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真正面から向かい合うように座り直す。
ティエルは少女に恐る恐る視線を向け、口を開いた。
「じゃあ、まず始めに」
「はいどーぞ」
少女はどんっと胸を叩いた。その姿は実に頼もしい。
ティエルは何を聞こうかと少しだけ黙り、すぐに口を開いた。
「えっと、君は人間、だよね?」
「うん、そう」
「じゃ、じゃあ、名前は?」
「エヴィ、エヴィ・F・エンドレス」
エヴィ・F・エンドレス。その名を声には出さずになぞる。
「……覚えやすそうな名前だな」
そうしてティエルはふと何の気なしにそう呟いた。
だが言ってからすぐにしまった、と思う。
昔、ある女の子に名前が覚えやすいと言って怒られた事のあるティエルは、恐る恐る彼女、エヴィの方へと視線を向けた。
しかし対するエヴィは照れ笑いのようなものを浮かべて
「そうなの! エヴィって呼んで」
と目を輝かせて思いきり顔を近づけてきた。先ほどの怒った顔とは違うのだが、それに近しい物を感じて思わず身じろぐ。
どうやらエヴィはティエルを怒った彼女と違い、そういうことは気にしないらしい。
むしろそう言われて嬉しいようだ。
ティエルはその嬉しそうな顔を思わず見つめてしまった。
明かりがあるせいか、さっきよりもエヴィがよく見える。全身真っ黒に見えた少女はよく見てみると真っ黒ではなく、濃い灰色であったらしい。髪も服もドレスグローブもどれも濃い灰色。
そして、大きくて少したれ目な黒い瞳も、光の角度によっては紺色のように見えた。「う、うん。えっと、近いよ、エヴィ」
つい隅々まで見てしまった。ティエルは内心で赤面しながら取り繕うようにそう言った。
彼女は最初のとき以上に顔を近づいてくることはなく、名前を呼ばれて満足したのか満面の笑みで後ろに下がった。
「で、他に質問は?」
ティエルは胸のあたりに手を当て、「え、えっと後は……」と考える振りをしながら早まる動悸を抑えようと数回深呼吸をした。
すっかり上機嫌なエヴィはニコニコしながらティエルの次の言葉を待っている。
「えっと、エヴィはなんでこんなところにいるんだ?」
「うん。ちょっとやらなきゃいけいことがあって」
「やらなきゃいけないこと?」
「うん」
それが具体的にどういうものかを答える気はないのだろう。エヴィは頷いたきり、次に言葉を発することはなかった。
「この部屋は、その、やらなきゃいけないことのためにある部屋なのか?」
地面を指差す。エヴィはそれに習ってか、愛しそうに地面を撫でながらはにかんだ。
「そうだよ。わたし手づくり!」
手作り、その言葉にティエルは食い付いた。
「じゃ、じゃあ、エヴィはここから出る方法を知ってるのか!?」
まるで飛びかかるようにエヴィの両肩を掴む。
エヴィは「へ!?」と悲鳴のようなものを上げた。
「なあ、どうなんだ。ここから出れるのか!? それとも出れないのか!?」
がくがくと肩を揺さぶる。
微かな希望を見つけて興奮しているティエルには
「ちょ、ちょっと、ま、まって、ゆ、ゆら、ゆらさないでっ……!」
という悲痛な叫びはもはや聞こえていない。
「教えてくれ、エヴィ!」
がくがくがくがくがくがくがくがく。
そうしてしばらく揺すっていると、突然、ぷつんっと何かの切れる音がした。
「ん?」
それにようやく手が止まる。
「エ、エヴィ!?」
そこでようやくティエルはエヴィが蒼白い顔で今にも死んでしまいそうになっていることに気づいた。
「……てぃえる、なんか……」
蒼白な少女の口からまるで呪詛のような恐ろしい声が溢れ出す。
「てぃえる、なんか、一生ここからでられなければいいの!」
そして次の瞬間には勢いよく跳ね起き、驚くくらいの早口で罵詈雑言を浴びせてきた。
「なにをするのこの乱暴者! わたしってば見た目よりもずっと繊細なのに! それに何度もまってって、まってって言った! なのに人の話を聞かないっていうのはどういうことなの! というかいきなり女の子の肩を抱くなんて失礼だよ! この変態! 最低! 顔はかっこいいのに!! 顔は好みなのにぃ!!!」
部屋にエヴィの声が木霊する。
エヴィは一通り叫び終わると、言いたいことを言って落ち着いたのか、息を整えようと何度も何度も深呼吸を繰り返していた。
そして息を整えてから、ふんっと一つ息を吐き、
「でも、あやまるならだしてあげるの」
と言った。
「あ、出方は知ってるんだ」
咄嗟にそう返す。
「……もう、ださない」
エヴィは腕を組むと不機嫌そうに顔を逸らした。
