企業パーティー
企業や関連会社で働く人々の居住区は、街路樹が整然と立ち並び、道にゴミひとつ落ちていない。
走る車の窓から流れていく景色を眺めながら、和樹は今朝のやり取りを思い出していた。
——和樹、今は生身の人間だ。
——この前みたいに、無茶するなよ?
(……ノクトは、俺が本社ビルの中で暴れるとでも思ってんのか)
和樹は内心でため息をつく。
(和樹ではなく、エコーの行動を警戒したのでしょう)
右隣では、その“原因”が、昨日の夜からのテンションを一切落とさずに座っていた。
「ねえねえ、和樹! すごい人いっぱいいるよね! サラもいるかな?」
「……そうだな」
返事は適当だが、エコーは気にしない。
窓の外を見るたびに、わずかに体を弾ませている。
そして、左隣にもう一人。
——いや、もう一匹、と言ったほうが正しいか。
クマのぬいぐるみが、窓に顔をぺったりと押し付けていた。
「もぎゅ……」
ボタンの目がきらきらしている……ような気がする。
隊長は、珍しいものを見るたびに小さく鳴く。
「……もぎゅ、もぎゅ……」
(遠足に向かう、子供じゃねぇか?!)
車は、やがて風景を変える。
低層の建物が消え、ガラスと金属の塔が視界を埋め始めた。
高層ビル。
企業ロゴ。
空を切り取るようにそびえる建造物群。
(……来たな)
「わあ……!」
「もぎゅ……!」
車はそのまま、アークライト・インダストリー社がある、ビル群へと滑り込んでいった。
***
車が静かに減速し、やがて完全に停止した。
「——ようこそ」
外で待っていたナヨンが、完璧な角度の微笑みで一礼した。
「アークライト・インダストリー社本社ビル、アークライト・スパイアへ」
和樹は、思わず顔を上げた。
見上げても、てっぺんが見えない。
ガラスと金属で構成された塔が、空を貫くようにそびえ立っている。
ヴァンガードタワーの無骨さとはまるで違う。
(……企業ハビタットからも目立ってたけど、近くで見ると、なおさらだな……)
「すごーい……!」
「もぎゅ……!」
エコーと隊長が、ほぼ同時に感嘆の声を上げる。
ナヨンが先導し、一行はエントランスへ向かった。
「皆さんには、簡単なお着替えをお願いしています」
ナヨンが振り返り、さらりと言った。
「和樹さんはスーツを。エコーさんにはドレス。……それと」
視線が、クマへ。
「どうぞ、こちらを」
差し出されたのは——小さな蝶ネクタイだった。
「……もぎゅ?」
隊長は首を傾げたが、次の瞬間には誇らしげに装着していた。
(ノリ良すぎだろ……)
着替えを終え、会場へ近づくにつれ、聞こえてくる拍手と、ざわめき。
『——の襲撃において、クアッドハウンドを七体撃破したのは、ノクス・メカニクス製造ドローン、 “ファルコン改”』
そこは、企業関係者、関連会社の役員、下請けの軍需メーカーが一堂に会する——論功行賞の場だった。
天井近くを漂う巨大なホログラムには、セクター9での戦闘ログが映し出され、各社のロゴと撃破数が淡々と並べられている。
三人が足を進め——会場に入ろうとした、その直前。
ナヨンが、すっと立ち止まり、柔らかい声で言った。
「——エコーさん。クマさん」
呼ばれた二人が、きょとんとする。
ナヨンは微笑みを崩さず、言葉を選ぶように続けた。
「お二人がそのまま会場に入ると……少し騒ぎになる可能性があります。ですので、こちらへよろしいですか?」
エコーはぴたりと足を止め、「どうしよう?」と和樹に不安げな視線を向ける。
「ん?」
その様子を見て、ナヨンは和樹のほうへ向き直った。
「……申し訳ありません。少しの間、お二人をお借りします」
「あぁ、わかりました」
和樹は軽く笑って、エコーに言う。
「行ってこいよ。腹も減ったし……なんか食べてるから」
「……うん!」
ナヨンはその様子に、ほっとしたように微笑み——続けた。
「会場には、企業ハビタットでは手に入らない……少し、質の良いお食事もご用意しております…………失礼。今のは、嫌味に聞こえましたね」
和樹は首を振る。
「いや、気にしないでください。俺も、どんなものがあるのか興味ありますし」
「……ありがとうございます」
ナヨンはエコーと、蝶ネクタイをつけたクマの隊長を伴い、扉の脇へと回り——人波の向こうへと消えていった。
——取り残された和樹が、しばらく立ち尽くしていると、会場入口から甘い香りが漂ってくる。
(……いつまでもここに突っ立ってても仕方ないか)
和樹は小さく息を吐き、エコーたちとは別の流れに紛れるようにして中へ入った。
(……腹、減った)
和樹は視線をさまよわせ、長テーブルを見つける。
料理が山ほど並べられ、銀のトングと透明な皿が整然と置かれていた。
和樹は人の間をすり抜け、そこへ歩いていく。
——テーブルには、色とりどりの料理が並んでいた。
