第1話 1人の旅立ち ~彼の場合~
俺は眼を閉じている。
足の裏に感じるのは学校の廊下ではない、土と草の感触だ。きっとアレだ、園芸部がプランターをぶちまけたに違いない。
さわやかな風が頬を撫でる。昇降口が近いこの場所は、すきま風がさわやかな芳香剤の香りを運んでくることもあるさ。
周囲からは悲鳴と嗚咽が聞こえてくる。ここは学校だ、色々なドラマも有るだろう。きっと別れ話を切り出された女が声を殺して泣いていて、友達の女がヒステリーを起こして男を罵っているのだろう。
大丈夫。大丈夫だ。俺はまだがんばれる。
前方数メートルの位置から男の断末魔と獣の唸り声が聞こえても。ついでに血の匂いも。
「………」
いい加減、現実を見ないと命の危険を感じるのでゆっくりと目を開く。
「oh…」
そこはまさしく阿鼻叫喚の地獄絵図。目の前ではスーツ姿の男性が4mはあるだろうクマのような生き物に右腕を噛まれ振り回されている。
その隣で女がクマにハンドバッグで攻撃を加えている。そんなに近づくと爪の餌食になるぞ?
こいつは「ツノツキグマ」か、頭部には二本の立派な角が生えているクマだ。ここシニス世界の第12領域では比較的危険な野生生物だ。だがEランク程度。一般的な魔導師でも余裕で殺せるレベルだ。
ただしパニックを起こしていなければだが…
「ふぅ~~~」
大きく息を吐き手をかざす。
立体魔法陣が腕の周りに現れて指先に魔力が集中する。
「三連弾丸」
唱えると指先から魔力の弾が3連発で発射される。
魔導の中でも初歩中の初歩と言われる魔法だ。分厚い毛皮を持つツノツキグマにはほとんど効果が無いだろう。ただし急所に全弾命中させれば話は別だ。
三発の魔法弾が吸い込まれるようにツノツキグマの眉間に命中する。
一発目が皮膚を削り、二発目が骨を砕き、三発目が脳に食い込む。
ツノツキグマは男の腕を放すとそのまま前へ倒れこむ。男も何とか避けてクマに潰されなかった。大けがは負ったが命に別状は無いだろう。
そこでようやく一息ついて周囲を見回してみる。
同じ制服を着ているやつが何人もいる、どうやら今回の神隠しは学園周辺の人たちが巻き込まれたらしい。
「遠くの崖の上にもいるな、100人以上いそうだ」
しかし本当にシニス世界か?確かにド田舎だ民家の一つも見当たらない。まずは確認だ。本当にそうなら俺はこれから魔王討伐に向かわなければならない。
給料使っちゃったしな…
俺は遠くに見える小川の方角へ歩き出した。
周囲の連中までついてくる。一人にして欲しいのに。
少し歩くと村が見えてくる、世帯数20程の小さな村だ、あそこならここがどこか正確に解るだろう。
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村にたどり着くまでに2回も魔物に襲われた。こんなことなら先頭に立って歩くんじゃなかった。
村に入って真っ先に目に入ったのはトンボのような羽を持つ小人だった。
「あれは…妖精族か?」
妖精族…小人のような姿の種族。羽付きの小人は人族と共存し、羽無しの小人は魔王の配下である。たしか第11魔王は妖精族出身だったけ?
確定だ。勇者誕生の瞬間だ。平和な世界で暮らしてきた思い上がったちょっとイタい子供が魔王討伐の旅に出る、古のゲームみたいな話だ。
…やはりリタイアの可能性も考えながらプランを練ろう。やれるだけやったという姿勢を人に見せておくのは重要だろう。そうなると目撃者としての仲間も必要になるか。友達も作れない俺に仲間なんて作れるだろうか?
などと後ろ向きなことを考えていると…
「あのぅ…」
「ん?」
「もしかして、デクス世界からの旅人の方ですか?」
なぜ分かった!?…っあ、服装か。
相手は初めて見る他種族「妖精族」だ。未知との遭遇だ。ここは十八番のクール気取りでファーストコンタクトを試みる。
「あぁ、ここはシニス世界で間違いないか?」
「すっご~い!異世界人だ!初めて見た!でもこっちの人族と見た目全然変わらないね♪」
…ファーストコンタクト失敗。こちらの質問は無視された。やはりコミュニケーションには練度ある、長いこと使わないと錆びついてしまうようだ。
いやいやまてまて、そう決め付けるのは早計だ。妖精族は総じて子供っぽい性格と聞く、俺のコミュニケーションスキルがガラクタだと決まった訳ではない。
「もう一度聞くぞ、ここはシニス世界だな?」
「そうですよ。当たり前じゃないですか、デクス世界には妖精族は居ないんでしょ? 子供でも知ってますよ」
………
うん。知ってる、知ってたよ。それでも確認したいんだよ。映画でも答えが分かりきっててもこうやって聞くだろ?
