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第八章  新月

 

 心配するジュリアンを追い返したフォルハントは一人、灯りもつけずに散らかしたままの部屋でうなだれていた。

家の前に人の気配を感じても、立ち上がることさえできない。



 ルーナはもう帰ってこない。

だけど、もしも帰ってきてくれたら……僕は…………だろうか?




「ただいまぁ…………フォル? いないの?」


 ゆっくりそーっと扉を開けたルーナは、床に何かが散らばっていることに気づくと、手探りで玄関の灯りをともした。


「わっ! な、なに──ま、まさか……泥棒!?」


 床に散らばる割れた食器の数々に足がすくむ。

〈フォルは自分をさがしに出かけたまま、まだ帰っていないのかもしれない。その間に泥棒が──〉

そう思ったルーナ。今さらではあるが灯りを消し、音を忍ばせようとして、


「……ルーナ」


 突如かけられた声に飛び上がった。


「フォ、フォル、いるの? 大丈夫?」


 薄暗い部屋の中へこわごわ足を踏み入れると、テーブルの陰からゆらりと立ち上がる影が。

一瞬怯むも、それがフォルハントだと分かると駆け寄った。



「フォル、大丈夫? 黙って出ていってごめんさない。晩ごはんは? もう食べた?」

「ルーナ──話がある」

「話? 分かったわ。あとで聞くから、まずはここを片付けてからご飯を」

「今、話したい」



 青白くやつれたその顔は目元だけが真っ赤に染まっていて、ルーナは胸が張り裂けそうになる。それでも、できるかぎり明るく振る舞った。



「うん。分かった。フォルの話が済んだら、私もとびっきり面白い話を聞かせてあげるわね!」

「僕と……別れて、ほしい」

「あ……あら? フォルにしては珍しい冗談ね?」

「冗談なんかじゃないよ、僕は、本気だ」



 声が震えていなかったか気になりながらも、ふふっと精一杯の笑顔を見せるルーナに対し、フォルハントは今にも泣き出しそう──いや、すでに泣いている。



「……わけを聞かせてくれる?」

「僕は、ルーナを、幸せに、でき、できない。ルーナ、には、幸せに、なって、ほ、ほしい」

「私が幸せかどうかは私が決めることよ? ほかに好きな人ができたって言われたほうがまだ納得でき──」

「できるわけがない! ほかに好きな人なんて、できるわけがない!」

「でしょうね。だって、フォルは私のことが大好きだもの……だけど本当はね、フォルのことちょっと疑ってたの。結婚したのにぜんぜん私に触れてくれないし『大好き』も『愛してる』も、言ってくれなくなったから」



 下を向いたまま拳を握りしめる彼を今すぐにでも抱きしめたい。

そう思っても叶わぬことだから、ルーナは言葉を重ねる。



「でもね、気づいたの。フォルはずっとずーっと私のことを温かい心で包んでくれていたし、すごく優しい眼差しで、どんなときでも愛を伝えていてくれたことに。今まで気づかなくて、ごめんなさい」

「そんなこと、してない。僕は、僕は……」

「私と、別れたい?」



 コクリと頷いたのか、ますます下を向いただけなのか、分からぬ程度に頭が揺れる。



「じゃあ、どうしてそんなに泣いているの? 私の幸せはフォルと一緒にいることなのに。ただそれだけなのに。叶えてくれないの? フォルと別れて、不幸せになってほしいの?」



 今度ははっきりと、頭が左右に揺れた。



「フォル、一緒に幸せになろうよ。私たちはどんなことでも二人で乗り越えてきたでしょう? きっとまた、乗り越えられるわ。だから、もう二度と別れるなんて言わないで。お願いだから、そんなこと、言わないでよ」


