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アーコニアの女王

 ——アークライト・インダストリー社、本社ビル地下深く。


 正面ロビーの喧騒から、幾重もの隔壁と昇降シャフトを降りた先。

 通常の社員はもちろん、役員でさえ許可なく踏み込めない——特定の幹部だけが入室を許された特別区域があった。


 生体認証、暗号鍵、そして最後に“人”による目視確認。

 三重の認可を通過した者だけが、白く無機質な通路を進める。


 ……そして辿り着く、最深部。


 床下から響く低いポンプ音。


 透明なチューブを流れる培養液の脈動。


 中央に置かれた円筒状の槽だけが、青光で光っている。


 その中に——“脳”があった。


 人間のそれと変わらぬ形を保ったまま、無数の細い神経ケーブルに繋がれ、培養液に浮かぶ“意識の核”。


 室内には、数名の人影が立っていた。


 やがて、円筒槽の上部から、女の声が降りてきた。


「……再生して」


 声は若い。驚くほどに。


「はい、会長」


 セクター9。

 瓦礫。火。逃げ惑う住民。

 そして。クアッドハウンドの群れにナイトメアセンチネル。


 そして——夜空が“割れる”。


 輸送艦、護衛艦、戦艦。艦隊の出現。

 続けて、花のように開くパラシュート。


「……あの部隊は」


「未登録です。アーコニアの防衛体系にも該当無し。外部勢力の可能性が——」


「……意思がある。統率がある。——そんな高度な技術体系を持っている“未確認の勢力”が、今まで隠れていたなんて……」


 スクリーンの端で、都市全域へ拡散された声明ログが点滅する。


 “我らが探すは一人の人間……この都市にいる”。


 会長の声が、わずかに低くなる。


「その“人間”については?」


「調査中です。現時点では特定できていません。ただ——可能性が高いのは、この“少女”かと」


「……見せて」


 その瞬間、スクリーンが切り替わる。


 瓦礫の上を跳ぶ、小柄な影。

 圧倒的な力でナイトメアセンチネルを叩き壊す、“謎の少女”。


「派手にやってくれたわね」


 次いで、冷たく言い切る。


「セクター9の中で撃退できたのは喜ぶべき。だけど、その代償は大きい」


 幹部たちの空気が、ひやりと固まる。


「オーバーマインドは、“脅威になる相手”を放っておかない。これでアーコニアは完全に標的になった——次からは、このアーコニアが戦場の中心になる」


「この責任は取ってもらう」


 スクリーンがまた切り替わる。


 大型戦艦の艦腹から、地上に落ちる“極細の貫通”。


「……あれは、私も知らない変換効率だ」


「会長。あれが理想の兵器体系に近いのは事実です。しかし、AIがない現代の技術では不可能です。もし可能性があるとすれば……」


「汚染されていないAI——」


 会長が先に言葉を奪った。


「こうなった以上、防衛にリソースを振る。平時の配分は終わりよ。この勢力に協力させる。防衛計画に組み込む。拒むなら——それ相応のやり方で」


「……それに、会長。もし未汚染のAIを手に入れれば——」


「身体を作れる」


 会長は、はっきりと言った。


「器の開発を再開できる。私は、もう“脳だけ”で生きるつもりはない」


「命令を」


「少女を連れてきて、クマの部隊も。艦隊の発生源——“ロンギヌスの槍”のプラットフォームも追え」


「……会長。接触の初手は“広報のナヨン”が最適です。敵意を見せず、いろいろと名目を作りやすい」


「そう……じゃあ、イ・ナヨン、頼むわ」


 名を呼ばれた女——広報統括イ・ナヨンが、一歩前に出た。


「承知しました。“市民の士気回復”と“都市防衛への協力要請”を建前に、当事者へ接触します。映像と防衛ログを根拠に功績を認定し、正当な報酬と契約を提示し、本社へ“正式に”招き入れます」


「行き先は?」


 青い培養液の向こうで、視線だけがスクリーンから外れ——壁際の端末へ移る。


「……照合」


 ホログラムに“少女の顔”が切り出され、網目のような解析線が走った。

 輪郭、虹彩、皮膚の反射率。——数秒の沈黙。


 ——ピッ。


 意外そうに、会長の声がわずかに弾む。


「……市民登録が、ある……?」


「一致率、九八・七。アーコニア市民番号、登録あり。氏名——エコー・ノクターナル」


 幹部の何人かが、思わず顔を見合わせた。


「……企業ハビタット。バー……《ノクターナル》」


 何でもないことのように言い直すが、声にはわずかな驚きが残っていた。


 イ・ナヨンが頷く。


「では、今夜。入ります」


 白い広間に、ポンプ音だけが戻った。


 その音はまるで——百年以上、止まったままの時計が、再び動き出す合図のようだった。



 ***



 ——氷がグラスの中で、ちいさく鳴った。


 カウンターの向こうで、ノクトは無言のままグラスを磨いている。


 セクター9の戦闘から、まだ一日。

 街は復旧どころか、痛みの記憶すら癒えていない。


 それでもバー《ノクターナル》だけは、いつも通りの静けさを保っていた。


 ……はずだった。


——ドンッ!


