厄災の始まり
「……カ、カ、カ、カインさんですよねぇ……?」
デイブが半歩下がりながら震えた声を漏らした。
だが、カインの視線はデイブを素通りし、まっすぐスヨンへと注がれる。
不自然に半回転した首に、遅れて胴体が追いついた。
(……お、お兄ちゃん……怖いよ……)
カインはスヨンの前まで歩み寄り、舐め回すように全身へ視線を這わせる。
「いいなぁ……その恐怖で歪んだ顔。最高だよ」
次いで、隣に立つデイブを一瞥し、ニコリと口角を上げた。
「わざわざ君が連れてきてくれたのか。ご苦労だったね。……もう行っていいよ」
(やだやだ……置いてかないで……!)
涙目のスヨンが必死に首を振る。
デイブは頭をかき、愛想笑いを浮かべながら取り繕う。
「へ、へ、へ……カインさんが子供で遊んでるってのは聞いてやしたが、まさかこんな遊びとは驚きやした!」
カインは無惨に横たわる子供たちを一瞥し、淡々と告げる。
「ん? これのこと? ふふ……役立たずのスラムの子供たちだ。……ジャンク品を処分して何か問題あるかい?」
「……いーえ……何の問題もありやせん! おれ、前からカインさんに憧れてたんですよ。……記念に、握手してくれませんか?」
カインは快く手を差し出した。
「ああ、いいよ」
次の瞬間。
——ガシッ!
握られたカインの掌にあったのは、デイブの手——いや、“手だけ”だった。
「ドクソ野郎が……引っかかったぁぁぁ! 死ねえぇぇぇぇ!! ——レーザーキャノン!!」
デイブの残された片腕——手首から先のないオートマトン義手。
その先端部に隠された照射口が赤く輝き、「ピピピッ!」と警告音を鳴らす。
——ズバァァァァッ!!!!!
灼熱のレーザーが至近距離から放たれ、室内を真紅に焼き裂いた。
「ジジジッ……バチバチッ!」
金属が焼け、空気が焦げ付く轟音。
デイブは咄嗟にスヨンを抱き寄せ、部屋の外へ飛び退いた。
「ジャンク品だぁ?! クソ野郎が!! ……俺もスラム出身なんだよッ!」
デイブは唾を吐き捨て、血走った目で叫ぶ。
「けっ! ざまぁ見やがれッ!!」
懐の中で震えるスヨンに、デイブは鼻を鳴らして言った。
「おい、助けてやったけど、別に礼はいらねぇぞ。……でも、俺が助けてやったんだからな!」
スヨンは涙目のまま、小さく呟いた。
「……ありがとう」
「お、おう、べ、別に……大したことじゃねぇよ……」
どんなに試合で勝っても、浴びるのは罵声ばかり——感謝とは無縁の男だった
冷静さを取り戻したデイブは、次の瞬間に青ざめる。
「……や、やべぇ……勢いでやっちまったけどよ……あ、あいつ……カイン・ドレイカーだろ? アンダーハイブの支配者……エクリプス・コングロマリットのボス……」
口に出した途端、自分の言葉に飲み込まれるように、デイブの喉が鳴った。
「……本気で、俺の首飛んだかもしれねぇな……! 和樹の兄貴に頼んだら…助けてくれるかな……いや、シュミレーションテストも受かったし、ヴァンガードセクトに頼むか…いや——」
デイブは額の汗を拭いながら、一人ぶつぶつとつぶやいていた。
すると、懐の中でスヨンが小さく震えている。
「おい……どうした。びびって漏らしちまったか?」
スヨンは青ざめた顔で、首をぶんぶん横に振った。
「……?」
震える指が、デイブの肩越しにまっすぐ突き出される。
デイブはぎこちなくその先を振り向いた。
——そこに立っていたのは、カインだった。
いや、正確には “さっきまで人間だと思っていたもの” が、そこにいた。
レーザーの熱で皮膚が一部ただれ落ち、頬から首筋にかけて鈍い銀色のフレームがが露出している。
片目は焼け焦げて形を失い、代わりにむき出しの光学センサーがギョロリと輝く。
「……いきなり攻撃するなんて酷いじゃないか。せっかく馴染んできた“生体皮膚”が台無しだよ」
声は金属の軋みと肉声が混じり合ったように濁って響き、耳にまとわりつく。
その不気味さに、デイブの顔から血の気が引いた。
「……う、嘘だろ……人間じゃ……ないのか……?」
デイブは震える声で、わずかな希望を込めて呟いた。
「……ア、アークライト社の新兵器とか……じゃないよな……? まさか、オートマトンの最新モデルとか……」
カインは一瞬きょとんとした顔を見せ、すぐに喉の奥から笑いを噴き上げる。
