切を施した人間からの裏切り。
今まで経験したことのなかった悲しみをリウンは生まれて初めて知ったのが彼の表情と声音から読み取れた。
「私の村はその……不作だったの。
それであなたがくれた白アドを見て小麦が沢山あることを村の人たちが知って、私のことを無理やり連れだしてお父さんにあなたの家に連れて行かせようとしたの」
「そんな……」
どうしてリストさんが裏切ってしまったのか。
その理由を聞かされ、リウンは恐怖と衝撃を受けた。
あの楽園のような家で育った彼からすれば、飢えなどというものは絵空事にしか思えないだろう。
実際、僕だってそうだった。
僕の生まれ育った環境では少なくても、町の人間が全員、食糧に悩まされることなんてないし、ましてや餓死なんてあったらニュースに取り上げられる程の稀なことだ。
(しばらくは大丈夫だとして、リウンたちの衣食住をどうにかしないと)
同時に僕は恵まれた環境からリウンを奪い取ったことの意味を改めて認識した。
リウンの家から持ち出した小麦や作物、あの地下迷宮で手に入れた財宝でしばらくは食うことには困らないだろう。
しかし、それでは何時かじり貧になるだろう。
何よりもいざ、この子たちが僕たちの下から離れることになった時には何時までも働かないでいても生きていられると思わせるのはこの子たちから生きる力と未来を奪うことになる。
それだけは避けなくてはならないことだ。
「その後、お兄ちゃんたちが助けてくれたけど……
ルズが……お父さんを……!!」
「リナ……」
リストさんの最期に話し出した途端にリナの目に涙、同時に怒りと憎しみが浮かんだ。
リウンに対しての罪悪感が存在しながらも、たった一人の家族であった父親を奪ったルズという人間への怒りや憎しみは捨てきれないのだ。
子供がそんな表情を浮かべている現実に僕は何とも言えない気持ちになった。
「その人って、お姉さんがーーー」
リナの口から出てきた男の名前とウェニアが殺したと言っていた男の名前が同じであることに気づいたリウンはウェニアに確認した。
「ああ、そうだ。
我が殺した。
ユウキが助けた命を奪った。
理由はそれだけだ」
「---!」
それに対して、ウェニアは否定せず、殺した理由についても語った。
リウンは怯えを露わにした。
殺人。
それは最も恐ろして、最も原初的な罪の一つ。
どこの国の法律においても、必ず重罪の一つとして扱われる行為だ。
犯した人間に対して、恐怖を抱くのは無理もないことだ。
僕だって、この世界に来なければウェニアに恐怖を抱いていただろう。
だけど、僕自身だって未だ直接手を下した訳ではないが、間接的に人を死へと誘った。
何よりもルズのことだって最初に殺そうとしたのは僕だ。
そんな僕が自分の代わりにあいつを殺したウェニアを恐怖するのはお門違いだろうし、僕自身が出来なくなっている。
(だけど、これが当然の感情なんだ)
リウンの怯えは正常な感情だ。
どんな理由があるにせよ、殺人は殺人だ。
そのことに対して、どんな言葉で繕っても余計に拗れるだけだ。
それに殺人を正当化するということは次に人を殺す時にも言い訳を重ねていくことになっていくことになるだろう。
そうなれば、なんとなくだけど理解できることがある。
(ウェニアとの誓いが上辺だけのものになる)
きっと、ここで僕が自分とウェニアの罪に対して自己擁護すれば、僕があの時、彼女に誓った言葉は軽いものへと変わっていくことになる。
何よりも誓いをただの言い訳にしていくことになる。
それは彼女への裏切りだ。
そして、そうなれば僕は平気で命を傷付ける人間になっていくだろう。
実際に戦争を経験したこともないし、ウェニア以外にやむを得ない理由で人を殺めてしまった人間を僕は見たことがない。
そんな彼らが命を奪うことに対して、どの様な感情を胸に抱いているのかなんてこともわからない。
けれども、奪った命が多ければ多いほど、刃も引き金も軽くなってくのかもしれない。
その時の理由が薄っぺらいものになってしまうのかは恐らく、言い訳を逃げ道にしてしまう時なのかもしれない。
奪ってしまった命は二度と帰ってこない。
その重みを理解できなければ、きっと何を言っても、何を成し遂げようとも何もかもが薄っぺらくなるのかもしれない。
ただ僕のこういった感性そのものが正しいのかすらわからない。
僕が抱いているこの価値観すら、ただ平和な環境で育ったことで生まれた綺麗事なのかもしれないからだ。
(それでも、何も知らない人間にウェニアを罵られたら腹が立つな)
何が正しいのか、そもそも正しさなんてそのものが曖昧なものかもしれないが、リウンやリナみたいに恐がるのならともかく、ウェニアが何故そうしたのか、そうせざるを得なかったのかと一方的な理由で責めるような人間がいれば間違いなく怒るという確信があった。
その様に殺人という行為がもたらすものによる影響について考えている時だった。
「お兄さんはどんな気持ちだった?」
「!」
人を殺したウェニアに対しての僕の考えをリウンは求めてきた。
「それは……」
僕は一瞬、ウェニアが僕の代わりに人を殺したことへの考えや感情を伝えようとした。
(いや、そうじゃない)
言うべきことはそうじゃないことに気付いて、僕は違う答えを口に出そうとした。
「あの男を僕は許せなかった」
僕が出した答えは『ルズを許せなかった』というものだった。
「リストさんやリナたちを傷付けて、リウンまで傷付けようとして、終いにはリストさんを殺してリナにこんな思いをさせた……!
そんな奴を許せるはずがなかった。
ウェニアがやらなかったら、僕が間違いなく殺してたよ」
もし、ルズがリストさんを殺していなかったらルズは死なずに済んだかもしれない。
それだけ、僕があの時、抱いた生まれて初めて抱いた「殺意」は深いものだった。
ルズの取り巻きを魔獣に食い殺させた後も、僕は彼らに何の感情も抱けなかった。
埋葬したルズに対してもそれは同じだ。
ただあの時は、ほんの少しだけ、亡骸をぞんざいに扱うことを嫌がっただけで、あいつを許すつもりなんて毛頭ない。
「だから、僕もリウンの言う恐い人なんだ……
ごめん」
ルズのことをウェニアが殺したことでリウンは恐怖を抱いているが、結局の所、彼女が殺さなかったら僕があいつを殺していただけだ。
だから、彼女だけが彼に恐怖されるのは間違っている。
僕も同罪だ。
それに自分だけが正しい人間なんて僕は思ってもいないし、思われたくもないし、思いたくもない。
「……そうなんだ。
ねえ、リナ?
一ついい?」
「何?」
僕の答えを聞いて、リウンは僕のことを拒絶も衝撃も受けずリナに何かを訊こうとしていた。




