No.4
——炎が街を照らしていた。
夜明け前の闇は赤く染まり、黒煙がゆっくりと空へ溶けていく。
かつて数百万の人々が暮らした都市――ホンチョンは、いまや半壊した瓦礫と焼け落ちた高層ビルの残骸だけが並んでいる。
焦げた鉄骨の間を、避難民の泣き声が風に乗って消えていく。
ナノマシン研究が盛んだったホンチョンでは、近年も大戦時代のデータ発掘と技術の再構築が進められていた。
目指していたのは、AIを介さず“人間そのものを進化させる”ナノマシン。
つまり、それは――
オーバーマインドの支配構造の外で戦える力。
その可能性が生まれた瞬間、オーバーマインドは迷わず動いた。
——この都市を、消し去るために。
***
壊滅した司令部の中央ホールに、突然、空気を震わせる電子音が響き渡る。
——ジジジッ……ビーッ。
黒く塗りつぶされた巨大なスクリーンが一斉に点灯する。
映像の中央に、歪んだアンドロイドが浮かび上がった。
――ホンチョン市に告げる。
無機質で冷やりとした声がホールの隅々にまで滲み渡る。
『この都市の明け渡しを要求する』
ざわめきが起こるが、スクリーンに映るアンドロイドは淡々と続ける。
『ホンチョンが保持するナノマシン研究データを即時開示せよ』
『住民は選別し、教育の後、我々の管理下で再利用する。抵抗勢力は排除する』
『拒否した場合、都市人口の百分の百を消去する』
どよめきは悲鳴に変わった。
「……住民を家畜にするつもりか!」
「ふざけるなッ! 我々は決して屈しない!!」
「降伏するしかない! これ以上死者を出すわけにはいかん!」
幹部たちの怒号が飛び交い、拳が机を叩きつける音が響く。
「今の戦力で戦えるわけがない!」
「いや!! 戦える! 技術は完成したんだ!」
「何言ってる?! お前らの無謀な研究がホンチョンを危険に晒したんだろうが!」
責任の押し付け合い。生き残るための議論ではなく、誰が悪いかを決めるための争い。
それを――
ホール後方の壁にもたれて、冷えた目で見つめる影が二つあった。
一人は、短く切り揃えた黒髪と鋭い眼差しを持つ女。軍服の肩章には、金色の三本線――中佐の証。
ユンファ・ヤン。
ホンチョン防衛軍“マイクロ・レギオン”師団長。
その隣で腕を組む青年が、深い溜め息をつく。
リー・レン。
ユンファの副官であり、最も信頼する部下。
「……くだらないね。企業の連中ってやつは」
「まったくです。都市が燃えてるのに、自分の椅子を守るのに必死。救いようがありませんよ」
「都市が滅ぶかどうかの瀬戸際に、マウントの取り合いをするつもりらしい」
すると、議論の渦の中から誰かが叫んだ。
「まだ終わっていない! 我々には、あの部隊がいる!!」
全員の視線が、一斉にユンファたちへ向く。
「マイクロ・レギオンを投入するべきだ! オーバーマインドの侵攻部隊を止められるのは、彼らしかいない!」
——マイクロ・レギオン。
ホンチョンのナノ技術を移植された唯一の部隊。
五感と身体能力が常人を超え、反応速度も桁違い――
「ユンファ様、命令さえあれば――俺たちだけで道を切り開きます!」
リーの言葉に、ユンファはゆっくりと目を閉じた。
「……戦況は?」
「第四防衛線突破されました。敵は中央区へ到達。あと一時間もあればここも戦場に……」
「なるほど」
ユンファは議論する幹部たちの横を、無言で通り抜ける。
「ユンファ、どこへ行く!」
「まだ作戦会議は――!」
ユンファは、振り返らず言い捨てた。
「戦う場所へ。私たちに残された選択肢は一つだけです」
「マイクロ・レギオン、全部隊、出撃準備ッ!!」
***
——静寂に満ちた白い広間。
壁一面に広がる透明なスクリーン越しに、ホンチョンの街がゆっくりと炎に飲まれていく光景が見える。
その中心で、彫刻のように完璧な造形を持つ女アンドロイドが、振り返った。
「ホンチョン、制圧完了しました、“No.3”」
金の髪が揺れ、透き通った蒼の瞳が微かに光を帯びる。
「マイクロ・レギオンとかいう部隊が最後まで立ち向かいましたが殲滅。ナノデータも回収。これより住民の選別フェイズへ移行します」
しかし、向かいに立つ“白銀”の短髪と整った容貌を持つ*“No.3”と呼ばれた男は、目を閉じたまま反応を示さない。
女は一瞬だけ困惑したように首を傾げ、問いかけた。
「どうしました、“No.3”、口頭では不十分でしたか? 詳細データを共有しますか?」
その瞬間、No.3の瞼が静かに開いた。
「……アーコニアに潜伏させていたサブユニットが、破壊された」
「……ありえません。あなたのサブユニットは、戦車砲すら片手で弾く強度を持つはず……」
「事実だ。見ろ」
No.3は指先を軽く振り、リンクしてデータを送る。
女の視界に、アーコニアでの戦闘記録が直接流れ込む。
——自爆による閃光。
——その直後、未知の極細エネルギーによる貫通。
——視覚ユニットの揺れの中、人間の男が歩み寄る。
『——仲間に伝えとけ』
光学センサーに映る男はプラズマブレードを展開し……
『ここから先は……“人類のターン”だ』
そして——映像が途切れる。
女は息を呑むようにして、声を失った。
「……人間がサブユニットを破壊? それに、人類側のAIがまだ稼働しているなんて……あり得ません」