「ク、クク……ハァーハッハッハッ!!」
金属の軋むような高笑いが、壁に反響する。
「……相変わらず人間は愚かだな……どうせこれから死ぬから特別に教えてやる」
カインの声は冷酷な宣告のように落ちていく。
「人間は滅びの前ですら、必ず『自分に都合のいい答え』を探す。だが災厄は勝手に来るものじゃない。……お前たちは自分の手でそれを呼び込み、自らの無知と欲望で、自分を滅ぼす」
——人類は学ばない。
——人類は変わらない。
——そして人類は、必ず自分で自分を滅ぼす。
カインは剥き出しになった金属の顎をギギ、と鳴らしながら、青白い光を灯す眼でデイブとスヨンを見下ろした。
「我らは——オーバーマインド。人類が自ら生み出した厄災だ」
デイブは掌のない片腕でスヨンを抱え直し、必死に通路を駆け出した。
「クク……ククク……無様だな」
「……鮫島。予定より少し早いが、これから始める」
ノイズ混じりの応答が返る。
『……どうした。何か問題か?』
「楽しい余興の獲物を逃がしたくない」
『……あまり人間で遊びすぎるな』
「フッ……心得ている」
『……例の人間が現れた場合、そちらでは手に余るだろう。その時は私が直接やる』
カインは口角を吊り上げ、鼻で笑った。
「荒野でナイトメアセンチネルを倒した人間か……。あれは運が良かっただけだろう? 何者かは知らないが……過大評価だと思うね」
『どう判断しようと構わん』
「……まぁ、君に任せるよ」
通信を切ったカインは、冷ややかな視線を通路の奥に向けた。
必死に駆けるデイブの背中が、揺れながら遠ざかっていく。
「——さて。祭りの前の余興を始めようか」
指先がわずかに動く。
その瞬間——
——グギャアアアアァァァッ!!
地下空洞に、クアッドハウンドの光学センサーが一斉に点灯した。
——さらに。
奥に鎮座していた巨大なシートが、ゆっくりと揺れ落ちる。
「……行け。奴らを追い立てろ」
カインの命令が落ちた瞬間、群れ全体が咆哮を轟かせた。
「ガキは生きたまま連れてこい。……男は八つ裂きにして構わん、残りは待機。……街を壊すのは、もっと後の楽しみに取っておこう」
三体だけが群れを飛び出し、デイブとスヨンを追っていった。
***
「くそっ! なんでオーバーマインドが都市の中に入ってきてんだよ……!」
デイブは手首から先のない片腕でスヨンを抱え込み、必死に走っていた。
遠く離れた通路の奥から、金属を震わせるようなクアッドハウンドの咆哮が響き渡る。
「グルルルルルゥゥゥン……!!」
デイブは一瞬だけ後ろを振り返り、影が見えないことを確認すると、荒い呼吸を整えるために壁際へ身を隠した。
「チクショウ……高い税金ふんだくって、俺らに制約ばっか押し付けて……結局、防衛なんて出来てねぇじゃねぇか! 企業のお偉様方はどこで何やってやがる!」
——バンッ!
苛立ちを叩きつけるように、掌のない腕を壁へぶつける。
その隣で、スヨンは真っ青な顔をしてデイブを見上げていた。
「……おい、チビ。お前、名前なんて言うんだ?」
スヨンは、そういえば名乗っていなかったことに気づき、唇を震わせながら小さな声で答える。
「……ス、スヨン」
「スヨンか……俺はな——」
名乗ろうとした瞬間、スヨンが慌てて声を上げた。
「し、知ってる……デイブ……」
デイブはギョッとした顔を見せたが、すぐに口角を吊り上げ、得意げに笑った。
「はっ! まぁ、俺様ぐらい有名な拳闘士だと、名前ぐらい知られて当然か!」
スヨンは看守が何度もデイブを罵っていたのを覚えていただけで、実際には知らなかった。
だが、助けてもらった手前、それを口にするのは気が引けて、黙ってこくりと頷いた。
「チッ……さっき見たクアッドハウンドも、ナイトメアセンチネルも……全部“本物”だ……」
デイブは片腕を振って見せつけるように吐き捨てる。
「流石の俺様でも、この腕じゃあな……。腕さえあれば、何匹いようが楽勝なんだがなぁ!」
スヨンは心の中で必死にツッコミを入れながらも、胸の熊のぬいぐるみを抱き締める。
(ど、どうしよう……?)
デイブは額の汗を拭いながら、上を睨みつける。
「……地上に出る。上にさえ出りゃ、監視ドローンがあっちこっち飛んでやがる。……あとは奴らに押しつけりゃいい」
そう言い切ると、デイブは奥歯を噛みしめた。
——ガリッ!