だが、どれも見たことがない。
透明なプレートの上の立方体。
照明を受けて赤みを帯び、表面にはうっすらと“焼き目”みたいな筋まで入っている。
(……サイコロステーキ? うまそうじゃん)
和樹は迷わず一つ摘まみ、そのまま口に運ぼうとした。
(和樹、違います。それは——)
ノアの声が脳内に響いた、その瞬間。
「――っ、ははっ!」
乾いた笑い声が、背後から弾けた。
和樹が振り返ると、そこには同じ年頃の少年が立っていた。
金色がかった光沢のある髪。
背筋は伸び、姿勢に無駄がない。
何より目を引くのは、身にまとった制服だった。
深い緑色を基調としたジャケット。
胸元には銀色の徽章。
少年は、和樹の手元を指差しながら、肩を震わせている。
「悪い悪い……そのまま食べようとする人、久しぶりに見たからさ」
「……?」
「それ、リキッド・プロテイン・キューブ。上級研究職向け即効吸収型の栄養食だよ」
少年は、まるで子供に教えるような口調で続けた。
「表面をこう、軽く押す」
指先で弾くと、中身が、ぷる、と揺れた。
「……で、こう」
慣れた動作で口に含む。
「栄養効率と味覚刺激がとても優れてる。……まあ、一般市民向けじゃないけどね」
和樹も真似してみる。
——ずるっ。
形が崩れ、指の間から半透明の粘液がとろりと垂れる。
艶のある糸を引き、まるで——鼻水みたいなゼリーだ。
「うわ……っ」
和樹は、ゼリー状になったそれを、無言で手の中で見つめた。
「君、アーコニアの出身じゃないだろ?」
「……まあ」
少年は軽く笑ってから、すっと名乗った。
「僕はレオン・グラナード」
そう言って、胸元の制服徽章に指を添える。
「アークウォール・アカデミー、基礎戦闘科。二年。……で——あそこにいるのが僕の父だ」
レオンの視線の先、壇上では中年の男が喝采を浴びていた。
『ノクス・メカニクス代表——グラナード氏! 防衛ドローン供給と現場支援により、勲章と補助金を——』
ホログラムに企業ロゴが浮かび、拍手が一段と大きくなる。
レオンはその光景を、誇らしげに眺めた。
「ノクス・メカニクス。アークライトの下請けだけど、開発の中核を握ってる。……僕は父の付き添いで来てるんだ」
言い方は淡々としているのに、“当然”が滲む。
「——それに、こういう場で関連企業の人たちに顔を覚えてもらえば、将来いろいろ役に立つだろ?」
レオンは再び和樹へ視線を戻し、軽く首を傾げた。
「それで、君も誰かの付き添い?」
「まあ、そんなとこ。それより……他に美味いもんないのか? 腹減っててさ」
レオンは吹き出すように笑った。
「プロテイン・キューブじゃ不満かい?」
和樹は、手の中で半透明の塊がだらりと糸を引いているのを見て、露骨に顔をしかめた。
「だってさ、これ……鼻水みたいじゃん。全然、美味そうじゃないだろ」
「高級品なんだけどな」
「これが?」
和樹が、指にべったりと絡みついたそれを持ち上げると、レオンは肩をすくめて笑う。
「しょうがないさ。今は天然の食材なんて滅多に手に入らないし、農業も畜産も非効率で、リスクが高すぎる。だから、ほとんどが人工食だ」
少し間を置き、何でもないことのように付け足す。
「僕も本物の肉を、ここ何年も見てないしね」
「……そうなのか」
和樹はもう一度キューブを見つめ、ため息と一緒にテーブルへ戻した。
(……俺、アーコニアで生活するの無理……)
そのときだった。
会場のざわめきが、ひときわ大きな歓声へと変わる。
壇上へ、数人の姿が呼び上げられていく。
ヴァンガードセクト。
包帯を巻いたエリオット。
疲れの色を隠さないイザベラ。
松葉杖をついたタカシ。
そして――白いドレスに身を包んだ、サラ。
(サラ……やっぱり、来てたんだな……)
和樹が思わず視線を向けた、その様子を、レオンは見逃さなかった。
「ヴァンガードセクトは、セクター9に真っ先に入ったらしい。相当、派手にやったみたいだ」
声を潜め、秘密を打ち明けるように言う。
「それにな……まだ公にはなってないけど」
さらに声を落とす。
「サラ・タクトは、アーコニアに潜伏してたオーバーマインドのアンドロイドを、単独で倒したって話だ」
和樹が、ほんの少し口元を緩めた、その瞬間。
レオンは、盛大に勘違いした。
「君、サラ・タクトのファンなんだな?」
「え?」
「まあ、わかるよ。有名人だし、あれだけの美人だ。……でも、見るだけにしとけ」
レオンは、妙に達観した口調で続ける。
「彼女は僕と同じアカデミーの出身でね。先輩たちが何人も口説いたけど、全員討ち死にだ。たぶん、人間には興味がない」
少し考えて、結論づける。
「彼女はきっと、一生独身で終わるタイプだね」
「……なるほど」
(……こっちは、口が災いして早死にするタイプだな)
和樹が内心でそう思ったところで、レオンの表情がふっと真面目に変わった。