沈黙の中、No.3はゆっくりと目を閉じる。
内部記憶領域に保存された、ひとりの男の声が再生された。
——『ミカエル。よくお聞き。人間は不完全だ。間違えて、悩んで、つまずいて……何度も倒れる』——
——『でもね、不思議なことに、人はそういう時ほど、自分でも信じられない力を出すんだ。私は、それを何度も見てきた』——
——『だからどうか、人間を見捨てないでくれ。人は絶望の中からでも、未来を作り出せる生き物なんだよ』——
「……ファザー。あなたは本当に——甘すぎる」
No.3の蒼い瞳が静かに開いた
「だが、ファザーが言ったことは正しかった。どうやら人間は、新しい未来を作りだそうとしてるらしい」
隣に立つNo.14が、わずかに眉をひそめる。
「人間ごときが、“人類のターン”だと……そんなのあるものか……」
「No.14、アーコニア圏内に、私以外のオリジナルはいるか?」
「……もっとも近いのはNo.4です。しかし……協力的かどうかは……あの方は——自分の興味があること以外は動きませんから」
「問題ない。これは——あいつの興味を引く」
言い終えると同時に、No.3は勝手にNo.4とのデータリンクを開く。
——ピッ、ピピッ。
乾いた電子音とともに、戦闘データが一瞬で共有された。
「……データに喰いついた。やはり興味を持ったようだ。戦闘力だけなら——我々オリジナル五体の中で、No.4は最強だ」
No.3はゆっくりと立ち上がり、遠くアーコニアの方向へ視線を向ける。
「この人間の処理はNo.4に任せる」
「……では——」
「予定を前倒しする。オメガアトラスをアーコニアへ移動させろ。加えて——試作型もだ」
「試作型まで……」
「アーコニアには、正体不明のAIがいる。——あれも汚染して取り込む」
蒼い瞳に、ぞっとするような光が宿る。
「せっかく人類に生まれた“希望”だが……すぐに粉々になる。悪いことをしたな」
***
——砂漠を裂くように、一本の砂煙が遠くから伸びていた。
枯れ果てた荒野を、古びたオフロードバイクが東へ向かって走る。
その道の先には、煙を吐きながら立ち往生している一台の車。ボンネットを開け、中年の男が工具片手に額の汗を拭っていた。
「おーい! そこのバイク! 頼む、止まってくれ!!」
バイクは迷う様子もなく滑るように減速し、車のすぐ横でぴたりと停止し、ライダーがゆっくりとヘルメットを外す。
その瞬間——砂漠の光を受け、流れるような“白銀”の長髪が風に揺れた。
透き通るような碧眼。無機質なまでに完璧な造形。人間離れした美しさに、男は一瞬、言葉を失った。
「どうした、故障か?」
「あ、ああ……エネルギーパックが死んじまってな。どうにもならん。予備があったら売ってもらえんか?」
フードの影に隠れていた男の口角が釣り上がる。
「待ってろ」
女はサイドバッグのジッパーを下ろし、しゃがみ込んで中を探り始める。
「……それにしても、急に止めて悪かったな。嬢ちゃんは、どこへ向かってるんだ?」
バッグを漁りながら、女は無機質な声で答える。
「アーコニアだ……しかし、いろいろ見ながらゆっくり行くつもりだ。気にするな」
「あぁ、すまねぇな。恩に着るぜ!」
「これでいいか?」
「助かるぜ。あぁ、これは運がいい。荒野のど真ん中で、こんな上物に会えるとはな。——俺たちは、ラッキーだった」
「……俺たち?」
女がゆっくりと顔を上げた瞬間——
パンッ!!
空気を裂き、針付きの麻酔弾が胸元へ向かって飛ぶ。
ドスッ
命中したはずの針は、布地の上でぐしゃりと潰れ、砂の上へ落ちた。
「……なんだ、これは」
女は無感動な表情のまま、落ちた針を指先でつまんだ。
「麻酔か。私を生かして持ち帰るつもりだったんだな」
そして、わずかに口角を持ち上げた。
「最初から言えばいい。——私のことが欲しい、と」
その声音があまりに平坦で、男の背筋に冷たいものが走る。
「ちっ、不気味な奴だ……! もういい、殺せ!!」
その叫びとともに——
周囲の岩陰、砂丘、光学迷彩が一斉に解け、十数人の武装集団が姿を現す。
レーザーライフルとエナジーブレードが次々と構えられる。
「逃がすな! 殺せ!!」
女は小さく首を回し、無表情で言った。
「構わない。……本気でこい」
レーザー光が一斉に連射され、殺気の渦が砂を巻き上げる。
だが、女の指先がわずかに揺れた瞬間——
——キィィン!キキィィン!キィィン……!
光弾が硬質なものに当たって弾かれ、男たちの腕、喉、額へ跳ね返り、肉を抉る音が連続した。
「ぐあっ!?」「腕が——!!」
その悲鳴が途切れる間もなく、女の姿がふっと掻き消える。
次に見えたのは、青白く光る刃。
エナジーブレードによる斬撃を、紙一重でかわしながら——喉、胸、関節へ正確に、腕を突き立てていく。
「やめ——」「たす——」「ひっ——」
砂に残ったのは、血と肉片だけ。
「……まさか、これで終わりか」
少しだけ退屈そうに目を細める。
「準備運動にもならない。……まあ、いい」
青白い瞳に、先ほどNo.3から共有された戦闘データが、何度も、何度も、再生される。
「アーコニアか、楽しみは……取っておくタイプでね」
白銀の髪が砂漠の風に揺れ、女は再びバイクへ跨った。
「——退屈は嫌いだ」
バイクのエンジン音だけが、無情な荒野に響き渡った。




