第七十八話「己への理解」
「……理解したか?」
「……うん。大丈夫」
ウェニアに手短かに作戦を教えられて僕はそれに従うことを示した。
確かに彼女の作戦ならば魔力の消費は最低限で留めることが出来るだろう。
……リザを下がらせたのは逆効果だったなぁ……
ただ作戦の都合上、リザを後ろに下がらせたのは失敗だった。
むしろ、彼女を危険な目に遭わせる可能性を高めてしまったかもしれない。
「グルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
―喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ!!!―
「ひっ!?」
「う、うわぁ!?」
「あわわ!!?」
魔物の雄叫びと共に木々が揺れ、その移動によりバキバキと折れていくのが感じ取れた。
その声にルズの取り巻き達が逃げるのも忘れてその場で恐怖していた。
あいつらは考えない様にしておこう……
今、ここで連中を放っておけば確実に死ぬことになる。
そのことに対して、自分に言い聞かせる様に見捨てることに決めた。
そうしないとウェニアが教えてくれた作戦を実行できないからだ。
それに今、あいつらを見捨てないという選択を選んだらウェニアとリザを危険に晒すから
ウェニアの作戦の中にはそもそも連中を守ると言う目的も手段も度外視している。
もしここで俺があいつらを助けようとすれば作戦に乱れが生じて二人を危険に晒す可能性が高い。
『人でなし』や『人殺し』と罵られても……
『あいつらが死んで当然』。
そんな風に割り切ったり、思える程僕は強くない。
とっくのとうに魔物の命で手が汚れている時点で命を奪うことに対して、抵抗感を覚える資格なんてないのに他人の命を度外視することへの恐怖はある。
だけど、それで『人殺し』や『人でなし』と言われ様とも守りたい、いや、守らなくてはならないものがある。
だから、諦めよう……今は……
助ける義務も情もない。
それでも誰かを見捨て、見殺しにするということへの罪悪とその選択を選ぶ自分への嫌悪感はある。
結局はクラスの連中と同じ事を僕はしている。
だけど、今の僕にはその自己嫌悪から逃げ出す選択を選ぶ権利などない。
だから、諦めることにした。
「……来るぞ!」
「!!」
ウェニアの声で僕はそれらの思考を止めた。
心がどれだけ傷んだとしても今はそれを我慢しなくてはならない。
そして、それらが邪魔になって考えを鈍らせることなど許されない。
そうなってしまえば、本当に自分が守りたいと願い、守らなくてはならないものを失うことになるだろう。
リストさんの時と同じ様に。
「グルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
―喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ!!!―
「ひっ!?」
「あぁ……!?」
「!」
でかい……!
複数の今まで目にしてきた大きさの魔物を伴い、先ほどから近付いてきた巨大な叫びの主がその声の野太さと大きさにそぐわない巨体を木々をなぎ倒しながら止めることなく進んで来る。
その姿は明らかにこの森で目にしてきたどの魔物よりも巨大だった。
前足、いや、最早腕と呼んでもいいであろうその部位は一撃で周囲の木々を粉砕するほどに太く、後ろ足もまたそれを無駄にしないであろう太さと頑強さを感じさせられた。
しかし、それらはアンバランスだった。
例えるのなら、熊の腕と毛を持つ蛙と言える。
気味の悪さだけで人間を含めた知能がある生物の心を蝕むだろう。
もし、現代日本で遭遇すればそれだけで夢の中に魘されるだろう。
「……臆するな」
「!」
余りの大きさとまるで人間の心を害するために生まれてきた見た目に僅かながらも恐怖を感じそうになった時、ウェニアのその一喝でそれは止んだ。
「分かっているな、ユウキ。
辛い役目だが」
「……うん」
ウェニアは僕を信じてくれていた。
そして、これから僕がやろうとしていることも気にかけてくれた。
それに僕は強く頷いた。
「グルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
―喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ!!!―
その醜悪な外見に見合う今まで聞いたことのない様な咆哮をとびっきりの大きさと野太さで奴は吠えた。
どうやら、ようやく目の前の獲物に気を、いや、飢えを昂らせているのだろう。
「グルァ!」
―喰ラウ!!―
「ひっ!?」
「うわ!?」
巨大な魔物の雄叫びを皮切りに通常の魔物たちが一斉に襲い掛かってきた。
それを見て、ルズの取り巻き達は背中を向けて森の奥へと逃げ出した。
「………………」
まだだ……!!