「さっき、アーコニアの出身じゃないって言ってたよな?」
「……まあな」
「だったら、早くここを出たほうがいい」
「なんでだ?」
レオンは、壇上から視線を外さずに言った。
「知ってるだろ。オーバーマインドは、脅威を放っておかない。今回撃退できたのは良かったけど……アーコニアは、近いうちに戦場になる」
「……そうだな……すまない」
思わず漏れた和樹の言葉に、レオンは意外そうな顔をした。
「なんで君が謝るんだ?」
そして、静かに笑う。
「僕はオーバーマインドと戦うために、ここで学んできた。……正直、自分の力を試せると思うと、少し興奮してるくらいさ」
さらに、意味深に付け加えた。
「それに――知ってるだろ?」
「?」
「強力な“援軍”が来てるって話」
「……援軍?」
「ああ、そうさ」
レオンが顎で示した先。
ちょうどその瞬間、会場中央に浮かぶ巨大ホログラムが切り替わった。
夜空に出現する艦隊。
地上を埋め尽くす、クマのぬいぐるみのドローン部隊。
そして——ナイトメア・センチネルを、圧倒的な力で叩き潰す小柄な少女。
「どうやら、“アークライト社が頼んだ”援軍らしい。今日のパーティーに、その関係者も来るって噂だよ」
「それって……?」
「見てみなよ。普段なら同じ場所に集まらない人たちばかりだ。関連企業に下請けの技術者、アークライトの役員まで勢揃いだ。みんな、謎の援軍を知りたいのさ。それに……あわよくばコネを作りたいんだろう」
和樹は、グラスを持つ手を止めたまま、内心で呟いた。
(ノア、どうやら俺たちのこと……勝手に援軍扱いされてるみたいだぞ)
(そのようですね)
(まだ、会ってもいないのにな)
(既成事実を作るか、噂が独り歩きしているか……いずれにせよ、和樹の力は防衛に必要と判断されているのでしょう)
和樹は小さく息を吐いた。
「……どうしたんだ?」
レオンが、不思議そうに首を傾げる。
「いや、なんでもない」
そのときだった。
「レオン!」
焦った声とともに、中年の男が人波をかき分けて駆け寄ってくる。
ノクス・メカニクス社の代表——レオンの父だった。
「こんなところにいたのか! 探したぞ!」
男はレオンの肩を掴み、強く引き寄せる。
「英雄様が来たんだ。早く挨拶に行くぞ。一緒に来い」
「ちょっ、父さん——」
抵抗する間もなく、レオンは父に引きずられていく。
「悪い、行くよ!」
振り返りざま、レオンが叫んだ。
「そういえば……君の名前は?」
「工藤、和樹だ」
「そうか、和樹!」
レオンは、笑って手を振る。
「また会おう」
次の瞬間、親子はそのまま人の波に飲み込まれていった。
「……なんか、お喋りな奴だったな」
(そうですね)
「でも、悪い奴じゃなかった」
(はい。和樹と違い、爽やかな好青年でした)
「ほっとけ」
和樹は、もう一度ホログラムを見上げた。
「それに……戦う覚悟もあった」
(ええ)
「俺も……見習いたいとこだな」
和樹はレオンが消えた方向から視線を戻し、グラスをテーブルに置いた。
(さて……どうするか)
シンセティックチャイルドの件。
本当なら、アークライトの上層と直接話をしたい。
(ノア。正面から話を持ち込むのは……)
(現実的ではありません)
即答だった。
(星の子プロジェクトは上層部だけが知る極秘研究です。今の和樹がここで口にしても信用されない可能性が高く、最悪の場合は危険人物として隔離される恐れがあります)
(だよな……)
和樹は、軽く肩をすくめる。
(じゃあ、いっそ全部ぶちまけて――未汚染AIを交渉札にするのは?)
(却下です)
(即答かよ)
(はい。情報が漏れた瞬間、和樹は“交渉相手”ではなく“獲物”になります。思い通りに動かないと判断されれば、味方ではなく敵として扱われる確率が跳ね上がります)
(……却下だな)
和樹は小さく息を吐いた。
(じゃあ、今できることは)
(このビルの地下区画に、過剰な電力供給が確認されています)
(それは……何かあるな……もしかしたら、シンセティックチャイルドの研究施設かも……)
和樹は、会場を見回した。
視線の先では、重要人物でも現れたのか、拍手と歓声が重なり、会場の一角に人だかりができ始めた。
(今なら……)
(警備の注意は分散しています)
ノアが続ける。
(地下へ向かうルートは複数存在します。一般ルートから外れれば、発見される確率は低下するでしょう)
(可能です。ただし、完全な安全は保証できません)
和樹は、口元だけで笑った。
(ま、なるようになるさ)
(……計画性という概念は、和樹にないんですか?)
(しょうがないだろ……)
(はぁ……。まあ、いいです。私がナビします。――くれぐれも注意してください)
(了解)
和樹は、人の流れから静かに外れ、会場の喧騒を背に歩き出した。




