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第四章  寝待月

 

「ただいまー」


 息を整える間ももどかしくて、勢いよく家の扉を開けようとしたフォルハントだったが、ガチャガチャとノブを数回まわしても一向に開く気配がない。


「あれ? もしかして、鍵がかかってる? ルーナいないのかな」


 首に下げていた合鍵を使って扉を開け、


「ただいまー。ルーナ、いないのー」


 寝室やトイレ、裏庭の菜園までさがしてみたけれどどこにもいない。


 夕飯の買い物にでも行ったのかなぁ、洗濯物も干しっぱなしだし。

う〜ん……とりあえず、これを取り込んでからさがしに──あっ! 

ルーナに早く会いたくてかなり走ってしまったけどケーキは大丈夫かな。


 洗濯物は後回しにして急いで部屋へ戻る。

そろりと開けた箱の中身は片寄っていたけれど、形はそこまで崩れていなかった。


 ああ、よかった。だけど……どこのケーキか分かったら、ルーナは怒るだろうな。オープンしたら一緒に行こうって約束してたのに。

だけど仕方なかったんだよ。痛い思いをさせてごめんなさいって、あんな往来で何度もペコペコ頭を下げられたら周囲の視線が痛くってさ。



 そう。ルーナには平然とした態度に見えていたが、実はあのとき、フォルハントはビリビリとした嫌な痛みを感じていた。


 彼女は薬を貰いに行っている町医者のところのナースなのだが、痛いからやめてほしいと何回言っても、あれやこれやと理由をつけては馴れ馴れしくベタベタ触れようとしてくる彼女のことがフォルハントは好きじゃない。



 今日のはわざとじゃないんだろうけど、行くのはもうやめにしたからこれから先二度と会うことはないと思ったらせいせいしたよ。

だから今までの迷惑料も含めて一番高いやつを選んだんだ。

ちょうどルーナの大好きな桃のケーキがあったからね。

これで許してほしいけど……ダメだったら、僕のマスカットのケーキを進呈しよう。ルーナと行ったときに思う存分食べればいいんだから。



 いろいろ考えながらルーナを待っていたフォルハントは体力が落ちているのに結構な距離を走ったせいで、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。






 急いで町を出たルーナは、村へ続く街道を通るとフォルハントに追いつかれてしまうおそれがあったため、一本裏の旧街道を帰ることにした。

この道は遠回りになるけれど、まだ彼には会いたくなかったから。


 そうして、歩きながら心の中を整理する。



 いいこと、ルーナ。落ち着いて考えるのよ?

まず、あの女の人は白い服に白いエプロンを着けていたから、お医者様のところで働いている人に違いないわ。

それで、お釣りを間違えたか薬を渡し忘れたかでフォルを追いかけてきたのよ。


 そして転びそうになったところをフォルに助けられて、フォルは──

ううん。そこは今は考えないの!


 えっと、助けてもらったお礼にカフェに誘ったのよ。わりとすぐに出てきたから食事はしていない。お礼はケーキよ。だって、出てきたときフォルは小さな箱を手にしていたもの。


 あら? 私ってば気が動転していたわりにはよく見てたんじゃない? すごいわ!

うん、そしてフォルはアーモンドプードルを買いにアーロンさんのお店に行った。


 気づかれなかったよね? すぐに立ち去ったもの。だけど……

本当にあそこで別れたのかしら? 人目を気にしていったんは離れたけど、またほかの場所で会ってたり──しない、しない。フォルはそんなことしない!

私のことが大好きなんだから。


 でも、実はお医者様のところじゃなくてあの人に会いに行ってるとか──

ない、ない! フォルは誰よりも私のことが──本当に?


 だったらどうして『愛してる』も『大好き』も、言ってくれなくなったの?

どうして、傷が治っていることを隠しているの?

私に、触れられたくないから?



 何度も何度も心を奮い立たせてはまた落ち込む──を繰り返しながら歩いているうちに、ようやく家の近くまで帰ってきたもののそこから先へ進めない。

仕方なく、来た道を少し戻って小さな空き地の切り株に腰を下ろした。



 どれくらいそうしていたのだろう。

一瞬、ビューッと強く吹きつけた風にブルッと震えて顔を上げると、辺りはもう薄闇に包まれていた。


 大変! 早く帰って晩ごはんの支度をしないと!


