第三章 居待月
「ねえ、やっぱり僕がそっちのベッドのほうがよくない? 寝具も」
あの日から、ベッドは別々だけど一緒の部屋で眠るようになっていたルーナとフォルハントは、今夜も仲良く揉めていた。
「ダメよ。そっちのベッドのほうが頑丈だし、寝具も柔らかいもの」
「そうだよ。こっちのはルーナのために買ったものなんだから。だから、」
「だからよ? このベッドが壊れたりしたら痛い思いをするのはフォルなんだよ? 寝具だって、柔らかいほうが負担が少なくていいでしょう?」
「いや、寝具はともかくベッドが壊れたらルーナだって」
「泣くよ? フォルが私のいうことを聞いてくれないって。泣きながら村中を駆け回るよ? いいの?」
「それは……困る。あの二人はうまくいってないんだって思われて、ルーナを横取りされたりしたら──僕も泣く!」
真顔でそう言い切るフォルハントにルーナは耐えきれず、寝具を頭からすっぽりかぶっても聞こえるほどの笑い声を部屋中に響かせた。
フォルハントも負けじと嘘泣きを響かせる。
自分たちなりの幸せを見つけつつある二人の夜は、やがて静かに更けていった。
「ルーナ。今日は隣町まで行くんだけど、何か買ってくるものある?」
「んーとねぇ……特にないかなぁあっ、あった。アーモンドプードルがもうすぐなくなるから買ってきてくれる?」
「アーモンドプードルだね、分かった。パルマ通りにあるアーロンさんの店に置いてあるやつだよね」
「そうそう、アーロンさんとこのが一番おいしいの」
「うん、なんとなく分かるよ。じゃあ行ってくるね」
「気をつけて、いってらっしゃーい」
家の前で、姿が見えなくなるまで見送ると急いで部屋へと戻り、棚の奥に隠していた紙袋を取り出した。
中に入っているのは裁断までが済んだシャツのパーツで、あとは縫い合わせるだけになったもの。
手触りの滑らかな生地は柔らかな寝具論争のときに思いついたもので、肌に優しいシャツ、になる予定だ。フォルハントには内緒で作っている。
「今日中に仕上げるのは無理だけど、フォルがいないうちに縫い進めておかないと誕生日に間に合わないわ」
ルーナは裁縫があまり得意ではないけれど、傷の癒えないフォルハントに少しでも快適に過ごしてもらいたい一心で針を持つ。
「あっ! せっかくだからくるみボタンにすればよかったぁ」
完成図を頭に描きながら肩になる部分を縫い合わせていたら、ボタンのことが気になり始めた。
「どうしよう? 時間もないし、この硬いボタンで──う〜ん、だけどどうせなら肌に優しいだけじゃなくて指にも優しいものにしたほうが……」
独り言をつぶやきながら前後の見頃をつなぎ合わせ、ひっくり返してしばらく眺めていたが──
「やっぱり買いに行こう!」
縫いかけのシャツを急いで片付け、ルーナは家を飛び出した。
私も隣町まで行っちゃおうかな。フォルはお医者様のところに行ったはずだから、アーロンさんのお店で待っていれば会えるかも。
町に着くとまずはボタン専門店に足を運び、悩んだすえに色違いのくるみボタンを五個ずつ購入した。落ち着いた色味の緑とオレンジのボタンは、フォルハントと自分の瞳の色をテーマにしたもの。モカベージュの生地にも馴染みそうだった。
次にアーロンの店を覗いてみたけれど、フォルハントの姿は見当たらず──
もう来たかどうか聞いてみようと思ったが、できれば内緒にして驚かせたい。
少し考えて、近くにあるパン屋さんで時間を潰すことにした。
そうしているうちにすれ違いになるかも。とも考えたが、もうすでに帰ったあとかもしれないので運は天に任せることにした。
アーロンの店とは通りを挟んで斜め向かいにあるパン屋は二人のお気に入り。
久しぶりに訪れた店は相変わらず焼き立てのパンのよい香りに包まれていて、思わず足を止め、おいしい香りを胸いっぱいに吸い込む。
「はぁぁ。幸せ……」
浸っていると後ろから人が入ってきたので慌てて奥へ進むと、ガラスケースの中にフォルハントの一番好きなパンを見つけた。
よかった、まだたくさんあるわ。これはもちろんだけど、こっちも外せないわね。
サンザシのジャムもあるからこれも、でしょう。あとは……新作のパンの中からおすすめを選んでもらおうかしら?