「あれ? 怒らないんですか? イラッときませんでした?」
あぁそうか、俺はケンカを売られてたのか、こんな小さい子に…泣きたくなってきたな。
「あはは、ごめんなさい。これ私たち妖精族の挨拶代りみたいなものなんです。妖精族はイタズラ好き、きっとこの先にも同じようなコトされると思うけど、怒らないでくださいね」
そうか、なんて嫌な種族特性だ。しかしそういう性質だと知っていれば落ち込ま…怒らないか。
「でも完全にノーリアクションされると、妖精族のプライドに傷がつくなぁ」
うるさい! こっちはハートが傷つく!
これは俺が自ら編み出した対人スキル『強情者の面の皮』により、どれだけ頭のなかでテンパッてようとも無表情を貫けるからだ。
「はぁ…もういい、この集落の代表者に合わせてくれ、今回の被害者は100人以上いそうだ。首都と連絡を取りたい」
シニス世界にはトラベラー被害者のための組織がある。その組織もこの世界への入植者が作り上げたもので、被害者はまずそこへ出頭するよう教えられている。
「いいですよ~。あっちの奥に見える一番大きい家が長老様の家です。アタシは先に行ってお客が来たことを伝えに行きます」
「ああ、悪いな」
性悪妖精が「ピロロ~」と音を出して飛んで行く。何かのアニメで聞いた音だ。いったいあの音はどこから発生しているのだろう? 妖精族、その生態は未だ謎が多い。
長老の家に歩を進めながら村の中を見回す。
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「ようこそ異世界の迷い人よ。さぞ大変な目に合われたことでしょう」
出迎えてくれたのは、年の割にフッサフサな長老様。首の上の九割が毛で覆われていて目も見えない。雪男か? わずかに見える頬の色から人族と判断した。
他に何故か妖精族が10人程…
「おぉ~アレが異世界人け?な~んか目つき悪り~ぞ」
「そうそう、何言っても無反応なの。もしかしたら異世界人って不感症なのかも」
「クスクス」
「いや~アイツが特別感度低いんだろ」
「神経質っポイ顔してっけどな」
倒れそうだった…妖精族の洗礼×10の集中砲火が炸裂する。
「コレお前たち。お客人に失礼なことを言うでない」
長老! 今は同じ人族の貴方だけが味方だ。さあそのウルサイ羽虫どもを追い払ってくれ。
「程々にな」
甘いよ長老! この長老身内に甘すぎるよ!
この溜まった鬱憤は、羽無し妖精族を見つけた時、オーバーキルして憂さ晴らししてやる。
ついでに雪男もブラックリストに追加しておく。
ふと見ると、後ろには被害者たちが続々と集まってくる。あ、同じクラスのやつがいる。
本来ならリーダーみたいな事はしたくないが、俺は一刻も早くこの胸クソ悪い村から出て行きたいので話を続ける。
一つ咳払いをして、わざと不機嫌そうな声で長老に話しかける。
「ゴホン。長老、そろそろよろしいですか?」
「おぬしら、少し静かにしておくれ。いや~スマンスマン。この村の妖精族は他所よりもイタズラ好きで困っておるんじゃ」
はしゃぐ孫を見て喜ぶ爺ちゃんみたいだ。通りで甘いはずだ。
「それで長老、この村で首都の機関との連絡は取れますか?」
長老は軽く首を振る。
「こんな僻地の村でそれは無理じゃ」
おいおいこの村もしかして、前人未到レベルの秘境にあるのか? 首都に辿り着くまで1年とか掛からないといいんだが…
「この近くなら…『商業都市ギルデロイ』まで行かなければならないだろう」
商業都市ギルデロイ、人の名前みたいな街だな。
「ギルデロイ…ここからその都市までどの位掛かります?」
「連絡馬車で1週間といったところじゃな」
馬車で1週間か、単独徒歩なら倍は掛かるかな? どちらにしろ思っていたより全然近い。雪男と妖精の暮らす村なら地の果てって可能性も考えていたが杞憂だったか。
「ギルデロイからさらに1週間ほど行くと、『防魔衛星都市アレス』がある。そこまで行けば鉄道で首都まで3日程じゃろう」
鉄道で3日って相当遠いな、もし無ければ何ヶ月も掛かる所だ。それよりこの話の流れからいくと…
