第1話 脳裏に浮かぶ“選択肢”
――――――――――告白をした。そして、振られた。
春休暇になって、久しぶりに戻ってきた王宮の自室。
高く設けられた窓から差し込む朝の光が、室内を照らしている。
その眩しさに、思わず目を細める。
首元まで伸びた金髪が、差し込む光を受けてきらめく。
その隙間から覗く瞳は、宝石を思わせる鮮やかな青。
均整の取れた彫刻のような顔立ちは、作り物めいているほど整っていた。
ここ、王都ヴァイスベルクの王子――アルノーシュ・フォン・ヴァイスベルク。
その名にふさわしい姿が、窓辺に静かに佇んでいる。
私はゆっくりと窓際へ歩み寄り、頬をなでる心地よい風に身を委ねた。
王宮で迎える朝は、これまでにも幾度となくあったはずだ。
けれど、なぜか今日の空気は、ひどく新鮮に感じられる。
その窓の下から、楽しそうなお喋りが聞こえてきた。
窓越しに視線を落とせば、庭で働く侍女たちの姿が見える。
忙しそうに動き回りながらも、ときおり顔を見合わせては笑い合っていた。
その光景をぼんやりと眺めているうちに、胸の奥に、ひとりの少女の面影が浮かぶ。
――彼女は、元気だろうか。
去年、入学してきた当初から、なぜか心惹かれた彼女――リリアーナ・ローゼン。
珍しい光魔法の適性を持つ者として特待生に選ばれ、二年生だった私の教室へ転入してきた、可憐な花のような少女。
春、湖畔への遠足では、花の名前をひとつひとつ教えてくれた。
夏は王都を離れての長期休暇。手紙のやり取りだけで胸が高鳴った。
秋の文化祭では、気がつけば彼女の姿ばかりを目で追っていた。
冬は舞踏会。たった一曲を共に踊るために、何日も練習を重ねた。
彼女の聖女のような包容力。いつも穏やかに微笑む唇。落ち着いた声の響き。思慮深く言葉を選びながら語りかけてくる話し方――。
そのすべてが、私の心に静かに、しかし確実に積み重なっていった。
気づけば、彼女以外、目に入らなくなっていた。
少しずつ距離を縮め、甘やかな空気が生まれていく日々。
その中で、彼女もまた、少なからず私に好意を抱いてくれているのだと――私は信じて疑わなかった。
けれど、結果は玉砕。
それでも、憂いを帯びた表情で私の告白を断る彼女の姿は、あまりにも美しかった。
胸が締めつけられながらも、その気高さに見惚れてしまった自分がいる。
後悔はない。
振られてしまった現実は、受け止めよう。
それに、私だけではない。
友人である宰相の息子ユリアンも、騎士団長の息子で共に剣術を学ぶライルも、リリアーナに告白し、そして振られている。
誰も選ばなかった彼女の決断を、私たちはそれぞれに受け入れた。
それでもなお、彼女を思い出すと、私の心は不思議と温かくなる。
痛みと同時に、確かな幸福の余韻が残っているのだ。
――などと感傷に浸っているうちに、朝食の時間が差し迫っていることに気づいた。このまま悠長にしていれば、確実に遅れてしまう。
ダイニングで父上たちを待たせてしまうのも忍びないが、着替えずに朝食へ向かうのも憚られる。
さて、どうしたものか。
『遅れるなど許される行為ではない。時間は守るものだ。上着を羽織れば済む。このままダイニングへ向かうべきだ』
『寝間着のまま顔を合わせるなど言語道断だ。多少遅れても身だしなみを整えるべきだ。クローゼットで今日の服を確認しなければ』
――二つの考えが、ほとんど同時に頭へ浮かんだ。
どちらも正論だ。
だが、私はこれまで、ここまで明確に思考が分かれる感覚を覚えただろうか。
もしかすると、無意識のうちに整理していたのかもしれない。
ならば、どちらかを選べばいいだけのことだ。
それなのに、どちらも正しく思えて、決めきれない。
この程度のことで迷う自分が、ひどく不慣れに感じられ、わずかな困惑が胸をよぎる。
そうこうしているうちに、朝食の時間は目前だ。もはや悠長に悩んでいる余地はない。
仕方ない。今日は上着を羽織って、このまま向かおう。
私は手近にあったシルクの上着を手に取り、軽く整えてから、家族の待つダイニングへと足を向けた。
◇
ダイニングでは、すでに父上と母上が席についていた。にこやかに挨拶をし、席へと腰を下ろす。
「おはよう」と柔らかく返事をしてくれる母上と言葉を交わしながら、私は自然と視線を巡らせる。どうやら、クラリッサはまだ来ていないようだ。
クラリッサとは、私の一つ下の妹である。
身内びいきのつもりはないが、幼い顔立ちに似合う長めのツインテールを結び、細いリボンを幾重にも巻きつけたその姿は、私にはなかなか可愛い妹に見えている。