……ちょ、ちょっと、調子にのって買いすぎたかも……;
でもまあいいか。買ってきたものだとフォルの食欲も少し出るみたいだから。
お惣菜を買ってきたり外に食べに行ったりすると食欲が少し増すことに気づいたときには落ち込んだりもしたけれど、今はとにかく食べてもらうことのほうが大事。
栄養をつけて早く元気になってもらわないと、治るものも治らないもんね。
いつもの倍ほどのパンが入った紙袋を抱え扉の取っ手に手をかけたとき、アーロンの店に向かうフォルハントの姿を見つけた。
ナイスタイミングだわ!
急いで扉を開き呼びかけようとしたけれど、ルーナが口を開くより先に、
「フォルハントさーん!」
フォルハントの名を呼ぶ女性の大きな声が耳に飛び込んできた。
誰かしら? 私の知らない人だわ。
ルーナの知らない知人がフォルハントにいたとしても、それが女性だという点からみれば気にならないこともなかったが、怒ったり、嫉妬するほどのことでもない。
紹介してもらえばいいだけのことだもの。
通りのこちらから呼ぶのはやめにして、二人のもとへ向かおうとパン屋の階段を一段降りたところで──ルーナの脚は止まった。
勢いよく走っていたその女性が何かにつまずいた瞬間を目撃したからだ。
なんてことはない。それくらい誰にでも経験のあること。
「あっ、危ない!」とは思ったけど、脚が止まった理由はそこじゃない。
前のめりに転びそうになった女性をフォルハントが助けたことにある。
人として当たり前の行動。だけど──
両腕を差し出して、しっかりと女性を抱きとめた彼は──平然としていた。
叫び声を上げることもなく。
ショックのあまり石像のように固まって動けなくなったルーナに、
「そんなところで立ち止まらないでくださる? 通れないのだけれど」
背後から迷惑そうな声がかけられる。
「あっ、ごめんなさぃ」
消え入りそうな小さな声で謝りながらなんとか階段は降りきったものの、通りの向こうから目が離せない。
すでにフォルハントの手は離れ、女性はペコペコと何度も頭を下げている。
そのあと女性はアーロンの店の隣にできたカフェを指さした。誘っているようだ。躊躇しているように見えたフォルハントも、また頭を下げられて──
二人は店の中へと消えていった。
それでもまだルーナは動けない。パン屋の階段の横に突っ立ったままだ。
……どうして? オープンしたら一緒に行こうね、って、約束してたのに。
どうしてほかの女の人と先に行っちゃうの?
傷は、傷はもう……痛くないの? 治ったの? いつ、いつから──
あれっ、そういえば……お医者様の名前、教えてもらってたかな?
この町に、本当にいるのかな?
疑い始めた心に押しつぶされそうになりながら見つめていたカフェから、さほど時間をおかずに出てきた二人は手を振ってそこで別れたけれど、アーロンの店に向かうフォルハントのもとへはもう行けそうもない。
ただ呆然とその姿を目で追うだけ。
しかし、アーロンの店のガラス戸に映ったフォルハントと目があったような気がしたルーナは、今の今まで固まっていた身を翻すと雑踏に紛れ込み、その場をあとにした。
フォルハントも、開けようとしていたガラス戸の中にルーナの姿を見たような気がして店の中を覗きこみ、後ろも振り返って見てみたけれど、その姿を見つけることはできず──
だよね。ルーナがこんなところにいるはずはないのに。
フフ。僕は幻覚を見てしまうほどルーナに会いたいんだ。家を出てからまだ数時間しか経っていないのにな。
アーモンドプードルを買ったら急いで帰ろう。ルーナの待つ家へ。




