インダストリーの思惑
エコーは、ストローをくわえたまま、隣に座ったナヨンを見上げる。
「……えっと……おねえさん、だれ?」
「アークライト・インダストリー社、広報統括のイ・ナヨン。……あなたに会いに来たの」
言い終えるより先に、ナヨンはコートの内側から細長い端末を取り出した。
黒いフレームに、アークライトの紋章。
——ピッ。
端末が短い電子音を鳴らすと、空中に淡いホログラムが立ち上がった。
「アーコニア市民番号、登録あり。氏名——エコー・ノクターナル」
エコーが目を丸くする。
「えっ、エコー、フルネームあるの?」
ノクトがグラスを磨きながら、ぼそりと呟く。
「知らなかったのか……」
ナヨンは表情ひとつ変えず、続ける。
「十年前、ダイナシティ壊滅に伴う避難民として、アーコニアへ移住。移住登録、当時の特例措置により簡略化——記録あり」
ホログラムの下部に、移住申請の承認ログが浮かび上がる。
“難民受け入れ枠/緊急処理”。
十年前に乱発された、穴だらけの承認形式。
「……移住後すぐに、バー《ノクターナル》を開業。営業許可、継続更新——問題なし」
それから、彼女の視線がノクトへ流れる。
「続いて親族登録。戸籍上の続柄——兄妹。兄——ノクト・ノクターナル。……同住所登録、同一事業者として記録」
エコーはぱちぱちと瞬きをして、次にノクトを見上げる。
「……エコー、ノクトの妹だったの?」
「……前に言っただろ」
ナヨンの指先が、ホログラムの次ページへ滑る。
「ダイナシティ側の照会記録は——データベース消失のため、参照不能。よって、出生および当時の家族情報は未確認」
そこでナヨンは、ほんの少しだけ言葉の調子を変えた。
「……ただし、ダイナシティの市民証は所持していた。提示記録あり」
エコーは首を傾げ、きょとんとした顔で言う。
「エコー、ダイナシティに行ったことないよ」
カウンターの向こうで、ノクトが目を閉じ、首を横に振る。
「……頼むから今は黙ってろ」
エコーは頬をぷくっと膨らませ、ノクトをじとっと睨む。
「ノクトのいじわる」
ナヨンが、その微笑みを“接待用”に塗り替えるように口元を上げる。
「——さて。英雄さんに、お願いがあるんです」
ナヨンが指を滑らせると、宙に浮かぶホログラムが切り替わった。
スラムの街。セクター9。
黒い影がうごめき、ナイトメアセンチネルが両腕を広げる。
その目前で——小柄な影が跳ぶ。
次の瞬間。
白い閃光。
巨体が、まるで紙屑のように吹き飛ばされる。
映像がスローになり、爆風の中に“少女”の輪郭が浮かんだ。
「あ、エコーだ!」
エコーがぱっと顔を輝かせ、ストローをくわえたまま身を乗り出す。
「この映像は、アークライトの防衛ログと市民端末の複合記録です。あなたの働きは——アーコニアを救った、と言っても過言ではありません」
隅の席で黙っていたサラが、ナヨンをじっと観察したまま口を挟んだ。
「英雄が必要ってことね。エコーをプロパガンダに使うの?」
ナヨンの視線が、初めて“エコー以外”へ向く。
薄暗い店内で、金髪の美女が静かにこちらを見ていた。
「……えっと。あなたは……?」
「サラ・タクト。……一応、あなたと同僚になるのかしら。ヴァンガード・セクト所属よ」
ナヨンが、思わず息を呑む。
「ヴ……ヴァンガード・セクトの隊員が、なぜ、こんなところに……」
ノクトがグラスを磨いたまま、チクリと刺す。
「……こんなところで悪かったな」
「っ……すいません。そういう意味ではないんです」
「で、どうなの?」
ナヨンは一瞬だけ言葉を選び、それでも微笑みは崩さずに答えた。
「……鼓舞です。——今回の襲撃で、市民は怯えています。傷ついた心を立て直すには、象徴が必要なんです」
「……それに」
ナヨンが言葉を継ぎ、視線だけをエコーへ向ける。
「あなたは見た目も……可愛い」
「えへへ!」
エコーは頬を緩め、胸を張った。
和樹は小さく咳払いしたが、エコーはまるで聞いていない。
「当社としては、あなたに“協力”してほしい。都市防衛と、市民の士気回復。そのための広報活動です」
「耳触りのいい言い方だな」
「報酬は出します。正当な契約です。危険がある仕事なら、対価は払う。——アークライトはそういう会社です。一度、我が社へおいでください。正式にお話を。それと——」
視線が、カウンターの角へ滑る。
「……そちらのぬいぐるみも。ぜひ一緒に」
エコーはニコリと笑った。
「うん。和樹も一緒だったらいいよ!」
「——え?」
ナヨンが、ほんの少しだけ間の抜けた声を出した。
「か、和樹……とは?」
「え、和樹は和樹だよ」
エコーはきょとんとしながら、カウンター席の隣——和樹を指差した。
「ほら、この人!」
ナヨンの視線が初めて、カウンターに座る人物に焦点を結ぶ。
「……この少年ですか?」
「うん!」
エコーは即答した。
「エコー、和樹の言うことなーんでも聞くの!!」
「い、言うことをなんでも、ですか……?」
「おい、エコー、誤解をまねくような言い方はやめろ……」
ナヨンは言葉を選びながら、ぎこちなく笑みを直した。
「……そ、そうですか。ええ、それは……構いません。同行者として、同席は可能です」
(ノア)
(はい)
(……何が目的だと思う?)