最近は少し背伸びをしているのか、昔のように素直に甘えてくることは減った。言葉遣いにも、思春期特有のわずかな棘が混じるようになってきたが、それもまた成長の証なのだろう。
それでも――私にとって、彼女が大切な妹であることに変わりはない。
本来なら、昨日は学園から一緒に帰るはずだった。
しかし三学年への進級準備に予想以上の時間がかかり、同じ馬車で帰ることができなかった。
私が王宮に到着したころにはすでに夜も更けており、まだクラリッサとは顔を合わせていない。
同じ理由で、父上と母上にも、昨日はひとまず帰参の挨拶をしただけで、学園での報告まではできていなかった。
王子として首席で入学し、そのまま首位を保って三学年へ進級したこと。
隣国とのスポーツ交流で代表に選ばれ、それなりの結果を残せたこと。
王家の名を背負う者として、この国の模範であろうと努めてきた日々の積み重ね――。
今日の朝食後にでも、学園生活のことをきちんと伝えよう。
そう思いながら、私は朝食が運ばれてくるのを待った。
そのとき、ダイニングの扉が勢いよく開かれた。
「アルノーシュお兄様! リリアーナさんに振られたって、本当なの!?」
王女とは思えぬ大声とともに、クラリッサが飛び込んでくる。
――妹よ。傷心の兄を、朝食の席で公開処刑とは、どういうつもりだ。
父上も母上も目を丸くしている。そういう話題は、せめて自室で小声で切り出してくれればいいものを。
内心では様々な言葉が渦巻いたが、私は表情に出さず、笑みを保ったまま受け止める。
だが、クラリッサはさらに追い打ちをかけてくる。
「何を考えているのかしら、リリアーナさんは! 宰相の息子のユリアンも、騎士団長の長男のライルも、クラスメイトのエリオも、はたまたクレイン先生にまで告白されて、全部振ったくせに、本命はお兄様かと思ったら違うって、どういうことよ!」
一気にまくし立てるその勢いに、私は思わず瞬きをする。
私が振られたことに、そこまで怒ってくれるとは。
多少態度が刺々しくなっていたとしても、やはり気にかけてくれていたのか――そう思えば、その騒ぎ方さえ微笑ましく思えた。
私は身体を妹の方へ向け、落ち着いた声で告げる。
「単に彼女は、誰も選ばなかっただけだよ。それが彼女なりの優しさだと、私も、ユリアンも、ライルも納得している。友情に変わりはない。心配してくれて嬉し――」
「は? 気持ち悪い」
………………ん?
クラリッサは心底呆れたような顔で言い放った。
その空気は、兄を案じる妹のそれではない。
「心配なんてしていないわ。前々から思っていたけど、誰にでも色目を使っているリリアーナさんに、お兄様もユリアンもライルも、事情は全部承知の上であれだけ仲睦まじくしていたのでしょう? それが私には理解できないの。どうしてみんな納得しているのよ。気持ち悪い」
一息に吐き出した後、ようやく気持ちが落ち着いたのか――あるいは呆気にとられている両親の存在に気づいたのか、クラリッサはコホンと小さく咳払いを一つ挟んだ。
そして、先ほどまでの激しさが嘘のように、王女らしく優雅に椅子へ腰を下ろす。
「いや、それは彼女が尊い存在で……」
「それが気持ち悪いって言ってるのよ」
私とは目を合わせたくないとでもいうように、クラリッサはそっぽを向いたまま答えた。
――おかしい。
元々少々きついところはあったが、ここまであからさまに人を悪く言う妹ではなかった。
それに、妹とリリアーナは顔見知りのはずだ。
友人と呼べるほど親しかったわけではないにせよ、学園にいる間は、それなりに懐いていたではないか。
「大体、お兄様。学園で、どんな噂が立っているか知ってる?」
ツンとした態度のまま、こちらを見もせずにクラリッサは言葉を投げてくる。
――なぜ妹は、これほどまでに豹変したのだ。
「女性一人捕まえておけない優柔不断な王子様。このままで、本当に王になる素質はあるのだろうか、ですってよ?」
――なぜ、世間までこれほど豹変したのだ。
今まで静かに成り行きを見守っていた父と母が、神妙な面持ちで私へと言葉を投げかけた。
「アルノーシュよ。後で執務室に来なさい。詳しく話を聞こうじゃないか」
「勉学以外も学ぶために学園へ入ったというのに……自覚が足りなかったのかしら」
落胆を含んだ声音が、胸に重く落ちる。
クラリッサの言葉と、両親の態度。その意味を、私は否応なく理解した。
――――これは、私の評価がだだ下がりでは?