 慌てて駆け出そうとした脚を踏みとどめ、自分に言い聞かせる。


 いいこと、ルーナ。傷のことを聞いてはダメよ。言わないのは何か事情があるからに違いないのだから。


「うん、分かってるわ。 さあ、帰りましょう!」






 フィッ、クション!


「さ、さむ……えっ? えっ、僕寝て──うわっ! もう陽がこんなに──」


 そうだ、ルーナは? 


「ルーナ…………ルーナ!……ルーナ!!」


 いない。もうすぐ夜になるのに──


 血相を変えて家を飛び出したフォルハントはすぐに、数十メートルほど先から走って帰って来るルーナの姿を見つけたが、その直後、彼女が転んだ。


「ルーナ!!」


 慌てて駆け寄り思わず助け起こそうとした手に急ブレーキをかける。


「ルーナ、大丈夫?」


 イッ、タァァァイ!! 痛い、痛い、痛いぃぃ!

なんで転んじゃうのよ。しかも顔面からなんて──痛すぎる!


 ……けど、残念。あとちょっと、だったのにな。


「うん、大丈夫。遅くなってごめんね。晩ごはん、すぐに作るから」


 転びそう。ではなく思いっきり転んだのに、それでも手を差し伸べようとはしないフォルハントの態度に傷ついたルーナは下を向いたまま起き上がり、服についた汚れをはらいながら歩き出した。


「晩ごはんより先に傷の手当だよ。手、擦り傷ができてる」

「これくらいなんともないわ」


 ルーナ……変だよ? どうして、僕を見ないの?


 帰ってきてからまだ一度もフォルハントに顔を向けていないルーナ。

初めて見せた不審な態度に、フォルハントの心が陰る。


「ルーナ、こっちを向いて。顔を打ったんじゃないの?」

「ほんのちょっとだけね。たいしたことないわ」


 覗き込んで確認しようとしたけれど、顔を背けられた。

その瞬間フォルハントの心は黒く染まり、声のトーンが少しだけ下がる。


「どこで、何をしてたの? こんなに暗くなるまで。心配してたんだよ」


 俺に顔を見せられないのはどうして? 何かやましいことでもあるの?


「ごめんなさい。買い物に行ったんだけど──いろいろあって遅くなっちゃった」

「いろいろって?」


 フォルハントの声が、また一段低くなったことに気づいたルーナは腹がたった。

彼に対してこんな感情が湧き上がってきたのは初めてのことだ。


 なによ! 何かしてたのはフォルのほうでしょ!


 本当に腹が立ったけれど、怒りに任せて言ってはいけないことを口走りそうになったルーナは話の流れを変えることにした。


「あっ! あーよかった。パンを持ったまま転んじゃったけど袋は破れてないみたい。せっかくの美味しいパンが台無しにならなくてよかったわ。だけど……私ははたいたくらいじゃダメみたいね。手と顔を洗ってくるから、フォルはあのお鍋にお湯を沸かしておいてくれる? スープを作るから」

「ルーナ、何かあったんでしょう? それは、僕に言えないことなの?」


 ッ!── ダメよ、耐えて。


「私は、言えないことなんか何もしていないわ──そんなことより……」

「そんなことより?」


 ダメよ。


「そんなことよりフォルは、大丈夫?」

「大丈夫って何が?──ねえ、ルーナ。何か誤魔化そうとしてない?」


 ハッ……もう無── ダメだったら!!


「傷は? 傷はまだ治らないの? お医者様のところへ行ってきたんでしょう?」

「あっ、ああ、う、ん。傷は、まだ──魔物、につけられた傷だから、完治は、難しい、かもって……」


 気を使ってくれていたのか、あれからルーナが傷のことを聞いてくることはなかったので、まさかこの流れで傷の話になるとは思ってもいなかったフォルハントは言い淀む。


「……そっか、そうだよね。ごめんね、辛いこと聞いちゃって──あっ、お湯、お願いね」



 小川で顔を洗うために飛び出していったルーナを、フォルハントは追いかけることができなかった。


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