第八十四話「聖域の弊害」
「そう……なんだ……」
ウェニアの推測、それもほぼ事実であろうものを聞いて僕は気が重くなった。
まだ会ったこともない人の死をそこまで重く受け止める理由も必要もないだろう。
けれど、リウンが母親を失っているという事実は、リウン自身への同情心やリナの父親を守れなかった自責とある意味、両親と再会できるか分からない僕にとってはそれらの喪失感を思い出させるには十分過ぎた。
「この森は使い手がいなくなってもその魔法の性質上、継続し暴走している。
そこにはリウンの外の世界への恐怖も関係しているであろう」
「リウンのお母さんがいなくなっているのに?
それにどうしてリウンが?」
ウェニアの考察は続いた。
「超越魔法」が未だにその力を発揮していてリウンを守り続ける時点でそれが事実だと理解出来たが、それでも暴走していることやその暴走にリウンが関係しているという可能性に僕は疑問と共に不安を感じた。
「森の魔女は我が子を守りたいという意思だけで「超越魔法」を完成させたのだろう。
実際、魔力や生命力を外敵から還元しそれを森の栄養分にすると言う点では上手くいっている。
今までは村にも悪影響を与えなかったのは魔物を間引きしていたのが理由だったのもケルドの話からもわかる」
リウンの母親は我が子を守りたいという願いだけで森の中心に聖域といえる場所を作りだしたらしい。
何よりもここ十年を除いて彼女はケルドさんの様な人々に畏敬の念を持たれるように自分の作り出した「超越魔法」の弊害ですら抑え続けていたらしい。
「だが、魔女が死にただリウンを守ると言う意思だけが残されている。
問題は、それが本人の死後にも機能し続けてる上に、基になった願いの性質上、リウンの精神状態も魔法に関わってくることで今の森の状況を作り出してしまったのだ」
「そんな……」
けれども、本来ならば魔法を調節し森の外のことすら考慮していたリウンの母親が死に、残されたリウンを守ろうとする原理が暴走したことに加えて、リウンの外の世界への不安が今の森の異常さを生んでしまったらしい。
「……ねえ、ウェニア。
まさかと思うけど、リウンの母親は―――」
魔女の魔法の暴走が魔女の死と、そして、その願いの根底にある我が子への愛であること。
そして、リウンの外の世界への不安がそれを一層強化していることも理解出来た。
けれども、それらを招いたであろう最悪の事実について僕は想像してしまった。
「―――殺されたの?
目の前で」
リウンが外の世界。
いや、外の世界の人間を恐れる理由。
リナが父親を失った時に見せたあの目とリウンが僕に対して外の世界の人間への恐怖を語った時の目が重なったことで僕はウェニアに訊ねた。
「……そうだろうな」
「……っ!!
クソっ……!!」
その答えを聞いて僕は無性に腹が立った。
あんな辛い思いをした子供がまたいたのだ。
きっと、リストさんと同じ様にリウンの母親も死んでも尚、我が子を愛し続けようとしていたのだ。
そんな親を子供の目の前で奪った相手がいることが許せなくて仕方がなかった。
あんな思いをさせる相手が。
「……今はその様な憤りに囚われている場合ではなかろう?」
「え?」
リストさんの時のことを思い出し、悔しさが蘇りそうになった時にウェニアが今はそう言う時ではないと止めてきた。
「貴様はこう思ったはずだ。
『リウンは悪くない。だが、このまま彼奴がここにいることで森の周囲の人間に多くの苦しみを与えることには変わりがない』とな。
リウンをどうしたいのだ?」
「それは……」
ウェニアは僕の心を見透かしたかの様に僕の心の中で生まれた葛藤について言及した。
そう。この森の異常にはリウンが無意識に関わっている。
あの子の外の世界への恐怖が母親の残した魔法の暴走を助長し、森の魔物の生息域を周辺へと広げてしまい、森が危険な場所へと変えてしまった。
それは人々から森に入ることを奪い、生活の糧さえも奪い、ルズの様な人間を生み出し、結果的にリストさんの命を奪うことにもなってしまった。
そのことへの懸念はある。
だけど、それを知らない、知ることが出来なかったリウンを責めることを僕には出来ない。
そもそもあの子がしているのはただの日常の生活だ。
生きるために食べて、耕し、料理し、眠る。
それが悪だと思えることが僕には出来ない。
「貴様はこうも思っているであろう?
『本当のことを知れば、リウンは苦しむことになる』とな」
「そうだよ……」
しかし、道徳的な善悪が問題ではないのだ。
僕が不安を感じているのはリウンがこの事実を知ってしまった時のことだ。
あの子は決して、悪い子ではない。
それ以上に善良で優しい子だ。
そんな子供が自分が原因で多くの人々を苦しめていると知った時、間違いなく罪悪感で傷付くことになる。
知ることさえなければ、大丈夫なんだろうけど……
単純にあの子に何も教えないでこのまま立ち去ればいいかもしれない。
それが一番安全で最善だろう。
何も他人の僕たちが余計なお節介なんかするのは間違っているかもしれない。
でも、それは―――!!
リウンが自分が知らないうちにただ生きるためだけに自分では知らないうちに人々の苦しみを作り続けてくことになる。
それを決して、罪だと断じることは傲慢だろう。
僕だって、元の世界では色々とそういったことを知らず知らずのうちにしていたはずだ。
それでも、これだけは分かる。
―――あの子を見捨てることだ!!
僕が教えなくてもあの子はこのことに気付く。
何となく分かるけど、あの子は聡い。
いや、そうでなくても義憤に駆られた誰かがあの子に事実を突き付けるだろう。
そうなった時に間違いなくあの子は自責の念に駆られる。
仮令、それが生きるための避けられない行動だとしても自分が原因で多くの人々を苦しめてしまったということはリウンにとっては許せないことだ。
そんなあの子の未来を知っていて放置するなんて見捨てることと変わりがない。
それだけは嫌だ!!
見捨てられるということがどれだけ恐ろしくて辛くて悲しいことなのかは僕は知っている。
既にルズの取り巻き達に対して、やっている時点でそれが偽善だということは理解している。
それでも、あの子が真実を知る時には誰かが傍にいなければならないはずだ。
「僕は―――」
自分が何をしたいのか、いや、何を思っているのかを自覚できた僕はウェニアに対して、先ほどの問いの疑問を返そうとした。
「―――あの子を森の外に連れて行きたい」
あの子が本当のことを知る時が来た時のために僕は外の世界へと連れて行きたい。
それが今、僕がしたいことだった。




