帰還
「…………なぁ、ノア」
(なんでしょう)
和樹はサラの身体をそっと支えながら、深く息を吐いた。
「……被害状況を教えてくれ」
その声音は、先ほどまでの浮ついた空気を一瞬で凍らせるほど低かった。
その瞬間——
ドタタタタッ!!
整列していたイグナイト部隊の中から、一体のクマが全力ダッシュで飛び出してくる。
小柄なぬいぐるみの体に、軍帽と銀色のバッジ。“隊長”の印だ。
和樹の目の前で急停止し——
ビシィィィィッ!!
完璧な敬礼を決め、かかとを揃え直す。
続けて、口の部分をモゴモゴさせながら、腹の底から絞り出すように声を発した。
「モフルルルッ!! ムググルルルッ! ムゥモォオオッ!!」
「えっ……? 何言ってんのかわかんないんだけど……」
(部隊長の報告です)
「報告なのか今の!?」
(はい。翻訳します)
(セクター9の建造物被害率——93%。ほぼ全壊状態です)
「……っ」
(しかし人的被害は最小限に抑えられました。負傷者多数——ただ、死者数は二名、とのことです)
「二名……全員は……救えなかったか……」
(オーバーマインドが住民を“人質として利用する意図”で生かしたため、死者数は結果的に抑えられたんでしょう)
「……人間の命をコマみてぇに動かして……ふざけんなよ……!」
(二名は——アストと同じ、シンセティックチャイルド。ナイトメアセンチネルとの戦闘で死亡したようです)
「……ナイトメアセンチネル相手に……“子供”を戦わせたのかよ……」
(アーコニア防衛に関する権限はすべて、アークライト・インダストリー社にあります。和樹が責任を感じる必要はありません)
「知ってるよ……だけど……バイオ兵器だろうが何だろうが……子供を、戦場に立たせるなんて………クソだ!」
和樹はゆっくりと、夜風に揺れる瓦礫の街を見渡した。
「……ノア」
(はい)
「……インダストリー社と一度、話をつける必要がある。『星の娘』プロジェクトは——中止させる」
(全面的に賛成します。倫理的にも、到底容認できるものではありません)
月光に照らされた瓦礫の上へ、ふわりと影が降り立った。
エコーがスヨンを片腕に抱えたまま、軽々と一跳びで和樹の目の前に着地する。
「和樹!!」
ぱぁっと花のように表情が明るくなり、エコーは胸を張った。
「ナイトメアセンチネル、倒したよ!! エコー、すっごく強かった!!」
褒められるのを待つ犬のように、期待に満ちた目でじーっと見上げてくる。
和樹は思わず苦笑し、ゆっくりと頭を撫でた。
「……ああ。よくやってくれた。本当に助かった。ありがとな、エコー」
「やったぁぁぁぁぁ——!!!!」
エコーは全身で喜びを爆発させ、ぴょんぴょんと跳ねる。
そのたびに脇で抱えられたスヨンの体が、ぶらんぶらんと揺れた。
「エ、エコー落ち着け! 子供が振り回されてる!」
慌てて和樹が指摘すると、エコーは「あっ」と動きを止め、そっと抱え直す。
「えへへ……ごめんね〜」
その時、瓦礫を蹴り上げながら息を切らしたホアンが走ってきた。
背中には気絶した少年——
「エコー、その子たちは……?」
エコーが少女と少年を指さしながら言った。
「スヨンとテグだよ」
(服装と身体データから推測すると、セクター9のスラム居住者と思われます。サラ、間違いありませんか?)
「え……? サラはまだ酔ってるんじゃ——」
サラは和樹の胸元に頬を押し当て、絶対に離すまいと両腕をがっちり絡めていた。
「……サラ?」
(和樹、既にナノマシンの回復処理は終了しています。エコーが現れる直前には、サラは完全にシラフでした)
「……え、それって、どういう意味?」
次の瞬間、弾かれたように和樹から飛び退き、誰にも聞こえないほどの声で——小さく呟いた。
「っ……だって……和樹と……キスできるチャンスだったのに……」
「いま、なんて……?」
「な、なんでもないっ!」
ホアンとカレンは、完全に事情が飲み込めず、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
「……セクター9の子たちで間違いないわ。それより——二人とも、大丈夫なの?」
(少年のほうは極度の疲労による昏睡状態です。睡眠で回復可能でしょう……ですが少女のほうは、薬物の中毒反応かもしれません)
「……中毒……?」
スヨンの手は冷たく、呼吸も浅い。
「ノア、検査と治療を頼む」
(了解しました)
その言葉と同時に——
——ピッ、ピピッ!