「ああ、ごめん。謝るから、謝るから許して!」
完全に機嫌を損ねてしまったらしい。ティエルは前に両手をつくと、深々と頭を下げた。
前にもこんなことがあったなあ、と思いながら。
「どうか、私の数々の無礼をお許しください。どうか、お慈悲を」
頭を下げているティエルには、エヴィがどんな顔をしているのかわからない。
だから許しの言葉がかかるまで、つまりは彼女の気が晴れるまでこうしている頭を上げずにいようというくらいの覚悟はあった。
しかし
「もう、いいの。……よく考えれば、王子様に土下座をさせるなんてだめだよね」
という声が、すぐに頭上からかけられた。
経験上、こんなにも早く許してもらえたことのないティエルは普通に驚いてしまう。
「俺は、別に構わないけど」
苦笑をこぼして顔を上げる。
エヴィはすっかり機嫌が治ったようで、同じように苦笑いを浮かべてティエルを見ていた。
「ごめんね。ちょっとびっくりしたの」
困ったように眉を寄せて言う。
「いや。俺の方こそ取り乱した。ごめん」
ティエルも素直にそう言い返した。
「もういいの」
エヴィは困った顔のまま言うと、口元に僅かな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
それにティエルもつられて笑った。
そして切り替えるように「あー」と言う。
エヴィは不思議そうな顔でティエルを見た。
ティエルはエヴィの様子を伺いながら口を開く。
「えっと、もう一度聞くようで悪いんだが、この部屋からは出られるのか?」
怯えた様子のティエルに苦笑いを浮かべつつ、エヴィは小さく頷いてみせた。
「うん。でられるよ」
「そうか。良かった……」
それにほっとティエルは息を吐いた。
「ただし」
しかしエヴィがそう言うと、その安堵の顔が少し曇った。
エヴィは可笑しそうに笑うと
「そんな深刻そうな顔しないで」
と言った。
そして言葉を続ける。
「ちょっと準備とかあるからすこし時間がかかるかも」
と。
「準備?」
「うん。まあ、ティエルはここで座って待っててくれて良いの」
エヴィは言い終わるときょろきょろと辺りを見渡した後、ゆったりとした動作で立ち上がった。
立ち上がると同時に地面に描かれた紋様をなぞるように歩き始める。
「ティエルはどうやってここに入ったの?」
「俺は、こんな感じの模様に触ったら突然壁が突き抜けて、気づいたらここ居た」
ティエルは好奇心に満ちた眼差しでその様子を眺めながら答えた。
「ふぅん。それは災難だったね」
エヴィは笑いながらそう言い、紋様の上で立ち止まっては床をとんとんと二回ほど靴で叩いていった。
謎の行動だ、とティエルは思った。
そうしてエヴィが踏み鳴らしたところをよく見てみる。そこの図の形が若干変わっている、ような気がした。
複雑怪奇なそれが本当に変わっているのか、変わる前の紋様をよく見ていなかったティエルには判断することができなかった。
しばらく紋様を踏み鳴らすエヴィの靴音だけが部屋の中に響く。
「よし、これで大丈夫」
やがて、紋様の上を一通り歩き終わったエヴィがティエルの前に戻ってきた。
「何してたんだ?」
「陣の調整」
額に浮かぶ汗を軽く拭いながら、エヴィは少しだけ疲れたような声で答えた。
「じゃあ、でようか」
そうしてまるで自分に言い聞かせるように呟き、ドレスローブに包まれたしなやかな手をティエルに差し出す。
「立てる?」
ティエルはその手を遠慮がちにそっと掴むと、それを支えに立ち上がった。
「ありがとう」
「いえいえ」
微笑む彼女の顔を見つめる。
「……なに?」
エヴィは少し照れくさそうな顔をした。
「いや」
思わず顔を逸らす。
「ただ、どうやって出るのかなって」
顔を逸らしたついでに部屋全体を見渡してみるが、何度見ても出口のような場所はない。同じく、入口のような場所もないのだが。
「そんなに小難しいことはしないの」
エヴィは口元に手を添えて可笑しそうに笑った。
「と、早くしないと。本当にでられなくなっちゃうよ」
そして慌てたように言って、すっと右手を上にあげた。
言葉と行動の意味がわからず、顔をしかめる。
「目をつぶっていることをおすすめするよ」
エヴィはティエルの戸惑いなど知らん顔で言うと、同時に中指と親指を擦り合わせて良く響くパチンッという小気味いい音を鳴らした。
途端、部屋の中に音が響く。部屋の中にこだまする。そして、吸い込まれる。
その瞬間、世界が回り出した。
「うっ……!」
先ほど襲われた眩暈とは全く違う、世界自体が歪む感覚。ぐるぐるぐるぐると世界が回って周りの色が変わっていく。
