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第六章  下弦の月

 

「ホー! ホー! ホー!」



 森の中を走り抜け林道から村道に飛び出した瞬間、馬とぶつかりそうになったフォルハントは頭をかばってその場にうずくまった。


「危ないじゃないか! こんなところにいきなり飛び出して──おや? フォルハントかい?」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、村で馬車屋を営んでいるカルロが驚いた顔でこちらを見ていた。

その隣には、


「フォルハント? そんなに慌てて、何かあったのか」


 力を貸してほしかったジュリアンの姿があった。


「ルーナが、ルーナが攫われた!」


 驚く二人に手短に状況を説明していると、カルロがおかしそうに笑い始めた。


「いやいや、ちょっと待ってくれ。リボンなんてのは、ほどけてもすぐに髪からすべり落ちてしまうものではないんだよ?」



 二人の娘をもつカルロ。

貴族が愛用する高級シルクのリボンで、なおかつ、サラサラストレートの髪でもないかぎり、リボンがほどけてすぐにすべり落ちてしまうなどまずはないことを知っていた。ルーナの髪はゆるいウェーブのくせ毛だ。


「どこかで引っ掛けてほどけていたリボンが、その空き地で落ちてしまった可能性のほうが高いと思うが──」


 今度は好奇心満載の笑みを浮かべ、こう続けた。


「ルーナは攫われたんじゃなくて、怒って出て行ったんじゃないのかい?」


 ギクリとしたフォルハントには気づかず、なおも続ける。


「だってそうだろう? 一緒に出かけておきながらルーナとちょっと離れた隙に、あ〜んな美人と抱き合ってんだから。そりゃあルーナは面白くなかっただろうよ」

「違う! あれは転びそうになった人を助けただけだ! それに今日はルーナと一緒には出かけて、いない……」


 目の奥に、ガラス戸に映ったルーナの姿がよみがえる。


「ルーナを……本当に、見たの?」

「い、いや、私の勘違いだ! 通りの向こうにいたよその娘をルーナと見間違えたんだな、うん! さ、最近メガネが合わなくなってきてたからねぇ、ハハッ……」


 一気に低く沈んだ声になったフォルハントに、からかいすぎて怒らせてしまったと感じたカルロは自分の言葉を慌てて否定した。


 村に来たばかりのころはすぐに泣くまだ六歳の子供だったにもかかわらず、手が付けられないほどの暴れん坊で、剣豪であるジュリアンでさえ手こずらせていたことを知っていたし、一度見かけた喧嘩っぷりに驚愕したこともある。

しかも今では弓の名手で、魔物も倒した実績のある村の英雄の一人だ。


 あぁ、余計なことを言うんじゃなかった。

ごめんよ。今度無償でどこへでも乗せていってあげるから、許しておくれー!


 心の中で謝りながら、メガネを外して拭きつつチラチラと様子をうかがうカルロも、心配そうな表情を浮かべるジュリアンのことも、フォルハントには見えていない。



 通りの向こう……違う。ルーナじゃない。

僕に買い物を頼んだルーナが、あんなところにいるはずは──


「おい! フォルハント!」


 真っ青な顔で走り出した彼を追うため、ジュリアンは馬車から飛び降りた。


「カルロ、悪い。お礼はまた今度だ」

「お礼なんていらないよ! それより私が謝っていたと、フォルハントに伝えておいてくれー!!」


 走り去る背から、返事は返ってこなかった。






 違う。違う。ルーナじゃない!



 何度もそう否定しながら走り続け──祈るような気持ちで手に取った紙袋がすべり落ち、いくつかのパンが転げ出る。


「フォルハント!」


 息を切らしながら入ってきたジュリアンは、呆然と立ち尽くす彼を横目にパンと紙袋を拾い上げ、袋に印刷されている店名を確認した。


「テーブルノーブル──これは、ルーナが?」

「……いたんだ。ルーナは、あの場所に」

「そのようだな。だけど、お前は人助けをしただけだろう? ちゃんと話せば」

「何言ってんの? 俺は、ルーナ以外の人に触れたんだよ、ルーナの目の前で。もうルーナに触れることはできないのに、一生できないのに!!」


 悲しみと憎しみでいっぱいになったフォルハントは、準備しておいた晩ごはん用の皿やコップを手当たり次第に投げ壊す。


「アイツのせいだ! 全部アイツの──俺が憎いなら、俺だけをさっさと殺せばよかったのに。のらりくらりと逃げまわり、仲間が次々と死んでいく様を見せつけて、最後の最後に、こんなひどい仕打ちを! 死んだくせに、いまだにルーナを傷つけやがって!!」

「だから言っただろう。ルーナを傷つけるだけだと、婚約は解消しろと」

「嫌だ!! それじゃアイツの思うつぼじゃないか!──情をかけてやったのに。壊してやる……アイツの墓なんて、ぶっ壊してやる!」

「おやまあ。あの娘はずいぶん乱暴な男と結婚したもんだねぇ」


 いきなり現れた人物に、魔物のたぐいかと身構えた二人をマザーは鼻で笑う。


「フン。やめときな。あたしに勝てるとでも思ってんのかい? あたしゃ世界一の魔女だよ? この村──いや国中、世界中の」

「お前は誰だ!」

「はっ? いやだから、あたしは世界一の」

「ルーナを攫ったのはお前だな!」


 ……;


「やれやれ。この子は耳が聞こえないのかい?」

「ルーナを返せ! すすババア!」

「フォルハント!」


 すっ…………すすババア?