ノアの返答は、即座だった。
(艦隊やイグナイト部隊を公に出した時点で、オーバーマインドだけでなくインダストリー社も察したはずです。“汚染されていないAIが存在する”——と)
和樹は眉をひそめる。
(未汚染のAIは、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい。英雄の接待という建前は、その入口です)
(……なら、拘束される可能性もあるか?)
(現状では低いです。存在に気づいたとしても、それが和樹やエコーと結び付いている確証がない。だからまずは互恵関係を装い、情報を引き出しに来るでしょう)
間を置かず、ノアが続ける。
(ただし、“それ”が和樹の中にあると確信した瞬間——手段は選ばなくなる可能性があります)
和樹は、小さく頷いた。
(どっちみち、インダストリー社には話をつけに行くつもりだった。“シンセティックチャイルド”の件もあるし……本当はサラに頼んでインダストリー社と話そうと思ってた。だが向こうから来てくれたなら、好都合だ)
(そうですね。こちらからインダストリー社の“中枢”へ入れる機会でもあります)
「……わかった。行く」
「ありがとうございます。では、正式にご招待します。アークライト・インダストリー社へ」
ナヨンの胸元のブローチが、ほんの一瞬だけ光った。
だが、その光の向こう側では。
レンズ越しに《ノクターナル》の映像が再生されていた。
***
研究棟の地下深く。カードキーの二重認証を抜けた先に、空気の温度が一段落ちる。
——バイオ兵器研究所。
天井から吊られたレールに沿って、透明な培養ポッドが等間隔に並ぶ。薄い青に染まった培養液の中で、子供が眠るように浮かび、胸元に貼られた電極がかすかに発光している。
一本、二本ではない。
太さの違うチューブがポッドの腹から伸び、床下の配管へ吸い込まれ、さらに奥の機械群へと束ねられていた。
その中心で、Dr.レン・ファングは手元の作業を終えた。
手袋を外すと、ぬる、と粘る赤黒い液が、床へ落ちた。
レンは外した手袋を、足元の廃棄口へ。
——ガコン。
レンの視線は、作業台へ移る。
そこにあるのは、回収された二つの“資料”。
ひとつは十四号。
胸部に大穴が空き、筋繊維は炭化して裂け、骨の硬化層は途中で折れ曲がっている。刃へ変形できた骨格は、熱の前ではただの脆い素材に戻っていた。
もうひとつは十五号。
頭部と胴体が別々に置かれている。焼け焦げた皮膚が薄く縮み、断面は乾いた赤で固まっていた。
レンは、二つを“遺体”とは呼ばない。
「……耐久性は想定より低かった……」
プラズマカッター。高周波レーザー。関節破壊。筋組織の圧壊。
自己修復や代謝補助は、こういう攻撃の前では間に合わない。戦場での“持続”を売りにしていたはずの個体が、一撃で終わる。
レンは視線を上げ、培養ポッドの列を見渡した。
番号順に眠る子供たち。
再現性のない成功と、山のような失敗。
「……混合比率を上げれば、強度は上がる。だが“人間”は薄まる」
彼は淡々と、指先で資料をめくるようにモニターを操作する。
この計画の根っこは、人間としての柔軟な判断。予測不能な発想。——それを、兵器として成立させる。
だが現実は、熱と圧と速度に力負ける。
「限界、か」
ふと、別のファイルが開く。
十三号。
唯一、“有機金属”と人間を同一個体として成立させた成功例。
代謝の補助は必要だが、あれは、次の段階へ進む鍵だった。
——だった、が。
「チャオ……」
名が、口から出た瞬間だけ、レンの手が止まった。
倉庫で見つかったチャオと十三号の焼死体。
眉間のシワがわずかに深くなる。
悔やむというより、失われた“再現性”への苛立ち。
「……惜しい」
指先が宙をなぞると、研究所のホログラムが静かに切り替わる。
黒い巨体が両腕を広げる。ナイトメアセンチネル。
