第1話 日本国、転移する
歴史的瞬間が、永田町を包んでいた。
衆議院本会議場。議場を埋め尽くす視線が、一人の若者に注がれている。
年齢は二十九歳。史上最年少の内閣総理大臣、朝倉悠真。
「……本日より、私は日本国の舵を握ることになりました。全身全霊で日本の課題に立ち向かってまいります」
壇上に立つ青年の声は、静かだが力強かった。
議員席から拍手が湧き起こる。
だが、それは全員が心からの賛辞を送っているわけではない。
――若すぎる。
――経験が足りない。
――他に選択肢はなかった。
前政権の不祥事と失策。経済の停滞。国民の政治不信。
閉塞感を打ち破る「象徴」として、世論は若き総理を求めた。
その象徴こそ、この男、朝倉悠真だった。
壇上の青年は笑みを浮かべ、一礼した。
しかし、心臓は乱打するように胸を叩いていた。
(……いや、前代未聞すぎるだろ)
議場を出た瞬間、足取りは重くなる。
国会議事堂の廊下を進みながら、朝倉は深く息を吐いた。
なぜ、俺がここにいるのか。
元々、朝倉悠真は政治家家系の出ではなかった。
学歴は申し分ない。有名大学法学部を卒業後、官僚として入省。外交・経済政策の分野で頭角を現し、若くして政治家に転身した。
学者肌ではあったが、議論では的確で、論理的に物事を整理する力は抜きん出ていた。
だが、それだけでは総理になれるはずもなかった。
前政権は度重なる不祥事と失政で国民の信頼を失い、与党内も混乱していた。
汚職、外交の迷走、経済停滞――国会は不信任案が議題に上がるほどに腐敗していた。
そのタイミングで、党内外から一人の若手議員に目が向けられる。
――それが、朝倉悠真だった。
議会討論会での冷静かつ的確な発言。
SNSで拡散された討論動画は、若者世代に圧倒的支持を得る。
「古い政治家には任せられない」
「この人なら国を変えてくれるかもしれない」
党内のベテラン議員たちは議論した。
「経験は浅いが、国民受けは抜群だ」
「このタイミングで若手を担ぎ上げるしかない」
そして、世論の圧力と政治的な駆け引きが重なり、結果的に党内外で“妥協の象徴”として朝倉を総理に押し上げたのだった。
(象徴……か。俺が総理になった理由は、能力の絶対評価ではなく、国民が求めた象徴性だ)
胸の奥に重くのしかかる責任感。
国民の期待を背負った象徴としての自分を、悠真は自覚せざるを得なかった。
――それから、時間はあっという間に過ぎていった。
朝は各省庁からの報告書に目を通し、昼は官僚や閣僚との調整、夜は国会や記者会見。
総理としての一日がどれほど濃密か、就任する前は想像すらしていなかった。
初めのうちは全てが手探りだったが、二週間もすれば書類の山にも会議の空気にも慣れ始め、自分なりのペースをつかめるようになっていた。
「総理、次の打ち合わせの前に、少し休憩を取りましょうか」
落ち着いた声が執務室に響く。
振り返れば、グレーのスーツをきっちりと着こなした女性が立っていた。
加藤千秋。五十代前半、キャリア官僚出身の総理秘書官。
就任直後から、悠真を陰に陽に支えてきた現実的な参謀だ。
「助かります、加藤さん。まだ、自分が総理であることに慣れなくて……」
悠真は自嘲気味に笑う。
千秋はわずかに眉を上げ、微笑みもせずに応じた。
「ご立派ですよ、総理。あなたはこの国のトップに立ってから二週間が経ちました」
「そうですか、二週間か……。なんだか半年ぐらいやっている気がします」
千秋は手元のタブレットを操作しながら言った。
「就任以来、あなたはエネルギー安全保障会議、日米首脳電話会談、そして国会での所信表明をしてきました。最低限のレールには乗っています」
「最低限ですか……」
「ええ、最低限です。でも、それだけでも新人総理としては上出来。ここまで混乱なく進められたのは、知識があるからでしょう」
悠真は小さく息を吐き、机に置かれた書類を撫でた。
「知識があっても、判断は難しい。正直、経験が足りないって痛感しています」
「経験は私や官僚が補います。総理にしかできないことは、旗を立て、決断すること。それができる人は、年齢に関係なく希少です」
千秋は静かにそう告げた。
その声に、悠真の胸の奥に溜まっていた重さが、少しだけ軽くなる。
(……俺は一人じゃない。皆が支えてくれている。だからこそ、総理大臣としての使命を果たさんとな)
ちょうどその時だった。
だんだんだんだん、という足音が徐々にこの執務室に近づいてくる。
(誰かが走ってこっちに向かっている?)
