行商人サギ
ウサ耳大活躍の予感
ラフー生活277日目、ブライと一緒にヨシィサの街に到着してから翌朝。
気が付いたら、ドワーフ族のおばさんに抱き締められた状態で俺はベッドの中に居た。
目覚めると、おばさんのオッパイがすぐ目の前にあってビックリだ。
すごく、おおきいです。
さらに、太い腕にギュッと抱き締められているので、まったく身動きがとれない。
どうしてこの状態になっているのか思い出そうとしたら、俺は頭が沸騰しそうな程熱くなる。
昨日の夕食時、皆の優しさが嬉しくて大泣きしちゃってから、そのまま眠ってしまったのだろう。
うわぁ、これはかなり恥ずかしい。
だがしかし、もうちょっとの間はこのままでも良いかなと思う自分がいる。
ダレイトスの所為で家族の記憶を失った俺だが、おばさんと一緒に寝ていると暖かいモノを思い出す。
きっと、日本の母との記憶の一部。
思い出せないけれど、日本で暮らしていた俺の母も、俺が幼き日はこうして一緒に寝てくれていたのだと感じる。
涙が自然にポロリと零れた。
日本の母、それに父は、俺が居なくなって悲しんでいるのではないか?
あぁ、思い出せない。
姿形も、声も、なにもかもが思い出せない。
ただ、両親が自分を育ててくれた感覚だけが残っている。
いっそ産まれが孤児ならば、こんなもどかしい想いをしなくて済んだのに……。
声を発てずに、また俺は泣いた。
おばさんの腕からそっと抜け出そうと試みるが、無理。
う~む、なんてパワフルなおばさんだ。
幼女ボディだが、ラフーである俺のパワーは大人並みにあるんだけどなぁ。
耳と尻尾ぐらいしか自由にならん。
足は幾分自由に動かせるけど、爪が出っぱなしのワンコっぽい俺の足だと、下手に動かすとおばさんを傷付けたり、毛布やシーツとか破っちゃいそうなんで、行動不能。
仕方が無いので、お耳ピコピコ動かして、周囲の音を拾う。
ブライを含めたドワーフ族の男衆のイビキと歯軋りが小さく聞こえた。
たぶん、俺が今居るテントとは違う別のテントで寝ているのだろう。
他に聞こえたのは、ウマだかロバだかが発てる音ぐらい。
う~ん、ここは安全なのか?
警戒しないと……おっと。
ピョコピョコ、ファッサファッサ……。
「フガ……。ファ……ブエェェィクションッ!!」
おばさんの顔にフサッとしたウサ耳が当たってクシャミ発生。
ご、ごめんなさい。
しかし、豪快なクシャミだな。
咄嗟に耳をV字に動かしてツバは回避したけど、音は回避出来ないので、耳がジンジンする。
いや、頭の天辺付近に霧吹きされた感触があるので、やっぱり回避してないや。
とほほ。
「……§ヮ……§ヮゐгρЪ」
「お、おひゃよーごじゃいましゅ」
目が合った。
思わず小声で朝の挨拶が俺の口から出る。
相変わらず噛みます。
最近特に酷いね。
「?……*Λ♯……はい、おはようさん」
ナーベル・シラー語で喋ったっ!
「おひゃよーごじゃいましゅ」
「ええ挨拶や。ホンマええ子や」
頭を撫でられた後、またギュッてされた。
おうふ、オッパイで窒息しそう。
おばさんはこの隊商の主人サギ氏の妻エーコと名乗った。
広場にある噴水で顔を一緒に洗いながら、そう教えてくれた。
噴水の水が意外に冷たく、頭がスッキリする。
ついでにツバを塗布された頭もチャチャッと洗髪。
うひゃ、冷たい。
俺がそうしている間も、エーコおばさんの言葉は止まらない。
「んでなぁ。ウチんとこのなぁ――」
「にゃぁ」
ただ、おしゃべり好きなのか色々と口にするんだが、話題がアチコチに飛び捲るのが難点である。
ついさっきまでは、孫のウッソがオネショしただとか、娘のケーコの旦那がギックリ腰になったとか話していたのだが、気が付いたらこの街の住人の悪口になっていた。
「ホンマ、天秤教の人らは困るわぁ」
天秤教?