「もうやだ!! これ、またやってる! エコーね、“アーコニア笑劇場 ゲラゲラ・シティ”楽しみにしてたのに……ぜんぶニュースに変わっててやってない!」


 カウンター席のテーブルを叩いたエコーが、ジュースのストローをくわえたまま、不満げにホログラフィックディスプレイを指差す。


 その隣で和樹もまた、無言で映像に釘付けになっていた。


 椅子の端——カウンターの角には、クマのぬいぐるみが“ちょこん”と座っている。

 丸い耳、黒いボタンの目、ふわふわの毛並み……ただのぬいぐるみではない。


 イグナイト部隊の隊長が、人形に擬態している“状態”だ。


「……ロンギヌスの槍、か」


 和樹が吐いた言葉に、ノクトはグラスを磨いたまま答える。


「誰が言い出したんだ、それは」


「ニュースのコメンテーターだよ。……ほら」


 ディスプレイの中で、司会者が熱っぽく身振りしながら叫んでいた。


『——昨夜セクター9上空に突如出現した“正体不明の艦隊”! そこから放たれた、光る槍のような一点貫通攻撃! 我々はこれを、暫定的に——“ロンギヌスの槍”と呼称します!』


 画面が切り替わり、戦闘映像が流れる。


 アークライト・インダストリー社のセキュリティードローン。都市防衛部隊の装甲機。

 それらが、クアッドハウンドと交戦している。


 次の瞬間。


 上空が、いきなり“割れた”。


 ——黒い点。


 いや、点ではない。艦影だ。


 輸送艦、護衛艦、戦艦。


 艦隊が、夜空のど真ん中に“出現した”。


 だが艦隊は、何事もなかったかのように陣形を組み、次々とハッチを開く。


 そこから——


 パラシュートが、花のように開いた。


 降ってくる数は、数千、あるいはそれ以上。


 着地した“それ”は——小さな二足歩行体。


 そして、目撃者証言の音声が流れる。


《あ〜ん。もう、最高にキュートなクマちゃんだったわぁ……》


《モフモフ……かわいい》


「……何か聞いたことある声だな……でも、イグナイト……人気だな……」


 ぬいぐるみのボタンの目が一瞬だけ光った……ように見えたのは、気のせいか……。


 番組は、さらに核心へ踏み込む。


 スタジオには、アークライトの広報担当、軍事評論家、都市防衛の専門家らが並び、火花を散らしていた。


『問題は三つです!』

 

 司会者が指を立てる。


『ひとつ! なぜ艦隊が都市の防衛網をすり抜け、アーコニア上空に“突然現れた”のか!』


『ふたつ! 降下した数千のドローン部隊の正体は何か!』


『みっつ! “ロンギヌスの槍”——あの一点貫通兵器は何なのか!!』


『防衛網を突破? 違う。突破じゃない——内側から通した者がいる。アークライトが把握していない艦隊など存在しない』


『憶測です。アークライトは関与していません。当社の上空監視システムは正常稼働しており、未登録艦影は——』


『いや、映像解析では艦隊出現時に“監視ログが一瞬欠落”しています。これは妨害、もしくは……監視側の意図的なブラインドです』


『当社のシステムに欠落などありません』


『ではなぜ映像がある!』


『それは市民が撮影した——』


『市民の端末が軍規格の妨害下で撮影できると? 冗談でしょう』


 論戦が加速する。


 司会者が話題を引き戻すように叫ぶ。


『そして“ロンギヌスの槍”です! 直径およそ二メートルの深い穿孔を形成。この精密射撃は、当社の主砲技術に近いのでは!?』


 広報が硬い笑顔で返す。


『当社の兵器体系に一致するものは確認されていません。あれが“レーザー”であると断定するのも——』


『レーザーに見える!』


『見える、ではなく証拠を——』


『——そして最後に、“ロンギヌスの槍”が撃たれた直後、オーバーマインド側の反応が急変。セクター9周辺のドローン群が、一斉に退避しました』


 和樹はストローを噛み、視線を逸らさずに呟いた。


「……俺のことは、バレてないのか……」


(現時点では、和樹の情報は拡散していません)


 ノアの声が、頭の奥に直接落ちてくる。


(和樹が地上に姿を見せたのは最後だけ。映像も遠景がほとんどです。エコーは別として、和樹のことは知られてないでしょう)


