第百十二話「弱さと強さ」
「人が死ぬのが楽しいわけないだろ!!」
ウェニアが羅列したルズを殺そうとしたことに対して、僕が後ろめたさを持たないで済む事実の羅列に僕はたったその一言だけで否定した。
「ほう?何故だ?」
僕の反論にウェニアは興味深そうに尋ね出した。
「そんなことに理由が必要があるはずがない」
僕はそう返すしかなかった。
単純に僕は人の、いや、そもそも何かの生命が失われることが嫌なだけだ。
それしか理由がなかった。
僕だって蚊とかの害虫を殺したり、食べ物としての生き物を食べることぐらいはする。
当然、そこを割り切って生きてはいる。
それでも蚊に刺される前に潰したことへの多少の満足感や食事の美味しさ楽しみを覚えることはあるが、死そのものを楽しむは明らかに間違っている。
そんな当たり前のことを答えるしかなかった。
「では、貴様にとってリストとルズの命の価値は同じか?」
「はあ!?」
「……っ!」
続けてぶつけられた問いに僕は正気を疑った。
「そんな訳ないだろ!?
どうして、あんないい人があんな奴と一緒になるんだよ!?」
どうしてリストさんの命があんな奴と同価値になるのか意味がわからなかった。
何よりもそんな質問を目の前で父親を殺された彼の娘であるリナの前でしたことに怒りを覚えてしまった。
「ならば、何故貴様はあの男が死んだことに喜びを感じない?
むしろ、不快感を感じる?
貴様にとってどの様な善人も悪人も命の価値は同じと言うことか?」
「違う!!」
確かに僕はルズの遺体をを埋葬した。
そのことでリナに不信感を抱かれたのも事実だ。
「死ねばみな仏」。
その考えがどれだけ難しいことなのかは理解できた。
「僕だってあいつが憎いさ!
未だに許せないでいる。
それとあの時、あいつを殺そうと思ったのは本当だ」
「え!?」
「お兄ちゃん……」
だけど、あの時芽生えた殺意は本物だった。
心の底から初めて『殺す』と思った瞬間だった。
だけど、
「『殺したい』とは違うと思った」
『殺したい』という感情ではなかった。
あくまでも、怒りや悲しみ、憎しみから生じた発作的な感情で決して、欲望なんかじゃなかった。
ウェニアに出会う前にクラスの連中が見せていた「殺し」への高揚感なんかじゃなかった。
同じ「殺し」なのは変わらない。
それでも、自分の欲望の為の感情による行動ではなかった。
「……そうか。ならば、貴様は大丈夫であろう」
「え」
僕が自分の殺意を認め、それでも言い訳に等しいクラスの連中と自分の行いとの区別に対して、ウェニアは先程までの嘲りを捨て、そう投げかけてきた。
「ウェニア……?」
まるで安心させるかのような穏やかな笑みを彼女は僕に向けていた。
「ユウキ……
貴様は己の善性を信じろ。
貴様が恐れるような未来など訪れぬ」
「僕の善性……?」
「そうだ。
貴様は今、殺すことを楽しむことに対して、明確な嫌悪を示した。
それは貴様が確固たる意思を持っている証左だ」
一度も考えたこともなかった良心という概念に僕は不思議に思ってしまった。
今まで僕は周囲に「優しい」とか言われてきたけど、それはあくまでもそうすることしか出来なかっただけだ。
僕がそうすれば、僕以外の誰も傷付かない。
だから、そうするしかなかった。
それしかないのだから、それは所謂、倫理や道徳の授業で持ち上げられる「美徳」ではないはずだ。
そんな綺麗なものを僕が持っている訳がない。
「でも、そんなの当たり前だよ。
僕の世界じゃ―――」
この世界だと命の価値が僕のいた世界、少なくても現代日本よりは軽いものにされているのだから、彼女の言葉は過大評価だと言おうとした直後。
「……当たり前か。
ならば、貴様がよく言う『クラスの連中』はどうなのだ?
そして、貴様が時折見せる命を奪うことを軽んじる者たちへの怒りは何なのだ?」
「―――!」
その反論は他ならない僕自身の今までの言動で否定された。
「確かに木佐は先に力を持った者の変貌と暴虐を目の当たりにして、嫌悪感を抱いているのかもしれない。
だが、今、貴様が持っている善良さは紛れもなく貴様自身の強さなのだ。
それが先天的なものか、後天的なものなのかはどうでもよいことだ。
誇るがよい」
「それは……」
彼女は僕が心の中で持っている弱さだと思っていたものを強さだと断じ、そして、それが生まれつきのものなのか、経験の中で育まれたものなのかは気にせず、それを持っていることに誇りを持てと言ってきた。
「……そうだな、ユウキ。
ここで言っておこう」
彼女は自信満々な不敵な笑みを湛え僕の前に手を伸ばし
「お前が仮にその強さを弱さで苦しむことになったとしても私は離れないと誓ってやる」
「え」
彼女は僕にそう誓った。
「ウェニア。
君は……」
その一方的な屈託のない笑顔と共に突き付けられた誓いの表にあるもう一つの意味を僕は嫌でも理解した。
「ほう?分かったか?
そうだ。私はお前を信じている。
お前の弱さと言える善性もそれを捨てられぬ強さも。
だから、お前も信じろ。
私のことを」
彼女は僕を信じている。
それは戦う意思に対してではなく、痛みに耐えることへの義務に対してでもなく、僕が何時かは捨てなくてはならないと心のどこかで諦めていた弱さに対してだ。
彼女は僕の弱さを強さだと肯定してくれた。
「………………」
改めて、僕は彼女のことを見返した。
その佇まいは何時もの様に傲慢でさも自分こそが唯一の王だと言わんばかりだった。
だけど、その表情は相手を見下す不遜さが鳴りを潜め、まるで、向日葵畑にいて真夏の日差しと周囲の大輪にも負けない眩しい笑顔だった。
彼女は変わらない迷いのなさで僕に手を伸ばしてくれていた。
そんな彼女に魅かれるままに僕は自然と彼女の手に自らの手を伸ばし、それを握った。