そう感じ、悠真はドアの方を見つめる。
千秋も同じように体を向けた。
その足音は執務室のドアの目の前まで到達したかと思えば、突然ドアが乱暴に開かれ、そこから若い秘書官が駆け込んできた。
「総理! 大変です!」
あまりにも大きい声と珍しい出来事に、朝倉は反射的に立ち上がった。
「どうした!?」
ノックもせずに執務室に入ってくることは本当に珍しい。明らかな異常事態だ。
とても嫌な予感がする。
悠真は何が起きてもいいようにと身を構える。
秘書官は告げた。
「インターネットが……全国的にまったく繋がらなくなっています!」
告げられたのは、全くの予想外の事態についてだった。
「インターネットが……? 全国的に?」
思わず復唱する。理解が追いつかない。
「インターネットが全国的に使えなくなることなどあるのか!?」
インターネットは現代で必須の媒体だ。それが使えなくなったとすれば、現代国家が成り行かなくなるぐらいにはクソみたいな事案だ。
「各自治体からも、民間企業からも報告が。TwitterもLINEも沈黙して、国民が一斉に混乱しています!」
「そ、そんな馬鹿な……」
朝倉は額に手を当てた。
悪い冗談だと思いたい。
(就任してからまだ二週間だぞ…。国家存亡の危機は勘弁してくれ…!)
内心では非常に焦っているが、焦ってる暇はないと自身の心に言い聞かせ、この事態に対応しようとする。
「大規模障害か? サイバー攻撃か? いや、それなら一部だけ落ちるはずじゃ……」
千秋がすぐにタブレットを取り出し、操作を繰り返す。
「……駄目です。どの回線も接続できません。国内の閉じたシステムは動いているようですが、国外への接続が完全に途絶しています」
「国外への接続が……? そんな、海底ケーブルが全部同時に切断されたっていうのか?」
「わ、分かりません! とにかく総務省に連絡を!」秘書官が叫ぶ。
悠真は即座に内線で連絡をとった。
胸の奥で焦燥と恐怖が渦を巻く。
千秋が顔を上げる。
「総理、ひとまず落ち着いてください。これは障害なのか、それとも別の要因なのか、まだ断定できません。ただし、この状況で国民が黙っていられるとも思えません。迅速に、何らかの形で国民に声明を出しましょう。有難いことに、テレビやラジオなどの1部ネットワークは使えるようです」
「……そうですね」
朝倉は深く息を吐き、秘書官に向き直った。
「すぐにNHKを押さえてください。テレビとラジオ、同時に全国放送です。私が国民に直接話します」
「は、はい!」秘書官が慌ただしく駆け出していく。
朝倉は机に手をつき、千秋を見た。
「関係閣僚も呼んでください。総務、防衛、経産、あと内閣官房長官も。会議を開きます」
「承知しました。総理」
静まり返った執務室に、まだ胸の鼓動がやけに大きく響いている。
朝倉は目を閉じ、わずかに呟いた。
「何が何だかさっぱり分からん。……頼むぞ、日本。持ちこたえてくれ!!」
悠真は事が大きくならないよう願うばかりだった。
━━━NHKの放送室から朝倉悠真がのこのこと歩いて出てくる。
小さく息を吐く。
これからの日本はどうなってしまうのか。国民の前では気前の良い事を言って、深刻な事態だと思われないように猶予したが、前代未聞の大事件が起きてるんだから誤魔化しが効くのも最初のうちだけだろう。
日本の未来を憂いたまま、悠真は首相執務室へ直行した。
首相執務室に戻ると、すでに閣僚たちが揃っていた。防衛大臣、外務大臣、経産大臣、厚労大臣、官房長官──それぞれが分厚いファイルを抱え、緊張した面持ちで総理の到着を待っていた。
悠真が席につくと、千秋が合図し、官房長官が口火を切る。
「インターネットの復旧の目処は未だにたっておりません。国内のシステムは稼働していることから、おそらくアメリカのデータセンターに何か異常が発生している可能性があります。しかし、そのアメリカとの連絡が海底ケーブルを通じても連絡が繋がりません。」
深刻な事態であることを改めて認識し、悠真は唾を飲む。
防衛大臣が話を続ける。
「そして、自衛隊からの報告です。海上哨戒機、艦艇が海の調査を行ったところ、一定の距離から未知の海域が広がっていることを確認いたしました。」
未知の海域だと…?