 漆黒の中の漆黒で染め上げられた最高級の布を与え、超一流の職人に仕立てさせたあたしのこの一張羅を──す、すすでできた物だと思ったってのかい!?

こンのはなたれ小僧は!


「申し訳ありません! この子はルーナ──最愛の妻がいなくなって情緒が不安定になっているんです。どうか、どうか、許してやってください!」


 フォルハントを背にかばい頭を下げるジュリアンに、マザーは振り上げていた杖をおろす。


 フン! こんなんでも一応まだあの娘の旦那だからね。

耳も目も、頭もおかしいけどさ!


「仕方がないねぇ、泥人形を作るだけしか能のない男だ。今回だけは勘弁して」

「俺は泥人形なんか作ったことないぞ。ボケてんのか? ババ──魔おんな」

「フォルハント!! いい加減にしないか!」


 キィィィィ! このガキ!!

もう、あったまきた。黙っておいてやろうと思ってたのに!


「あの娘のことだよ! 顔も服も泥だらけで──特に顔は涙に泥がこびりついててさ。そんでもって『消えてしまいたい』って泣いてたんだよ! あたしゃ本当に泥人形だと思ったからさ、もう少しで、心配しなくても雨が降りゃあ消えちまうよって言っちまうとこだったんだよ!」


 フン! と鼻を鳴らす彼女の前で、フォルハントの顔はみるみるうちに真っ青になっていく。


「本当に? 本当に……消えたい、って、ルーナが言ったんですか」

「あんたに嘘なんかついて、あたしになんの得があるっていうのさ」

「……嘘……」



 傷はまだ治らないの?



「あっ……」


 違う。あれを見たからじゃない。

僕が嘘を──僕の嘘に、気づいたんだ。


 目の前が真っ暗になったフォルハントは立っていられなくなり、がくんと膝から崩れ落ちた。


「おい!…………大丈夫か」

「ルーナはもう、帰ってこない。僕のところへは、もう……」


 突っ伏してむせび泣くその姿に、マザーはびっくり仰天。


 な、なんだい!? あ、あたしのせいじゃないよ!

泥人形に見えたのは本当のことなんだから、あ、あんたのせいだよ!


 人の心がよく分からない彼女の観点は、少しずれていることが多い。

が、ここにきてやっと、それをカバーできる……であろう、本領を発揮した。


「おや? なんだいあんた、またずいぶんと変なもんをかけられてるねぇ」


 彼女の言葉に、ボロボロの顔を上げたフォルハントとジュリアンは顔を見合わせ、複雑な表情を彼女に向けた。


「これが、視えるんですか」

「いいや」


 一縷の望みをかけて聞いたフォルハントはまたうなだれる。


「まあ、そうがっかりしなさんな。あんたのは視えないけど、そっちのあんたのはだいぶ緩いからなんとかなりそうだ。そのまま動くんじゃないよ」


 マザーの、血のように赤い瞳が燃え上り、見据えられたジュリアンは息を止めた。

そうしないと緊張のあまり震えてしまいそうだったから。


 二人のために私が頑張らないと。たとえ息が止まっても動くわけには──


「なるほどねぇ」


 あっ! しまっ──


 ルーナとフォルハントのために覚悟を決めている最中に視線をそらされたジュリアンは、膝においていた手を思わずすべらせてしまったが、彼女が機嫌を損ねた様子は見られずにホッと安堵の息を吐く。


「視えないわけさ。あんたら魔物とやりあってそんなことになっちまったようだけど、そりゃただの魔物じゃないね?」


 思い当たる節どころかズバリと言い当てられて、二人はまた顔を見合わせた。


「魔物に身を落とした人間の成れの果てにやられたもんだろう? 相手をとことん苦しめるために自分をも犠牲にする。そんなことができる魔物なんてほかにいやしないからね。しかしまあ、一体全体なにをやりゃかしゃあ、そんないやらしい呪いをかけられる羽目になっちまうんだろうねぇ」


 呪いにはルーナが絡んでいることも分かったが、二人はだんまりを決め込むだろうと思ったマザーはわざとそう言った。


 まったくもって冗談じゃないよ。こんな厄介を背負い込んでる奴らに、あの娘を任せておけるもんか。


「ま、あたしには関係のないことさ。邪魔したね」

「待ってください! ルーナはあなたのところいるんですか」

「そうだよ。それが──あ〜あ、そういうことかい。心配しなくてもあの娘には言いやしないよ、こんな気持ちの悪い話」

「そうじゃなくて、」

「お断りだね。あの娘はあんたに会いたくないとさ。それから、一応言っとくけど、あたしの家を見つけようなんてバカな真似はするんじゃないよ。誰にも見つけられっこないからね。そんなことにかまけるよりも、命は大事に使いな」



 それはどういう意味か? と尋ねる間もなく、音もなく現れた彼女は音もなく消えていった。


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