その前で、小柄な影が跳んだ。
次の瞬間。
白い閃光が画面いっぱいに弾け、衝撃波が砂埃を押しのける。巨体が、まるで玩具のように持ち上がり、回転しながら吹き飛んだ。
ホログラムが自動でスロー再生に入る。
爆風の中——赤髪の“少女”が、ちらりと輪郭を見せた。
レンは瞬きすらせず、淡々と指を動かす。
出力推定。
加速度推定。
衝撃伝達の方向ベクトル。
「……人体で、この瞬間火力は成立しない」
我々が持っているものとは別の手段——そういう結論へ、自然に思考が転がっていく。
その時。
研究室に短い通知音が鳴った。
——ピッ。
壁面ホログラムの端に、赤い優先タグが浮かぶ。
【発信:チョ・ミンソク / CEO】
【優先:S】
【件名:至急。本社・会議室へ】
レンは一度だけ眉を上げた。
「……呼ぶなら、予算が増えた時だけにしてくれ。会議のために研究を止めるほど、私は暇じゃない」
彼は端末を取り、返答を一行だけ入力する。
《了解》
ホログラムのログは、まだエコーのシーンを映していた。
吹き飛ばされたナイトメアセンチネルの残骸が、ゆっくりと地面を滑って止まる。
レンは、その映像を切らずに立ち上がった。
「……解剖して、ゆっくり調べてみたい……」
レンは研究所の扉を開けた。
***
ノクターナルの映像が切れた瞬間、ミンソクは指を二回鳴らした。
天井のホログラムが消灯し、代わりに壁面の透明スクリーンへ——報告ウィンドウが雪崩のように並ぶ。
侵入経路解析。遺体鑑識。広報案。治安部隊配置。物資補給。医療キャパ。
全部が「至急」だ。
「……よし。じゃあ、これ以上、問題が起きないように祈ろうか」
祈る気など一ミリもない口調で、ミンソクは吐き捨てた。
第一報——鮫島 孝宏について。
常務取締役・鮫島 孝宏。地下未発見区画にて発見。白骨化。推定死亡時期、半年以上前。DNA照合済み。
「……まさか。本人は、半年以上も前に殺されてたなんて……」
悔しさを噛み殺すように、拳をぎゅっと握る。
同僚の鮫島の顔を被ったまま、オーバーマインドのアンドロイドが——何食わぬ顔で社内を歩いていた。
それが、どうしても許せなかった。
ふと、数週間前に鮫島と飲んだ夜が蘇る。乾杯して、くだらない愚痴を言い合って、笑った。
「人類史に残るだろ。侵略者と乾杯した初の人間ってな」
次のファイルを開く。
《オーバーマインド:都市全域放送》
『我らが探すは一人の人間……荒野にて、我々が兵器を単独で破壊した者。名も正体も知らぬ……だが、この都市にいる』
ミンソクは、無意識に舌打ちした。
「……いったい何者なんだ……? しかし。オーバーマインドに指名手配されるなんて……勲章をもらったようなものだな……」
彼は指で画面をなぞり、映像ログを呼び出す。
——空に浮かぶ無数の艦隊。
艦の所属識別なし。電波規格、推進原理、解析中。
数字が出ないものは、ミンソクにとって「悪夢」だ。
「……基地は? 資源は? 補給線は? どこから湧いた。……ふざけてるのか……」
そして、最後の映像——
小柄な赤髪の少女が跳ぶ。
白い閃光。爆風。
ナイトメアセンチネルの巨体が、玩具みたいに宙を舞って吹き飛ばされた。
ミンソクは、そのシーンだけを何度も繰り返し再生した。
「……まったく、わからん」
理屈が追いつかない。出力も、手段も、背景も。
だが——ひとつだけ、はっきりしたことがある。
このアーコニアという都市が、完全にオーバーマインドの“標的”になった、という事実だ。
ミンソクは画面を閉じ、指でこめかみを押さえた。
「……会長に言われたとおり、防衛にリソースを全振りするしかないな」
ダイナシティが壊滅した日から、アーコニアにも、いつかこの瞬間が来るのは分かっていた。
分かってはいたが——
彼は、舌打ちをひとつ落とす。
「……誰だか知らんが。余計なことをしてくれたもんだ」