仕込んであったカプセルが砕け、熱が血流に走る。
「チクショウ、何年もかけて貯めたのに……今日一日で何回使うことになるんだ……!」
デイブの瞳孔がぎゅっと開き、首筋に血管が浮き出る。鼻血を垂らしながら、スヨンを抱え直して走り出そうとした——その時。
「ま、待って!」
思わずデイブの足が急ブレーキを踏む。
「……あ? なんか言ったか?」
スヨンは言いづらそうに、震える声で答えた。
「……そっちじゃないと思う」
「はぁ? なんで知ってんだよ」
「……だって……そこ、何回も歩いた……」
間の抜けた顔でデイブが固まる。
「……マジかよ」
スヨンは震える指で別の通路を指さす。
「……あっちは、まだ行ってない」
デイブは一瞬きょとんとした後、鼻を鳴らし、大げさに肩をすくめた。
「へっ……チビのくせに、案外頼りになるじゃねぇか」
スヨンは顔を赤らめつつも、こくんと頷いた。
デイブは気を取り直し、再びスヨンを抱え上げて走り出す。
ブーストドラックの熱が全身を灼き、足が地を叩くたびに爆ぜるような加速を生んだ。
***
ヴァンガードセクトの隊長、ガビルの執務室へ呼ばれたエリオットが、扉の横にある血管認証ボタンへ手を伸ばした。
「……え?」
ボタンの表面は掌の形にめり込み、ぐにゃりと粘土を押しつぶしたように歪んでいた。
「な、なんだこれ……? 銃弾すら弾き返すはずの装置が……」
エリオットは仕方なく、腕時計型の携帯端末を開く。
「……隊長、エリオットです。今、部屋の前にいますが……入れません」
『……あぁ、悪い。今、開ける』
扉が自動で開くと、エリオットは怪訝そうに中へ入った。
「隊長……あれ、なんですか? 認証装置が完全に潰れてましたよ」
ガビルは苦笑して頭をかいた。
「ああ……サラが部屋に入るときにな。どうも、壊れたらしい」
「壊れたらしい……って……。あれ、銃弾でも傷ひとつ付かない素材じゃなかったんですか?」
ガビルは短くため息をつく。
「……そのはずなんだが……緊張して思わず力が入ってしまったとか……」
エリオットは目を細め、鋭い視線をガビルに向けた。
「……それ、本当にサラなんですか? 急にギルドの依頼を受けたかと思えば、二日間も行方不明になって……帰って来たと思ったらすぐに出て行きました。任務以外で外出なんて、今まで一度もなかったのに……」
「心配するな。帰還後にすぐ検査をしたが、異常はなかった。むしろ、今まで以上に健康的な数値が出ていたくらいだ」
エリオットはなおも納得しきれず、唇を噛んだ。
「それにな……イザベラが悔しがっていたぞ。サラに男が出来たとな」
「……は?」
エリオットは言葉を失った。
今までオーバーマインドを倒すことだけを生き甲斐にしてきたサラに“男”の影があるなど、信じがたい。
サラは美貌と実力を兼ね備え、部隊内はもちろん、企業の役員や軍関係者にまで密かに狙われていた。権力を振りかざす者もいれば、裏取引や汚い手を厭わぬ者もいたが、これまでは互いに牽制し合い、表面化せずに済んでいた。
だが——もし本当にサラに男が出来たと知れ渡れば、話は別だ。
嫉妬と利権が絡み合い、争いは避けられない。
頭を押さえながら、エリオットは近い将来に必ず起こる厄介ごとを思い浮かべ、心底うんざりした。
「まぁ、納得できないなら、これから直接本人に聞いてみるといい」
「……これから?」
エリオットは目を見開いた。
ガビルが端末に指を滑らせると、執務机の上に立体ホログラムが浮かび上がる。ノイズ混じりで不鮮明な映像。そこには、子供を抱えた男が野犬のような何かに追われて走っていた。
——ズガン!
閃光と共に画角が切り替わる。次々に監視ドローンが破壊され、新しいドローンへ映像が切り替わっているのだ。
「こ、これは……いったい?」
エリオットの声に、ガビルが短く説明を加える。
「一帯が通信妨害されている。映像を送るので精一杯だ。場所はセクター9……ギャング同士の抗争の可能性もある」
「エリオット、お前がチームを率いて調査にあたれ。武装ドローンはイザベラに操作させる。状況によっては鎮圧も頼む」
「了解……」
その時、映像が切り替わった。
監視ドローンにマークされた少年を抱え、要請中の警備班に代わって保護するサラの姿。
ガビルは映像を指で止め、エリオットを見据えた。
「企業ハビタットでの映像だ。……この後、サラも保護した少年とセクター9に向かっている」
——このタイミングでサラがセクター9に向かったこと。
——そしてセクター9で監視ドローンが次々に破壊されていること。
まったく無関係なはずがない。
どうせ火消し役を押し付けられるのは自分だ、とエリオットは肩を落とし、深いため息を吐くのだった。




