第九十一話「心を覗く」
「これは?」
ウェニアに手渡された古びたノートの様な本を確かめて、本の正体について訊ねた。
「日記だ。リウンの母親、森の魔女のな」
「リウンのお母さんの日記?」
どうやら、この本はリウンの母親である森の魔女の日記だった。
「なあ、それって呼んでいいの?」
本の正体が日記であることを知ったことで僕はその中身を読むことに戸惑いを覚えた。
日記と言うものは当然ながら、個人的じゃ心情や日々の出来事が記されているプライバシーの塊だ。
恐らく、そこには他人だけではなく誰にも知られたくないものなども含まれているはずだ。
それを赤の他人である僕たちが読むのは間違いなく、日記の持ち主の心を覗き見ることに他ならない。
面識があった訳でもないが、そんな相手の心を踏みにじることをするのは気が進まない。
何よりも、リウンはこの行いを知ればいい気持ちにはならないだろう。
「安心しろ。
中身については既に我が読んでいる。
その結果、これが日記であることを知ったのだ。
そして、それらを含めて貴様がこれを読むべきだと考えたのだ」
「はあ!?
もう読んだの!?他人様の日記を!?」
しかし、恐ろしいことに既に恐れを知らないこの魔王様は日記の内容を読んでいた。
よく考えなくても、これがにっきだと言った時点でウェニアが中身を知っているのは当たり前だったのだ。
そして、その結果、僕はこの日記を読まなくてはならないらしい。
「下らん。我は魔王だ。
他者の秘密を知り、それを使い相手の心を揺さぶることなど平気で行う女だぞ?」
「………………。
それ絶対に僕の生まれた国の学校でやるなよ?
嫌われるのと、嫌われて当然は別なんだから」
「……貴様の世界の学者などには行くことなどないだろ」
平気で相手の弱みを握りそれを使って脅迫を行う等と言った外道なことを行う魔王様に、綺麗事だけじゃやっていけないこともあるので仕方ないとは思ったが、必要ないのにやるのはダメだと伝えた。
ウェニアは間違いなく、平気でヒエラルキーの頂点に立つためにそんなことをするとは思うが、それをやれば間違いなく嫌われ者の大義名分が出来上がってしまう。
もし僕たちの世界で生まれ育ったらウェニアは美人で頭もいいし、強いから自然とカリスマが発揮されて人気が出るとは思うけど、それは同時に妬みも生まれる。
それで謂れもない悪意を受けるのはある意味、仕方のないことかもしれないが、そこに彼女自身が攻撃される要因なんて作って欲しくない。
「で、どうして僕がそれを読む必要があるの?
それに僕がこの世界の文字を読めないのを知ってるだろ?」
ウェニアが目的の為に手段を選ばない一面があることを改めて知ったうえで、リウンの母親の日記をどうして僕が読む必要があることを訊ねると共に僕がこの世界の文字を読めないことの確認を取った。
そんな僕に日記を読めと言われても、どうしようもないだろう。
「失念していた。
では、我が読み上げるから貴様は目で文字を追え。
それと、貴様がこれを読む理由は我が読むことで知ることになるだろう」
「え?聞くだけじゃダメなの?」
ウェニアは僕が文字を読めないことを失念していたことを素直に言うと同時に、僕に文字を読むこと様に指示した。
「当たり前だ。
貴様はこの世界で文字を読めないまま生きていくつもりか?」
「う……そうだね」
どうやら今回の日記の読み取りは僕の語学学習も兼ねているらしい。
確かにこのまま文字を読めないままでいるのは致命的だろう。
思えば、一か八かであの城から抜け出そうと思っていた時もあったが、この世界の文字を読めない僕がそんなことをすれば野垂れ死は免れなかっただろう。
「……恥じることはない。
貴様ほどの年齢でも文字を読めぬ者は我の時代にも多くいた。
それはリストの村を見たことでこの時代でも同じであることを理解した」
「……そうなんだ」
どうやら、この世界での識字率はそこまで高くないらしい。
読み書きが出来るというのは現代の日本では当たり前のことだけれども、母国語ですら満足に読み書きが出来ない人間が多いというのがこの世界での当たり前らしい。
僕はそのことを知って、自分の世界の当たり前がどれだけ恵まれていたものであったことを痛感させられた。
人の生き死にや魔法や科学なんてものだけじゃなく、こんななんてことのないはずのものでさえ、余りにも大きな違いであることを痛感させられた。
「必要な部分のみ読み上げる。
しかと聞き取れよ」
「うん」
どうやら、日記を読み取るのは決定事項らしい。
いいのかな?
恐らく、ウェニアが言う通り僕がリウンを説得するために必要なことがこの日記には書かれているだろう。
それでも他人様の日記、つまりは心の中や過去を暴くことへの後ろめたさと、リウンの母親への同時を感じずにいられなかった。
だけど、そんなことが吹き飛ぶような内容がこの日記に記されていることに僕はこの時、想像もできなかった。




