和樹の力
ノアから告げられた“100%”という言葉は、胸の奥に小さな灯りをともした。
——だが、その灯りは、次の映像によって一瞬でかき消された。
視界に流れ込む偵察ドローンの映像。
セクター9の街路は炎に染まり、クアッドハウンドの影が蠢いている。
その数は、あまりに——あまりに圧倒的だった。
「……この数……倒しきるまで、時間がかかりすぎる……」
一体一体なら勝てる。
ナイトメアセンチネルすら倒した。
それは確かに“事実”だ。
——だが、相手は群れだった。
住民たちの避難した場所。
そこはすでに戦場に変貌していた。
クアッドハウンドの群れが波のように押し寄せ、二体のナイトメアセンチネルが暴れるたびに建物が崩れ、悲鳴が上がる。
ホアンが幼い子供を抱え、カレンが負傷者を庇い、片膝で射撃を続ける。
シュミレーションテストで顔を合わせたヴァンガードセクトの隊員も膝をついている。
そして、地下——
サラは、無数の機械触手をうねらせるあの怪物に、完全に追い詰められていた。
「……俺じゃ……全部は……守れねぇ……!」
胸の奥がひび割れたように痛んだ。
「ノアっ……! 俺の力じゃ……無理だ!! どう考えても間に合わない……100%なんて……嘘だろ……!」
怒りとも絶望ともつかない声だった。
だがノアは、いつも通り静かだった。
(——その認識が、すでに“誤り”です)
「……誤り……?」
(和樹。あなたは、“自分だけの力”で救おうとしている)
(その時点で——答えを間違えているのです)
淡々とした声なのに、その内側にかすかな熱を感じた。
「どういう意味だよ……!」
(あなたの“力”は、あなた一人の力ではありません。——サイヴァートレックスすべてが、あなたの力です)
呼吸が止まった。
(私に命令してください。“オーバーマインドを倒せ”と)
ノアの声は冷静だけれど、その冷静さの奥になにか温かいものがあった。
(和樹。——あなたには、我々がいるのです)
胸の奥が――
ぼうっと熱くなった。
「……ノア」
(はい)
「命令する。オーバーマインドを——倒せ!」
(……了解しました。……作戦コーデックスを実行します)
その瞬間、セクター9上空の大気が“揺れた”。
ピシィ……ッ!
空が歪んだように見えたかと思うと、巨大な影が次々と姿を現す。
——ゴォォォォォォォッ!!
巨大な影が雲間にいくつも姿を現す。
「なっ……なんだよ、あれ……!」
アーコニア都市防衛のEMPバリアをまるで水膜のように抜け、数十機の大型輸送ドローンが、雲を割って降下してくる。
「こんな数……どこに隠してたんだよ……!」
(和樹がスリープモードの間に、都市外縁軌道で待機させました)
「……これを、全部……?」
(あなたが“命令する”と……わかっていましたから)
「………!」
輸送ドローンの底が開く。
展開——パラシュート。
降下。
地上に向けて——無数の影が落ちていく。
丸っこい耳。もふっとした輪郭。
「……クマ……?」
(イグナイト部隊、投入します)
——ポフッ!
着地したイグナイトたちは、まるで「おすわり」するように一瞬ぴたりと停止した。
次の瞬間、背中のチャックがふわりと開き——中からちょこん、と小さな砲身が顔を出す。
——ズガァァァァァン!!
その可愛さに似つかない破壊音と共に、
プラズマ弾がクアッドハウンドを薙ぎ払った。
──ピョコン。
別のイグナイトは、素早い動作で跳躍し、クアッドハウンドの頭上にふわっと着地する。
指の先から小型ブレードが“にゅっ”と飛び出し……
——シャキーン!
