第九章 二日月
ジュリアンが願ったとおり、ルーナとフォルハントは幸せに、穏やかに──
そして結構にぎやかに暮らしている。
同じベッドでは眠れないから、せめてルーナの香りに包まれて眠りたいというフォルハントに、それはなんだか妙に恥ずかしく感じて最初は難色を示していたルーナも、今ではフォルハントのパジャマを抱え込んで眠るようになっていた。
「国からありあまるほどの報奨金をもらえていなかったら、もとの生活にもどるのはもう少し先になっていたでしょうね」
「そんなことはないよ。報奨金をもらえたのは確かによかったけどさ、僕はまあまあ稼いでいたでしょう? ジュリアンの鍛冶屋を手伝っていたし、狩りの仕事はいいお金になってたからね。あっ、ルーナ、こっちのパジャマもかわいいよ」
「あっ、もう! フォルは外で待っててって言ったでしょう!」
魔物退治が絡むような話も時折まじるようになり、控えていた二人での町歩きにも出かけるようになった。
フォルハントが割った分の食器──はご丁寧にも、壁の棚に飾っていた来客用の食器まで巻き添えにしていた──を補充しなくてはならなかったし、ひと晩着用したパジャマはその夜の抱きパジャマになるため買い足す必要もあったからだ。
また以前には、ベッドや寝具はルーナのためにと、フォルハントが少し値の張るものを買ってしまったので、ルーナはそう独り言をいったつもりだったのだが──独り言などいっている場合ではない。
「えー。だって僕が抱きしめて眠るんだから、少しくらい僕の」
「なっ!? ちょっ、シィィィ!」
女性用の下着やナイトウェアを取り扱う専門店に男性が入ってきただけでも目立つのに、とんでもないことをバラし始めたフォルハントの口をおさえる。
「今すぐ出ていって! 出ていかないなら──しばらく家出するわよ?」
「パ、パン屋で待ってるね!」
フォルハントが店から飛び出ていったあと、ルーナは何事もなかったような顔で手早く買い物を済ませ、逃げるようにして店から飛び出した。
あのパジャマも入っている紙袋をしっかりと抱きしめて。
◇◇◇
二人のペースで、ゆっくりと進んでいく穏やかな日々。
爽やかな朝を迎えた森の中の一軒家では、今日も元気なルーナの声が響きわたる。
「フォルー、起きてー、朝ごはん食べるよー」
返事はない。
前は名前を呼んだだけで飛び起きてきてたけど、最近はよくあることなのでルーナも気にしていない。
「お寝坊さーん、朝だよー、ごはんだよー」
ここでやっと返事が返ってくるのが最近のお決まりなのだが──
「フォル!」
何かあったのかと心配になり寝室に飛び込んだルーナの目に映ったのは、彼女のパジャマを顔にかぶせたまま、ピクリとも動かないフォルハントの姿。
「フォ、フォル? 冗談はやめて、早く起きてよ……ねえ、起きてってば。フォル、早く────ぃ、いや! 起きて、起きてよ、フォル!!」
叫びながらシーツを力任せに引っ張る。
「フォル!! 起き」
「ばあ! ハハッ、びっくりし──」
パジャマから顔を出しながら飛び起きたフォルハントの目に映ったのは、真っ青な顔で涙を流し、ガタガタと震えているルーナの姿。
「あっ……ごめん。そんなに驚くとは思わなくて……ルーナ、ごめんね? もうしな──ブッ!」
「バカ! フォルなんかもう知らない! 朝ごはんは抜きだからね!」
枕をフォルハントの顔に叩きつけ、怒りの足音を響かせながら寝室の扉をバタン! と閉めて出ていったルーナに、フォルハントは呆然としていたが──
「ハハッ。あ〜あ、やっちゃった。たくさん謝らないとなぁ……」
枕の形をポンポンと整えてから、また細くなった気がする手首に指を回す。
「あぁ、マザーのあれは、そういう意味だったのか……そっかぁ……」
このところのフォルハントは朝の目覚めが悪くなり、疲れやすく、食も一段と細くなっていた。
「はぁ……そっかぁ。僕はやっぱり、ルーナを幸せにすることはできないんだ。僕と一緒にいることが、ルーナの幸せなのに……」