その感覚に耐えきれず、ティエルは思わず目を瞑った。
しばらく直視していたせいか気分が悪い。
膝に手をついてぐっと吐き気をこらえる。閉じた目の向こうで何が起きているのか全くわからない。しかし、目を開く気は起きなかった。
荒い息を整えようと何度も何度も息を吸っては吐いた。しかし、全然落ち着かない。
「っ……」
もう一度微かに呻く。
ティエルは何度も何度も落ち着けと心の中で唱え、大きく息を吸って吐くことを意識した。すると段々と呼吸が落ち着いてくる。
そう思った時、ふと涼しい風が頬を撫でた。
部屋を抜け出したときと同じ、心地のいい風。
外にいる感覚。
ティエルは恐る恐る硬く閉じていた目を開いてみた。
「あれ」
その途端、思わずそう声が出る。
目の前に広がる景色は紛れもない外だった。
自分の前に立つ少女の後ろには見たことのある木々の群れ。眩しいくらいに降り注ぐ太陽光。後ろを振り返るとこれまた見覚えのある城壁があった。
「で、れた?」
急いで前に向き直す。
エヴィはひどく心配そうな顔でティエルを見ていた。
「気分はどう?」
「あ、えっと、少し、気分が悪いくらい……」
と、しどろもどろになりつつそう答える。
「なら良かった」
すると彼女はほっとしたような、とても嬉しそうに微笑んだ。
太陽の下で見るその笑顔には不思議な美しさがあって、ティエルは思わず見惚れそうになった。
しかしエヴィはそんな様子に気付くこともなく
「願いが叶ったね」
と言ってくるくると楽しそうに回り始めた。
その、ともすれば仰々しく感じてしまう言葉にティエルは我に返り、それから少し苦笑いを浮かべた。
確かにあの部屋から出ることは『願い』だったのかもしれないと、そう思ったのだ。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は回転を止めることなくそう答えた。
風が吹き、長い髪がふわふわと宙を舞う。
「何にもかわらないね。この世界は」
彼女はまるで久しぶりに外に出るような口振りでそう呟いた。
「うん」
ティエルは静かに頷いた。
しばらく二人の間に流れる風の音と木々のざわめきだけが響く。
目が回らないのだろうか。そんな風に思いながらティエルは回り続けるエヴィを見つめていた。
このまま放っておいたらいつまでも回っていそうだ。
ティエルは少しだけエヴィから視線を逸らすと、考え込むような顔をした。
そして意を決したようにエヴィの方を向き直して口を開く。
「どうやって、出たんだ」
真っ直ぐに相手を見据えるティエルに答えるように、エヴィも回るのを止めてティエルを真っ直ぐ見つめ返した。
「簡単だよ。下の陣を転移用にかえただけ」
エヴィはあっさりとそう答えた。
「陣を変えて、魔法で出たって言うのか?」
「うん」
ティエルはそれに表情を少しだけ硬くする。
「あの陣は何で書かれてたんだ?」
「石灰だよ。石灰でかかれた陣に魔力をながしてた」
「それを変えたって?」
「うん。あれくらいなら造作もないよ」
エヴィはにこりと笑ってみせると地下でやったようにとんとんと二回、足を踏み鳴らしてみせた。芝生の上では音が鳴らないのでなにも起きる事はない。
「…………」
「信じられない?」
エヴィはすっかり黙ってしまったティエルに不安げな面持ちで言った。
「ああ」
小さく頷いてみせる。
すると、一人納得したような顔でエヴィは苦々しげに笑った。
「ねえ、ティエルは魔法の発動条件をしっている?」
そんな笑顔を浮かべたまま、エヴィは小首を傾げる。
質問の意図がわからないティエルはただ混乱するばかりだった。
「知っては、いるけど……」
「じゃあ、それなしでも魔法が使えるってことはしってる?」
「は!?」
予想していなかった答えにティエルは上擦った声を上げた。
しかし、彼女はやはり素知らぬ顔で言葉を続ける。
「だから、人が魔法をつかうには旋律を奏でる音歌が、竜人が魔法をつかうには言葉を詠む文詠が必要。ということは知っているんでしょ?」
「うん」
「それなしでも魔法は使えるの。だれでもってわけじゃないけど」
「…………」
訳がわからない。そう思ったティエルはすっかり黙りこくってしまった。
エヴィはただ静かに、少し俯きがちに佇んでティエルの言葉を待っている。
しばらくの沈黙。
ティエルは意を決して口を開いた。
「エヴィ、君は何者なんだ……?」
するとエヴィはゆっくりと顔を上げて
「わたしは、エヴィ・F・エンドレス」
まるで唄うように言った。
「九百年前に眠りについた魔女なの」