戦神ダレイトスから貰った『冒険手引書』には、六柱の神々を奉ずる『六星教』しか記載されてなかったんだけど。
天秤がつくから、たぶん信仰している神様は『天秤の女神』セレスティアだろうな。
戦神ダレイトス曰く、元経理担当の棚ぼた女神様。
信者が知ったら卒倒しそうなネタだな。
察するに、多神教から分かれた一神教であろう。
六柱の神々を奉ずるのが面倒になったから……なんて事はないだろうけど。
エーコおばさん曰く、ちょっと嫌な人達の御様子。
う~ん、天秤教の人達に関わらないよう気をつけよう。
「§ヮゐг」
「フワァ~ッ、§ヮゐг」
「……おひゃよーごじゃいまっ!? しゅ?」
どうやら噴水で長話を聞かされたらしい。
エーコおばさんの娘ケーコさんと、その息子ウッソ君と合流。
よく見るとウッソ君、フルチンです。
「……」
「あんまり女の子が見ぃもんじゃなぁよ」
エーコおばさんから目隠しされる。
いや、別に興味ないんで。
「ほらほら、朝の準備おばさんと一緒にしようね」
「はい」
目隠しされたままエーコおばさんに押される俺。
背後でザバーッと水をぶっ掛けるような音と『冷てー』みたいな子供の悲鳴が聞こえたが、気にしない事にする。
噴水の水、結構冷たかったんだけど、風邪とか大丈夫か?
まさか、オネショしたので身体を洗いに――いや、考えるのは止めよう。
ゲルみたいなテントに戻ると、灰色髭のドワーフさんが居た。
この隊商の主人サギさんだ。
――っていうか、その名前でよく商売人出来るな。
「おうおう、もう起きてたのかい」
「はい。おきゃげさまで、よきゅ眠りぇました」
「おうおう、ええ嬢ちゃんだの。しっかりしておる」
好々爺といった感じの方だ。
ゴツゴツした手で優しく頭を撫でられた。
ちょっと恥ずかしいが、少しだけ嬉しくもある。
「嬢ちゃんにちーっとばかし話があるんじゃけど、良いかのぅ?」
「ええよ」
サギさんがエーコおばさんにそう言うと、俺を大きい方のテントへと招いた。
エーコおばさんは、朝食の準備をするそうなのでここで別れる。
なんだろう?
昨日の食事代の請求かな?
「……こん馬鹿についてなんじゃけどの」
「っ!?」
テントに入って驚いた。
「……ブリャイ?」
そこには周囲を男衆に囲まれ、ボコボコにされてボロ雑巾のようになったブライが転がされていたのだ。
ご丁寧にゴザっぽいものでグルグル簀巻き状態である。
何やったんだ、こいつ?
俺がブライの様子に唖然としていると、男衆の1人が前に進み出て、俺の前に跪いた。
え、何これ?
「Χ*≪εИСゐΒΛС」
「んっ。あー、なんじゃ。要は絞めといたと言う訳じゃな」
「……にゃ?」
絞めたって……ブライは彼等を怒らせる事でもしたのか?
うわー、ないわー。
さっさと荷物纏めて逃げた方が良いのかしらん。
「ψξ#§ρΧ」
俺の前に跪いたドワーフさんが、恭しく俺の手荷物を差し出す。
兜と戦斧、鞄と腹帯、それと手作りのコートだ。
げっ!
そういや、今の俺、シャツとズボンしか身につけてない。
心身ともに疲れていたとはいえ、油断していた。
「ご両親が残してくれた大事な物なんじゃろ? ちゃんと自分で守っておきなさい」
「は、はい」
コートを風呂敷代わりにして受け取る。
恥ずかしい。
そして、感謝したい。
ここのドワーフさん達が悪い人達でなくて良かった。
「ワシらは斧と鞄の事は誰にも言い触らしたりはせん。安心しなさい」
「……はい。ありぎゃとーごじゃいましゅ」
「ただ、のぅ。こん馬鹿みたいに口の軽いもんもおるでな。次からは気をつけるんじゃぞ?」
「はい」
サギさん、凄く良い人だ!
普通ならパクッてポッケナイナイするだろ。
それだけの価値が、この戦斧と無限鞄にあるだろうに。
なんて器の大きい人なんだ。
俺はサギさん達にしっかりと頭を下げた。
男衆は皆『気にするな』といった風だったし、サギさんは『よかよか』といった感じで笑顔で答えてくれた。
但し、簀巻き状態のブライは、俺達のやり取りは関係ないかの如く、イビキを発てて寝たままである。
すげーなコイツ。
意外に大物かもしれない。
朝食を食べてから、サギさんと2人っきりで話す。
ブライ?
あのオマヌケさんは、大きいテントに簀巻き状態のまま放置ですが、何か?
