第五章 更待月
嘘をついた。嘘をついた。
フォルが私に、嘘をついた!
小川めがけて一気に走ったルーナは、川べりまで来ると崩れるように膝をついた。
緩やかな流れに、頬を伝う雫がのみ込まれていく。
私に、嘘を……
声を殺して肩を震わせているルーナに、川面にゆらゆらと映るもう一人の自分から声がかかる。
バカね、泣いてるの? 自業自得じゃない。
「そうよ、分かっているわ」
聞いちゃダメだって言ったのに。
「うん……」
それでも彼のことが大好きだから、また前を向くのでしょう?
それだけが取り柄なんだから。
「ふふっ、それだけって。そうよ、私はフォルを愛しているもの。だからこれからも──」
なんて、無理よ。もう、無理。もう、頑張れない。
だって、私はフォルを愛しているけど、フォルはもう、ほんの少しでさえ触れたくないほど私のことを──
パタンと閉まった扉が、ぼやけて見えなくなる。
最低だ。問い詰めるような真似をしたあげく、さらにルーナを傷つけるようなことを。最近は楽しく過ごせていたのに、僕が壊してしまった。
ルーナはもう許してくれないかもしれない。このままどこかへ──
そう考えただけでとめどなく流れ出てくる涙を拭いながら、窓に張りつき姿をさがす。とすぐに川べりにその小さな背を見つけ、ひとつ深い息を吐くと、頼まれた仕事を片付けるために窓辺を離れた。
大丈夫。ルーナはいなくなったりしない。
せめてもの罪滅ぼしに、スープは僕が作っておこう。
フォルハントが窓に背を向けたその直後──フラフラと立ち上がったルーナは、一度も振り返ることなく森の奥へと姿を消した。
◇◇◇
震えてもつれそうになる脚を何度も叩き、ルーナは走る。
嘘をつかれたことはもちろんとても悲しかったけれど、傷のことを聞いたとき、一瞬すごく苦しそうに歪められた表情が頭から離れない。
その意味するところはなんだったのか。
考えれば考えるほど頭はこんがらがって、ついには脚ももつれ、またもや転んでしまった。
転んだままこぶしを握りしめると、プチプチブチッと草がちぎれる音は聞こえたけれど、どれだけ耳を澄ましても、待っている足音は聞こえてこない。
本当に待っているのかは、自分でもよく分からない。けれど──
「うぅっ、痛いよ、フォル。どうして助けに来てくれないの? 子供のころはあんなに助けてくれてたのに。嫌いになったのならそう言って。優しくしながら突き放さないで。もうやだ。もう、消えてしまいたい」
「おやおや、久しぶりに呼ばれたかと思ったら……」
音もなく現れた人の気配に、ガバリと身を起こす。
「……なんだい? 泥人形かい?」
「違います」
声の主が女性だったこともあるけれど、本当に消えてしまいたいと思っていたルーナは逆に冷静になれたようで、しっかりと受け答えをしていた。
「違うのかい? どう見ても泥人形にしか見えないけどねぇ」
「あなたはどなたですか? 私はあなたを呼んでいませんので、人違いではありませんか」
「まぁ〜たまた、とぼけるんじゃないよ『消えてしまいた〜い』って言ってたじゃないか」
確かにそう言ったけど……その言葉が人を呼ぶときの言葉だなんて、村中の人に聞いても誰も知らないっていうと思うわ。
「なんだい、忘れちまったのかい? 今度あたしを呼ぶことができるのは、あんたが消えた〜いとか、死にた〜いって思ったときだって言っただろう?」
「いいえ、知りません」
というか……女の人だからって油断しすぎたわ。
消えたいとか、死にたいとか──や、やだ、この人もしかして、し、死神!?
だ、だいたい、消えたいと死にたいは違うのよ!
出会わなかったことに決めたルーナはくるりと背を向け、刺激しないようにゆっくりとその場を立ち去ろうとしたのだが──
♪あなたはだあれと聞くからさ〜 世界一の魔女だと答えたさ〜
あんたは誰かと聞かれたら〜
「世界一の魔女の……たった一人の友達だと答えるわ──えっ? も、もしかして…………ウィッチ・ゴッドマザー? えっ、あれって、夢じゃなかったの!?」
歌の続きがするりと出てきて驚くルーナ。
「夢なもんかい。あたしゃ確かに現実離れはしてるけど、ちゃ〜んといるのさ」
いつの間にか、夢だったんだと思うようになっていて、そう思っていたことさえもすっかり忘れ果てていたルーナは信じられない思いでマザーを見つめる。
いつからなのかは覚えていないけど、物心がついたころにはすでに当たり前の空気のようにそばにいてくれて、姿が見えないときでもその気配は常に感じていたわ。だけど──そうよ、フォルと出会ったあたりから姿を見せなくなってきて、
「ルーナァァ!」
遠くから聞こえてきたフォルハントの声に、一気に苦しい現実へと引き戻されたルーナはマザーにしがみついた。
「あれがあんたを泥人形にしちまった男だね? 会いたくないのかい?」
「はい……」
「じゃあ、あの男にはしばらく森をさまよってもらうことにして、あたしンちに来るかい?」
「行きます。今すぐ連れてってください!」
「あいよ」
マザーはルーナの髪からリボンをほどくとその場に落とし、しがみついているルーナとともに一瞬で姿を消した。
「ルーナ! ルーナ!!」
いない……これだけさがしても見つからないなんて、ここじゃないのかな。
フォルハントが向かったのは、前に二人でサンザシの実を採りに来た場所だった。
ここにはほかにもいろいろな木の実があり、ルーナのお気に入りのスポットのひとつなのだが──
この広い森を一人でさがすのには無理がある。村の人たちに声をかけ──ダメだ。ルーナが見つかったとき僕がルーナを抱きしめなかったら変に思われる。
気まずくて、結婚式のあとから足が遠のいたままになってるけど、ジュリアンに──あっ、あれは……
やっぱり。ルーナのリボンだ!
見当違いじゃない、ルーナは間違いなくここまで来てたんだ。
そう思いながらあたりをぐるりと見回して気づく。
木が、ない……
リボンが落ちていた場所の周辺には木々がなく、小さな空地のようになっていた。
リボンが引っかかってしまうような張り出した枝もない。
しかもそれは、フォルハントが贈ったものではなかった。
僕が贈ったものだったら、ここに捨てていった可能性もあるけど──
自嘲気味に笑っている余裕なんてなかった。
攫われた。ルーナは誰かに攫われたんだ!




