第百八話「失われた聖域」
「お兄さん!」
魔力の消耗と連日の戦闘の疲れにより意識を失ったユウキのことを心配し、リウンが近寄った。
「大丈夫だ。
呼吸は確りしている。
眠っているのと変わらぬ。
そっとしておいてやってくれ」
「う、うん」
初めて、魔力の消耗によって意識を手放した者を見て、リウンが心配したのは恐らく母親である森の魔女は一度たりとも魔力をここまでも消耗したことがなかったのだろう。
やはり、規格外の魔術師だ。
生きているうちに臣下に加えたかった
百年、いや、それ以上の間この森に住み続けあの大量の魔導書や書物を作成若しくは編纂し、加えて死後にも残る「超越魔法」を完成させた傑物。
もし生きていたのならば、我が覇道も大いに進んだだろう。
いや、そんなことはない仮定か
だが、それは仮に魔女が生きていたとしても叶わぬ願望であろう。
森の魔女はただ平穏に生きたかっただけだった。
この森の性質はケルドの話からすると「超越魔法」が完成する前から、恐らく「ディウ教」が門外不出とする「魔物除け」を解析し、それをほぼ正確に再現していたことで生まれたのだろう。
ただ魔女は争いから逃げたかっただけなのだ。
我の咎だな……
魔女は日記の中で我が世界を変えられなかったことに絶望し悲嘆していたことを打ち明けていた。
魔族、いや、ただ魔力だけが高いだけで「魔族の子」と蔑まれ、虐げられるつまらない世界。
レセリアを泣かせたこの世界。
母に愛されることを諦め、ただ憎まれることだけを求めたこの世界。
それを我は壊すことが出来なかったことで我が眠っている千年の間も続いていた。
その苦しみを魔女は受け続けていたのだ。
我の名を騙る者が我ではないことも見抜いていたか
我が成し遂げられなかった世界の破壊への絶望を日記に記していることから、魔女は今、我の名前を騙っている痴れ者を偽物であることも見抜いていた。
それなのに人間の男を愛するとは……人が好過ぎる
そんな魔女がリウンを守る為だけに「超越魔法」を完成させ、安全な森を抜けてでも外に出ようとしたのは己の愛した男、リウンの父親のことを疑わず、その男の行方を少しでも知りたかっただけなのだ。
人間に迫害されながらも一人の人間を愛し、裏切られたとも思わず、たった一人でもその忘れ形見を愛し育て続けた魔女はそれが招いた周囲の村への被害を無視すれば、敬意に値する。
だからこそ、生きていたとしても我が子への愛故に我の臣下にはならんか
だが、同時にリウンの安全を考えて、魔女は我の臣下になることはなかっただろう。
魔女にとって、リウンは文字通り、この世界に生きる上での光そのものだ。
絶望ばかりの世界で唯一手に入れられた幸福。
だからこそ、魔女は「超越魔法」を完成させることが出来た。
その我が子を危険な目に遭わせるような真似はしないのは目に見える。
「さて、リウン。
名残惜しいと思うが、時間はもうない。
すぐに迎えは来るが、魔物たちが来る前に旅に出るぞ」
「迎え?」
ただその魔女の残した最大の宝をむざむざと失う訳にはいくまい。
「グルァアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「!?」
「ああ、すまん。
貴様には少し、刺激が強過ぎたな」
森に響き渡る轟き。
それは恐らく、この森に住むあらゆる魔物たちよりも勇猛にして、そして、唯一勇壮であろう。