始めに、サギさんから昨日の顛末を聞く事になった。
俺が泣き疲れて寝てしまった後の事だ。
酒が入ったブライがオーグルの角を皆に見せびらかそうとしたらしい。
しかし、俺の無限鞄は俺以外の人が触れるとただの鞄でしかないようで、ブライがいくら逆さに振っても角が出ない。
で、まあ後は言わんやの事。
オーグル退治の話や俺との出会いを必死に話したそうだ。
俺が飛べる事だとか、癒しの魔術を使える事だとか、鞄の事だとかを、だ。
さらに俺の斧がどれだけ素晴らしいか証明しようとした。
ここで、事件発生。
俺の斧って、俺意外が勝手に使おうとすると無数のスパイクが飛び出て、直接握れないようになるらしい。
で、ブライは手に大怪我。
サギさんは俺の斧の特異性に気付いた。
この戦斧は『選ばれし者にしか使えぬ魔法の武器』だ、と。
ブライがこれ以上、俺の事や道具の事を吹聴するのは危険だと、商人の勘が告げたようで、皆で彼を取り押さえたに至る。
おうふ、何やってんだよ。
それを聞かされた俺はというと、迂闊だったなぁぐらいの感想しか出ない。
確かに大量の物資を苦もなく運べる魔法の鞄とかあったら、商人でなくとも喉から手が出る程欲するだろう。
それが元でいらぬ騒動が起こるのは確実である。
よくぞ欲に屈せず、秘密にしてくれたとサギさん達に感謝である。
まあ、秘密にする代わりいくつかして欲しい頼みは受ける事にはなったが……。
そこはまあ、商人だし受ける事にした。
一宿一飯の恩もあるからね。
ブライについては、もうそちらで好きにしてくれとしか言えん。
昨夜の話題はそこで終わり、今度は俺についての話になった。
ブライに話した内容と大差ないものであるが、サギさんはナーベル・シラー語が堪能なので、きちんと話した。
但し、『戦神ダレイトスに異世界から拉致されました』なんて言えないので、回答に困るものは全部『戦神ダレイトスの試練』で誤魔化す。
これでサギさんが納得するかは解らないが、俺なりに彼等に迷惑を掛けないレベルの受け答えをするしかない。
「おぉっ、なんという事じゃ。……まだこんなに幼いのにのぅ」
サギさんは目頭を押さえて俯いてしまった。
いかん。
これはブライと同じ勘違いパターンに突入しそうである。
「よいよい、……無理するでない」
何か言おうとしたら、手で制されてしまった。
またか!?
コイツもかっ!?
巫女様扱いは正直勘弁して欲しいのだが。
「辛かったろうに……」
なんとかブライと同じ状況にならないよう説得しようとしたら、ギュッてされた。
おうふ、もうダメだ。
コイツも勘違いしてやがる。
アレか?
『戦神ダレイトスの試練』がダメなのか?
でも、こう言うしかないじゃないか。
うわあっ、お爺ちゃんお願いだから感動しないでくれ!
騙したみたいで、俺の方が正直辛くて泣きそうです。
誰か助けて!
……。
ってな事がありまして、俺はしばらくの間、サギさん率いる隊商に御厄介になる事が決定しました。
やったね、就職出来たよっ!
……じゃねぇよっ!
どうしてこうなった?
いや、まあ悪くはないんだよ。
悪くは。
ご飯も食べさせてくれるし、寝床の世話もしてくれるし、この辺りの事も教えてくれる。
良い事だらけなんだよ。
うん、文句ないね。
「オデ、巫女様、守るっ!」
なんで、ブライまで厄介になってるんだよっ!
どうして、さも俺の騎士だと言わんばかりに側に居る?
礼なら、俺をサギさんに逢わせてくれただけで充分満足です。
それに地下迷宮はどうした?
オーグルの角持って、さっさと武者修行に戻れっ!
「にゃふぅ~」
ため息が零れた。
さて、自称護衛は放っておいて、幼少の身ではありますが恩返しをしようと思います。
ブライについてはもう諦めたとも言う。
「スグ・ナオールッ!」
パアァァ~~~ッ
活性化した霊素を癒しの力に変え、ギックリ腰になったケーコの旦那ドンブリさんへと注ぎます。
腹痛や食中毒には効いたけど、スグ・ナオールがギックリ腰に有効かは不明。
実験代わりじゃないけど、効くと良いなぁ。
「っ!? ΥεξゐΒψっ!!」
ホッ、どうやら完治したようだ。
奥さんと手を取り合って嬉しそうにダンスしてる。
ドンブリさんの後は、他のドワーフさん達の相手に移行。
ちょっとした火傷や移動中についた怪我等の治療だ。
うむ、勇者の仕事じゃないね。
どっちかと言えば、ヒロインの仕事じゃないか?
まあ、恩には恩で応えねばならんから、これはこれで良し。
「スグ・ナオールッ!」
「「「「おぉっ!」」」」
「流石、巫女様っ!」
後ろでドヤ顔してるブライが若干ウザイ。
え?
ウッソくんのオネショは癒せないかって?
試した事ないけど、無理じゃないかなぁ。
一応、やってみますね。
「スグ・ナオールッ!」
……いいのか?
戦神ダレイトスの加護をオネショ治療に使って?
い、いや、ウッソくんの為なんだ。
きっと善行の一環として、戦神ダレイトス様もお認めになるに違いない。
治療が終ってから、サギさん率いる隊商全員から『巫女様』と呼ばれるようになりました。
……穴があったら入りたい。
なお、ウッソくんのオネショは癒せませんでした。
なんでも魔法で解決よくない。
ウサ耳のラフーは活躍した……よね?