防衛大臣が取り出した地図には赤い印が並んでいた。どうやら本来あった島が無くなっているところを赤く塗っているようだ。
「gpsは使えなくなり、他国とは通信が取れず、未知の海が広がった。…いや、そんな馬鹿げたことがあるか。つまり…」
とある可能性が頭に浮かぶ。だが、その推測はあまりにもファンタジーすぎる。だが、そうとしか考えられなかった。
そう思い、その先を言い淀んでいると、千秋が淡々とまとめた。
「えぇ。つまり、日本列島とその周囲数百キロの海域だけが転移したと考えるのが妥当です。」
閣僚達が歯を食いしばる。
どうやら、俺がいない間に原因について話し合っており、既に国ごと転移してしまっている可能性については考慮していたようだ。
そして、その推測は、アメリカなどの他の国とはもう出会えないという絶望を生み出すには十分だった。
経産大臣が眉をひそめる。
「国ごと転移したかしてないかの議論は、後でいたしましょう。まずは、目下の課題に取り組みましょう。」
そう言って、経産大臣は日本の現状について話し始めた。
「国内のインフラは持ちこたえております。ただし、燃料備蓄は最長で半年程度。輸入に依存していた資源が途絶えれば、その後は厳しい状況に追い込まれるでしょう。」
それに続けて、厚労大臣はメモを読み上げた。
「医薬品も同様です。特にワクチンや抗生物質の原料は海外依存度が高い。早急に優先順位を定めて管理しなければなりません。」
日本は輸入に依存している国である。いや、今どき依存してない国は珍しいが。しかし、輸入が出来なくなった時、ダメージが最も大きい国の1つは日本なのだ。
そのことを改めて実感し、悠真は深く息を吸う。
「そうですね。まず、燃料と食料、医療資源の在庫を全国的に洗い出しておきましょうか。そして、配分計画を立て、国民に余計な混乱を与えぬよう準備しましょう。」
総務大臣が控えめに挙手し、発言の許しを得る。
「総理、各自治体からの問い合わせが殺到しております。『今後どう動けばいいのか』『中央からの指示を待つべきか』と。正直、霞が関の各省庁も混乱しており……現場に丸投げされかねない状況です。」
悠真は顎に手を当てた。自治体が混乱すれば、国民の不安は一気に膨れ上がる。
「まずは自治体に伝えてください。国からの指示を待つのではなく、各地域で住民を守ることを最優先に。そのうえで、政府が全面的に支援する、と。」
千秋が横から補足する。
「総理、通信網が途絶した今、NHKや民放、ラジオといった放送インフラが唯一の生命線になります。自治体に向けても、緊急放送で一定の方針を発信してはどうでしょうか。」
「そうしましょう」
悠真は頷く。
そして、手を挙げている防衛大臣に視線を移し、防衛大臣に発言の許可を出す。
何か未知の海についての新しい情報があったのだろうと察した。
防衛大臣が声を引き締める。
「航空自衛隊が、太平洋側で不明な島影を発見したとの報告がありました。」
「島……?」と経産大臣が呟いた。
防衛大臣は頷く。
「従来の地図には存在しない島です。詳細はまだ確認中ですが……どうやら、人為的な建造物らしき影もあると。」
その情報に会議室がざわめき始める。
本来存在しない島が出現していて、そこに人影があった。その事実は、閣僚達に深い混乱を与えた。
もちろん、悠真も例外ではない。
悠真は無意識に拳を握った。
「調査を急がせてください。ただし、絶対に無用な刺激を与えてはいけません。まずは情報収集を。」
防衛大臣が深く頭を下げる。
とんでもない爆弾情報ではあるが、全員が1分1秒が日本の未来を左右することを分かっているため、会議は進み続ける。
「食料の備蓄について報告します。」
農水大臣が資料を広げる。
「国内の米は当面一年分は確保可能です。しかし小麦、トウモロコシ、大豆は三か月程度で枯渇します。特に畜産業は飼料の供給が絶たれれば壊滅的打撃を受けるでしょう。」
経産大臣が重苦しい声をかぶせる。
「燃料備蓄も同様です。石油はおよそ半年。電力は今のところ問題ありませんが、液化天然ガスが途絶すれば火力発電は大幅に制限されます。」
次々と積み重なる報告に、悠真は黙って耳を傾けた。頭の奥がじんじんと熱くなる。
会議室が緊張で満たされる。食料、燃料、医療、外交、防衛。
目の前に広がるのは、未曾有の国家的難題の山だった。
それでも悠真は、迷わず前を向いた。