顔に押し当てたルーナのパジャマが、どんどん重たくなっていく。
「いやだなぁ……死にたくないなぁ……うんと長生きはできないと思っていたけど、僕だってもっと──ずっとずっと、ルーナと一緒にいたいょ……」
◇◇◇
「ルーナ。さっきは驚かせてごめんね」
精一杯、怒っているように見せている背中に声をかける。
「フォルのバカ。やり過ぎだし、たちが悪いし、サイテー」
「うん……ごめん。反省してる」
「本当かしら?」
「うん。ものすごく反省した。だから、もう絶対にしないよ」
「そう。じゃあこれ、全部食べてね」
振り向きざまに渡された皿の上には、フレンチトースト。
らしきもの。
「わ、わぁ……; これはまた、美味しそうに焦げ──焼け、焦げてるね」
「焦げてるんじゃないわ。黒いのはコウモリのお肉だからよ」
「い゙っ!? じょ、冗談だよね?」
「どうかしら?」
真っ赤な目でニッコリ笑うルーナを見て、フォルハントもくすりと笑う。
「ルーナは強くなったよね。小さいころはいつも泣いていて、泣きながら僕に手を引かれて歩いていたのに」
もう、僕がいなくなっても、大丈夫だね──そんなのいやだけど、ずっと一緒にいたいけど。
「フォルは変わらないわよね。泣き虫なのに喧嘩は強くて、いじめっ子をやっつけては、泣きながら私の手を引いて歩いていたもの」
今度は、私がフォルを守る。村の英雄を、私の愛するヒーローを。
「泣くのはいいことらしいよ?」
「どんなふうに?」
「えーっと…………忘れた。いただきます」
「ふふ。やーね、それもコウモリも冗談よ。はい、こっちを食べてて、私は洗濯物を干してくるから」
「えっ、じゃあ僕も一緒に」
「だーめ。ちゃんと食べてて」
「分かった。食べたら行くから、僕の分も残しておいてね」
「洗濯物を? ふふ。おかしなフォル。だけど──大好きよ。私は、フォルのことが大好き。心から、愛しているわ」
「えっ……な、なに!? あ、朝から、なっ、照れるよ」
「えー? ただの朝の挨拶なのに。じゃあ、先行ってるね」
「う、ん」
フォル大好きオーラを全身から発して、とびきりの笑顔で手を振るルーナに手を振り返したフォルハントは、パタンと閉まった扉に首を傾げる。
「おかしいのはルーナのほうだよ? 逆に怖いんだけど……あっ! もしかして、本当はまだすっごく怒ってるとか!?」
柔らかくふんわりと焼かれたフレンチトーストを急いでミルクで流し込み、玄関の扉に手をかけようとしたしたとき──
「キャアァァァ!!」
ルーナの大きな悲鳴が聞こえた。
「ッ! ルーナ!!」
念のため壁にかけていた弓を手に取ると、フォルハントは裏庭まで全速力で走った。体力が落ちていることなど感じさせない速さで。
が──
裏庭に回り込んだフォルハントの目に飛び込んできたのは、引き裂かれた、ついさっきまで目にしていた服の一部を咥えた魔物と、その足元に血まみれで倒れているルーナの姿。
一瞬で真っ白になった頭は置き去りにして、体に染みついた一連の動作は淀みなく進んでいく。弓に矢をつがえ、引き絞り、的を狙う。
矢が魔物の心臓に狙いを定めるとこちらに向かって突進してきたが、怯むことなくさらに大きく引き絞り、手をはなす──その間際──
フォル、大好き!
魔物とルーナの姿が重なり、狙いはわずかにズレてしまった。
ドォォォンと響きわたった音で我に返ったフォルハントは、魔物には見向きもせずルーナに駆け寄り抱きかかえる。
「ルーナ! しっかりして、目を開けて! ルーナ!!」
ピクリとも動かないルーナに、冷や汗と涙が流れ出る。
「ルーナ、いやだ、目を開けて! ルーナ!!」
泣き叫ぶフォルハントの腕の中で、ルーナは枯れ木へと変わり、ボロボロと崩れ落ちていった。
「えっ?……なに────ハッ!」
息をのんで振り返った先には──悪夢よりも恐ろしい光景が広がっていた。