僕とウェニアは魔物たちが迫りくる中、動かなかった。
『我が合図するまで動くなよ?』
ウェニアに最初に言われたのは『動くな』という行動だった。
どれだけ恐ろしくても合図が出るまではウェニアは動くなと言ってきた。
それは反撃にも出るなという意味でもあった。
「逃げろ!!」
「助けてくれぇ!!」
「ひぃいいいいいいいい!!?」
そんな僕たちと対照的にルズの取り巻き達は魔物から逃れようと森の奥へと、つまりはリウンの家の方向へと逃げ出している。
これも作戦通りか……
『貴様には辛い役目を与えることになる』
既に魔物たちが近付いていて、今にも爪が届きそうな距離へと迫ってきている。
だが、ここまで全部がウェニアの作戦通りだった。
そして
「今だ!!」
「!!」
ウェニアの掛け声と共に僕は「強化魔法」を既にかけていた脚に力を入れてそのまま真後ろへと跳び下がった。
「グルァ!!」
―喰ラウ!!―
目の前の獲物、それもご馳走である僕が後ろに下がったのを見て、魔物たちはそれに興奮して一気に追いかける速度を速めた。
「お、おい!?てめ―――!?」
「………………」
転ばないようにしながら後ろ向きで後退していると一瞬で先に逃げていたルズの取り巻き達に追い越した。
それを見た男の一人が僕に対して助けを求めるか非難の言葉をぶつける様な目を向けてきた。
だけど、僕はその手を絶対に取らない様にした。
どんなに憎んでいる相手でもそんな助けを求めて必死な表情を浮かべられれば心が痛まない訳ではない。
だから、それを我慢するしかなかった。
「グルァ!!」
―喰ラウ!!―
「―――え。
ぎゃっ!?」
「っ……!」
そして、男は僕という餌を追ってきた魔物の爪牙にかかった。
いや、正確にはただ邪魔になったので薙ぎ払われたと言うべきだった。
『ユウキ。
恐らくだが、魔物は率先して貴様を狙うだろう』
この作戦の説明の前提条件として、ウェニアはそう言ってきた。
『貴様の魔力の質と量は魔物にとってはご馳走とも言えるものだ。
故に貴様は完全に彼奴らが貴様という餌に誘き寄せられるまで立ち止まっておけ』
僕の魔力は他の人間のものよりも魔物にとっては魅力的なものらしい。
その証拠に
「グルァ!!」
―喰ラウ!!―
魔物は今、殺したばかりの新鮮な肉に目もくれず僕を追いかけて来るだけであった。
その死体を踏み砕きながら。
「うっ……!!」
初めて、目にする人間の死体が原型を留めないに壊される音に吐き気を感じた。
ルズの様に人体の一部が切除されたものを見て、それに触って処理したばかりだと言うのに慣れることが出来ずにいた。
ああ……そうか……
同時に今ので理解出来てしまった。
これで僕は「人殺し」だ……
直接、命を奪った訳ではない。
けれども、僕が誘導する様な形で魔物が移動したことで今の男は踏み潰された。
それだけで僕ま間違いなく、人を殺した。
仮令、相手がどれだけ悪人であっても命を奪ったことを言い繕うことは出来ない。
背負うとか、そんな言葉がただの言い訳にしか感じない。
「グルァ!!」
―喰ラウ!!―
そんな僕の心情など知ったことかと言わんばかりに魔物たちは追いかけて来る。
その体に今、自分たちが殺したばかりの命の肉片と血を身に付けて。
さながらそれは僕の罪を突き付け『お前を逃がさない』と恨みを込める亡霊の様に感じた。
そうだね……
じゃあ、仕方ないよね……
心の何処かで僕は自分が綺麗なままでいたいと思っていた。
いや、本当は今も戻れるのならば戻りたいと願ってもいる。
だけど、僕はもう戻れないだろう。
だから、その分誰かに尽くさないと
自分は絶対に許されない。
そして、自分も絶対に自分を許すことが出来ない。
なのに罪を重ねないことも選べない。
なら、その分、他の誰かの為に自分を使い潰さないとだめだろう。
幸い、僕の魔力は魔物にとってはご馳走同然であり、それによって他の誰かを守ることは出来る。
それはきっと誰かの命を守ることに繋がるだろう。
「ユウキ。
分かっているな」
「うん」
少なくても、今、守るべき人たちは守ろう。
それが死ぬのが恐いくせに綺麗に生きることも出来ない僕が出来ることだ。




