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アンダーハイブ

 咆哮と絶叫が、地下の天蓋を揺らしていた。


 中央のリングでは拳闘士同士が血みどろで殴り合い、観客は賭場の端末にクレッドを叩き込みながら怒鳴り、女を連れた連中が高笑いを撒き散らす。


 テグはその圧に完全に呑まれて、ホアンやカレンに向けていた威勢など影も形もない。

 サラの後ろで小動物のように歩いていた。


 「チッ……余計に目立ちやがる」


 ラドが舌打ちすると、ホアンが不安げに周囲を見渡す。

 さっきまで己の欲にしか興味を示していなかった連中の雰囲気が、変わっていた。


 ——ねっとりとした視線。


 まるで新しい玩具を見つけた子供のように、観客たちの目がサラとカレンへ吸い寄せられていく。


 「囲め。壁をつくれ」


 ラドが短く命じると、取り巻きが素早く動き、サラとカレンの周りに半円の人垣を作った。


 「ここまでの案内のつもりだったが……カインのいる場所まで連れてってやる」


 ホアンは安堵と恐怖が入り混じった声を漏らした。


 「……た、助かります……!」


 緊張で声を裏返らせながらも、カレンの前に半歩出て歩く。


 「な、なんか、余計に目立ってないか?」


 「……う、うん……」


 ラドは歩きながら、サラの胸元の開いたドレス姿をちらと見て、苦笑を漏らした。


 「悪りぃな、アンタのこと甘く見てた。……ヴァンガードに置いとくには惜しいぜ! 俺の女にならねぇか?」


 サラは困ったように微笑み、首を横に振った。


 「ごめんなさい。好きな人がいるの」


 「はっ……アンタみたいな女をモノにできる男がいるなんて羨ましいぜ。さぞかし、勇ましくて立派な男なんだろうな……一度お目にかかってみてぇもんだ」


 ——その時。


 正面の人波が割れ、錆色の鎖を首に巻いた男が姿を現した。爬虫類のような義眼が赤光を放ち、薄笑いを浮かべる。


 「よう、ラド!」


 「……グリード!!」


 ラドのオートマトンが、きしり……と低く鳴った。


 「テメェ……よく俺の前にツラ出せたな」


 「なんだよ今日はやけに景気のいい女を連れてるじゃねぇか。……へぇ、上玉が二人も。俺に“負けた”くせにヨォ?」


 「何言ってやがる、あの試合はテメェの反則負けだろうが!!」


 「たが、リングに最後まで立っていたのは、この俺様だヨォ、強いのはどっちかなぁ?」


 周囲からも笑いが漏れる。


 グリードはサラとカレンへ、獲物を測る蛇のような目を向けた。


 「で、そっちの二人は? “景品”か? お前を殺せば貰えるのか?」


 視線がねっとりと移動する。ホアンが一歩、さりげなくカレンの前に出る。


 「今はテメェに構ってる暇はねぇ。道を開けろ」


 ラドの低い唸りに、グリードは愉快そうに舌を鳴らす。


 「道を開けろだぁ? 通行料くらい置いてけよ。そうだな……リングの上で一曲、踊ってもらおうか?」


 その時、サラが一歩、グリードの前に出た。


 「ヒュ〜……色っぽい女だ。俺と踊ってくれるのかい? だったらいい声で鳴いて——」


 ——言葉はそこで途切れた。


 次の瞬間、爆ぜるような轟音。


 サラの片足が一瞬にして跳ね上がり、踵が振り下ろされる。


 ゴオォォォォン――!


 床石が砕け、鉄骨が軋み、蜘蛛の巣状の亀裂が四方八方に走った。


 観客の悲鳴と、耳をつんざく衝撃波。


 グリードの身体は声を発する間もなく、衝撃に押し潰されて地面に叩き伏せられた。爬虫類のような義眼の瞳が、一瞬だけ明滅して消える。


 煙と粉塵の中で、サラは何事もなかったかのように踵を引き抜き、両手をぱん、ぱんと軽く叩いた。


 「通行料。釣りは要らない」


 ホアン、カレン、テグはぽかんと口を開けたまま、返す言葉も見つけられない。


 「……さ、早く行きましょ」


 周りの客は静まり返り、誰一人として息を呑む以外にできない。

 その沈黙の中で、ラドだけが青ざめた顔で口を開いた。


 「……アンタをモノにした男、羨ましいと思ってたが……同情するぜ」



 ***



 「……へっくしゅん!」


 不意に出た自分の声に、和樹は目を瞬かせた。


 「……なんで、くしゃみ……?」


 自分の身体を見下ろす。幼児のような体系に、まるでエコーのような姿。

 ——そう、今の和樹は“HN-07”のアンドロイドボディにリンクしている。


 ノアの落ち着いた声が頭に響いた。


 (空気環境の汚染レベルが高いせいで、内部フィルターの自動清掃機能が反応しました)


 「……フィルターの掃除、ね……」


 和樹は苦笑して視線を横にやると、床に横たわるエコーが眠るように動かない。

 再起動待ちのその姿を見下ろしながら、和樹の胸に重たい決意が芽生えていく。


 「ノア……エコーが起きるまで、あとどれくらいだ?」


 (再起動まで残り四時間二十八分——)