 ルーナの蜜柑色の瞳から、我慢できなくなった大粒の涙がこぼれ落ちた。


 抱きしめ合うことも、手を取り合うこともできずに、ただ涙を流し続ける二人。



 どれくらいそうしていただろう。

頑張って先に涙を止めたフォルハントがグチャグチャになった顔をあげると、グチャグチャになった顔と目があって──お互いの、いまだかつてないほどのズタボロぶりに、どちらからともなく吹き出す。


 そうしてまた、そのあまりにもひどいありさまに泣き笑いし、ようやく収まってきたところで、フォルハントは深く息を吐いた。


「ハァ……ねぇ、ルーナ。僕に、言って?」


 何を? なんて聞く必要はない。恥ずかしがる必要もない。

自分が今、いちばん言ってほしいことを言うだけだ。


 涙を拭ったルーナもひとつ深い息を吐くと、フォルハントを迷いのないまっすぐな瞳の中に囲い込んでから、優しく微笑む。



「私は、フォルのことが大好き。心の底から、愛しているわ」

「うん、ありがとう。ありがとう、ルーナ」



 まっすぐに見つめ返したフォルハントの瞳からも、迷いの色は消えていた。




 それから二人で割れた食器を片付けているとあまりにも遅い時間になってしまったので、マザーの家からちゃっかり持ち帰ってきた鳥の串焼きは明日食べることにして、ルーナが買ってきたパンをひとつずつ食べてからベッドに潜り込んだ。




「ところでさ、ルーナは黒ずくめの女の人のところにいたんでしょ? 怖そうな人だったけど大丈夫だった? 何もされなかった?」

「もちろん。ウィッチ・ゴッドマザーは口は悪いけどいい人よ」

「ウィッチ? ああ、そういえば、魔女だとか言って──あっ。ウィッチ・ゴッドマザーって、あの? 僕らが出会ったころルーナがよく話してくれてた」



 名前を聞いたフォルハントは、ルーナが子供のころよく口にしていた人だと思い出した。自分は会ったことはなかったが『姿を見せなくなった』と、ルーナがしょんぼりしていたことも思い出す。



「そうそう、そのマザーよ」

「そっか。久しぶりに会えてよかったね」

「うん。よかったし、うれしかったんだけど──ねえ、聞いて、聞いて!」



 ルーナがコウモリの串焼きの件を話して聞かせるとフォルハントは笑い転げ、持って帰ってきた串焼きは大丈夫だろうかと心配そうに震えてみせた。

そうして二人でひとしきり笑い転げたあと今度はフォルハントが、すすババアの一件を話すと──



「えっ? マザーに、すすババアなんて言っちゃったの!?」

「ぅ、うん。あの人がルーナを攫ったと思ってたから。でも、これでも抑えたんだよ? 本当はもっと汚い言葉が口から飛び出しそうになってたんだから」

「どうして抑えたの?」

「ルーナと暮らすこの家を、汚い言葉で汚したくなかったんだ」



 すすババア──の前に、散々吐きまくっていたことは内緒だ。



「ふ〜ん。でもね、フォル。ババアって言ってる時点でアウト、だからね?」

「そう、だね……ごめん」

「ふふっ。明日食べる鳥の串焼き、フォルが口に入れた瞬間コウモリに変わっちゃうかもよ?」

「えーっ! マザー、それだけは勘弁してください。僕のじゃなくてルーナのならいいですから」

「えーっ! フォル、ひどい。マザーに言いつけて、フォルをコウモリに変えてもらうからね!」

「わーっ! やめてー!」




 漏れ聞こえてきた二人の楽しそうな笑い声に、ジュリアンはほっと胸をなでおろす。

フォルハントに家から追い出されたものの心配で放っておけず、裏庭にある物置小屋で一夜を明かそうと思って隠れていたのだ。



 ルーナのためには別れたほうがいいと思っていたけれど──いらぬ心配だったな。あの二人なら、これからもうまくやっていくだろう。



 この幸せなときが、絶えることなく続いていくようにと祈りながら、ジュリアンは家路についた。




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