……ハウンドは静かに沈黙した。
さらに別の個体は——
両腕を広げて「だっこ!」の姿勢で負傷者に飛びつき、そのまま衝撃吸収フォームで包み込みながら戦場を駆け抜ける。
“戦場にぬいぐるみが降る”という冗談のような光景が、アーコニアの夜景に広がった。
「……嘘だろ……」
(和樹。あなたは“個人で戦う”つもりでいた。でも——あなたには力がある。サイヴァートレックスという名前の、国家戦力にも等しい力が)
「……これが全部、俺の……」
(ええ。和樹の“力”です)
(あなたはひとりではない。あなたが守ろうとする人々を……私も守りたい)
(あなたの母が、そう望んだから)
(……だから、和樹が諦めない限り——勝率は100%です)
和樹はゆっくりと立ち上がった。
もう迷わない。
「ノア……ありがとう」
(あなたを勝たせる。それこそが私の存在理由であり、私に組み込まれた使命です)
和樹は拳を握る。
「よし……行こう。エコーは地上だ! ナイトメアセンチネルを頼んだ!」
「うんっ!」
「俺は……サラを助けに行く!!」
その声は、もう揺れていなかった。
***
和樹は、ノアの示すホログラムのルートを見据えた。
狭い通路を迷いなく駆け抜け、壁際の影を跳び越え、鉄骨の崩れかけたトンネルを潜り抜ける。
「サラ……待ってろ……!」
その時だった。
(……和樹)
ノアの声の“質”が変わった。
「どうしたノア……?」
(触手を振るっていた機械の怪物——“自壊”しました)
「……自壊? なんで……」
(問題はそこではありません。その後——鮫島がサラと接触しました)
「——ッ!」
(今、映像を共有します)
ノアの言葉と同時に、和樹の脳裏に画面が広がった。
視界が、暗い地下通路へ切り替わる。
鮫島の背後に貼りついた小型蜘蛛ドローン——
以前、ノアがこっそり取り付けた潜入型ドローンだ。
そこから映し出されたのは——
床に叩きつけられたサラの姿。
鮫島が無機質な瞳で、サラの肩に指を突き立てる。
——ズブッ。
サラの悲鳴。
そして、鮫島の冷淡な声。
『……そろそろ終わりにしよう』
「……っ……」
和樹の肺の奥から、獣のような呼気が漏れた。
「ふざ……けんな……!」
足が地面を蹴る。
それは“走る”ではなく——爆発だった。
空気が弾け、床の砂塵が巻き上がる。
(和樹、速度が危険域です。機体の限界を超えます)
「黙ってろ!! 今だけは——止まれないんだ!!」
次の瞬間、視界の端が青白く揺らめいた。
和樹の全身を、淡い光の粒子が覆い始める。
走るたび、床に光が焼きつく。
——青白い尾を引く“閃光”。
「サラを……!」
通路の壁を青白い閃光が駆け抜ける。
「サラを死なせてたまるかぁぁぁぁぁ!!」
——鮫島の指先が、サラの心臓に触れかけた、その瞬間。
世界が青白く裂けた。
——ドウッ!!
爆風に近い衝撃波が通路を逆流し、瓦礫が浮き上がる。
鮫島でさえ、一瞬だけ目を細めた。
「……なにっ——?」
光の奔流の中から——
“誰か”が現れた。
小さな影。
丸いフォルム。
短い手足。
しかし、その腕には——サラが抱きかかえられていた。
「鮫島ァ……」
幼児型アンドロイドとは思えない低い声が響く。
「てめェ、よくもサラを……!」
和樹は鮫島を睨みつけたまま、一度後方に跳躍し、驚くほど優しい動作でサラを地面へ下ろす。
「サラ……すまない。遅くなった……」
その声に、サラは胸が熱くなる。
だが。
「……ぷっ……ふ……」
「どうした? どっか痛むのか?」
「い、いや……違う……違うんだけど……っ」
サラは肩を震わせて、必死に笑いを堪えていた。
「……和樹が……あ、あまりにも……可愛くて……!」
「………………」
和樹の瞳の光学センサーが、怒りとも照れともつかない赤みを帯びる。
(補足します)
唐突にノアの声が割り込む。