 「……そうか」


 和樹は腕を組み、視線を落とす。


 「ノア、いろいろ考えたんだけど…決めた。エコーが再起動したら……エコーと一緒に、さっきの試合に出てきた“あいつ”を倒す」


 オーバーマインドのアンドロイド——“カイン・ドレイカー”。


 「ノアの言う通り、もっと力をつけてからの方がいいのかもしれない。……だけど、サラを一人で戦わせるわけにはいかないよ」


 本来ノアは、和樹を一気にオーバーマインドとの戦いへ向かわせるつもりはなかった。


 まずは「隠すこと」。


 和樹の存在が知られる前に、少しずつ「シンクロ率」を高め、時間をかけて和樹を育てる計画だった。


 ナノマシンは和樹の肉体に馴染みながら成長し、やがては身体能力や回復速度を常人の枠を超えて強化する。

 特定の条件を満たせば、AIと連動した特殊装備が段階的に解禁される。

 その全てを、繰り返しの戦闘と訓練で積み上げ、オーバーマインドに対抗できる力を備える。


 ——それが、ノアの描いた最適解だった。


 先に露見すれば、オーバーマインドは和樹への「対策」を講じる。

 未熟なまま全面対決になれば、その分勝率は低くなる。

 だからこそノアは、和樹の存在を隠しながら育てようとした。


 ——だが。


 和樹は、サラと出会った。

 家族を奪われ、復讐のために命を賭して戦い続ける女性。


 彼女の語る過去に耳を傾けたとき、和樹の胸には同情だけではなく、どうしようもない怒りが燃え上がった。

 理不尽にすべてを奪ったオーバーマインドを、許すわけにはいかない。


 その怒りはやがて、自分を突き動かすものに変わった。


 ——共に戦いたい。いや、自分も戦わなければならないと。


 ノアは理解していた。

 和樹の決断は論理的ではなく、感情に駆られた人間特有の衝動にすぎないと。

 だが、それでも——彼がそう望む限り、ノアはその道を「最適化」する。

 正誤ではなく、勝率の最大化こそがノアの役割だった。


 (承知しました。最大限バックアップします。ただし——戦闘に備えるなら、休息が必要です)


 「休息……? いや、俺は全然大丈夫だよ。アンドロイドの体なんだから、体力の消耗はないし……」


 (消耗がないのはこのボディだけです。長時間の稼働は、判断力と集中力を確実に低下させます。最適な戦闘状態を維持するためには休息が必要です)


 「……精神的負担、か」


 和樹は小さく息を吐いた。確かに、頭の奥に疲労を感じる。


 (それまでスリープモードに移行してください。時間になれば、こちらでスリープモードを解除します)


 「……ああ、わかった」


 和樹は膝を抱え込み、静かに目を閉じる。


 ——その隣で、エコーは微動だにせず眠り続けていた。



 ***



 無数のシートに覆われたクアッドハウンドの群れ。その異様な光景を前に、デイブは額に脂汗を浮かべながらも、虚勢を張った声をあげる。


 「……ふ、ふん。こんなガラクタ共、動くわけねぇだろ……!」


 そう言って、目の前のシートを乱暴に蹴り上げる。


 ——ゴン! 


 鈍い金属音が鳴り響き、デイブの足がじーんと痺れた。


 「……いっッ!? ま、まあまあ、硬えじゃねぇか……」


 デイブは顔をしかめ、何事もなかったようにスヨンの前を歩き出す。

 スヨンはそんな背中を見つめながら、心の中で小さくつぶやいた。


 (……ぜったい今、すごく痛かったんだと思う……)


 クアッドハウンドの間を縫うように進むたび、デイブの目は落ち着きなく左右に泳ぐ。

 彼はまるで「出口の方向を知っている風」を装っていたが、その歩調は速くなったり遅くなったり、不自然に揺れている。


 「お、おいチビ! あっちから風が流れてる気がする……出口はこっちだ!」


 「………」


 「そんな目でみるんじゃねぇ! 俺を信じろってんだ!」


 スヨンは熊のぬいぐるみを胸に抱きしめながら小さく心の中でため息をつく。


 (…さっきから同じとこ歩いてる……)


 「チッ……なんで俺様が、ガキなんか連れてこんな所で……!」


 その直後、足元の水たまりに滑って、盛大に尻もちをついた。

 

 ——ズチャッ!!


 「いってぇぇぇっ!? ……く、くそっ! 床が濡れてただけだ! 俺は悪くねぇ!!」


 「………」


 スヨンは唖然とした表情でデイブを見下ろした。


 (……お兄ちゃんと全然ちがう……)


 水たまりに尻もちをついたデイブは、手のひらにぬるりとした感触を覚え、顔をしかめた。


 「……ん? なんだ、この……」


 手を持ち上げた瞬間、そこにべっとりと付着していたのは、赤黒い血だった。


 「っ……血……!?」


 スヨンもそれに気づき、息を呑んだ。

 水たまりだと思っていたものは、壁の奥から流れ出してきた“血の川”だったのだ。


 デイブが震える足で跡を辿る。壁の隙間に、無理やりこじ開けられたような隠し扉がある。


 デイブは中を覗いたその瞬間——息が止まった。


 そこには無残に殺された子供たちの死体が折り重なり、血溜まりの中で転がっていた。

 生き残った子が一人、震えながら命乞いをしている。


 「……や、やめて……殺さないで……」


 その声に、黒いコートの男が冷たく笑い、ためらいもなく刃を振り下ろした。


 「っ……あれは……カイン・ドレイカー……!?」


 だが、その声を聞いたスヨンが背後からそっと覗き込み、凄惨な光景を目にしてしまう。


 「ヒッ……!」


 思わず漏れた小さな悲鳴。


 ——その瞬間。


 ギギ……と音を立てながら、カインの頭部が半回転し、不気味にねじれながらこちらを振り返る。

 

 「……そこにも、いたのか……」


 ギョロリとした青い目とともに、不気味な笑みがスヨンへ向けられた。

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