「ところで銀の売却はギルデロイまで行かなければ出来ないですか?」
「うむ、少量であれば商隊が来た時にできるが、当分は来る予定もない」
このシニス世界で「銀」は非常に貴重だ。こちら側の世界にしか無い特殊な合成技術により「神聖銀」という合金を作るために必要不可欠なのだ。
この神聖銀という金属は、軽いのに剛性が高く、とにかく高価なのだが、美しい銀色の輝きと破魔の力があり、神聖銀製の装備を一式揃えるのは家一軒分ほどの額が掛かると言われている。
そのためレイフォード財団はシルバーアクセサリを身につけるよう推奨している。俺は財布に古い銀貨を入れているが。このように少量の銀でもこの世界では数日生きていけるほどの金額になる。
もっとも2ヶ月前の一万人神隠し事件のせいで、多少相場が荒れているかもしれないが。
しかたない、俺1人なら数週間野営できる装備もある。余計な人間関係に巻き込まれる前にとっとと旅立つか。
「では俺がギルデロイまで行き、此処に神隠し被害者がいることを機関に知らせてきます」
「む? 1人で行くつもりですかな?」
「先ほど村の中を見ました。この村にはいきなり現れた100人以上の難民を受け入れるだけの余裕は無いでしょう。少しでも早い方がいい。連絡したからといって直ぐに支援が来るわけでも無いだろうから」
長老が押し黙り、後ろの連中も一様に口を噤む。
よし。後は勇者の旅立ちだ。こんな序盤の田舎村には二度と立ち寄ることはないだろう。
すると後ろから誰かが声を上げる。
「俺も行くぜ!」
「私も行きます」
「俺もだ!」
「僕も」
なにぃ!? どこのバカ共だそんな命知らずなことを言い出すのは!?
見れば名乗りを上げた連中は皆制服を着ている。学生組だ。
あぁ、これは完全に俺のミスだ。入学したての下級生が先頭に立って仕切っているのを見れば上級生は面白く無いだろう。そして今の状況を楽観視してしまう、その結果2週間程度の旅など大したこと無いと思い込んだ。
こいつら絶対実戦経験ないよな?
まあ、魔法学院に入れた時点で余程ヘッポコでない限り死ぬことなくたどり着けるだろう。相当過酷な旅になると思うが。
うん。まあこれも一種の社会勉強だ。敢えて止めたりはしない。余計な反感買うだけだし。後ろの連中を無視して長老に尋ねる。
「長老、地図はありますか?」
「おぉ、そこの壁に掛かっておる。首都までのルートとその周辺の地図じゃ」
俺は礼を言いつつ地図を携帯のカメラで撮影。これで準備は整った。
地図を確認してみると、この村は「ユキト村」というらしい、雪男村じゃないのか惜しいな。ここより奥地にも一つだけ村がある、海に面している漁村のようだ。そこから船を出せないか? とも思ったが魔物が闊歩する世界で小さな船で海を渡るのは自殺行為だな。
となると正攻法の徒歩ルートだな。ギルデロイまでの間に小さな村が3つ…大きな町は無し、森を無視して最短距離を行けば半分ぐらいの時間でたどり着けそうだな。状況を見て決めるか。
最後に一番大切なことを聞く。
「長老、お祭り戦争は今どうなっていますか?」
ザワッ
周囲が一瞬ざわめいて静寂が包む。
「うむ、春先から騒がしくなってきた、恐らくもう始まっておる」
―――お祭り戦争
第11魔王が退屈しのぎに数年おきに起こしている戦争。
妖精族出身の第11魔王は領土的野心を一切持たず、ただただ遊ぶためにトゥエルブを蹂躙する。それゆえのお祭り戦争である。
学生組の顔色が陰る。
これで思い止まるのならそれもいいだろう。
よし、旅立ちだ。一秒でも早くここを去るんだ。
「霧島」
と、思ったら声をかけられた。
人に霧島って呼ばれた。何か月ぶりだろう…なのにまったくうれしくない、果てしなく煩わしい。俺の名前を憶えている人間がいた事に驚きだよ。
ため息を漏らしながら振り返る。
「何だ?」
「あ~…お前これからどうするんだ?」
は? どうって何が? 自分で聞きたいことが分からないのに声を掛けるな。てか「お前」呼びされるほど俺たち仲イイの? 俺「お前」の名前知らないけど?