イグナイト部隊の列の中から、白い帽子と赤十字の腕章をつけたぬいぐるみが、ものすごい速度で飛び出してきた。
「モフルルル! ムギュッ!」
「ムゥモオオ!! モフッ!!」
「え、えっと……なに……?」
(衛生兵部隊です)
「いや、なんとなくは、わかるけどさ!?」
隊長クマが和樹の前でビシィッと敬礼し、怒涛の勢いで部下に指示を飛ばす。
「モフルッ!! モフモフモフッ!! モギャァ!!」
衛生クマたちは隊長の指示を受け、スヨンを丁寧に担架へ乗せた。
——シュタタタッ!!
「モフー! モフゥー!!」
担架を運ぶ衛生クマたちは、よちよち走りで遠ざかっていく。和樹とサラはぽかんと立ち尽くした。
「……行っちゃったな……」
「……うん、行っちゃったね……」
そんな中、隊長クマだけがその場に残り、ビシィッと敬礼。
「モフルッ!! モフモフッ!! モォォフ!!」
「……ノア……なんて言ってるんだ?」
(翻訳します)
(サラと行動していた“ラド・バレンティノ”、そしてサラの同僚である“ヴァンガードセクト”のメンバーも治療中とのことです)
「……ほんとに? みんな……生きて……?」
(はい。ラドは重傷のため、医療艦へ搬送済み。ほかの者は軽傷〜中等症で、治療が進んでいます)
その瞬間、ホアンは膝から崩れ落ちるように座り込み、胸を押さえた。
「……よかった……まじでよかった……ラドさん、死んでたらどうしようかと……!」
カレンも肩の力を抜き、涙声で笑った。
「……ほんと……生きててよかった……!」
隊長クマは誇らしげに胸を張り、また敬礼した。
「モフッ!!」
サラはそっと隊長を抱き寄せる。
ふわふわの毛並みをそっと撫でながら、きゅっと抱きしめ——
「……本当にありがとう……みんなを助けてくれて……」
「モッ!? モフゥ!?!?」
隊長クマは両手をバタバタと振り回し出す。
「モフモフモフモフッ!!? モフーッ!!?」
「あ、照れてる……」
サラは小さく笑い、隊長をそっと地面に降ろした。
隊長クマは慌てて敬礼し直し、背を向けて走り去っていく。
——タタタタタッ!!
「モフゥゥー!!」
その背中を見送っていた和樹は、深く息を吐いた。
「……よし。エコー、ノクターナルに帰るぞ。まさか、こんなことになるとは想像もしてなかった……ノクト、心配してるよな……」
「うん! ノクトに報告するの楽しみ! 和樹のためにエコー、いーっぱい頑張ったって言うんだ!」
その無邪気な笑顔に、思わず肩の力が抜ける。
「……ああ。ほどほどにな?」
「サラ、俺の記憶で見てると思うけど、仲間のエコーだ。よろしく頼む」
「よろしく、サラ!」
「ええ、こちらこそ……よろしくね、エコー」
「ねえサラ、サラは和樹のお嫁さん?」
「ぶはッ!? ちょ、おまっ、何言って——!」
「えっ、違うの!? だってさっきチューしよ——」
「ちょ、やめっ、ストップストップ!!」
顔を真っ赤にして慌てふためく和樹をよそに、サラとエコーはぱっと顔を見合わせ……
「「ふふっ」」
すぐに意気投合して楽しそうに笑い合う。
「……なんで俺の仲間はこう、遠慮ってもんがないんだ……」
その背後でホアンとカレンが、置いてけぼりのままぽかんと立ち尽くしていた。
「……ねぇ……ホアン、あの人もヴァンガード・セクト? 私たちと年は変わらなく見えるけど……」
「まったくわからん……」
和樹が振り返り、二人に向かって叫んだ。
「何ぼっと立ってんだよ。行くぞ、ホアン、カレン!」
「え、えっ!? なんであの人、私たちの名前知ってんの!?」
「……?」
「どうせ飯、食ってないんだろ? ハンバーグ食わせてやるよ。腹いっぱいな」
——ぐぅぅぅぅ〜〜……
沈黙を切り裂くように、ホアンの腹が盛大に鳴った。
「マ、マジで!? ハンバーグ食わせてくれるの!? あの、ちゃんと肉入ってるやつ!?」
「落ち着いて、ホアン、よだれ垂れてる!」
カレンに頭を叩かれながらも、ホアンは目を輝かせて和樹の後を追った。
和樹は歩きながら、ふと視線を宙へ向ける。
「なぁ、ノア……ノクトになんか頼まれてなかったっけ?」
(……気のせいでしょう)
「……だよな」
和樹が空を見上げると、ゆっくりと朝の光が差し始めていた。
「おっ、いつの間にか雨も上がったみたいだな——さあ、帰ろう。ノクターナルへ」
その頃。
倒壊したビルの瓦礫に挟まる男が一人。
「だ、だれかぁぁぁ……たすけてくれぇぇぇ……!! 動けねえよぉぉ……!!」
デイブの情けない悲鳴だけが、誰に届くこともなく空へ吸い込まれていった。