(和樹の心拍変動、情動波形を統合すると……)
(文句を言いながらも——和樹はこの機体を“非常に気に入っている”ようです)
「ノアァァ!! 今それ言う必要あるか!?」
サラは吹き出しながら、涙がにじむほど笑った。
「ふふ……来てくれて……ほんとに……ありがとう……!」
サラが弱々しく抱きつく。
幼児型アンドロイドの小さな腕が、ぎゅっとサラの背に回った。
「サラ……もう大丈夫だ」
その光景を、鮫島はただ静かに観察していた。
油断も焦りもない。ただ冷徹な分析だけが瞳に宿る。
「ノア……質問してもいい?」
(どうぞ)
「さっき、……いきなり、異常な力が湧き出して……そのあと、体が震えて動かなくなっちゃった……あれ、なんで?」
(説明します)
ノアの声は淡々としているが、どこか優しかった。
(サラの体内にある“ナノマシン群”は、強い感情刺激を受けると一時的に活性化し、短時間だけ通常以上の出力を引き出します)
「感情が……暴走したから……あの力が?」
(はい。感情の爆発でナノマシンが急激に活性化し、その結果、短時間で大量に消費されました)
「じゃあ……減っちゃったの?」
(ええ。しかし問題ありません。数時間で自然増殖し、元に戻ります)
「よかった……」
サラは自分の胸元を押さえ、小さな声で呟いた。
「……せっかく、和樹が……私の中にいるのに……減るのは……ちょっと嫌だなって」
「え、どゆ意味……?」
和樹が思わず固まる。
「な、なんでもない! た、ただの比喩! 比喩だからっ!」
サラは両手をわたわたさせ、耳まで真っ赤になった。
(ただし——)
ノアの声が少しだけ厳しくなる。
(あの状態で戦い続ければ……ナノマシンが枯渇し、生命維持が困難になる可能性があります)
「……そっか……」
静寂が一度、落ちた。
粉塵がゆっくりと沈む中——
鮫島は、ゆっくりとサラと和樹へ視線を移した。
その目は驚愕でも怒りでもない。
ただ……“解析”していた。
「……なるほど」
鮫島の瞳が、微かに震えた。
「荒野でナイトメアセンチネルを単独撃破した人間……サラの常識外れの戦闘力……そして今度は——君、か」
淡々と呟きながら、鮫島は顎に手を添えた。
「……近頃、我々の演算に誤差が多いとは感じていたが……ここまでの“不確定要素”が立て続けに出現するとはな」
その声音には、わずかな——だが確かな“苛立ち”が滲んでいた。
「さて……“君は何者だ”?」
和樹は、鮫島の問いに答えなかった。
(和樹。向こうはあなたの戦力を測ろうとしています)
ノアが静かに告げる。
(こちらがゆっくり構えれば、その分だけ相手の解析が進むだけです)
(和樹。——最初から全開で行きましょう)
「……ノア」
(あなたは、最初の一撃で “鮫島の計算式” を壊せます)
その言葉が、導火線になった。
「……いいぜ」
和樹の身体が、淡く揺らめき——蒼光が集束する。
「鮫島ァ……!」
——バシュンッ!!
「まずはテメェだッ!!」
ただの蹴りではない。
蒼光と圧力をまとったそれは——
鮫島の身体を一瞬で吹き飛ばした。
——ドガッ!!
鮫島は天井を突き破り——地上へと吹き飛ばされた。
「サラ!」
「っ……!」
和樹は迷うことなくサラを抱き上げた。
「しっかり掴まってろ!」
青白い光が尾を引き、二人の身体が跳躍する。
——バキィィィィン!!
割れた天井を突き抜け、地上へ。
粉塵が晴れかけたその中央に——吹き飛ばされた鮫島の黒い影が、静かに着地した。
微動だにしない。
表情も、呼吸も、乱れない。
ただ、肩に降り積もった瓦礫の欠片だけを
——サラッ、と指先で払い落とす。
そして、もう片方の手でスーツの襟元を整えながら、首をコキリと鳴らす。
「……やはり、興味深い」
その瞳だけが、“値を更新する”ように輝いた。
「また……計算し直しだ」




