序章
この小説には、一部ボーイズラブやガールズラブ、いわゆる同性愛の表現が含まれております。
苦手な方はご注意ください。
また、本格的な同性愛小説でもありませんので、悪しからず。
夏が過ぎ去り、冬に向かおうとしている今日この頃、やはりまだ外は直射日光によりうだる暑さを保ったままで、それに呼応するように地面もまた太陽のそれと同じうだるような暑さを照り返している。
そんな町中を、上手に日陰を歩きながら芦屋美奈子は目的地を探していた。
「二個目を右……」
四つ折りにされた小さな紙には、自分の感性を盛り込んだポップな図柄もはしゃいでいて、なんだか不思議の森を探索しているようで、他人の目から見ても楽しめそうな代物に仕上がっている。
彼女は今を楽しんでいる、つらいという感覚はないし、ここ数年フラストレーションだとか、ストレスといった言葉ともご無沙汰である。しかし、それは彼女の心が傷ついていないということではない、それなりの酷い恋も体験してきたし、鳩に糞を落とされたこともあった。しかし、彼女はどこか怒るという感情が欠如しているように怒ることがないのだ。本人はそれで満足している。
だからこうして、学校の木材を使い過ぎて怒られて、自分で調達して来いと炎天下を歩かされても、新しい発見と興奮が上回り、イライラはそれこそ日照りにやられてノックダウンしていた。
「高倉材木店……高倉……」
都会と言っても、一本脇道に入っただけで印象はガラリと変わる。商店街というほど所狭しと店は建っていないものの、住宅街と言うほど家も建っていない。それぞれが孤立していて、それでいてつながっているような印象だった。
神社から道に伸びた木陰に隠れながら、金物屋さんと、昭和歌謡の大御所さんのブロマイドを売っているよくわからない店を超えた先、少し大きな道と交差しようとする手前に、目的の材木店は建っていた。
地図と周りを確認し、看板の『高倉材木店』を指さし確認して、まずは店の横に陣取る。
そーっと、中を覗くようにして少しずつ近づく、窓から中が見えたのでこっそりと覗いてみると、部屋の中央に作業用の大きな台があり、その上に板、その上に仰向けに寝そべり頭にタオルを巻いた人がいて、携帯をチェックしていた。
覗いていると目の前から若い男性が迫ってきて、少し気まずくなって覗くのをやめる。
そして美奈子は、意を決して声をかけてみた。
「あのー……」
男は携帯を打つ指を止め、仰向けの状態のまま、頭だけを反らして目を合わせた。
「高倉真さんですよね? 大塚美術大学から来ました芦屋です。よろしくおねがいします!! 」
「あっ、あぁ!! 今日だったか、ちょっ……どわっ!! 」
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熱い。あまりにも熱い。
出不精な彼、佐藤孝幸が、会社以外で外に出るのには理由がある。
とある雑誌の発売日が、その出る日なのだが、あえて通販に頼らない理由は下世話な話で、店員さんがタイプだからである。
孝幸は日陰に入る努力もせず、ただただ歩道を作業のように歩いていく。そんな彼の目に留まったのは一人の女性である。
特に見どころもないような街で、女性が覗くほどの店があったかと考えるが見当たらない。ファッション専門店も、お洒落なカフェも無い。
女性は孝幸が視線を向けていることに気が付くと、バツが悪そうな表情で覗くのを止め、その建物の中へと足を進めた。
近い距離まで来て、彼女が小さく震えたような声で自己紹介しているところを見ると、悪い人ではなさそうだし、なんらかの関係者であろうとも推測できる。
(高倉材木店……若い女性が休日返上で来るようにも思えないな)
そんなことを思って横切ると、緊張した女性を見つめながら、ラフな格好に頭にタオルを巻いた男が、寝そべった状態から必死で起き上がろうとしていた。
視線を前に戻し、目的地へと思考を切り替える前に大きな音が響いた。落ちたらしい。
彼が向かっているのは本屋ではない。それは彼の性的志向が向く先が、少しだけ周りと違うことに関係する。
大通りに出るか出ないかのところ、ボロボロの建物の一階、長い暖簾をくぐった先は、一般人が見たら反応に困る花畑が広がっていた。
ド派手な下着、大人の玩具、そういった雑誌にそういったDVD、カウンターにはいつもの……。
「あれ? 誰? 」
「あ、常連さん? 祐樹なら休みだよ。俺は代理店番の花村です、よろしく」
そういって椅子から立ち上がりながら、カウンター越しに握手を交わした。
「花村さんも、そっちの人? 」
「あぁ、俺はバイだよ」
「そうなんですか……」
もともと対人関係も苦手な孝幸は、それ以上彼に踏み込めなかった。バイということは、可能性がつぶれたわけではなかったが、ドギマギして上手く言葉が紡げなかった。
いつも孝幸は考えていたのだ、僕を無条件で愛してくれる、四十以上の紳士で、背が高くて、熊みたいにヒゲ生やしてて、デブでもガリガリでもないような人が、目の前に都合よくあらわれてくれないかなと。
最初の一つ以外をクリアしているのだ。つまり、花村は孝幸のタイプだった。
「はい、二百円のお返しです。ありがとうございます」
また来ますも何も言えないまま、外に出て少し後悔。空気を大きく吸い込んで、大きくため息を吐いて、帰宅。
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見てしまった。高村花は、この世の心理に近づいたような顔になっていただろう、信号はとっくに青なのにもかかわらず、一歩が踏み出せなかった。彼女の性格上、顔はまったくの動揺を見せなかったためか、横を通っていく人からいぶかしげな眼で見られてしまった。
