第九十四話「無垢な優しさ」
「っ!?」
「お兄さん!?」
リウンの外の世界の恐怖と不安が高まった影響で彼の母親が残した我が子を守ろうとする森の力が容赦なく襲い掛かった。
よかった。効いている
しかし、森の木々が僕を串刺しにすることはなかった。
根は僕が前以って、鞘から刀身を出していた「テロマの剣」による障壁によって防がれていた。
『ユウキ、よいか?
貴様が彼奴を外に連れ出そうと説得すれば間違いなくこの森の「超越魔法」は貴様を攻撃する。
説得する前に「テロマの剣」を抜いておけ、そうすれば障壁が貴様を守る』
『「テロマの剣」を?
でも、この森じゃ意味がないんじゃ?』
『案ずるな。
その剣は腹は立つが、あの婆が造ったこの世界で唯一、「超越魔法」の力すら弾く剣だ。
あれ抜いておけば、魔法が使えぬこの家でも剣が貴様を守る』
『そんなとんでもない剣だったの!?これ!?』
ウェニアが教えてくれていた「テロマの剣」の真価。
それはあらゆる魔法さえも干渉を許さない力を持ち、世界の理を塗り替える力すらも無視する。
そして、今、その力がこの剣にあることを森の魔女の我が子を守ろうとする祈りすら防いだことで証明された。
「お、お兄さん!?
なんで!?」
リウンは今、目の前で起きた出来事に動揺していた。
「リウン……」
その様子を見て、一瞬だけ嫌な考えが頭に浮かんでしまった。
「なんでお兄さんを!?」
けれども、それは邪推でしかなかった。
やはり、この子は優しい子だった。
よかった……
そう思える子で
リウンの動揺。
それは僕が彼を守ってきた絶対的な力である自らの母親の「超越魔法」を防いだことによる自らの優位性が崩れたことへの驚愕ではなかった。
単純に彼は僕がこの森の力に襲われたことに心配してくれていただけだったのだ。
ごめん、リウン
少しでも、リウンを疑ってしまったことを内心恥じるしかなかった。
でも、だからこそ、一層彼を外に連れ出すことへの決意が固まった。
まだ、リウンには早いんだよ
確かにリウンがこの森にいることで彼が日常を営むために失われた命や奪われた人々の生活は取り返しのつかないものだ。
けれども、それを償うことをまだ子供のリウンに突きつけるのはいくら何でも理不尽だ
理屈には当て嵌まっていたとしても、こんなに優しい子が自分の知らない罪によって正論や事実などといった暴力に晒されるなんて在ってはならないはずだ。
それは何時か、彼が気付いた時に自分が受け止められるぐらいに成長してからの話であるべきだ。
正しいのは苦しいことだから
世の中には自分の弱さでそれが出来ない人間がいるのもなんとなく理解できてしまう。
僕だって、責任は恐いし、苦しいし、辛いとすら思えてしまう。
魔物を初めて殺した時も、ルズの取り巻きを殺した時も怒りが在って、その場では何とかなったけれどもやっぱり重くて仕方がない。
何よりもリストさんを守れなかったことはそれ以上に辛かった。
責任も罪も心に深く残るものだ。
その苦痛ははっきり言って逃げ出したくなるほどだ。
それを感じないとすれば、精神的な構造が全く別か、そういう割り切り方を強いられてきたかの慣れぐらいだろう。
ただそこから逃げるのはきっと弱いからだということは理解できてしまう。
弱い僕だからこそ、そう感じられるから
本当に苦しい。
人を殺してまだただの人間として生きているのか。
子供から父親を奪っておいてまだ生きていていいのか。
楽園とすら言えるこの森から苦しみだらけの外の世界に無垢な子供を連れ出すのか。
罪を明らかにしないまま子供を外に連れ出すのか。
次々と自分のしていることへの疑問や葛藤が湧いてくる。
リウンは逃げない子だよ
それでも、僕はリウンが今見せた優しさという輝きが偽物じゃないことを確信した。
自分の身よりも彼は僕を心配した。
それはつまり、彼が心のそこから他者を思いやれる善性を持っている証拠だ。
何時か、彼が真実を知った後でもその輝きは彼を正しい方向へと導くものになるはずだ。
だけど、これ以上は背負わなくてもいいんだ!
リウンがそのことで咎を受けるのは早い。
そして、これ以上彼が背負っていくものを増やす必要もない。
「!?
お兄さん、逃げて!!」
リウンの不安と恐怖が消え去らないことで母親の願いは次々と僕を排除しようとしてきた。
「リウン。君を絶対に外に連れていく―――」
仮令、独善であってもリウンは外に連れ出す。
いや、連れ出さなきゃいけないんだ。
「―――君はこの家にいちゃいけないんだ」
それが彼の安全で飢えのない日常を奪い、彼に恐怖を感じさせることになったとしても、この家にいる限り、彼は苦しむことになる。