「さっき言っただろ、ギルデロイに行き首都と連絡を取る」
「そ~か…え~とだな…」
あぁこれはアレだな、友達チャンスだな。
でもこいつは駄目だ。友達になれそうにない。すごくイライラする。
「お前らも気をつけろよ。ギルデロイで会おう」
心にもないことを言う。こう言っておけば「一緒に行こうぜ」的なことを言われないで済む。これが相手の心証を悪くしないギリギリのラインだ、これ以上は吹き出しそうになる。
「あ…あぁ、お前もな」
俺はさっさとその場を後にする。さらばだ「お前」結局名前は分からず終いだ。
おそらくギルデロイでは再会できないだろう。お前が辿り着くころには俺はきっと首都に向かっているだろうから。
村の出入り口にはまだ次々と被害者たちが入ってくる。怪我をしている人も多い。これは本当に急いだ方が良さそうだ。
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村を出てすぐは見通しの良い広大な麦畑が広がっている。しばらくは街道沿いに歩いてみよう。
と、思っていた矢先、遠くの方に何かデカいのが見える。
「なんだアレ? 道の真ん中に大きな岩?」
道はふさがっているが脇を通ればいいとそのまま進むと、岩のまわりに小さいのが数人…
あぁ、妖精族だ。それも羽無し妖精。第11魔王の兵隊だ。それに岩も動いている、岩人形ってやつか、どうやらこのタイミングでユキト村を襲うつもりらしい。
ちょうどイイ。先ほど溜まったストレスをリリースしよう。あんなモノを溜め込むとこの先妖精族はみんな敵として認識してしまいそうだ。
この位置なら村からも見えないだろう。
制服の内ポケットから一枚のカードを取り出す。これは・『魔器|(魔導補助器)』・魔術を魔法科学的に補助するアイテムに変化する道具だ。値段は軽自動車一台分ほど。本来学生が持てるような物ではない。
しかもこの魔器は特別製。オリジン機関の課程を最後まで終えた者にのみ与えられる『魔神器』だ。性能は従来の魔器と異なり変化機能はない。代わりに補助アイテムを直接取り出すことができる。持ち歩ける貸金庫みたいなものだ。
青いロボットの便利ポケットがイメージ的に近いが、あそこまで無制限にモノを収められるわけではない。10メートル四方の部屋が不思議空間に用意されているだけだ。出入り口のサイズにも上限があり大き過ぎるものを入れることもできないし、生き物も入れられない。
色々制限もあるが非常に便利なアイテムだ。俺が手ぶらで数週間旅ができるのも魔神器に必要なものが標準で収められているからだ。
今回は憂さ晴らしということで、エグい武器を使ってみよう。
カードの周囲に立体魔方陣が現れ、そこに右腕を突っ込む。引き抜くとそこには刃渡り1.5メートル程、回転刃が付いている剣『分断剣』が握られていた。
羽無し妖精共もこちらに気付いたようだ。
素手の左腕を前に突き出す。
「第4階位級 火炎魔術『皇炎』ラヴィス・レイム 岩人形を吹き飛ばせ」
左腕から放たれた光弾はすさまじい速度で飛びストーンゴーレムに当たると
カッ!!! すさまじい轟音と巨大な火柱が上がる。ストーンゴーレムの体は消えていた。
「しまった…完全にやりすぎた。第5階位級で十分だった」
羽無し妖精がキーキー騒ぎながらこちらに向かってくる。魔王の兵隊に逃げるという選択肢はないらしい。
「第7階位級 身体強化魔術『強化』ファースト」
今度は最低ランクの身体強化魔術を自らの体に掛ける。
チェインソードを両手で持ち柄部分にある引き金を引く。
回転刃が派手な駆動音を奏でながら高速で回り始める。
羽無し妖精は一瞬怯むが止まらずに突っ込んでくる。いい根性をしている。
そしてそのまま俺は体ごと回転させて敵とすれ違う。
敵は5人、切り裂いた感触は一切無い。引き金から指を放すと回転刃は徐々に速度を落としやがて停止する。
振り向けばそこには、体を寸断された敵が散らばっていた。
ストレスは発散されたがスッキリはしなかった。分かっていたことだ。人の形をした者を斬るのはやはり気持ちのいいものではない、しかし嫌でも慣れなければならない。この世界で生きていくならなおさらだ。
「第7階位級 火炎魔術『送火』ヴァン・フィアー」
敵の亡骸を火葬する。シニス世界では人型種族はこうしないとアンデッドとしてモンスター化してしまうらしい。それは我々トラベラーも例外ではない。
もし仲間の人族が殺されたら、こうして火葬しなければならない。だからこそ足手まといの仲間など必要ないのだ。
「本当に厄介なことになった」
霧島神那はそうつぶやくと、商業都市ギルデロイへの旅を再開したのだった。