「……ふうん」


 和樹はなぜか納得いかない顔で、ストローをもう一度噛んだ。


「まぁ、ある意味……動きやすいから、そっちのほうが都合がいいかもな……」


(余計な注目は浴びないにこしたことはありません)


『——そして! 現場では“ナイトメアセンチネルを撃破した謎の美少女”の目撃情報が相次いでいます!』


 画面には荒い手ブレ映像。夜の瓦礫の上を跳ぶ、小柄な影。そして一瞬、カメラに近づく“少女の横顔”が映る。


「えへん! エコーとイグナイトは人気者!」


 カウンターの角のクマのぬいぐるみ——擬態中の隊長が、ピクリと震えた。


 そして。


 ——ぬいぐるみの“口角”が。


 間違いなく、ニヤリと上がった。


「……今、笑ったよな?」


(気のせいでは?)


「おい」


(私は見ていません)


「絶対見てたろ」


 和樹が視線を刺すと、ぬいぐるみは完璧な“無表情”に戻っていた。


 そのとき。


 ——カラン、カラン。


 入り口から、金髪がふわりと揺れて——サラが入ってきた。


「ごめんなさい。報告に時間がかかって……遅くなっちゃった」


 ノクトはグラスを磨く手を止めず、涼しげに笑った。


「いらっしゃい、サラ。いろいろ大変だったな。改めて——俺はノクト。よろしくな」


「うん。よろしく、ノクト」


 その瞬間、エコーが椅子から跳ね、ぶんぶん手を振った。


「こっちこっち! サラ! ここ! エコーの隣!」


 サラがカウンター席へ近づくと、エコーは得意げに胸を張った。


「ノクト! サラはね! エコーと仲良しなんだよ!」


「そうか。よかったな、エコー」


「うん! それとね——」


「サラは和樹のお嫁さんなんだよ!」


「ぶっ——!!」


 和樹がジュースを盛大に吹き出した。


「な、何言ってんだよ!!」


「えっ、違うの?」


「当たり前——-」


 そう言いかけた瞬間、背中に悪寒が走った。


 ——じぃ。


 恐る恐る視線を向けると、サラが黙って和樹を見ていた。


「——ひっ!」


 和樹は視線を泳がせ、必死に誤魔化しに入った。


「い、いや……その……もし……サラが俺のお嫁さんだったら……うれしいなぁ……なんて……はは……」


 サラの頬が——ポッと、赤く染まる。


「ほらー! やっぱり! エコー、合ってた!」


 ノクトがグラスを拭きながら、二人を交互に見ながらボソリと言った。


「……和樹が尻に敷かれる未来しか見えねぇな……ご愁傷様……」


「聞こえてるぞ、ノクト!」


「聞こえるように言った」


 そのとき。


 ——カラン、カラン。


 ドアベルが澄んだ音を立てた。


 店内の空気が、ほんのわずかに引き締まる。


「……また誰か来たな」


 ノクトは手を止めず、視線だけを入口へ投げる。


 入ってきたのは、知らない女だった。


 黒に近い濃紺のコート。長い髪をきっちりまとめ、派手さはないのに——“出来る”人間の立ち方だ。


 女は一度だけ店内を見回し、迷いなくカウンターへ歩いてくる。


「いらっしゃい」


 女は会釈もせず、空いている席を指先で示した。


「……いいかしら」


「何にする」


「ワインを一杯だけちょうだい……話が終わったら、すぐ出る」


 ノクトの手が一瞬だけ止まった。

 その言い方は、客のものじゃない。


 すると——


 エコーが、首を傾げた。


 ホログラフィックディスプレイのニュース映像と、女の顔を、交互に見比べる。


 ぱち、ぱち、と目を瞬かせて。


「……あれ……?」


「どうした、エコー」


 エコーは不思議そうに、もう一度ディスプレイを見る。

 そこに映るスタジオの席にいた人物の輪郭が、今目の前の女と重なる。


「……なんで?」


 和樹の顔——ではなく、エコーと、カウンターの角の“ぬいぐるみ”へ一瞬だけ焦点が合う。


「……ふふ……この番組は収録だから、はじめまして。あなたが——“当事者”ね」


 ディスプレイの映像が、ちょうどアークライト・インダストリー社の広報担当を映し出す。

 スタジオで笑顔を浮かべ、論戦をさばく“女性”。


 ——同じ顔。


(ノア)


(確認しました。アークライト・インダストリー社。広報統括——イ・ナヨン。先ほどの番組出演者と同一人物です)


 女——イ・ナヨンは、カウンターに指先を置き、淡々と言った。


「あなたに、話があるの」


 静かなベルの余韻が、まだ空気に残っていた。

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