「……分かりました。各分野で即応計画を立て、速やかに国民へ伝えましょう。国民が最も恐れるのは見えない不安です。私たちが道筋を示さなければならない。」
「では、具体的に進めましょう。」
千秋の言葉を皮切りに、会議室にペンの音が走った。
「まずは食料と燃料、医薬品の在庫状況を精査し、政府主導で一元管理します。農水・経産・厚労の三省を軸に物資安定対策班を設置してください。」
「了解しました。」農水大臣が深く頭を下げる。
「石油不足には、石油不足対策班を設置しましょう。代替エネルギーの模索や、日本の油田の活用について模索してもらいます。たしか、新潟あたりに油田がありましたよね?」
「はい。活用できるかについても迅速に調査させます」経産大臣が秘書官に指示を出した。
この後も、各分野に対して大雑把な対応指示を出していった。私が正しい指示を出来ているかは分からない。いや、正しいかはどうでもいい。ただ、今は指揮する人間がどうしても必要なのだ。
抽象的な指示を出し、政府の方針を決めていく。
──しばらくして、千秋がつぶやく。
「総理、そろそろ記者会見を開きましょう。」
悠真は拳を握り、会議室を見渡した。
「分かりました。政府の方針を伝えましょう。」
方針については少しずつだか定まってきていた。なにか予想外のことが起きずに方針通りに物事が進めば、なんとかではあるが日本は存続することができるだろう。
防衛大臣が深く息を吐き、低く呟いた。
「……アメリカも中国もいないとなると、我々の言葉ひとつが未来を大きく左右しますな。」
そんな何気ない発言の直後だった。
秘書官が資料を抱えて駆け込んできたのは。
インターネットが繋がらなかった時のデジャブを感じ、悠真の嫌な予感が働く。
ちょうど次の方針が決まりかけてたのに、と頭を抱えた。
「総理、失礼いたします。奇妙な報告が……ある地方自治体から寄せられています」
奇妙な報告…。災害時にデマや嘘の噂が広がることはよくあることだ。それは日本国民のほとんどが知っているだろう。
だから、奇妙な情報をわざわざここに持ってくるはずがない。本来ならば。
資料を見て、厄介事だと確信する。
そこには現実離れした記述が並んであったのだから。
「ありえない…」
と、思わず声に漏れてしまう。
曰く
──高校生が「ステータスオープン」と唱えると、空中に光の窓が現れた。
──窓には名前やレベル、体力、攻撃力、魔力などの数値が表示される。
──本人にしか見えず、他者には確認できない。
会議室に沈黙が落ちる。官房長官が渋い顔で呟く。
「幻覚か……あるいは集団心理によるデマでは?」
厚労大臣が首を振る。
「医師が同席していた例もあるようです。少なくとも作り話とは言い切れません」
防衛大臣が机を叩いた。
「状況が掴めぬ中で、荒唐無稽な噂まで流れることはよくあること。我々までもが噂に踊らされてはいけません。」
ざわめきが広がる中、悠真は報告書に目を落とした。心臓が速く脈打つ。
(ステータス……もし、この情報が正しいのならば、我々が違う世界に赴いてしまったという可能性が高まる。更には、この世界はまるでゲームのような性質を持つ世界であることも確認できる。これは噂だと切り捨てずに即座に真偽を試すべき重要な案件だ。)
周りを確認するが、誰も「ステータスオープン」と口ずさむ様子はない。
唯一、こういったことを率先して確かめる千秋という私の秘書官がいるが、何か考え込んでいる様子で確かめる気は無さそうだ。
そりゃ、ただの戯言だと思うのは当然だろう。しかも、人前で試すには勇気がいる。
だが、
「……私が試みてみます。」
悠真は率先して確かめようとする。
悠真はそれがただの戯言だとは思えなかったし、確かめるのに十分なメリットがあると確信していた。
しかも、現在おかしな現象が何個も起こっているのだから、ステータスぐらい見えてもおかしくないだろうとも思う。
一同の動揺の視線が集まる中、悠真は口を開いた。
「ステータスオープン」
次の瞬間、淡い光の窓が彼の目の前に浮かんだ。
《名前:朝倉悠真
︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎職業:NA
レベル:1
体力:13
魔力:0
攻撃力:10
知力:17
敏捷:9
幸運:16
︎ ︎ ︎ ︎ ︎スキル:NA》