彼女は三十路を手前にしたキャリアウーマンで、職場では仕事ができて怖い上司として、彼女の所属する部署以外でも人気というか、悪名高いというか、有名である。
そんな彼女が職場の仲間、同僚、上司に部下、気を置けない友人以外に隠しているとある趣味があった。それこそ、ここで彼女を棒立ちにさせてしまう要因である。
彼女の趣味、それは彼女を世間でなんと呼ぶかですぐわかることだ。
━━━【腐女子】━━━
いったいどこからきたのか、彼女自身はあまりこだわらない。自分を象徴するのに都合のいい言葉があったというだけのこと。
それゆえか、彼女は男がある意味では趣味という形になっているがため、恋愛対象に見れなくなってしまったのである。
そして今、前よりリサーチしていた県内唯一のゲイショプから、一人の男の子が出てきたのだ。周りにその存在を知る者はおらず、知っていたとしても同業者。彼は大きくため息を吐いている。どうしたのかと気になったが、すぐに角を曲がって行ってしまい、視界から消えた。
その少年が堰になっていたかのように、彼女の足は自然と動き出すものの、すでに赤信号へと変わっていた。
表情一つかえないものの、内心初めて確実なゲイを目の当たりにして踊り出したい気分である。
そんな感情を抑えつつ、信号を渡り、いつものコンビニへと足を運ぶ。
「花さん!! 」
背筋がビクッとした。嫌いな感触、たぶんアイツだ。
「お疲れ様です花さん、今日は何する予定ですか? 」
「アンタに関係無いだろ」
「それもそうですね、ハハハッ!! 」
背は百八十あるとかないとか、柔道で国体に出たとか出ないとか、ヤクザを十人まとめてのしたとかのさなかったとか、まぁ、そんな武勇伝まがいな噂が飛び交うコイツは猪頭辰之助。花の部署の部長である。
偶然にも家が近く、よくゴミ出しで顔を合わせるし、近所のコンビニもこの一件でよく顔を合わせる。
しかし、花は彼が嫌いだった。暑苦しくて、ゴツくて、粗暴だからだ。彼女自身クールというか、静かな場所や、静かな時間が好きな人間だったので、一々関わってくるウザい上司としか思っていなかった。
「なにか奢りましょうか? コンビニでアレですけど」
「結構です」
少し強く言いすぎたか、何かに気づいたような顔をして頭をかき、苦笑いを浮かべて店内に入っていく。
自分も中に入りたかったが、なんとなく居心地が悪かったので外で煙草を吸うことにした。
火をつけたところで、初老の男とその娘だろうか二人組が出てきた。それをとやかく言うような僻みったらしいほど家族に飢えてはいないが、男の目線とかすかに聞こえた言葉が、どうも腹がたった。
「女だって煙草ぐらい吸うっつぅの!! 」
珍しく怒ってしまい、アイツに見られてないか店内を覗くと目が合ってしまった。最悪だ。
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最近の若者はなっとらん。口癖のように、一日最低でも一回は口にする言葉だった。
佐藤幸一は泣く子も黙る大塚東高校の生徒主任で、規律を守り、人情に厚い、昔堅気の人物だった。
彼には許せないものがたくさんあった。染められた髪、顔を隠さんばかりのメイク、音を立てるほどの多すぎる装飾、胸元の開いた服、背中が丸見えな服、ミニスカート、女性がするタトゥー、女性がする煙草、ありとあらゆる“今時フツーっしょ? ”が嫌いだった。
「先生はいつもここでご飯を? 」
「いや、いつもは妻が作ってくれる。休みの日は俺が自腹切ってるだけだ」
隣でおにぎりをどれにしようか悩んでいる少女は鈴木美郷、幸一の元教え子で、今年大学一年生である。
美郷は幸一を慕っており、こうして卒業した後も学校に顔を出したり、行事の補助をやったりしていた。夏には部活のマネージャーのようなものもしており、幸一もまた美郷のことを、最近にしてはいい若者だと、自分の教育に間違い無かったと思わせてくれる存在である。
休日の今日も、学校の管理当番だった幸一に、美郷が付き合った型である。
「貸しなさい、今日は俺の奢りだ」
「大丈夫です。ちゃんとバイトもしてますから」
「女性が体を張るものじゃない、バイトのことはいいとして、男として払わないわけにはいかないからな」
そう言って幸一は、自分の蕎麦の上に彼女のおにぎりを乗せレジに向かった。
本当は怒ってやりたかった、美郷にではない、幸一は目の前のやる気のない茶髪の女性店員に一喝を入れてやりたい気持をグッと堪えた。
これは、彼女の前だからとかではなく、彼の経験論からだった。
会計を済ませ、外に出た途端に、外気の照りつける暑さよりも、煙草を吸っている女性が気になって仕方が無かった。だからつい言葉が喉を突いて出てしまった。
「女のくせに、煙草など吸いやがって……」
彼はこう言う人間だった。彼の中には普通があって、それに逸脱するものは異常である。彼は普通が好きだった。昔からではない、彼にも彼なりの歴史があってのことだった。
それでも美郷は軽蔑もせず『先生の言うことも一理あるから』と言って、変わらぬ笑顔を見せてくれる。
そんな普通を愛する彼には一つ、どうしても気がかりなことがあった。
昨今も同業者の仕業であろう、否、彼自身はソイツらを同業者と呼びたくはないほど、卑劣で、不埒で、卑下するに値する行動であるからだ。
そう、彼はいわゆるロリコンであり、若い女性が大好きだった。
しかし、彼の心情たる普通を逸脱する思考だと、自分自身を戒めて生きてきた。そんな彼はある意味で、美郷からの信頼の念が辛かった。
美郷は幸一の中で忘れられない存在になろうとしていたからである。
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【マイノリティ達の昼下がり】